「団塊の世代」がそろそろ還暦を迎える年代になっている。しかし還暦とはいつなのだろう?
 60歳が還暦ということは広く知られている。それで、満60歳の誕生日をもって還暦と考える人も多いようだ。しかし、言葉の意味をもう一度検討してみよう。「暦がかえる」と書く。その意味は十干十二支から来ている。
 十二支を知らない日本人は相当珍しいだろう。
  子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
である。誰でも自分は寅年だとか戌年だとかは知っている。年賀状などにも良く書かれる。
 十干のほうは、そこまでよく知られてはいないかもしれない。
  甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
である。本来はこの十干と十二支は組合わせて使われる。たとえば「子年」の人は正確には「甲子きのえね」であったり「丙子ひのえね」であったりする。2008年は「戊子つちのえね」である。十干と十二支は、ともに毎年一つずつ動く。だから甲子の次の年は乙丑きのとうしである。甲丑きのえうしとか乙子きのとねという年は存在しない。だから60年経つと十干十二支は元へ戻る。これが還暦なのである。
 60歳の年には、干支が生まれ年に戻る。だから還暦は目出度いとされて来た。「赤いちゃんちゃんこ」は、生まれ年に戻るから赤ん坊に戻るという意味だったものと思われる。昔は平均寿命が短かったから、ここまで生きるのは相当目出度かったろう。
 さて、干支が生まれ年に戻るのが還暦なら、それは満60歳になる年の正月のはずである。満60歳の誕生日より早く還暦となる(元日生まれの人を除いて)はずなのである。

 大方の人はここまでで納得するかもしれない。しかし、還暦、古希、喜寿、米寿・・といった風習は古来からのものである。現代の我々は新暦で暮らしているが、明治の初めまでは旧暦だった。だから伝統を重視するなら、還暦なども旧暦で行うべきという考え方もあろうかと思う。そもそも干支というのは旧暦と密接に結びついているわけだし。
 このとき、「節月」という考え方がある。24節気の立春(2月4日ころ)は「正月節」とされる。この日を年初(節月正月)とするのである。同様に啓蟄(3月6日ころ)は「二月節」なのでこの日からを節月二月、清明(4月5日ころ:三月節)からを節月三月とするのである。時々、「豆まきまでは前の年」とするお年よりがいるが、この節月の考え方に従ったものだろう。
 通常の旧暦の「月」が天体の月の朔望で決まるのに対し、この節月は純粋に太陽暦である。何故なら立春は「太陽黄経315°」と決められている。他の節気もすべて太陽黄経で決められているからである。実際、立春は今の暦(太陽暦)ではほぼ2月4日ころに固定する。立春自体が太陽暦だからである。「ころ」というのは、実際には1日程度は動くためにこういう表現になるのだが、それは今の暦が毎年365日に固定しなくて閏年には366日になるためである。むしろ「太陽黄経315°」というのは、現在の暦よりもっと厳密な太陽暦なのである。
 ともかく、この節月の考え方に従うなら、還暦は満60歳の年の立春となる。新暦で祝うよりは1箇月ほど遅くなる。もっとも、立春より前、「豆まき」までに生まれた人の場合は、前年の立春が還暦となる。節月は、「豆まき」まではまだ前の年だからである。

 さらに、節月ではなく普通の旧暦によるという考え方もあるだろう。つまり旧正月で還暦とするわけである。新暦正月や立春と違って旧正月は毎年変わるが、旧暦の載っている暦やカレンダーはいくらでも市販されているので、調べるのは簡単である。
 しかし、そこまで旧暦に拘るなら、自分の誕生日も旧暦で考えるべきだろう。節月の場合と同様、旧暦では生まれ年が1年前になる可能性があるからである。
 しかし、大部分の人にとってはこれはあまり重要ではない。まず、誕生日が24節気の雨水(2月19日ころ)から後の人は旧暦でも前の年になる心配はない。雨水は「正月中気」といって、旧暦ではこの日は必ず一月だからである。一方、誕生日が24節気の大寒(1月20日ころ)までの人は、旧暦では必ず前年生まれとなる。大寒が「十二月中気」で、必ず旧暦十二月だからである。
 問題は大寒の翌日から雨水の前日までに生まれた人である。その場合、誕生日が旧暦十二月か一月かは簡単には決められない。もっとも大寒に近ければ十二月の可能性が高く、雨水に近ければ一月の可能性が高いが、それ以上正確なことは、生まれた年の旧暦を調べなければわからない。
 60年ほども昔の旧暦を調べるのはそれほど簡単ではないだろう。しかしちょっとうまい方法がある。57歳の年の旧暦を調べるのである。それは生まれ年の旧暦とかなり良く似ているはずなのである。
 何故かというと、古い時代の中国暦には章法というルールがあって、1章を19年とし、その間に7回の閏月を置いた。こうすることで暦日が太陽暦とほぼ一致した。「朔旦冬至」といって19年に一度、冬至が十一月一日と重なった。当時はこれを目出度いとして盛大に祝った。日本の遣唐使も唐朝の朔旦冬至の宴に列席したという記録があるそうだ。
 荘子に包丁ほうていという料理人の話がある。「ほうちょう」の語源であるらしいが、この人の使った牛刀は19年の間、刃こぼれひとつしなかったという。大変な技だったことを窺わせるが、しかし何故19年なのか?20年でも15年でもないのか?おそらくこの章法19年が明確に意識されているのだろう。それほど重要な年数だったわけである。また包丁はもしかしたらその朔旦冬至の宴の料理を担当したのかもしれない。そして再び朔旦冬至が来た時、前回の牛刀がそのまま使えた、と。
 現在の旧暦(て、ヘンな言葉だが)ではこの章法の原則は崩れている。いや、もっと精密になっているのだ。しかし、やはり19年ごとに、旧暦と新暦の関係は非常に似ている。例えば、2008年の旧暦七夕は新暦ではちょうど1箇月遅れて8月7日だったが、19年後の2027年には旧暦七夕は新暦8月8日であり、そのまた19年後の2046年も8月8日である。このように19年ごとに旧暦と新暦の関係は同じか、せいぜい1日くらいしか違わない。
 だから、19の倍数である19、38、57、76、95歳の年の旧暦はあなたの生まれ年の旧暦とほぼ同じと考えて良い。もっとも、あなたの誕生日が閏月に当たったり、前後に閏月がある場合は注意が必要である。19年ごとにほぼ同じといっても、閏月の置き方まで毎回同じとは限らないからである。場合によっては、19年前と月が違ってしまうかもしれない。ただし、現在の旧暦(江戸時代末期に作られた「天保暦」)では、冬(新暦1月〜2月)に閏月が現われることは極めて稀であるという特性がある。だから生まれ年が当年か前年かを判定するときには、あまりこの問題は発生しないだろう。

 このように旧正月で還暦とすると、たまに面白いことが起こる。
 2007年の旧正月は2月18日と異例に遅かった。この年に還暦を迎える人は、1947年生まれである。57歳になったのは2004年である。ところがこの年の旧正月は1月22日と異例に早かった。したがって、1947年1月22日から2月17日に生まれた人の還暦は2007年2月18日となる。つまりこの人達だけは満60歳を過ぎてから還暦を迎えたわけである。
Sep. 22, 2008

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