令和―万葉集から見えてきたこと―

 2019年は4月までが平成31年、5月からは令和元年となった。この新元号《令和》は、史上初めて「国書」から採られたものという。その出典とは万葉集「巻五 梅花の歌三十二首并せて序」の
初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。
であるという。これは、
 ところで、『続日本紀』では、 の条に
又陰陽・医術及七曜・頒暦等類、国家要道、不得廃闕。但見諸博士、年歯衰老。若不教授、恐致絶業
とある。「陰陽・医術および七曜・頒暦等は国家要道であるが、それらの諸博士は老衰してしまっている。(若い人に)教えなければ絶えてしまうだろう」というのである。
 陰陽とか七曜というのは星占なのだが、古代にはそれは国家の命運を占う重要事だった。頒暦は暦を作ることだが、これも「天意を知る」皇帝(天皇)が作って民に授けるものとされていた。これらと医術の専門家たちが皆老いぼれてしまい、後継者を育てなければエライことになるという内容である。
 実際、五年後の天平七(735)年、吉備真備が唐から最新の「大衍暦」を持ち帰ったが、学ぶものがなくほったらかされ、時代遅れの「儀鳳暦」が30年近くも使われ続けた。まさに律令国家存亡の危機である。そんな時に大伴旅人らはノーテンキに「梅花の宴」を催し歌を詠んでいた、それの序文が令和の出典とされたのである。

 より現実的な問題として、この3年前の神亀四(727)年には渤海国からの遣使が訪れている。渤海国とは、7世紀に唐と新羅により滅ぼされた高句麗という国があり、その末裔などが中心となって興した国で、やはり唐・新羅と敵対関係にあった。対抗上、日本に同盟を持ちかけてきたのである。翌年には が派遣され、730年に帰国している。
 渤海使も返送使も大宰府を着発してはいない。しかし大宰帥というのは外交を司る長官なのである。それがこの東アジア緊張の時代にこんな呑気なことをしている。それは、幾多の難題を抱えながら「アベノミクス」なんぞと言って浮かれている現政権と似ていなくもなかろう。 というのも肯なるかな、である。

 さらに、今回の新元号に関連して「万葉集にはあらゆる階層の歌が収録されている」と喧伝されている。本当だろうか?
 その時代、「あらゆる階層」が読み書きできたろうか?それができたのは貴族やそれに近い階層だけだろう。下層民の歌は貴族たちによって採録されたはずである。その貴族は「天皇すめろぎは神にしませば・・」などと言っている。そのようなイデオロギーにバイアスっていると考えるのが自然だろう。《共産党支持者》の歌は採用されないはずである。「そんな反体制派は居ても取るに足りない」というかもしれない。しかしみちのくでは平安時代になってもアテルイが抵抗を続けていたのである。
  という。明らかに一種の検閲が入っていたのである。
 「あらゆる階層の歌」などと真に受けてはいけない。それは時の権力者のプロパガンダなのである。

Apr. 2019
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