土地や空気や水は誰の物でもないのに、どうして売り買いできるのだろう。 土地は地球の一部であり、我々は地球の一部であり、地球は我々の一部なのだ。 |
・・・・・わしは、白人に汽車の中から撃たれて、 そのまま大草原に放置されて腐ったバッファローの死体を何千と見た。 彼らは、生きるためにだけバッファローを殺す我々を野蛮人だと言う。 |
我々は知っている。 我々の神はあなた方の神と同一である。 白人と言えども、この共通の運命から逃れることはできない。 我々は兄弟なのかもしれない。 いずれ分かるだろう。 |
島をお金で売買するなどという発想のなかったネイティヴ・アメリカンたちは、 酔った勢いでマンハッタン島を二束三文で売ってしまったのです。 |
イロクォイ諸部族では、それぞれの部族がその領地を、共同体的に所有していた。彼らは無 条件に誰にでも売ったり譲ったりできる私有財産制度を基礎とする所有権というものを、まっ たく知らなかった。土地のこのような私的所有というものを人類が認識するようになるには、 未開時代中期と後期をへて文明時代にいたる経験が必要であった。インディアンの社会では、 土地の絶対的な所有権を誰も得ることはできなかった。慣習により、土地は一括して部族とい う共同体のものだったからであり、また土地を自由に売ったり、譲ったりすることができ、個 人の権利として法律で認められた所有権というものを、彼らはまったく知らなかったからであ る。 |
カンザス州のショーニー部族の事例は、この悪辣な政策の実体をあますところなく明らかに している。ショーニー部族は、いわゆるジャクソン政策のもとでカンザス州に移され、カンザ ス川沿いの非常に肥沃な土地をその居留地とし、この先ずっとその本拠地とするよう言い渡さ れた。ショーニー部族は数年間はなにごともなくそこを所有していた。ところが、白人のアメ リカ人が西へどんどん流れていき、カンザスまで来ると、今はカンザス州となっている地域で も最高の土地をショーニー部族が持っていることに気がついた。アメリカ人はただちに、この インディアンの土地が欲しくなり、文明と進歩のために、という名目で、ショーニー部族を根 こそぎ追い払うことに決めた。彼らは、のちにシュルツ氏が採ったのと同じ方式を、自分たち の目的を達成するために採用し、迅速かつ巧妙に成果をあげたのである。具体的には、まず、政 府にたいして、ショーニー部族が農耕に必要とする以上の土地を持っているという理由で、居 留地の一部を買い戻すようにもちかけた。次に、政府はインディアンに対して、残りの土地を 全部農地に分割し、個別に処分権つきで各家長へ譲渡するように働きかけた。 この計画が実行に移されつつあった一八五九年に、わたしはカンザスを訪れたが、その時は ショーニー部族の人たちは、中には四平方キロメートルにもおよぶ自分たちの農地を耕し、 あるいは改良し、また他の白人農民とおなじように農地を所有していた。その10年後に カンザスを訪れた時には、一切は終わっていた。カンザスにはショーニー部族の者は一人もおらず、 白人アメリカ人の農民がその土地をすっかり手に入れていた。まさに、売る権利をともなった 私的所有権こそが、このような結果をもたらしたのである。 |
それ以後ソロンにいたるまでのアテナイの政治史は、ごく不完全にしかわからない。バシレウ スの職はすたれて、国家の頂点には、貴族のなかから選ばれたアルコンたちが現れた。貴族の 支配はますます強まり、紀元前600年ごろには耐えがたいものとなった。しかも、一般人の自 由を抑圧する主要な手段は−−貨幣と高利貸付であった。貴族の本拠はアテナイとその周辺にあ り、ここでは海上貿易が、いまだにときおりおまけとしてやられる海賊行為とともに、貴族を 富ませ、貨幣の富をその手に集積させていた。発展しつつあった貨幣経済は、分解力をもつ硝酸の ように、ここから、自然経済にもとづく古来の農村共同体の生存様式のなかへと浸透していった。 氏族制度は貨幣経済とは絶対に両立しない。アッティカの分割地農民の零落は、彼らを保護しつ つとりまく古い氏族紐帯の弛緩と同時に生じた。債務証書や土地抵当(というのは、アテナイ人 はすでに抵当権を発明していたから)は、氏族をも胞族をも顧慮しなかった。そして古い氏族 制度は、貨幣も前貸も金銭債務も知らなかった。それゆえ、ますますはびこる貴族の貨幣支配は、 債権者を債務者から保護するために、貨幣所有者による小農民の搾取を神聖化するために、新し い慣習法をもつくりあげた。アッティカの全耕地には抵当標柱が一面に立ちならび、それには、 この地所はだれだれにこれこれの金額で抵当にはいっている、と書かれてあった。この表示のな い耕地は、大部分がすでに抵当流れか利子未納のために売られて、貴族高利貸の所有に移ってい た。農民は、小作人としてそこにとどまって、その労働の収穫の六分の一で生活することを許さ れれば、喜んでよかった。他方で彼は、六分の五を小作料として新しい主人に払わなければなら なかった。それだけではない。売った地所の代金が債務の弁済にたりなかったり、この債務が抵 当による保証なしになされていたりしたときには、債務者は債権者に弁済するために、自分の子 供を外国に奴隷として売らなければならなかった。父による子の身売り−−これが、父権制と単 婚制の最初の果実であった!そして、吸血鬼がそれでも満足しないときには、彼は債務者自身 を奴隷として売ることができた。これが、アテナイ人での文明の心地よい曙光であった。 |