報道によると、2009年チベットではグレゴリオ暦2月25日が新年だったという(以下、アラビア数字はグレゴリオ暦を表す)。日本の旧正月や中国の春節は1月26日だったから、まる1箇月食い違っている。これは、チベット暦が中国暦と全く異なるということの証左のようにも思える。実際、チベット暦には欠日や余日といったインド暦の要素が含まれているという。
しかしながら、月が1箇月食い違うということは必ずしも両暦が無関係であることを意味しないのである。良い例はかつての日本である。すなわち、日本では平安時代以来800年にわたって宣明暦を用いていた。唐の時代の暦である。800年も使い続けてきた結果、節気が2日ほどずれた。そうすると中国とは月が異なるということが起こり得たのである。
何故かというと、中国暦では月の名前は二十四節気のうちの中気で決まる。立春の次の雨水が正月中気で、啓蟄の次の春分が二月中気、以下同様に二十四節気の一つとばしが各月の中気で、立冬が十一月中気、大寒が十二月中気となる。この中気がずれると、それが入る月が変わる。勿論、月は朔(新月)から始まるから、中気が朔をまたいでずれた場合に月名が異なってしまうのである。
具体例がある。1607(慶長十二)年には日本では閏四月があったが、明や朝鮮ではそれがなかった。理由は先述した節気のずれである。すなわち、この年の小満(四月中気)は日本では1607年5月24日であったが、明や朝鮮では5月22日であった(と思われる)。したがってこの頃は四月である。一方、どちらの暦でも5月26日が朔だったので、ここから月が変わるが、夏至(五月中気)が日本では6月24日、明や朝鮮では6月22日であった。そして6月24日が朔なので、日本ではこの日からが五月となる。したがって5月26日からの月は四月中気も五月中気も含まないので閏四月である。一方、明や朝鮮では夏至が日本の閏四月の側に含まれるので、これが五月である。そして日本の五月は閏五月となる。この間の事情を下の表に示す。「天保暦(もどき)」というのは現代の旧暦の暦法で、当時の明や朝鮮の大統暦とは異なるが、大きな違いはないはずである。
| 宣明暦 | 天保暦(もどき)
|
---|
小満 | 辛酉=1607.5.24
四月
| 1607.5.22 2:10 四月
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朔 | 癸亥=1607.5.26
閏四月
| 1607.5.26 3:33 五月
|
夏至 | 壬辰=1607.6.24
五月
| 1607.6.22 11:34 五月
|
朔 | 壬辰=1607.6.24
五月
| 1607.6.24 16;37 閏五月
|
参考:内田正男編著「日本暦日原典」
この年には江戸時代第一回の朝鮮通信使が来訪している。この一行は四月一二日に京都を出発し五月二十四日に江戸に到着した。ただしこの日付は「朝鮮暦」と但し書きがついている(仲尾宏「朝鮮通信使」)。
閏四月があったとすれば、京都から江戸まで70日以上を要したことになる。しかしそれがなかったなら40日強の旅程で、こちらのほうが妥当であろう。
このように宣明暦時代に節気がずれたのは、この暦では1年の長さを
としていたためである。1太陽年の正確な長さは365.2422日なので、これは0.0024日ほど長い。僅かな誤差ではある。しかし、800年の間、この「1年」を愚直に加算していったものだから、積もり積もって2日のずれが生じたのである。
さてチベット暦である。これが中国暦であるという確証はない。インド暦の要素も見られることは確かである。しかし、干支などは中国暦と同じであるようだし、あながち無関係とは思えない。
これが中国暦の一種であるとすれば、だが、2009年の新年が2月25日であったということは、雨水(正月中気)がこの日以後だったのでなければならない。一方、日本や中国では2009年の雨水は2月18日であった。つまり雨水が7日以上遅れなければならないのである。
宣明暦は江戸時代の初めまでの800年間で2日ほどずれた。それから400年経っているが、ずれはせいぜい3日ということになる。7日というのはあり得ない。
しかし、1年の長さが宣明暦よりもっと長い暦であれば可能性はある。その候補が一つ見つかった。元嘉暦である。これは445年から宋で使われた暦である。唐の後に中原を制した宋とは繋がるものかどうか筆者は知らないが、ともかくそんな古い時代の暦である。この暦では1年の長さは
であって、正確な1太陽年より0.0045日長い。したがって445年から1560年を経た現在では節気の遅れは
これはチベット暦の候補となり得る。
また、吐蕃王国が建てられたのは7世紀前半ということだが、日本では聖徳太子の時代で、7世紀末には日本でもこの元嘉暦が用いられた。
ということで、内田正男編著「日本暦日原典」にしたがって元嘉暦で2009年の雨水を求めてみると、
2月26日8時51分
となり、たしかに条件を満たす。
なお、日本の現在の旧暦では、この年の雨水は
2月18日21時46分
である。元嘉暦の雨水はこれより7日11時間ほど遅い。これは先ほど試算した7.02日より11時間ほど長い。この理由は節気の決め方の違いに求めることができる。つまり、古い時代の暦では24節気は冬至から24分の1年ずつを加算して決めた。これを恒気法と呼ぶ。元嘉暦の場合なら、冬至から
の後を小寒、さらに同じだけの日数後を大寒、・・としたわけである。一方、清朝の時憲暦以後、日本では天保暦以後は定気法が採用されている。これは冬至を太陽黄経270°、小寒を285°といったように太陽黄経15°ごとに節気を定める。そして、ケプラーの法則によってその時刻を定めるのである。この法則によれば、地球は太陽からの距離が近いときには速く動き、遠い時には遅くなる。そして近年では近日点が冬至と小寒の間の頃にあるので、その頃つまり冬季には節気間の間隔が短くなるのである。
恒気法でも定気法でも、節気は冬至を起点として決めるから、冬至のずれは計算どおり(この場合は7.02日)になるはずである。しかし、2008年の冬至は
元嘉暦 12月27日11時51分、 天保暦(もどき) 12月21日21時4分
で、その差は5日15時間ほどでしかない。7.02日とこれの差は元嘉暦が元々持っていた誤差であろう。1500年も昔の暦なのだから、これくらいの誤差はさして驚くには当たるまい。
一方、7.02日からの冬至の誤差(-1.5日弱)と先ほどの雨水の誤差(0.4日)との差は約2日であるが、岡田芳朗「旧暦読本」によれば恒気法と定気法では、冬至を同じにしてもたしかにその程度の差が生ずる。
しかし、これだけでは確かなことは言えないだろう。もう少し多くの検証を行ってみる必要がある。そう思って探したら、「2006年チベット暦カレンダー」というのが見つかった。これに載っているチベット暦の日付を拾い出し、前後から推定できるものは( )で示し、元嘉暦と比較してみた。参考のために現在の日本の旧暦も併記した。
グレゴリオ暦 | 元嘉暦 | チベット暦 | 日本旧暦
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---|
2005/12/22 | | | 冬至
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2005/12/27 | 冬至 | | 十一月二十六
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2005/12/31 | | | 十二月一
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2006/1/20 | | | 大寒
|
2006/1/27 | 大寒 | |
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2006/1/29 | 正月一 | | 正月一
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2006/2/19 | | | 雨水
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2006/2/25 | | 十二月二十九 | 正月二十八
|
2006/2/26 | 雨水 | (十二月三十?) | 正月二十九
|
2006/2/28 | 閏正月一 | Losar(新年) | 二月一
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2006/3/21 | | | 春分
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2006/3/29 | 春分、二月一 | (二月) | 三月一
|
2006/4/20 | | | 穀雨
|
2006/4/28 | 穀雨、三月一 | (三月?) | 四月一
|
2006/5/21 | | | 小満
|
2006/5/27 | 四月一 | | 五月一
|
2006/5/28 | 小満 | 四月一 |
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2006/6/21 | | | 夏至
|
2006/6/26 | 五月一 | | 六月一
|
2006/6/28 | 夏至 | (五月二) |
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2006/7/11 | | 五月十五 | 六月十六
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2006/7/23 | | | 大暑
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2006/7/25 | 六月一 | | 七月一
|
2006/7/28 | 大暑 | (六月三) |
|
2006/7/29 | | 六月四 | 七月五
|
2006/8/23 | | | 処暑
|
2006/8/24 | 七月一 | 六月三十 | 閏七月一
|
2006/8/28 | 処暑 | (七月四) | 閏七月五
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2006/9/22 | 八月一 | | 八月一
|
2006/9/23 | | | 秋分
|
2006/9/27 | 秋分 | (八月) | 八月六
|
2006/10/22 | 九月一 | | 九月一
|
2006/10/23 | | | 霜降
|
2006/10/28 | 霜降 | (九月八) | 九月七
|
2006/11/12 | | 九月二十二 | 九月二十一
|
2006/11/20 | 十月一 | | 九月三十
|
2006/11/22 | | | 小雪
|
2006/11/27 | 小雪 | (十月七) | 十月七
|
2006/12/15 | | 十月二十五 | 十月二十五
|
2006/12/20 | 十一月一 | | 十一月一
|
2006/12/22 | | | 冬至
|
2006/12/28 | 冬至 | (十一月) | 十一月九
|
2006/1/18 | 十二月一 | | 十一月三十
|
2007/1/19 | | | 十二月一
|
2007/1/20 | | 十二月初 | 大寒
|
2007/1/27 | 大寒 | (十二月八) | 十二月九
|
目につくのは以下の点である。
1.チベット暦のLosar(新年)は元嘉暦では閏正月である。そして元嘉暦の正月はチベット暦では十二月である。
2.チベット暦十二月は三十一日まであることになる。もっともこれはチベット暦(インド暦)などに固有の「余日」というものであろう。
3.二月以降の月はチベット暦と元嘉暦で合っている。
4.ただし、日付はチベット暦が元嘉暦より1日遅れることが多いようである。これはチベット暦では朔の翌日を一日とするためと思われる。
このようにチベット暦は元嘉暦と完全には一致しないし、余日があったり朔の翌日が一日だったりという、中国暦とは明らかに違う面があることは否定できない。
しかし、月に関しては二月以降は完全に合っている。ここに中国暦との類似性を見ることはできないだろうか。そもそも世界の暦の中で、立春の頃を年初とするものは中国暦以外にあるのだろうか?多くは春分や冬至の頃を年初とするのではなかろうか?もっとも古代ローマ暦はMartius(新暦3月)を年初としたわけで(上田雄著「文科系のための暦読本」)、チベット暦はこれに近いとも言えるか?
それでも、やはり中国暦との月の類似性に注目したい。正月は元嘉暦と合わないが、これは雨水が元嘉暦よりさらに2日ほど遅れれば合うことになる。これは1年の長さが
365.2476日
以上であれば実現する。
日本で用いられた暦としては元嘉暦が最初(692年)とされる。その次は儀鳳暦(中国名は麟徳暦)である(697年)。しかし、岡田芳朗「アジアの暦」によれば、中国ではこの2つの間に10種もの暦があったとされる。そのうちのどれか、或いはもっと古い暦の中に、チベット暦ともっとよく合うものがないとは言い切れないだろう。確かめてみたいところだが、現在のところそれらの暦の1年の長さなどのデータを入手する手段が見当たらないのである。
Feb. 28, 2009
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