おぼろ月と二十四節気
〜『季節のことば36選』に思う〜


 日本気象協会から『季節のことば36選』というのが発表されたそうである。筆者はまだ見ていないのだが、朝日新聞天声人語によるとその中に『おぼろ月』も入っているそうだ。しかしそれはどうだろう。月で季節がわかるだろうか?おぼろ月の季節は仲春から晩春くらい、とまでは大方のコンセンサスが得られると思うが、さりとて、たとえば4月の満月は2013年は26日なのに2012年は7日だった。20日近くも違うのである。これは二十四節気の15日間隔よりも長い。
 月では季節が確定しない。だから古来の中国暦(日本の旧暦)では太陰暦と純粋太陽暦である『二十四節気』を併用したのである。二十四節気に関する評価は人それぞれであろうが、最低限ここまでは認識しておくべきことである。
 日本気象協会は当初『日本版二十四節気』の策定を目指していた。ただその中で各界の識者の意見を集約してみると二十四節気に変更を加えることには異論が多く、先の『季節のことば36選』に落ち着いたもののようである。実は筆者は昨年『暦はエレガントな科学』(PHP研究所)を上梓させていただいたのだが、それは当時策定されようとしていた日本版二十四節気に違和感を抱く多くの方々のご支援によって成ったものである。今このような結末を見て感ずることがある。それは、日本人は中国古代の科学である太陰太陽暦や二十四節気をそれとは全く異なる原理に立脚して認識しているということである。二十四節気に代わるべき季節の指標に月が入るというのだから、全く科学性を無視している。それを提唱しているのが科学者の団体たる日本気象協会というのだからおそれいる。
 昔、神経科医で作家のなだいなださんがこんなことを書いていた。
 茶碗におしっこを受ける。それはすぐに捨てて、水洗いした後、その茶碗で茶を飲めるか、というのである。健常者のおしっこは別段不潔なものではない。ましてそれを水洗したのなら、何も問題はないはずなのだが、飲める人はほとんどいないだろうというのである。なだ氏はこれを科学的衛生の概念ではなく、ケガレという古来の呪術的概念と指摘しておられる。多くの日本人にはこのような古い概念が染み付いているのだろう。ちなみに筆者もそんな茶碗では飲めないから、人様の非科学性をなじる資格はないのだが、現代でさえ我々が立脚しているのは科学ではないということは認識しておくべきだろう。

 二十四節気くらいならまだ良いが、この認識がないために弊害が起こることがある。
 東日本大震災の後の原発放射能漏れで、牛肉からキロあたり4350ベクレル(Bq/kg)という高い放射能が検出されたことがあった。これは当時の暫定基準と比べても相当高く、現在の基準の数十倍という大きな値である。ただし、この牛肉を一度や二度食べたからといってただちに健康被害が起こるとは到底考え難いのである。牛肉をキロ単位で食べる人は滅多にいない。通常は100グラム、200グラムであろう。それでも毎日食べ続ければ100日くらいで少し危険な値にはなる(セシウムはそれくらいの期間は蓄積される)。しかし高い和牛を毎日食える人はこれまた少ない(健康被害があっても、そうなってみたいくらいである)。だから大部分の人にとって牛肉の4350Bq/kgは「健康にただちに影響はない」のである。当時関係機関から出されるこの言葉に分かりにくいとの苦情が出た。言葉が足りなかったというきらいはあるものの、要はこういうことなのである。そしてこの程度のことは高校の物理と化学の知識があれば計算で確かめることができるのである。
 にもかかわらず、当時の世間の騒ぎようは尋常ではなかった。特に高濃度の肉を出荷してしまった肉牛農家はまるで犯罪でも犯したかのような嘆きようであった。同情を禁じ得ない。
 この時世間が怖がったのは科学的な意味での放射能ではない。放射能に汚染されたというケガレの意識である。ケガレはお祓いでもしないと浄められない。しかし放射能を浄めてくれる神様はいないから、ベクレルがなんぼ低くても人々は納得しない。こうしてベクレルの過剰な低減化が始まった。牛肉に限らず、シイタケやお茶や、多くの業者が苦しめられ、廃業に追い込まれた所も少なくないようだ。繰り返しになるが、これは科学ではない。ケガレなのだ。そして人々がその違いに気付いていないことが最大の問題なのだ。その意味でこれは二十四節気を科学として理解していないことと通ずるだろう。このことを理解しない限り、罪もない人を犯罪者呼ばわりする愚を犯しかねないのである。

 もっともその前に、原子力ムラが発する安全神話を人々が安易に信じてしまったことがすべての問題の始まりだろう。ここでも安全『神話』はケガレに対置されるべき非科学である。

Apr. 2013
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