節月と十二直

 旧暦の月は天体の月の朔望に対応していて、朔の日から1箇月が始まるわけだが、これとは別に節月という概念がある。これは24節気のうちの『節』から始まる月である。すなわち、正月節の立春から始まるのが節月の正月、二月節の啓蟄から始まるのが節月の二月、・・・という具合である。24節気というのは太陽黄経によって決められるから、この節月は旧暦であっても純粋太陽暦である。

 ところで、古代の中国人は、夕方北斗七星が姿を現わす時、その先端の方向が季節によって変化するのを知った。それは冬至の頃には北つまり子の方角であり、以後1箇月に1方位(十二支で)ずつ動く。そしてこれは上記の節月と対応するわけである。冬至は節月十一月であるから、この関係は次のようになる。
十一月
十二月
一月
二月
三月
四月
五月
六月
七月
八月
九月
十月

 と、ここまでは天文学で検証できる科学的な現象であるが、だんだん迷信じみて来るのがこの方面の常で・・・

 ここで十二直という概念が登場する。これは次の表のものである。
納(収)
半吉小吉小吉小吉半吉半吉

 そしてたとえば『子の節月』には子の日が『建』となり、翌日が『除』、・・などとこの表の順で動いて行く(子の日より前には、これを逆に辿る)。そして表のように各日の吉凶が決められている。
 これはもう全くの迷信の世界である。が、昔の人はこのようにして日の吉凶を判じたのである。平賀源内とて例外ではない。いやむしろ知識人ほどこのような卜占に通じていただろう。

 さて土用というのは、立春(正月節)、立夏(四月節)、立秋(七月節)、立冬(十月節)の直前であるから、夫々丑、辰、未、戌の節月に属することになる。  そして十二直によれば破、危、閉の日が凶である。たとえば夏土用は未の節月なので、これは丑、寅、午の日である。しかし冬土用は丑の節月なので、対応するのは未、申、子の日である。
十二直納(収)
夏土用(未の節月)
冬土用(丑の節月)
日の吉凶半吉小吉小吉小吉半吉半吉

 そもそも土用というのは「土気が事を司るので、土を動かすこと、つまり造作、修造、柱立、礎を置くこと、井戸掘り、壁塗りなどいっさいが凶」とされたという(いくつかの例外の日はあった)。その最中の十二直の凶日は、ダブル凶というどうしようもない日だったろう。源内が(夏)土用の丑の日に注目したのはこれが理由と思われるのだ。

 もっとも、未の節月は丑の日の他に寅、午の日も凶である。何故源内はこれらに言及していないのかという疑問は残る。
 鰻屋をそこまで儲けさせる義理はなかったのか?

(参考:岡田芳朗「旧暦読本」)