ハロウィンと立冬

 近頃は日本でもハロウィンが盛んになってきた。クリスマスなどと同様、宗教とは関係なく、TDLやUSJなどのイヴェントとして広まっているようである。

 本来のハロウィンはケルトの年越しの行事だったことは比較的知られている。つまり古代のケルトの暦では今の11月が新年だったのである。
古代ケルトのドルイドの信仰では、新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日のサウィン(サオィン /?sa?.?n/、サワーン /?sa?n/、サーウィンplay /?s??w?n/[8]または、サウィーン、サーオィン、サムハイン、英: Samhain)祭であった。
(Wikipedia)

 「冬の季節の始まり」といえば、日本(東アジア)では立冬である。立冬は現在では11月7日頃で、上記のサムハインの11月1日とは6日ほどの差がある。しかし、古い時代には立冬が11月1日頃になることもあったのである。これは以下の理由による。
 1.かつてのヨーロッパのユリウス暦はやや不正確であった。このため325年のニケーア公会議で「春分は3月21日」と決めたにもかかわらず、16世紀には が3月11日にずれ込んだ。
 2.二十四節気の決め方が昔と現在とでは違っている。
 ちなみに1は、現在のグレゴリオ暦が制定される契機となった。すなわち1582年(日本では「本能寺の変」が起こった天正十年)、10月4日から10日を飛ばして翌日を10月15日とし、同時に閏年が4年に1度だったものを400年に97度にした(1年の長さが365.25日だったものを365.2425日にした)。これ以後、春分はニケーア公会議の頃と同様、3月21日からほぼ動かなくなった。
 ところで、春分が10日早くなった時代には当然、 も同様に早くなった。四立しりゅうすなわち であるから、当然同様に早くなった。実際、グレゴリオ暦制定の前年、 なのである。もっとも、この時代日本で使われていた宣明暦は、こちらは2日のずれがあったのだが。
 四立とは、東アジアの暦に特有の二十四節気という概念の一部である。しかし既に述べたように、それらは分,至の中間点である。ストーンヘンジはケルトの遺跡かどうかは不明のようであるが、夏至・冬至はケルトも当然知っていたろう。さらに春秋分も知っていたとすれば、それらの中間点である四立という概念もあって不思議ではない。
 ところで、既出のサムハインについて、
 Samhain (pronounced SAH-win or SOW-in) was the first and most important of the four quarter days in the medieval Gaelic calendar and was celebrated in Ireland, Scotland and the Isle of Man.
とある(Wikipedia)。quarter day は とあるが、まさに四立を思わせる。かつての日本の盆・正月のように、季節の節目に勘定を済ませたのだろう。ちなみに、ハロウィンはケルトの正月(年越し)であると同時に、死者の魂が帰って来る日でもあるという。文字通り「盆と正月が一緒に来る」のである。

 さて、ハロウィンはキリスト教の『万聖節 All Hallow's Day』の前夜祭であるが、これがサムハインと同じ11月1日になったのは835年のことという(Wikipedia)。ニケーア公会議からは510年経っているので、春分の日付は4日ほど早くなっていたはずで、立冬も同様である。この年は 日本では承和二年で、その年の暦(大衍暦)では立冬はユリウス暦11月2日11時04分となる。ただし、この時刻は中国(洛陽)時である。時差を考えれば、ブリテンでは2日3時頃である。昔の暦であるから、数時間の誤差はあるかもしれない。そうするとこの年のブリテンでの立冬は11月1日と考えてもおかしくはない。つまり、
  サムハイン=立冬
という可能性が濃厚に浮かび上がるのである。
 ただし、この日付はニケーア公会議の「春分は3月21日」という決定とは結びつかない。もしこの決定で考えるなら、立冬(という概念があったとして)は、 となるはずである。
 教会は天文現象としての春分を 、聖職者たちの合意によって決めていた。しかしサムハインは、それとは別の原理、おそらく正確な至,分から割り出したものと考えるべきである。そこにはケルトの高い天文知識が想像されるだろう。

戦国日本とハロウィン
 以前テレビで紹介されていた山口県の小正月の風習は Trick or treat にそっくりだった。山口といえばキリシタン大名大内氏の領地だった所で、ザビエルも布教している。或いはその時代にハロウィンが伝わったのではなかろうか?ケルトの正月の風習が山口では小正月に持ち込まれたわけである。ハロウィンはケルトの風習であるが、カトリックはそれに対して寛容なようである。ちなみに、ケルトの暦では満月を月初とするが、小正月も満月である。
 冬至にはかぼちゃを食べる。かぼちゃは新大陸原産で、当然、戦国時代以後に伝わったものである。カンボジアが訛ったもので、そこから伝わったとも言われる。そんな、比較的新しく異国から伝わったものを冬至に食べるのである。ハロウィンでもかぼちゃは重要である。これも南蛮貿易時代に伝わった風習ではなかろうか?
 「芋たこなんきん」とは井原西鶴の語であるらしい。芋は外来のさつま芋なのか古くからある里芋なのか?『甘藷先生』青木昆陽は八代将軍吉宗の時代、あの目安箱に救荒作物として甘藷を提案し大岡越前に認められた。ということはその頃まで甘藷=さつま芋は、少なくとも江戸では普及していなかったわけである。じゃが芋やトマトは江戸時代にはほとんど食べられなかったようだ。ということは、同じく新大陸の作物でも南瓜=かぼちゃが広まったのはかなり早いと言えそうである。ハロウィンのような風習とともに広まったのではなかろうか。立冬と冬至の違いはあるが、日本では立冬は重視されないので、冬つながりで冬至になったのかもしれない。
 このように、ハロウィンの起源や風習を考えて行くと、様々な歴史が浮かび上がってくるのである。テーマパークのイヴェントとして楽しむだけではあまりにもったいない。

日本承和二年(835)の立冬
 この時代、日本では が用いられていた。
 一方、唐では長慶二年(822)から宣明暦が用いられていた。同暦は日本では貞観四年(862)から採用された。
 この暦では、
 これから逆算すると、
 大衍暦とは1時間39分の差がある。なお時刻はいずれも中国(洛陽)時である。
  で検証してみる。ただし、二十四節気の決め方が昔の恒気法と現在の定気法とでは異なる。ただ、冬至だけは定義が同じなので、これで比較する。
 現代の計算では1時25分
 したがって大衍暦の誤差は1時間程度。立冬の誤差も同程度であろう。


Oct. 2014
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