しちめんどうな話(高島屋の七福神)

高島屋の七福神

 日本橋高島屋に『笑点50周年記念特別展』を見に行った時だった。先代圓楽師匠の懐かしい映像などを見て、喫煙のために屋上へ上がった。
 ふと思ったのは、デパートの屋上にはたいてい神様が祀られているということ。たとえば三越には向島の三囲神社である。これは日本橋からはうしとら(丑寅)つまり北東の鬼門の方向に当たる。明らかに風水を意識している。
 上野の東叡山寛永寺は江戸城の鬼門を守るために造られたとされるが、むしろ北北東くらいで、やや不正確である。武士よりも町人のほうが方向感覚は正確だった(と、寛永寺の令嬢に申し上げて怒られたことがある)。
 さて、高島屋はどんな神様だろうと屋上庭園を散策してみると、北の隅に六角だか八角だかのお堂があった。賽銭箱の置かれた正面には「大黒天」と書かれている。


 なるほどこれかと思ったが、向かって正面右側の面には「布袋尊」とある。さらに左側には「恵比寿神」。そこまで見れば、ナンボ無知な筆者でもこれは七福神であろうと察しがついた。念のため一巡してみるとたしかに七福神が揃っている。これはちょっとした発見であった。ということは、このお堂は六角でも八角でもなく七角、『七面堂』なのである。

『膝栗毛』の七面堂

 『東海道中膝栗毛』に「足利の武将の建てし七面堂」というのが出て来る。「無精の建てししち面倒」に掛けた洒落である。『笑点』を見に来てその洒落の実物を見たのだから、これも何かの因縁だろう。ちゃんちゃかちゃかちゃかっちゃんちゃん。
 膝栗毛の七面堂は、十返舎一九の洒落のための創作だろうと思っていた。青梅街道と環八の交差点のあたりに「四面道」という地名がある。「し」と「しち」は紛らわしい。一九はこれをヒントにしたのではないか?青梅街道は甲州裏街道だから、知っている人は少なかったろう。だから一九の思惑はばれ難かった、と。しかし七面堂の実物を見てしまうと、この考えは修正すべきかもしれない。もっともこれは一九の時代からあったものかどうかは定かでないが。

正七角形は描けない?

 そのように中学で習った記憶がある。ただ、製図学かなにかの本を見て描いてきた生徒がいたが、先生に却下された。
 ウィキペディアで調べると、「定規とコンパスだけで作図することはできない」というのが正解のようである。そのようなエウクレイデス(ユークリッド)の幾何学を理解させることは無論大事であろうが、一方でこの先生は生徒の創意を伸ばすことには熱心でなかった。この先生は筆者の2年の時の担任でもあったが、偏執的に規則ずくめの人で、筆者はたびたびぶつかった。筆者の成績は3年間でこの年が一番悪かったが、クラス全体が生気がなかった。
 3年になると今度は理科の天文で、木星の衛星について問題が起こった。理科の先生はたしか10個と教えるのだけど、筆者を含む天文仲間達は、既に12個発見されていることを知っていた(現在は実に67個!)。先生にそれを言っても取り合ってくれない。だいたいその頃の「第2分野」の先生は生物系ばかりで天文や地学はろくに勉強してなかった。その年にはイケヤ・セキ彗星が現れた。世紀の大彗星と騒がれたのに第2分野の先生はご覧にさえならなかったようだ。筆者はフジペットという子供用カメラながら撮影まで成功していたというのに。
 その天文仲間の一人だった生徒は、本人の言によれば問題児だったそうだが、後に大学教授になった。いかに先生方に先見の明がなかったかということである。

七面堂の作り方

 ともかく、エウクレイデスの幾何からは外れるが正七角形を描く方法はある。高島屋の七面堂もそんな方法で作られたのであろう。具体的には、同じ大きさの側板を7枚用意し、それを正七角形(正七角柱)に並べれば良い。側板の横幅をLとすればそれは辺の長さLの正七角形を作ることに対応する。
 一般に正n角形は一つの円に内接する。だからその一つの円に内接するように板を並べれば良いのである。問題は、その円の半径rを求めることである。rが大きすぎれば円周を覆いきれないし、小さすぎれば側板が余ってしまう。

正七角形と外接円

 正n角形は外接円の中心と各頂点を結ぶ直線によってn個の三角形に分割できる。その個々の三角形は1辺がL、他の2辺がrの2等辺三角形である。2等辺の挟角θは正n角形各辺の中心角だから、
 これをさらに2つの直角三角形に分割すると、頂角φは
 これから容易に
が得られる。

 たとえば、
 そして今、n=7なので、
 L=3尺(畳の短辺)とすれば、r=3尺4寸5分で良い。

 『東海道中膝栗毛』が出るより少し前、幕府天文方は「寛政暦」を作り施行していた。これは西洋天文学を本格的に採用した暦である。当然、三角関数は知られていたのである。


May 2016
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