壷井伊八

 壷井伊八の論文を国立国会図書館で探してみた。しかし、海洋気象台の欧文誌 Memoirs of the Imperial Marine Observatory, Kobe は目録にない。気象庁の図書室(こちらは国会図書館の分館になっているはずである)にはあるかと思われるが、昭和32年以前(つまり気象庁が中央気象台だった頃)の文献は(財)日本気象協会の所管とかいうことで、コピーも気象協会を通さねばならず、これが結構高額なのである。過去の経緯があるものとは思うが、利用者に負担を強いるこのようなやり方には善処を望みたいものである。

 そんなわけで、現在のところ入手できたものとしては、「大阪湾と津波(大阪湾と異常潮位、その一」(海洋時報第八巻第二号、1936)があるのみである。壷井の秀才ぶりを実検するにはいささか不満が残るが、ともかく内容を紹介しておく。

 ここで壷井は、大阪湾へ侵入する津波について

 等深湖海における長波の速度√
  
gh

(gは申すまでもなく重力の加速度、hは深さ)を用ひ、

ホイゲンスの原理に従って湾内への伝播の推移を想像して見た

という。手法の詳細については明らかでないが、「ホイゲンスの原理」という言葉や成果図からは「屈折図」の「波峰線法」との類似が想像される。

屈折図とは
 水面の波の速度は水深および波の周期によって変わる。もっとも水深が非常に深い場合は周期Tだけで決まり、gT/(2π)となる。また津波のように周期が非常に長い場合は、壷井も述べているように(gh)1/2と、水深だけで決まる。
 さて、周期一定の波が伝播する場合、水深の変化があれば波速は水深によって変わるので、波は進行方向を変える。これが屈折である。光が速度の異なる媒質(たとえば空気と水)の中を伝わるときと同様の現象である。
 屈折によって向きを変えた波は、ある所では収束し、別の所では発散する。特に収束する所では波が強く(高く)なる。丁度、レンズで太陽光を集めると火が付くのと同様である。港湾や護岸などを建設するときには、このように屈折で波が強くなる場所を推定しなければならない。このために作成するのが屈折図である。
 屈折図とくに「波峰線法」と呼ばれる手法は Huygens の原理に基礎を置いている(ただし現在では「波向線法」を用いることが多い)。Huygens の原理とは、「一般に1つの波面上のすべての点が中心となってそれぞれ二次波を出し、次の波面はこれら二次波の包絡面として得られる」(理化学辞典)というものである。これを水面の波に適用すれば、次のようになる。

(1) ある時刻のある波の峰を連ねた線を考える。この線(波峰線)の上の各点からは、その点の水深で決まる波速で二次波が同心円状に出て行くものとする。
(2) この二次波が時間間隔tの間に進む距離は、各点(x,y)における波速をc(x,y)とすれば、c(x,y)tなので、波峰線上の多数の点を中心に、半径c(x,y)tの円を描く。
(3) こうして描かれた多数の円の包絡線が次の時刻の波峰線である。
(4) 以下これを繰り返す。

大阪湾の同時津波線

 壷井の描いた「同時津波線」はまさにこれと同種のものと考えられる。コンピュータもなかった当時、これを作成するのは大変な労力であったろうことは推察できるが、数学的には(gh)1/2という、さして複雑とも言えない計算を繰り返しているだけで、ここから壷井の数学の才を窺い知ることには無理がある。ただ、日高の「みな数学の遊びみたいなものでなく、実用価値の高いものが多かった。」という評は、幾分か理解できるように思われる。

波の速度
 水面の波の速度cは次の方程式で求められる。
 c=c0tanh2πh
cT
 ここでTは周期、hは水深である。またc0
 c0gT
2π
で、h→∞の場合の波速である。

 また津波のように周期Tが非常に長い場合の速度は

  
gh
となる。

 下のフォームでは、周期T(sec.)と水深h(m)に対する、c0、c、長波速度を求めることができる。
周期 T:(sec.) 水深 h:(m)
深水波速度 c0gT
2π
 :(m/s)
波速度 c=c0tanh2πh
cT
 :(m/s)
長波速度
  
gh
  :(m/s)