蕪村に
  筋違すぢかひにふとんしきたり宵の春
という句がある。これには「几董きとうとわきのはまにあそびし時」という詞書が付いている。この「わきのはま」は、「蕪村俳句集」(尾方仂校注、岩波文庫)では「神戸市の東端」とされているが、正確には「神戸市中央区の東端」である。少し昔には、ここは神戸市電と阪神電鉄併用軌道線(国道電車)双方の終点で、2つの路面電車が見られるのが印象深い所だった。

脇浜町。神戸市電(手前)と国道電車のツーショット。昭和43(1968)年。
「神戸の市電と街並み」(トンボ出版)より

 前掲の句は安永七年三月の作であるが、この年の三月十四日〜十六日(1778年4月11日〜13日)にかけて、蕪村は弟子の几董らとともに兵庫の豪商北風荘右衛門のもとを訪れている(「兵庫の楽学歴史大学」 )。旧暦十五日は望で大潮の時期、春は潮干狩りのシーズンである。蕪村らは「わきのはま」で磯遊びをしたものと思われる。
 その「わきのはま」の海岸は今は埋め立てられて、そこにできた脇浜海岸通には神戸海洋気象台などが入っている神戸防災合同庁舎などがあるが、昔の面影はない。しかし、「地図で見る神戸の変遷」((財)日本地図センター)には、1886(明治19)年頃の地図が収録されている。蕪村の頃より100年以上経っているのだが、明治になって生田川の流路を付け替えた「新生田川」がある他は、蕪村の頃からあまり変わってないのではないかと思われる。特に「わきのはま」付近の海岸には松林のマークも見られ、白砂青松の海岸であったことを窺がわせる。
 そこで、上記の地図上に現在の諸施設をプロットして「クリッカブル・マップ」を作ってみた。蕪村が「几董とあそびし」海岸を想像する縁となれば幸いである。

このページは「地図太郎」(東京カートグラフィック株式会社様)で作成した主題地図をザ・ランスによって変換したものです。