毎日新聞「旧暦どっぷり」について、2

 松村賢治氏はいよいよ馬脚を顕したようだ。
 少なくとも12年間は旧暦カレンダーを保存してほしい、できれば60年間と、以前書きました。それは天候予測の資料になるからです。例えば、閏五月のある年の旧正月は、いつも1月27日ごろ。そして閏五月に入る二十四節気は常に小暑です。だから、似通った年回りになるのです。
「旧暦どっぷり」2009.8.16

 まず、閏五月は必ず夏至の直後に始まり大暑の直前に終わる。だからその間に入る節気は小暑だけというのはあたりまえである。それは良い。問題は「似通った年回りになる」ことの根拠として節気(小暑)を揚げていることである。
 無論これは正しいのである。旧暦の知識のある人なら誰でもこれは認めるところだろう。ただし、松村氏は次のようにも述べているのである。
 旧暦になじむには、頭から新暦を消去し、旧暦頭に切り替えることです。太陽の運行に基いて定められた二十四節気通りに四季が移らないから旧暦なのです
「旧暦どっぷり」2009.5.3

 つまり同じ人が書いているにもかかわらず、[8.16]は[5.3]と全く矛盾しているのである。

 閏五月は必ず夏至の直後に始まる。そして旧暦の1箇月は平均で29.5日ほどだから、その年の旧正月が新暦1月27日頃になるというのもあたりまえ。
 要するに松村氏の主張は、
 「1月27日頃から始まる1年は似通った年回りになる。」
 「夏至の直後から始まる1箇月は似通ったものになる。」
 これだけのことである。旧暦とは何の関係も無い。そして「太陽の運行に基いて定められた二十四節気通りに四季が移る」と考えた場合(その場合にのみ)、きわめて妥当な主張となるのである。
 それでも「閏五月だから(旧暦だから)似通ったものになる」と言うのであれば、次のことを考えてみていただきたい。
 閏五月はかならず夏至の直後の1箇月であるが、その同じ時期は通常は旧暦五月または六月である。ならば、同じく夏至の直後の1箇月が、閏五月である場合とそうでない場合とでは、何が違うというのか?月齢はたしかに違う(あたりまえ)。しかしそれで季節、気候が違うというのだろうか?ならばとのように違うのか言うてみなさい。気象データを調べてみれば真偽はすぐにわかることである。

 これを要するに、松村氏は論理思考が全くできてないということである。よくそれで一級建築士が取れたものだ。私だったら怖くてこんな人には到底依頼できない。

 余談になるが、「少なくとも12年間は旧暦カレンダーを保存してほしい」というのも奇妙な主張である。12年という時間に何の意味があるのか?
 松村氏も「閏年は19年に7回」ということはご存知のようだ[5.31]。そして旧暦は19年ごとにかなり「似通って」いる。たとえば今年2009年の19年前の1990(平成2年)にも閏五月があったことは松村氏も書いているが、さらに19年ずつ遡った1971年、1952年もそうであるし、また今年から19年後の2028年、その19年後の2047年にも閏五月がある。何故この19年を無視して12年なのか?
 これも氏の無知を曝け出しているのだろう。
 2001〜2055年の閏月は次表のとおりで、19年ごとに同じ(または1箇月違いの)閏月が来ることが非常に多い。12年などという周期はどこにも見られない。
 このように、旧暦は19年ごとに「似通った」ものになる。念のために言っておくと、「似通った」というのは、旧暦と太陽暦の関係が19年ごとにほぼ同じになるということである。あくまで季節は太陽暦(二十四節気)にしたがって推移するのである。
2001〜2055年の閏月
西暦年閏月西暦年閏月西暦年閏月
200120202039
200420232042
200620252044
200920282047
201220312050
20142033十一2052
201720362055

 わずか数回の例を持ち出して
 「『旧暦の閏年には異常気象が多い』というのはあたっているようですね」
 などと言うのも、非常にぞんざいな論理である。それを言うためには、「閏年でない年には異常気象が多くない」ことを論証しなければならない。しかし、そんなことは何も述べていないのだから、これは主観的解釈以外の何ものでもない。

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