奈良時代の八世紀のことですが、中国東北部から朝鮮半島を領域とした渤海から来た使者が要望したので、水銀百両(推定約四キロ)を黄金、漆などとともに贈ったという記事はその一例です(「続日本紀」宝亀八年五月) |
日本からの輸出品の中の異色としては、第九回渤海使史都蒙(宝亀七年来日)がみずから要求して、信物に加えてもらった物として記録されている、黄金、水銀、金漆、海石榴油一缶、水精念珠(真珠)、檳榔樹扇がある。 |
このように厚かましくも、いろいろな珍品、奇品を要求した史都蒙なる人物は、その史という姓からして、ソグド人だったのではないか、という説がある(山口博氏)。 ソグド人というのは本来西域の人種であるが、商才に長けており、その商才を駆使して唐を経て渤海にまで至り、黒貂などの毛皮商人として活躍していたことが知られているので、その中から定着して、渤海国の官人となり、外交官の地位に昇りつめ、使節として日本に来た者があったとしても不思議ではない。 |
8世紀にはアラブ人によって征服され、イスラム教を受容した。アラビア語では「川の向こう側にある地方」を意味するマー・ワラー・アンナフルの名で呼び、やがてこの地名が定着する。イスラム時代には言語的に近世ペルシア語を用いるようになってソグド語が廃れ、イランとの文化的な繋がりをより緊密にした。 |