「つゆ入り坊や」考

 NHKライフには「つゆ入り坊や」というキャラが出て来る。なんでも平安時代から続く「つゆいり坊や宗家」が、勘によってつゆ入りを決め、触れて回るのだと言う。現在ではつゆ入りは、気象庁が科学的分析によって宣言するのだが、つゆ入り坊やには「科学は無用」なのだそうだ。

 無論これはフィクションである。実際はどうかというと、昔の暦(いわゆる『旧暦』)には「入梅」という暦註があった(今でも)。平安時代にどうだったかは浅学にして知らないが、江戸時代には入梅は「芒種の後の最初のみずのえの日」とされていた。芒種というのは二十四節気の中で夏至の1つ前、グレゴリオ暦(いわゆる『新暦』)では6月6日頃である。壬の日は10日に一度あるから、結局入梅は現在の6月7日〜16日の間となる。時期的にはまあ妥当だろう。ただそれ以上の何の科学的根拠もない。そもそも壬の日なんて決め方は占いめいている。また壬は「水の兄」の意味で、梅雨だから水の日というのはあまりに「そのまんま」で、「田家五行」つまり(道理を知らない)田舎者の五行説という揶揄もあったようである。

十干
きのえ きのと ひのえ ひのと つちのえ つちのと かのえ かのと みずのえ みずのと

 ところが明治9年から、東京天文台(現国立天文台)は入梅を「太陽黄経80度の日」と改めた。これは現在でも、国立天文台が前年2月に発表する『暦要綱』に載っている。たとえば2017年の入梅は6月11日である。
  。「芒種の後の最初の壬の日」というのは芒種から1〜10日後だから、5日後というのはその平均値である。この時から、「壬の日」などという占いめいた定義を廃して太陽黄経という科学的な(?)数値に変えたのである。
 実はこの頃、東京気象台(後の気象庁)が設立された。そのような時代背景の中で、占いめいた入梅はいささかでも科学の装いを纏うことが要求されたのかと思われる。つまりこの時、「つゆ入り坊や」はお払い箱となったのであろう。

 ところで、この明治9年暦から「土用入り」も変わった。それ以前は「 の18日前」だったのが、この年からは「太陽黄経が四立の18度前」になったのである。なんでもかんでも太陽黄経で決めるようになったわけである。それは一つには西洋天文学の理解が進んで太陽黄経を正確に求められるようになったためであろう。

 ところで、土用を太陽黄経で決めるようになると、立秋前の夏土用はやや長くなる(逆に立春前の冬土用はやや短くなる)。つまり、鰻を食べるとされる「土用丑の日」がごく僅かながら増えるのである。これにより鰻屋さんは商機が増えたことになる。


Jun. 24, 2016
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