恵方巻きを撲滅せよ!

 節分の「恵方巻」が広まって久しい。多くの人は特に意味など考えなくて、「古くからの風習」と思っているようだ。しかしそれは全くの間違いである。
 恵方巻は関西の風習という。しかし筆者は関西出身ながら若い頃には聞いたこともなかった。筆者の周辺は皆そうである。聞くようになったのはせいぜいここ30〜40年のことである。古くからあったとしても関西でもごく一部の風習だろう。昭和の終わり頃に関西の海苔屋の業界が仕掛けたものとも聞く。
 「恵方」というのは昔からある。節分または立春に新年の恵方の方角を拝むというもので、たぶん平安期頃からの風習と思われる。しかし恵方に向かって巻き寿司をかぶるなんて下品な風習はそれとは似て非なるものである。
 ところでその恵方であるが、すべてきのえ(東北東)、ひのえ(南南東)、かのえ(西南西)、みずのえ(北北西)のうちのどれかである。古来、年は「干支」で表される。つまり
 きのえきのとひのえひのとつちのえつちのとかのえかのとみずのえみずのと
の十干と、もっとなじみ深いうしとら・・・の十二支を組み合わせて甲子きのえね乙丑きのとうし・・などとする。ちなみに2021年は辛丑かのとうしである。大昔の「大化の改新」は645年のクーデターから始まったが、この年の干支から「乙巳の変」と呼ばれる。西暦(や皇紀)のなかった時代、元号だけでは年代が分かり難かったので干支を併用したのである。
 このように毎年の十干は「え」と「と」が半分ずつなのだが、恵方はすべて「え」の方角なのである。何故だろう?おそらく「えほう」だから「え」の方角という、ほとんど駄洒落のような決め方をしたとしか思えない。

 恵方のようなものは「陰陽道おんみょうどう」で決められている。それは「陰陽五行説」に基づくとされるが、本来の陰陽五行説が中国古代の自然認識に発するのに対し、陰陽道はそれに呪術のような要素を加えた日本独自のもので、多くはただの迷信である。
 「田家五行」という言葉がある。(道理を知らない)田舎者の五行説というほどの意味であろう。これは幕府天文方渋川景佑が「入梅」という暦註の由来について陰陽道の本家たる土御門家に問い合わせた時の回答であった。現在では毎年、気象庁が「梅雨入り宣言」を発表している。田植え、水田耕作に梅雨入りの時期が重要なのはたしかだが、さりとて国家機関がわざわざそれを「宣言」するというのも妙な話ではあるが、これも江戸時代までの「入梅」という暦註を踏襲しているのだろう。ただ昔は気象学などなかった。それで「入梅」は「(二十四節気の)芒種の後の壬の日」とされていた。現行暦(グレゴリオ暦)なら6月5日頃からの10日間以内となる。時期的にはまあ納得できる。ただ、入梅だから「水のの日」という子供騙しみたいな暦註である。江戸も天保期ともなると民衆の知識水準も高くなっていた。土御門家も「田家五行」と答えるしかなかったのだろう。
 恵方も、同様に「田家五行」と言うべきである。

 明治になって、暦は旧来のものから西洋のグレゴリオ暦に変わった。この時すなわち明治五年十一月九日(グレゴリオ暦1872年12月9日)の詔勅に次のくだりがある。
朕惟フニ我国通行ノ暦タル太陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス 故ニ二三年間必ス閏月ヲ置カサルヲ得ス 置潤ノ前後時ニ季候ノ早晩アリ終ニ推歩ノ差を生スルニ至ル 殊ニ中下段ニ掲ル所ノ如キハ率ネ妄誕無稽ニ属シ人知ノ開達ヲ妨ルモノ少シトセス(以下略)
この「中下段ニ掲ル所」というのがそれまでの暦に記されていた「暦註」で、先の入梅もその1つだが、他に二十八宿や十二直といった古代天文学に由来する事項が多々あり、それらはもっぱら日の吉凶を占うのに用いられていた。それらを「妄誕無稽」と断じて廃止し、それらを担当していた土御門家も排除された。欧米列強に伍する国家を創るために明治政府はこのような迷信と決別しようとしたのである。
 ところがしばらくすると、「仏滅」「大安」などの「六曜」が広まり始めた。新しい迷信である。
 また聞くところによると、明治神宮の御籤には明治天皇の制歌だけが書かれているという。これも吉凶占いのような迷信を排除しようとしたものと見られる。
 ところが国家神道が盛んになると、「神風」という狂信が広がり、多くの若者が特攻で命を落とすことになった。
 このように迷信はいつの時代にも発生する。明治神宮にも近ごろは「パワースポット」なるものがあるらしい。「恵方巻」もほぼ平成以降に広まった新たな迷信なのである。

 迷信も実害がないうちは放置するしかないのだろう。いくら撲滅を叫んでもまた新たな迷信が広まるのだから。
 しかし、「恵方巻」も多くの食品が捨てられるという大きな弊害を生んでいる。こんなものは撲滅すべきである。その時、これが何か由緒のある風習だなどと考えて怯むことはない。所詮新たな迷信にすぎないのだから。

西暦1桁目恵方
Feb. 2021
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