菱餅の色

 雛祭り(桃の節句)の菱餅の色にはこんな意味があるという。

一般に、桃の花や太陽を表す赤には邪を祓う力があり、雪に見立てた清浄なる白に、やはり魔除けになるヨモギの緑は、新緑や大地を表すなどとされます。

赤の色はクチナシの実を使っていたそうですが、クチナシや桃、ヨモギの薬効は、昔から珍重されていました。

この三色を重ねることで、桃の花がほころび残雪の下に緑が芽吹く、春の訪れと共に、健やかな成長を祝う気持ちも表しているんでしょうね。
『食育大事典』

 しかし、伝統的にはこれはどうだろう?
 特に気になるのは「雪に見立てた清浄なる白」というくだりである。というのも、桃の節句三月三日というのは、グレゴリオ暦(新暦)ではほぼ4月になるからである。その頃に雪があるだろうか?むしろこれは新暦3月3日のイメージであろう(以下本稿では旧暦の日付は漢数字、新暦はアラビア数字で表記する)。
 無論、4月まで雪が残る地域はあるだろうが、このような伝統行事の季節感は文化の中心だった京や江戸のもののはずである。
 雛祭りにはスーパーなどで蛤も大量に売られている。 新暦の雛祭りに潮干狩りをやったら風邪をひくだろう。ともかく、本来の桃の節句の季節に雪は相応しくない。
 そもそも旧暦では三月は「晩春」なのである。四月がすでに夏とされる。晩春に雪は相応しくない。「桃の花がほころび」はともかく、「残雪の下に緑が芽吹く」という表現は たとえば
  君がため春の野に出でて若菜つむわか衣手にゆきはふりつつ (光孝天皇)
を思わせる。それは3月3日どころか立春(2月4日)ころの早春の風景である。

 そんなわけで、この菱餅の「意味」というのは、明治に新暦になった以後になされた詩的な(?)こじつけと思われる。

 もっとも、万延元年三月三日には江戸で雪が降ったとされる。この日は「桜田門外の変」によって記憶されているのであるが、新暦にすると1860年3月24日である。これは桃の節句としては非常に早い。というのは、4日前の二月廿八日(3月20日)が春分で、この日は「二月中気」つまり旧暦ではかならず二月なのである。この日を過ぎなければ三月が始まることはない。実際、この年の三月朔日ついたちは春分の2日後であった。三月は平均的には清明(4月5日ころ)に始まるので、この年は平均より半月ほども早かったのである。
 さらに、この年は三月の後にうるう三月があった。閏月というのは暦月を季節に合わせるために置かれるものなので、これは三月が特に早くなっていたことの帰結なのである。
 その閏三月は穀雨の翌日に始まっている。その穀雨は三月さんじゅう日であった(4月20日)。穀雨は、こちらは「三月中気」なので、この日を含むのが三月なのであるが、 、卅日の穀雨は含まれないため閏二月となり、穀雨の日(4月20日)からが三月である。したがって桃の節句は4月22日となる。節句の祝賀に登城する大老井伊直弼を水戸浪士が雪中で襲うという事態にはならなかったはずである。
 そうは言っても、実際には桃の節句は3月24日だった。旧暦として相当に早いのはたしかだが、それでも、春分を過ぎて江戸で雪が降ったというのは例外中の例外であろう。菱餅の白を雪に見立てるのはどう考えても無理がある。

丙申年二月庚寅朔(2016.3.9G)
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