思えば私の神戸赴任はあたかも都落ちの様な気持ちであった。東大の同僚でも頭のいい連中は当時第一線の相対性とか量子力学とかに進んだ。これに引かえて船に乗って海の水温や流れを測って歩くことは、私にとっては恐ろしく気が引ける思いだった。「我世に破れたり」の気分なきにしも非ずと思われた。しかしこの一見平凡な仕事もやっているうちに段々面白くなっていった。大阪湾が長円形をしていてその一端(洲本側)から他端(大阪側)に向って次第に浅くなっていくことに気づいて、この様な形の水槽を以って大阪湾に代えれば数字的にその静振(セイシュ)が計算出来るのではないかと考えて、数学を勉強してこの問題を解くことに努力した。そして海洋観測の余暇にこの問題を考えているうちに遂にそれが解決したときの嬉しさと感激、それは相対性や量子力学を学ぶ楽しさと少しも異ならないにちがいなかったであろう。私は昭和6年頃これらの成果を学位論文として東大に提出した。そして昭和8年それが教授会を通過して理学博士の学位を受け、翌昭和9年「帝国学士院賞」を受ける光栄に浴した。

(「神戸生活15年の思い出」、「海と空」第50巻第2〜3合併号 1975)