「某些人」はこれを次のように解釈した。「清明節は冬至から105日目である。しかるに93年は閏年であったため、2月が29日有り、このため清明節は4月4日となったのだ。」 この解釈はなかなか明確である。ただ、概略の説明にすぎない。今詳細な説明を供して読者の参考とせむ。 ・・・・ 清明節は二十四節気の一である。節気の決め方には平気法と定気法の2種類がある。平気法は「俗称的」二十四節気で、正しいのは定気法である。平気法では節気間の長さは一様であるが、定気法では、黄道を24分割する(ために一様ではない)。 ・・・・ 地球の赤道は黄道と23度26分の角度を持って、2点で交わっている。春分点と秋分点である。春分点から次の春分点、或いは秋分点から次の秋分点までを一回帰年と称する。 黄道を12等分したものが黄道十二宮である。第一が白羊宮、以下金牛宮、・・・。また春分点を24等分したのが二十四節気である。だから黄道十二宮の夫々にはふたつの節気が対応する。白羊宮の0度が春分点であり、15度が清明。金牛宮の0度が谷(穀)雨、15度が立夏。 地球は公転中に太陽と月の引力によって地軸が黄北極を中心とする円周運動をなし、毎年約50.29秒西へ退行し、約25800年で一周する。いわゆる春分点西行である。古く中国では二十八宿東行として知られていた。歳差としてよく知られていることである。時間に換算するなら歳差(の50.29秒)は20分24秒である。この歳差の影響により、春分点そして節気は毎年前に移動する。根拠として統計結果を挙げると、1901年から1943年までは清明節は4月5日または6日であったが、1944年から1975年までは4月5日、1976年から後は4月4日または5日になっている。 ・・・・ わが国では唐朝に定気法が現われた。惜しいことにこれは広く使用されず、天象にのみ応用されて、暦には平気法が使われた。清朝の時憲暦で平気法を改め定気法が使われた。これは暦法上の一大革命である。 |