中村のキトラ星図年代推定に関する数学的考察
Jan. 2016
石原 幸男*
Yukio Ishihara
キーワード:キトラ古墳星図、二十八宿、歳差、統計解析


  では、キトラ古墳星図の成立年代について従来とは異なる推定を行っている。しかし、純粋数学的に見た場合、その手法にはいくつかの疑義があり、その結論は信頼するに足りない。本稿ではそれらの疑義について論ずる。ここで述べるのは中村の推定のうち《赤緯データの解析》のみであるが、その疑義は他の全解析に及ぶものである。

中村図3の再現
 中村の図3(pp200)は、キトラ古墳星図の二十八宿距星のうち「 」について「赤緯データの年代毎の平均誤差」をプロットしたものである。ここで「平均誤差」とは、
である。ただし、
  δio:星iのキトラ図上での赤緯
  δi(t):星iのt年における赤緯理論値
 図3では、これを-500年〜600年までの100年間隔で求め、それにフィットする2次曲線として
 e(t)=0.0000023t2+0.0003341t+2.8957  (N-1)
を得ている。
 ここで、 であり、δi(t)は、表2(pp199)のDC1(AD1年値)およびdDC/dt(100年当たりの平均変化率)から求めている。すなわち、t=0年(AD1年)では
  δi(0)=DC1
t=±100年(AD101年、BC100年)では
  δi(±100)=DC1±dDC/dt
etc.である。
 そこで、試しにe(-100)、e(0)、e(100)の3点を結ぶ2次曲線(放物線)を求めてみると、
 e(t)=0.000002629t2+0.0003937t+2.8944  (I-1)
となる。(N-1)と係数に違いはあるが、e(t)極小となるtは、(N-1)ではBC73年、(I-1)ではt=-74.9すなわちBC74年で、ほとんど差はない。つまり、3点だけを結ぶ放物線でも中村の結論はほぼ再現できたことになる。

歳差の単純モデル
 ところで、赤緯変化は歳差によるものであるが、その歳差は以下のような単純なモデルでもほぼ再現できる。すなわち、任意の星の赤経、赤緯を(α,δ)とし、その黄経、黄緯を(λ,β)とするとき、次の関係がある。

cosβcosλ  )(cosδcosα
cosβsinλ cosε sinε)(cosδsinα     (1)
sinβ −sinε cosε)(sinδ

 表2の28宿距星について(λ,β)を求め、一方、同じ星の2000年値についてもこれを行う。ただし、筆者の環境では胃(35Ari)、昴(17Tau)、鬼(θCnc)の正確な2000年値が入手できないため除外した。また、黄道傾角εは23.5°とした。こうして得られた黄経、黄緯の1年値と2000年値について次の関係が得られた。
  【1年黄経】=1.000×【2000年黄経】− 27.379°,相関係数:R=0.999998
  【1年黄緯】=0.991×【2000年黄緯】+0.619°,相関係数:R=0.99994
 相関係数は黄経黄緯とも1にきわめて近く、両者の関係がほぼ直線であることを示す。またその直線の傾きもいずれもほぼ1である。つまり、1年値と2000年値は切片(-27.379°、0.619°)だけ異なる。
 黄経の切片-27.379°は歳差を表わす。北極の周回角速度は
 つまり北極の周回周期は26284年ということになる。 から、この周期は2%ほど過大(角速度は過小)であるが、AD1年から±100年程度を論ずる場合にはこの程度の誤差はほとんど問題にならない。
 黄緯の切片は0°に近く、ほとんど変化がないとして良い。
 以上の単純歳差モデルにより、(λi(0)±100Ω,βi)に式(1)の逆返還を施してδi(±100)を求め、e(t)に放物線を当てはめてみると
 e(t)=0.000002730t2+0.0001782t+2.8944  (I-2)
が得られ、e(t)極小となるtは-32.6年(BC32年)となった。これは(N-1)、(I-1)の結果とは41〜42年異なる。e(t)の値は、次表のように1%以下の差しかないが、放物線を当てはめたとき、極小値の位置が40年ほどもずれるのである。つまりこの計算方法では歳差の小さな誤差に対して結果が過敏に変動する。無論、中村はある程度の推定誤差は想定したものか、点推定ではなく信頼度90%の区間推定をしているが、その最終結果【BC123,BC39】年に対してさえ(I-2)の結果は逸脱する。
式\t-100100
I-12.88132.89442.9601
I-22.90392.89442.9395



最小2乗解
 ここで、式(1)の全微分を考える。
sinδcosαdδ+cosδsinαdα  )(sinβcosλdβ+cosβsinλdλ
sinδsinαdδ−cosδcosαdα cosε −sinε)(sinβsinλdβ−cosβcosλdλ
−cosδdδ sinε cosε)(−cosβdβ
 歳差ではdβ=0 と考え、微分dを差分Δで置き換えると、
cosδΔδ=sinεcosβcosλΔλ=sinεcosδcosαΔλ
Δδ=sinεcosαΔλ
  Δα=(cosε+sinεtanδsinα)Δλ   (2)
  Δδ=sinεcosαΔλ   (3)
 これらは、歳差Δλに対するα,δの感度を表わす。ここで
  Δλ=Ωt
とすれば、これらは中村表2のdRA/dt,dDC/dtを(α,δ)によって定式化したものに他ならない。
 ここで、
  Δδi=δio−δi(t)
とすれば、(3)からΔλの最小2乗解が得られる。
ただし
  Bi=sinεcosαi   (5)
 この最小2乗法(LSM)によれば、
  t=-35.3年(BC34年)
となり、(I-2)と近い。実はこの両者は本質的には同じものなのである。実際、中村のdDC/dtと式(5)のBとは
  dDC/dt=1.3593B−0.029
の関係があり、相関係数は0.9913である。そして
  Ω=1.3593°/100年=360°/26485年
となる。
 なお、(I-2)においてΩを360°/26485年に変えても結果はほとんど変わらない(t=-32.9年)。

石氏星経への適用
  に(I-1)を適用してみると、次の結果が得られた。
  e(t)=0.000003972t2−0.0005830t+1.8309,t=73.4年(AD74年)
 一方、(I-2)を適用すると、
  e(t)=0.000003973t2−0.0005329t+1.8309,t=67.1年(AD68年)
 また、LSMの結果は67.4年(AD68年)となった。
 (I-2)とLSMの差はわずかであり、それらと(I-1)の差もかなり小さい。こちらは亢(κVir)以外の27星の、全方位(赤経)のデータがほぼ均等に揃っていて、しかもかなり正確と思われるのであるが、その場合には(I-1)と(I-2)の赤緯変化率(dDC/dt)のわずかな誤差の影響が小さくなるものと思われる。因みに両者におけるe(t)の値の差はキトラ図の17星の場合よりさらに小さい。
式\t-100100
I-11.92891.83091.8123
I-21.92391.83091.8173

 キトラ図と同じ17星を用いた場合どうなるかを知りたいところであるが、亢のデータがないので、これも除いた16星の場合を示す。
 I-1: e(t)=0.000006268t2−0.0006103t+1.1184,t=-48.7年(BC50年)
 I-2: e(t)=0.000005889t2−0.0006985t+1.1184,t=-59.3年(BC60年)
 LSM:-59.3年(BC60年)
 これらは27星を用いた場合と大きく異なる。つまり、どの星を選ぶかで結果が大きく変わるわけで、これはキトラ図の17星による結果に疑念を抱かせるものである。
 また(I-1)と(I-2)では10年の差がある。これはキトラの場合の約40年よりはずっと小さいが、27星を用いた場合よりは幾分増えている。これはデータを16に限定したために生じた差である。e(t)の値は次のとおり。
式\t-100100
I-11.12011.11841.2421
I-21.10741.11841.2471

模擬データによるバイアス
 もう一点重要なのは、27星の場合でも中村の結果の中央値AD21年(pp204)と大きな違いがあることである。
 中村の結果は単純な最小2乗ではなく、 というものである。
 ここで、LSMの式(4)について考えてみる。それは本質的には(I-2)と同等であり、また石氏星経では(I-1)との差も小さいので、それらを代表していると考えて良い。
 中村の「模擬データ」はある分布に従う乱数rをΔδに加えて作る。この模擬データに関する最小2乗解は、
 ΔλはΔδとcosαの共分散ΣΔδicosαiによって決まることになるが、Δλ’には乱数rとcosαの共分散Σricosαiの項が加わる。
 模擬データは、点推定である単純最小2乗解に信頼区間(信頼幅)を与えるために用いられるものであるが、当然、推定値に偏り(バイアス)を生じてはならない。つまり、共分散Σricosαi(の期待値)は0でなければならない。乱数はΣri〜0となるように決定されるであろうが、それはただちにこの共分散〜0を意味しない。この共分散は
  〜σΣcosαi
の程度であろう。ただしσはrの標準偏差で、ここでは《測定データの残差の標準偏差》が使用されている。
 そこで、石氏星経二十七宿(亢を除く)去極度についてΣcosαiを求めてみた。αとしてAD1年値を用いた場合、
  Σcosαi=-4.19
を得た。一方、これら去極度のAD1年理論値との残差は
  σ=1.85°
 したがって、
  σΣcosαi=-7.75
 一方、
  ΣΔδicosαi=7.39
なので、Δλに対するバイアスの比率は、
  -7.75/7.39=-1.05
つまり105%である。したがって、中村の結果は単純最小2乗のAD68年からBC4年へずれることになる。これも中村の結果(AD21年)とは20年以上の違いがあるが、ともかく、この種のバイアスがあることは間違いのないところである。そしてそれは中村の推定全般に及ぶ。

結語

 中村のキトラ星図の年代推定のうち去極度の解析は、《赤緯データの年代毎の平均誤差》を2次曲線(放物線)にフィットさせ、それが極小となる年代を求めたものであるが、年代として-100年、0年、100年の3点を用いるだけでも、ほぼ同じ結果を再現できる。この再現結果は、中村が与えている赤緯の平均変化率を用いるものであるが(I−1)、同じことは単純な歳差モデルによって各年の赤緯を求めても可能なはずである(I−2)。しかしこれを行うと、得られた2次曲線は微妙に違うだけにもかかわらず、その極小となる年代には40年ほどの差が生ずる。すなわち、赤緯変化率のわずかな誤差にあまりにも過敏なのである。この40年の誤差は、中村の最終結論である【BC123,BC39】年から逸脱する。
 同様の手法を石氏星経の去極度について適用してみると、(I−1)と(I−2)の差は小さい。この違いは、石氏星経ではは全方向(赤経)に分布する27の星のかなり正確なデータが用いられるのに対し、キトラ星図から読み取った値には誤差の大きいものが含まれ、17データしか用いられなかったことに起因する。実際、石氏星経でキトラ星図で用いた17星とほぼ同じ16星だけを用いた場合には(I−1)と(I−2)で10年の差が生ずる。
 さらに重要なのは、石氏星経で16星を用いた結果が先の27星の結果と120年ほども異なる。つまり、星を無作為に選択した場合の変動が非常に大きいのである。
 また、石氏星経27星による結果は、中村の結果の中央値と大きく食い違う。この原因としては、中村では信頼限界を求めるために使用した模擬データがバイアスを生じていることが考えられる。
 結局、中村の結果はデータの選択によって生ずる誤差および模擬データによって生ずるバイアスを含むため信用できない。
 本稿では去極度解析のみについてこれらを論じたが、他の解析においても同様の問題が生じているはずである。

* ishihara@y.email.ne.jp

Mathematical Consideration about Estimation of Dates for Kitora Star Map by Nakamura

Jan. 2016
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