恵方は「兄方えほう」?

  になると「恵方巻き」というのがばかに流行っている。その由来について、「江戸時代に水運の盛んだった大坂で船頭衆が巻きずしを丸かぶりしたもの」という話を聞いた。以前には「船場の商家の風習」とも聞いたが、それにしては下品な、と思っていた。肉体労働の船頭衆なら腑に落ちるものがある。ただ、何故それが節分に恵方を向いて丸かぶりするようになったのかはわからない。昭和の終わり頃に関西の海苔屋の業界が仕掛けたものとも聞く。

 恵方巻の由来はわからないが、古くから「恵方参り」という風習はあった。新年にその年の恵方の社寺に参詣するのである。
 恵方巻は節分に行うことになっている(ようだ)が、節分は立春の前日で、その立春は旧暦ではほぼ正月と重なる。旧正月(中国の「春節」)は、立春に最も近い新月の日と考えてほぼ間違いない。それで があった。だから節分は大晦日に相当する。そして恵方とは、新年の歳コ神としとくじんの居る方位なのである。
 歳コ神は「年神さま」などとも呼ばれる。正月の松飾りなどはこの年神さまを迎えるものという。現在ではそれを新暦の正月に行い、恵方巻(恵方参り)は1箇月以上後の節分に行うという分裂状態になっている。一体、歳コ神はいつ居場所を移るのか?
 それはまだ良い。いつぞやは「夏の節分の恵方巻」という広告を見かけた。
 節分とは本来四立(立春、立夏、立秋、立冬)の前日を言うので、立秋(8月)の前日もたしかに節分である。ただしこんな年の半ばに歳コ神が動くわけはない。こんな日に恵方を拝んでも、歳コ神さまはあきれているだろう。

 さて、歳コ神とはどんな神様だろうか?安倍晴明の書いているところによると、 だそうである。また牛頭天皇は素戔嗚の尊だそうで、してみるとその妻の歳コ神は奇稲田姫ということになる。「ヘンなの!」と思ってしまうが、要するに神話や仏教が入り混じった俗信であろう。ただ江戸時代の暦には必ず、「歳コあきの方」つまり恵方が記されていて、広く知られていたもののようだ。

 そして恵方であるが、これは年の十干によって決まっている。
甲と己の年・・・甲の方角、または寅卯の間(東北東)
乙と庚の年・・・庚の方角、または申酉の間(西南西)
丙と辛の年・・・丙の方角、または巳午の間(南南東)
丁と壬の年・・・壬の方角、または亥子の間(北北東)
戊と癸の年・・・丙の方角、または巳午の間(南南東)
(岡田芳朗『旧暦読本』pp224)

 年の十干は西暦年の末尾によって簡単にわかる。

西暦年の末尾十干
木兄きのえ
木弟きのと
火兄ひのえ
火弟ひのと
土兄つちのえ
土弟つちのと
金兄かのえ
金弟かのと
水兄みずのえ
水弟みずのと

 これと十二支(子、丑、寅、卯、辰、未、午、未、申、酉、戌、亥)を組み合わせた六十干支が一巡する60年が「還暦」である。十二支のほうは、次の関係を知っていれば比較的簡単に計算できる。
  西暦年%300=0・・・申
  西暦年%300=100・・・子
  西暦年%300=200・・・辰
 ここで「西暦年%300」は「西暦年を300で割ったときの余り」を表わす。
 面白いことに、これら「西暦年の末尾」および「西暦年%300」の法則は「神武天皇即位紀元(皇紀)」にもそのままあてはまる。これは西暦年に660(=60×11)を加えたものだからである。もっとも今どきこれを使う人はほとんどいないだろうが。
  皇紀2600年=西暦1940年=庚辰 (2600%300=200)

 さて、以上からたとえば2018年は十干が戊(十二支が戌)であることはすぐにわかるが、戊の年だから恵方は「丙の方角、または巳午の間(南南東)」である。そして恵方巻の売り場では「今年の恵方は南南東」と書かれるだろう。しかし()で括られた(東北東)、(西南西)、(南南東)、(北北東)などという方位は東洋の伝統的な言い方にはないのである。本来の恵方は「甲」、「庚」、「丙」、「壬」、「丙」であって、これらは「東北東」、・・・などとは7.5度ずつ異なる。

 方位の基本は勿論、南北および東西である。北〜東は90°、東〜南、南〜西、西〜北もそれぞれ9°である。
 一方、それらの中間つまり45°ずつの方位が北東、南東、南西、北西である。
 さらにそれらの中間、たとえば北と北東の中間を北北東とする。同様に東北東、東南東、南南東、南南西、西南西、西北西、北北西を定める。
 以上が16方位で、それらは360°÷16=22.5°間隔である。

 一方、東洋(中国)では方位に十二支を割り振る。北が子で、以下時計回りに30°間隔で丑、寅、・・・、亥となる。従って東が卯、南が午、西が酉である。ここから、北〜天頂〜南の線を「子午線」と言う。また東〜天頂〜西は「卯酉線」である。
 この他に、北、東、南、西から45°の方位に「うしとら(丑寅)=北東」、「たつみ(辰巳)=南東」、「ひつじさる(未申)=南西」、「いぬい(戌亥)=北西」を配する。つまりこれらは2つの十二支の中間である。
 十二支の中間の方位は他に8つある。これらは「陰陽五行説」によって次のように配当される。

甲(木兄きのえ寅卯
乙(木弟きのと卯辰
丙(火兄ひのえ巳午
丁(火弟ひのと午未
中央
戊(土兄つちのえ
己(土弟つちのと
西
庚(金兄かのえ申酉
辛(金弟かのと酉戌
壬(水兄みずのえ亥子
癸(水弟みずのと子丑
 結局、30°間隔の十二支およびその中間の15°間隔24の方位が配当される。したがって、甲(寅卯)は東(卯)から15°離れていて、東から22.5°の東北東とは7.5°違う。同様に、丙(巳午)と南南東、庚(申酉)と西南西、壬(亥子)と北北西もそれぞれ7.5°ずつ違う。


 岡田芳朗先生は女子美術大学名誉教授で暦の会会長を長く勤められた方である(2014年没)。暦の知識に関しては右に出る人はいないであろうが、本来の恵方とは7.5°ずつ違う東北東、・・などの言い方を記されたのは現代人に分かり易いという配慮からのものであろう。
 恵方が実際に重視されるのは歳コ神を祀る寺社や占いの世界である。そちらの方はどうなのか?
 同じく暦の会会員である三須啓仙氏は、よく方位磁石を携行しておられる。そしてまた、磁石の北と真北の差である「偏角」にも留意されている。偏角は近年日本列島の大部分で7°前後である。偏角も気にするのなら、

 ところで、恵方とされる方位は甲(木兄きのえ)、丙(火兄ひのえ)、庚(金兄かのえ)、壬(水兄みずのえ)で、すべてである。戊(土兄つちのえ)がないが、五行説では土は中央に配当されるので方位がないためであろう。代わりに丙が2度現れる。
 「えほう」が「え」の方位というのは、ほとんどダジャレのようである。いや実際その程度のものではなかろうか。
 江戸時代の暦には「入梅」という暦註がある。現在気象庁が発表している科学的根拠に基づく「梅雨入り」と違って、こちらは陰陽道に基づくもので、二十四節気の「芒種」(6月5日頃)の後の最初の壬の日とされていた。その根拠について 。意味不明な言葉だが、おそらく「(道理を知らぬ)田舎者の五行説」というほどの意味だろう。「入梅」だから「水の日」などという子供でも言いそうな根拠は、幸徳井もさすがに気愧かしかったのだろう。
 「えほう」が「え」の方位というのも、「田家五行」の資格充分である。陰陽道というのは所詮その程度のものなのだろう。


Feb. 2017
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