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三重県伊勢市にある伊勢神宮の式年遷宮で、正殿を新たに造るにあたっての最初の祭事「立柱祭(りっちゅうさい)」が4日、内宮(ないくう)で営まれた。来年秋に最高潮を迎える「遷御(せんぎょ)」に向け、これから社殿の新築が本格化する。 式年遷宮は1300年の歴史があり、20年ごとに社殿を造り替え、神宝などの調度品をすべて新調する。今回で62回目を数え、7年前から、御用材を山から切り出す際の作業の安全を祈る祭事などを済ませてきた。 |
伊勢内宮式年遷宮 (外宮はほぼ2年後)
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神嘗祭(かんなめさい・かんなめのまつり・かんにえのまつり)は宮中祭祀のひとつ。大祭。五穀豊穣の感謝祭にあたるもので、宮中および神宮(伊勢神宮)で儀式が執り行われる。 |
宮中祭祀の大祭で、その年の初穂を天照大御神に奉納する儀式が執り行われる。かつては旧暦9月11日に勅使に御酒と神饌を授け、旧暦9月17日に奉納していた。(以下略) |
・796年、日本の天皇は北斗七星を祀ることを禁じた。罰則として 「法師は名を綱所に送り、俗人は違勅の罪に処せ」 と規定した(『類聚国史』 「延暦十五年」)。 ・799年、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して 「京畿の百姓」 に 「北辰に灯火を奉る」 ことを禁じた(『日本後紀』 「延暦十八年九月」)。 ・811年、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して九月の一ヵ月間、「北辰を祭り、挙哀改葬等の事」 を禁じた(『日本後紀』 「弘仁二年九月一日」)。 ・835年、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して九月の一ヵ月間、「京畿」 での 「北辰に火を供えること」 を禁じた(『続日本後紀』 「承和二年八月二日」)。 ・967年施行の 『延喜式』 は斎宮が伊勢神宮へ行くに際して 「九月一日より三十日まで、京畿内、伊勢、近江、等の国、北辰に奉灯し、哀を挙げ、葬を改むる」 ことを禁じた。 |
望宵霜降 |
北斗の柄の先端の『開陽』と『搖光』を結ぶ線(天球上の大円)を延長すると、二十八宿の『房宿(πSco)』に達する。BC300年頃、ここが霜降点だった。霜降にはここに太陽があり、望なら正反対に月がある。αUMiは現在の北極星。βUMiはBC1000年頃の北極星。 |
『春の大曲線』は北斗の柄〜アークトゥルス〜スピカ。スピカは乙女座で秋分点。⇒霜降点ではない。 十一月(冬至)は建子月。冬至の夕方に北斗の指す方向が子(北)である。 夕方を18時とすれば、子の方向は秋分点。 しかし、18時には冬至前後を除いて星は見えない。中緯度で夏至の頃でも星が見えるのは20時頃か。冬至の20時に子の方向は霜降点。⇒建子月(節月)に北斗の指す方向はどの時刻で考えるのか? |
東方青龍 | 北方玄武 | 西方白虎 | 南方朱雀 | ||||||||||||||||||||||||||||
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