「冬の季節の始まり」といえば、日本(東アジア)では立冬である。立冬は現在では11月7日頃で、上記のサムハインの11月1日とは6日ほどの差がある。しかし、古い時代には立冬が11月1日頃になることもあったのである。これは以下の理由による。
1.かつてのヨーロッパのユリウス暦はやや不正確であった。このため325年のニケーア公会議で「春分は3月21日」と決めたにもかかわらず、16世紀には
が3月11日にずれ込んだ。
2.二十四節気の決め方が昔と現在とでは違っている。
。
ちなみに1は、現在のグレゴリオ暦が制定される契機となった。すなわち1582年(日本では「本能寺の変」が起こった天正十年)、10月4日から10日を飛ばして翌日を10月15日とし、同時に閏年が4年に1度だったものを400年に97度にした(1年の長さが365.25日だったものを365.2425日にした)。これ以後、春分はニケーア公会議の頃と同様、3月21日からほぼ動かなくなった。
ところで、春分が10日早くなった時代には当然、
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も同様に早くなった。四立すなわち
であるから、当然同様に早くなった。実際、グレゴリオ暦制定の前年、
なのである。もっとも、この時代日本で使われていた宣明暦は、こちらは2日のずれがあったのだが。
四立とは、東アジアの暦に特有の二十四節気という概念の一部である。しかし既に述べたように、それらは分,至の中間点である。ストーンヘンジはケルトの遺跡かどうかは不明のようであるが、夏至・冬至はケルトも当然知っていたろう。さらに春秋分も知っていたとすれば、それらの中間点である四立という概念もあって不思議ではない。
ところで、既出のサムハインについて、
Samhain (pronounced SAH-win or SOW-in) was the first and most important of the four quarter days in the medieval Gaelic calendar and was celebrated in Ireland, Scotland and the Isle of Man.
とある(Wikipedia)。quarter day は
とあるが、まさに四立を思わせる。かつての日本の盆・正月のように、季節の節目に勘定を済ませたのだろう。ちなみに、ハロウィンはケルトの正月(年越し)であると同時に、死者の魂が帰って来る日でもあるという。文字通り「盆と正月が一緒に来る」のである。