恵方巻と太陽暦

 近年、節分というと「恵方巻」が大はやりである。あんな巻きずしをかぶって旨いのかどうか、筆者は知らない。
 ところで、その節分はこのところ毎年2月3日である。別段何の不思議もないと思うかもしれない。しかし、実はこれは節分が太陽暦だからなのである。
 古来の風習で毎年日付が決まっているものは別に珍しくもない、と言うかもしれない。たしかに桃の節句(雛祭り)の3月3日、端午の節句の5月5日、七夕の7月7日などがそうである。しかしこれらは、旧暦で日付が決まっていたものを新暦の同じ日付に移しただけのことである。だから本来の旧暦節句の日は、新暦では毎年大きく変動する。次表は近年の立春と旧暦節句の新暦での日付を示したものである。なお節分は立春の前日なので以下では立春で話を進める。

立春、旧暦節句の新暦での日付
2018年2019年2020年
立春2月4日2月4日2月4日
桃の節句4月18日4月7日3月26日
端午の節句6月18日6月7日6月25日
七夕8月17日8月7日8月25日

 このように旧暦節句は新暦では毎年動くのに、立春(節分)は全く動かない。だからこれは太陽暦なのである。
 そうは言っても、現在我々が使っている太陽暦つまり『グレゴリオ暦』ではないことは明らかである。立春を含む二十四節気という概念はグレゴリオ暦が伝わるよりはるか以前から使われていたのだから。実はこれは「旧暦」と呼ばれる太陰太陽暦の太陽暦要素なのである。「新月から新月まで」を1箇月とする太陰暦に「冬至から冬至まで」を1年とする太陽暦を組み合わせたのがこの暦で、その冬至から冬至までを24等分したものが二十四節気なのである。

  旧年ふるとしに春立ちける日よめる       在原元方
   年の内に春はきにけり一とせを去年こぞとやいはん今年とやいはん

 この歌のように、立春は旧暦では年の内(十二月)であったり年明け(正月)であったりと変動が大きい。しかし新暦では2月4日頃にほぼ固定する。太陽暦だからである。ちなみに、この歌の「年内立春」というのは旧暦ではそれほど珍しいことではない。およそ半分の確率で起こることである。
 赤穂事件の元禄十五年十二月十四日は、新暦では1703年1月30日である。この年は十二月廿日(1703年2月5日)が立春だったので、吉良邸で開かれた茶会は、あるいは節分を祝うものではなかったろうか。

 ところで立春は、近年は2月4日が多いが、必ずそうとは限らない。1923(大正12)年9月1日は関東大震災で記憶されている。それは「二百十日」と思われがちだが、実はこの年の立春は2月5日だったため、この日は「二百九日」なのである。このように、かつては立春が2月5日になることも少なくなかった。また2021年以降は2月3日立春が増えてくる。
 これは一見、立春が太陽暦として不正確なためと思われそうであるが、そうではなく、むしろ現在のグレゴリオ暦のほうが不正確なのである。
 地球は365日と6時間弱で公転軌道を1周する。だから1年を365日とすると毎年6時間弱足りない。4年蓄積するとまる1日である。だから閏日を入れてその不足を補う。ここまでは誰でも知っているであろう。
 しかし、実際には太陽年は365日と5時間48分45秒.168 なので、4年に1閏(365.25日)ではやや多すぎる。かつての『ユリウス暦』の時代、ニカエア宗教会議(325年)で「春分は3月21日とする」と決められたが16世紀には実際の春分が3月11日になってしまったというのはこのためである。そこで閏を400年に97回とする現在の『グレゴリオ暦』が制定された(1582年)。こちらは400年の平均で1年が365.2425日となるので、かなり正確である。
 しかし、これはあくまで「400年の平均で」正確なのであって、毎年がぴったり正確なわけではない。たとえば近年の立春の時刻まで見てみると、
立春の時刻
2016年2月4日18時47分
2017年2月4日0時36分
2018年2月4日6時30分
2019年2月4日12時14分
2020年2月4日18時3分

 このように毎年6時間弱ずつ遅くなっているのがわかる。なお、2016年は閏年なので、2016年2月4日18時47分〜2017年2月4日0時36分もやはり365日と6時間弱なのである。
 しかし、2016年と2020年を比べると40分ほど早くなっている。これは4年に1度の閏がやや多すぎるためである。そして、1900年以降100年以上にわたってこれが続いている。これはユリウス暦時代と同じ状況で、立春の日付は少しずつ早くなる。他の節気(たとえば春分)も同様である。次は2100年に閏を省くことによって少し戻り、さらに2200年、2300年に省かれて、ようやく1900年とほぼ同じになる。つまり、1900年〜2300年の400年間の平均はかなり正確なのだが、その400年間のうちの100年くらいを見れば1日くらいの変動があるのである。
 要するに、グレゴリオ暦というのは太陽暦の実用的な近似なのである。無論、かなり正確な近似なのだが。
 もしも、もっと正確な太陽暦にしようと思うなら、たとえばある年の元日が深夜0時に始まるとすれば、翌年の元日は朝の6時に始まるとしなければならない。その翌年は昼の12時、そのまた翌年は夕方の18時で、その次の年はまた0時に戻る。しかし、そんな暦は実用上全く不便である。やはり元日は(他の日も)0時に始まらなければならない。そのためには4年に1度の閏で調整するしかないのである。
 これに対して二十四節気は、太陽黄経(太陽の天球上での位置)で決めるので、非常に正確である。こちらは太陽暦そのものと言えるだろう。立春(二十四節気)の日付が変動するのは「近似太陽暦」であるグレゴリオ暦上に「真太陽暦」を落とすからなのである。誤差のある物差しで測った長さは誤差を含んでいるのである。

 恵方巻に話を戻す。最初に述べたように、筆者はあんな巻きずしをかぶって旨いのかどうか、知らない。やったことないから。関西の風習と言うが、筆者は関西出身ながら子供の頃には聞いたこともなかった。周辺の関西出身者(例えば『文科系のための暦読本』の著者、故上田雄先生)に聞いても皆そう言う。20世紀の終わり頃に関西の海苔屋さんが仕掛けたのが広まったものという説を聞いたことがある。節分の風習でも豆まきは奈良時代から行われていた「鬼やらい」を起源とするが、こちらはそんな歴史はないようだ。
 ところで、何時ぞやは8月に恵方巻の広告を見た。曰く、節分は春夏秋冬にある、だから夏の節分にも恵方巻をやるのだと。いやその商魂の逞しさには畏れ入った。
 本来節分とは立春、立夏、立秋、立冬の前日すべてである。だから8月の立秋の前日も節分というのはその通り。
 問題は恵方である。これは歳徳神としとくじんの居る方位で、毎年変わる。ところで、『節月』という概念がある。これは陰暦の月とは違い、二十四節気の立春、啓蟄、清明、・・などを月初とする一種の太陽暦である(二十四節気が太陽暦ということは既に述べた)。そしてこちらでは立春に年が改まる。干支も「豆まきまでは前の歳」と言われる。それはこの節月を意識しているのである。だから恵方は立春に変わるので、その新しい年の恵方を拝むという風習は昔からあった。しかし立春以外には恵方が変わるわけではないので、それを拝むという風習はどこにもないのである。
 既に述べたように、恵方巻というのは近年仕掛けられた新たな風習なので、何をおやりになろうがそりゃ自由。筆者が口を挟むことではなかろう。ただ、夏の節分に恵方を拝むというのは、盆に「初日の出」を拝むのと同じくらい滑稽なのである。

 それから、恵方巻は20世紀の終わり頃から広まったと述べた。実はその頃から2020年まで、立春は必ず2月4日、節分は必ず2月3日だった。2021年はこの間では初めて、節分が2月3日でない年となる。恵方巻業者の人たちおよび消費者の中には「恵方巻=節分=2月3日」と思っている人も多いのではないか?だとすると2021年には何が起きるか、ちょっと楽しみである(^o^);;

Mar. 2019 改訂
Dec. 2014
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