目次
文献的事実
太陽の位置の略算式
冬至年長さの推移
歴史時代(1000年スケール)での影響
グレゴリオ暦の季節のずれ
節気の間隔
天測暦78式の導出


 本稿では冬至年について論考する。
 冬至年とは、冬至から翌年の冬至までの時間である。無論、他の節気についても同様の概念は定義できる。夏至年、春分年、秋分年、・・・などである。さらに一般化すれば任意の太陽黄経から一周する時間として黄経年も定義できる。
 しかし、それらの中で冬至年は中国暦(旧暦)においてとりわけ重要である。何故なら、古来中国暦では冬至年を1年として作られてきたからである。
 ところで、従来その冬至年は太陽年と等しいとして論じられるのが一般通念であったと思う。しかし、厳密なことを言うと、冬至年は太陽年と等しくないのである。これは任意の黄経年について言えることである。
 無論、冬至年、黄経年を実際に計算すれば毎年ある程度変動している。しかしここで述べるのはそのような短期の変動を除いた平均冬至年、平均黄経年のことである。それらは平均太陽年とは厳密には一致しない。この原因は近日点移動に求めることができる。この効果のため、近日点の平均黄経年は最も遅れ、遠日点のそれは最も進む。黄経年が太陽年と一致するのは近日点黄経±90°の場合のみである。そして冬至は最近1000年ほどは近日点に近いので、冬至年は太陽年より遅れるのである。その差は0.0005日程度、すなわち平均太陽年365.2422日に対して平均冬至年は365.2427日程度である。

文献的事実
 明治21年は日本で標準時が採用された年であるが,その年1888年の冬至は,
    12月21日18時3分
1982年は,
    12月22日13時39分
この94年間の日数は,閏年が22回あるから,
    365日×94回+22日
であり,この間の時間まで求めると,
    34332日19時36分
である.これを94で割ると,平均の1年の長さは,
    365.2427・・・・日
となる.授時暦採用の値の方が真に近い.もちろん,現在は冬至の観測は行わない.上記の値も理論的な計算によって求めた値である.
内田正男「こよみと天文・今昔」p79

 つまり内田氏は94年間という長期の冬至間隔の平均値として365.2427・・・・日を得ているのである。しかし氏はこれを「平均の1年の長さ」とし、それが「授時暦採用の値」より精度が劣るとしている。「授時暦採用の値」とは365.2425日である
 現代天文学の理論計算の結果が、700年も昔の元朝の授時暦より精度が劣ると、東京大学東京天文台(現国立天文台)講師が言っているのである。もしそれが事実なら、国立天文台はその原因を究明し、対策を講ずるべきだろう。94年間という長期の平均がこれだけずれるのは単なる偶然とは考えられない。何か原因がなければならない。
 いや、これは内田氏の勇み足である。氏の算出した365.2427・・・・日は平均冬至年であって、既に述べたように、それは平均太陽年とは一致しないのである。



 もっと新しい1994年の理科年表と2010年の資料から平均冬至年を求めると、
 その一方で、同じ期間の平均夏至年は
 こちらは、ごく僅かながら1太陽年より短い。
 つまり、近年(といっても1000年単位)では、細かい数値は変動するが、平均冬至年は太陽年より長く、平均夏至年は短いという事実は疑いようがないのである。
 このことは現代天文学を信ずる限り必然なのである。つまり、後述するように、
 (1)現代天文学では太陽黄経270°を冬至と定義する。
 (2)ケプラーの第2法則
 (3)近日点移動
以上から導かれる結論である。

太陽の位置の略算式
 海上保安庁水路部(現海洋情報部)による「昭和53年天測暦」には「太陽の位置の略算式」(以下「天測暦78式」と呼ぶ)が記載されている。これは以下のものである。

昭和53年天測暦 太陽の位置の略算式(海上保安庁水路部による)
λ=279°.0358360°.00769T  (L_1)
(1.9159ー0.00005T)sin(356°.531+359°.991T)  (L_2)
0.0200sin(353.06+719.981T)  (L_3)
0.0048sin(248.64ー19.341T)  (L_4)
0.0020sin(285.0+329.64T)  (L_5)
0.0018sin(334.2ー4452.67T)  (L_6)
・・・・・・
(以下は省略するが、(L_20)までの項がある。)

 Tは1975年1月0日0時(1974年12月31日0時)からの年数(ただし1年を365.25日とする)。

 各項の意味は次表のとおりである。
周期意味
(L_1): 1太陽年365.2422日で1周する等速円運動。
(L_2): 近点年、つまり近日点から近日点までの周期。
(L_3): (L_2)の倍振動。
(L_4): 白道の公転周期。
(L_5): 木星の会合周期。
(L_6): 朔望月。

 (L_2)項の角速度359°.991は、(L_1)項の360°.00769より0°.017ほど小さいが、これは近日点の移動角速度である。冬至年と太陽年の差はこれによって説明できる。
 (L_1)〜(L_3)はケプラーの第2法則で近日点移動を考えた場合に得られる(後述)。ただし(L_3)は振幅が小さいのでここでは省略し、天測暦78式の(L_1),(L_2)だけを考えると次ように表記される。
  λ(T)=Θ+ΩT+2e・sin(δ+ωT)  (1)
 ここでeは地球公転軌道の離心率である。
 ΔTを1太陽年とする。すなわち、
  ΩΔT=360°


 このとき、(1)より
  λ(T+ΔT)=Θ+ΩT+360°
      +2e・sin(δ+ωT+360°−(Ω−ω)ΔT)
      =Θ+ΩT+360°
      +2e{sin(δ+ωT)cos((Ω−ω)ΔT)
      −cos(δ+ωT)sin((Ω−ω)ΔT)}
      ≒λ(T)+360°−2e(Ω−ω)ΔTcos(δ+ωT)
 つまり、1太陽年後の太陽黄経λ(T+ΔT)はλ(T)より360°進むべきところが、最後の項だけ遅れるのである。
 δ+ωTは近点角である。したがってこの遅れは近日点で最大、逆に遠日点では太陽黄経は360°よりも進む。
 この遅れの振幅は、近日点移動角速度(Ω−ω)に比例する。天測暦78式より
  Ω=360°.00769
  ω=359°.991
 そして
とすれば、
 そして冬至は近日点に近いので、冬至年は太陽年より0.0005日ほど長くなるのである。

冬至年長さの推移
 冬至年の長さを求めるためには、(2)において
  δ+ωT=270°−θ
とすれば良い。ただしθは近日点黄経である。天文年鑑」2009年版の値を採用すれば、
 JDはユリウス日(2451545.0は2000年1月1日12時UT)。
 本稿の notation に直すためには
とすれば良い。
  離心率eは実際には一定ではない。ただし数百年程度での変化は非常に小さい。本稿の notation で書くと 次のとおり。
 これらを用いて西暦500〜3000年の冬至年長さの推移を見ると、次表のようになる。
 過去1500年の間、冬至年は365.24278〜365.24275日で大きく変わっていない。
 今後1000年の間には365.24268日にまで短くなるが、太陽年=365.2422日より0.0005日ほど長いという傾向は変わらない。


西暦(年)冬至年(日)

歴史時代(1000年スケール)での影響
 旧暦では冬至〜冬至を1年とする。日本で用いられた暦では、古代から宣明暦までの全ての暦法で、この「1年」は実際の1年(太陽年)よりやや長い。必然、同じ暦を長く使い続ければ季節がずれることになる。特に800年もの間使い続けられた宣明暦ではこのずれは大きい。この点について内田正男氏は次のように述べている
 宣明暦では1年の長さを365.2446日としているから,真の値より0.0024日ほど長い。0.0024日×800=1.92日で,2日くらい違ってくるのは当然のことである。
 つまり、宣明暦の1年=365.2446日と太陽年=365.2422日の差によって季節のずれを説明しているのである。しかし宣明暦の1年は冬至〜冬至なのだから、それと比較すべきはここで述べたように近日点移動によって1太陽年より長くなった365.2427日ほどの冬至年のはずである。これとの差を考えれば、800年のずれは1.5日ほどにしかならない。近日点は1000年で17°ほど移動するので、宣明暦の時代には小雪〜冬至の間にあったわけだが、それでも冬至年の長さは現在といくらも違わない。したがって宣明暦時代800年間の季節のずれは1.5日ほどとするのが妥当であろう。

 天測暦78式で宣明暦時代(862〜1684年)の冬至を求めてみると、
  冬至年 平均 365.242761日、標準偏差 0.0033737日
となる。これは近日点移動の影響をかなり正しく表しているものと考える。天測暦78式(L_2)(L_3)項以外の誤差要因については検討していないが、おそらく長期の系統的誤差はなさそうで、この結果は信頼に値すると思われる。
 なお、この結果によれば
  862年の冬至:12月21日15時18分
  1684年の冬至:12月21日4時30分
(いずれもグレゴリオ暦。時刻は東経120°つまりJST-1)。
 つまりグレゴリオ暦では862年と1684年で日付のずれは生じない。むしろ11時間ほど冬至は進んでいる。グレゴリオ暦が制定されたのは1582年であるが、それ以前に遡ってその暦法を適用すると、862〜1684年の間にはちょうど200回の閏日があることになる(900,1000,1100,1300,1400,1500年は閏年ではない)。したがってこの間の1年の平均は365.243309日となり、上記の冬至の平均間隔365.242761日より少し長いのである。

 「日本暦日原典」によれば、宣明暦では
  862年の冬至:12月21日18時59分
であった(これもグレゴリオ暦に換算)。また
  1684年の冬至:12月22日21時18分
であった。当然ながら、この間の冬至〜冬至間隔はすべて365.2446日である。
 宣明暦と天測暦78式では
  862年の冬至の差:0.154日
  1684年の冬至の差:1.7日
 したがって、この間に冬至は1.546日遅れたわけであるが、内田氏は宣明暦が862年時点で既に0.154日遅れていたことを無視しているのである。

グレゴリオ暦の季節のずれ
 グレゴリオ暦は1年の長さを365.2425日としているので、太陽年より0.0003日長い。このため約3000年ほどで1日のずれが生ずる、とされる。
 しかし、冬至年は近日点移動の影響で376.2427日ほどなので、これはグレゴリオ暦の1年よりやや長い。したがってグレゴリオ暦では冬至は次第に遅れることになる。近日点は3000年の間に51°ほど動くが、それでも冬至年が太陽年より長めという傾向は変わらない。
 一方で夏至年は太陽年よりさらに短いので、こちらは3000年で2日ほども早くなる。そして春分年、秋分年は太陽年に近いので、定説どおり3000年で1日ほど早くなる。
 つまり、「3000年で1日」というのは平均での話で、詳細に見れば季節によって多少違うのである。

節気の間隔
 冬至年は1太陽年より長く、夏至年はそれより短い、ということは、冬至から夏至までの間隔は次第に短くなり、夏至から冬至までは次第に長くなることを意味する。
 ここから、節気の間隔も変化することがわかる。間隔は近日点が最も長く、遠日点が最も短い。そして近日点は現在は冬至〜小寒の間にあるので、小寒〜大寒、、大寒〜立春、・・・、夏至〜小暑は次第に短くなり、小暑〜大暑、大暑〜立秋、・・・、冬至〜小寒は次第に長くなるのである。
 そして5000年ほどの後には近日点が春分点を越えるので、今度は冬至〜冬至が短く、夏至〜夏至が長くなる。

各節気の翌年までの間隔










 旧暦では中気によって月が決まる。中気を含まない月が閏月である。一方、上のことから中気の間隔も多少変化する。このため、閏十二月〜閏五月は減少傾向、閏六月〜閏十一月は増加傾向となる。勿論、変化は微々たるものであるが。

天測暦78式の導出
 以下では、天測暦78式(L_1)、(L_2)、(L_3)項の導出を概観してみる。
 ケプラーの第2法則
  r=a(1−e・cos(λ−θ))   (6)
 eは0.0167程度の小さな量なので、
 ここで、
  λ=λ1+λ2   (8)
とする。これの解は
  λ1=Θ+ΩT     (10)
 これは半径aの円軌道を等角速度Ωで公転する解、すなわち天測暦78式の(L_1)である。
 このとき、
 ここで
  θ=θ0+WT
とすると

 λ2はeのオーダーなので、
 さらに、この式の第2項も無視できるとすれば
 であるが、
  e=e0+βT
なので、
  λ2≒2(e0+βT)sin(δ+ωT)   (14)
 ここで
 これは天測暦78式の(L_2)に(ほぼ)一致する。

 (13)の右辺のλ2に第1近似解(14)を用いると、
 この第2項を積分すれば倍振動すなわち天測暦78式(L_3)が得られる。

Apr. 12, 2009 初版
Apr. 30, 2009 増補
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