天動説にこだわる、ということ


 『銀座・由美ママ』という人が「自己中心的な“天動説人間”は無粋」とおっしゃっているのを拝読した。

 《口を開けば自分の話ばかり。自分が興味のない話題になると、我関せずと黙り込む。自分以外の皆が盛り上がっていると不機嫌になる。自分が評価されれば喜ぶけれど、他人が評価されると嫉妬して喜べない。自分が中心にいないとおもしろくない。常に自分の考えが正しいと思い込み、押し付けようとする。そんなお山の大将のような自分勝手で自己中心的な人がいます。私は、そういうタイプの人のことを、自分を中心に世の中が回っていると考える“天動説人間”と名付けています》

 う〜ん、たしかに世間にはそんな人もいるような・・。そして由美ママは《しかし天文学の分野でも、地球中心で周囲が回る天動説が過去のものになっているように、人間社会においても、すべてが自分を中心に動いているという考え方は通用しません》と続ける。一見ごもっともなようにも思える。いや、世間一般の“天動説”という言葉への認識はそんなものかもしれない。
 ただ、由美ママは
《地球は宇宙の中心にあって、太陽や月、星が、地球の周りを回っているというのが、古代アレクサンドリアの地理学者クラウディオス・プトレマイオスが唱えた天動説。それに対して、ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクスが唱えた考え方が、太陽を中心に、その周りを地球やほかの星が回っているという地動説ですね》
ともおっしゃっている。そこまで言うのなら、これは「世間の俗説」じゃなくて「歴史上の天文学説」について述べていることになる。そして筆者はこれにひっかかりを覚えたのである。

プトレマイオスの“天動説”
 「プトレマイオスが唱えた天動説」という言辞は、別に由美ママでなくてもよく見かけるものである。しかし本当にそうか?
 そもそも誰だって、「地球」、というより今自分が立っているこの大地が動いているとは思わないのが普通だろう。不動の大地があって、それを覆う天を太陽や月、そして星たちが巡っていると考えるのは自然な話で、実際、古代には多くの民族がそのような宇宙観を持っていたに違いない。別にプトレマイオスを持ち出すまでもない。以下ではこれを『素朴天動説』と呼ぶ。
 さて、プトレマイオスである。彼もこの素朴天動説をベースにしていたであろう。それは2000年近くも昔のことだから責められない。ただし、その著書『アルマゲスト』は、「 」というものである。実際そこでは惑星の運行などもその当時なりの説明を試みており、また現在でも通用する内容も少なくないのである。 。これが天動説の時代の最も優れた著作であることから、その著者プトレマイオスが天動説を代表する人物とされたのであろうが、彼の説は「お山の大将のような自分勝手で自己中心的な」ものではなく、むしろ正反対の、宇宙(周辺)を精密に観測して得た(時代の制約はあっても)科学的な理論なのである。
 昔の天文学者は占星術師でもあった(むしろそちらが本業だった)。プトレマイオスも占星術の本も書いている。しかし、『アルマゲスト』が精密な理論書であるのに対して、 。天の星(周辺)を正確に見て、星占の限界を知っていたのだろう。

ティコ・ブラーエの天動説
 さて、コペルニクスより少し後の時代にティコ・ブラーエという人がいた。彼はきわめて精密な天体観測データを残した。それを受け継いだケプラーはそこから『ケプラーの法則』を見出した。それは後にニュートンの力学へと発展する。
 そのような重要な観測を行ったティコであるが、彼は地動説を認めなかった。何故か? ためである。
 わかりやすく説明しよう。富士山は東京からは西の方向に見える。静岡からは北東くらいだろう。さて、地球が動いているとすると、ある時は東京に、別のある時は静岡にいるようなものである。遠くの星(これが富士山)の見える方向はその時々で変わらなければならない。これが「年周視差」であるが、ティコのきわめて精密な観測でもこれが見出せなかったのである。
 現在ではこの理由はわかっている。地球が動く距離は公転軌道の直径(約3億km)であるが、それに対して星(恒星)までの距離はけた違いに遠いのである。最も近い恒星でさえ、この年周視差は1秒角(1度の3600分の1)にも満たない。ティコの時代にこれを検出することは到底無理だった。なにしろガリレオがはじめて望遠鏡を天体に向けるより少し前の時代だったのだから。
 ここでも、天動説は決して「自分勝手で自己中心的」に選ばれたのではないことがわかるだろう。むしろ、年周視差が見出せないという時代の制約の中で科学的な結論として選択されたのである。

天動説vs地動説 その背景
 由美ママのおっしゃる“天動説人間”という言葉には、
  天動説=×
  地動説=〇
というきわめて単純明快な解釈があると思える。そして歴史上はそんな単純なものじゃないことをここまでに述べてきた。それなら、この単純解釈はどのようにして生まれて来たのか、ちょっと考えてみたい。
 まず西洋の場合である。そこではキリスト教が背景にあるだろう。
 ガリレオ・ガリレイがローマ教会から異端審問で地動説を破棄させられたことは有名である。彼は「それでも地球は動く」と呟いた、とか。
 既に述べたように、古代にはどこの民族にも「素朴天動説」があったことはほとんど確実である。ただ、ギリシャ文明ではプトレマイオスやもっと昔のヒッパルコスらによって天動説は非常に洗練された科学として発展していた。既に素朴な通説ではなかった。それはローマに引き継がれたが、そのローマはやがてキリスト教を国教とした。そのキリスト教では観測をするというのは「神を試す」こととして戒められた。これが、ギリシャで生まれた洗練された天動説をドグマ化していく。
 キリスト教あるいはその元となったユダヤ教では唯一神は天に居る。その天には月、太陽、 が巡り(以上で「七つの天」)、
 地動説は、この説と相容れない。もっともコペルニクス説なんぞは、地球を含む惑星が太陽を回るというだけで、その向こうの恒星天については何も言っていないのだが、既に16世紀のジョルダーノ・ブルーノは恒星も無限に広がる(3次元)空間の中に分布するという現代と同様の説を唱えた。これは神の住わす『第九天』の存在を否定するものである。ドグマ化したキリスト教ではこれは認められない。この点ではカトリックもプロテスタントも五十歩百歩で、ルターも地動説を認めていない。ブルーノは火刑に処せられた。

Ueberm Sternen Zelt
Muss der lieber Vater wohnen
 これはF.フォン・シラーの詩の1節であるが、「星(恒星?)の天(Sternen Zelt)のさらに上(Ueberm=英語のover)に至愛の父(der lieber Vater=神)が住わす」と解釈できるだろう。まさに「第九天」を意識しているように思える。既に18世紀。疾風怒濤の詩人にもまだこの概念は残っていたのである。因みに、この詩がベートーヴェン『交響曲第9番』で用いられているのはたんなる偶然だろうか?
 後期ロマン派のブルックナーやマーラーは第9交響曲を書くことを忌避した。それはベートーヴェンが第9で終わったためそれを書くことは自分の死につながると考えられたためという解釈もある。しかしそれよりも、第9(天)は神の視座に立つことという畏れがあったとは考えられないだろうか?
 そう言えば、唯物史観のソヴィエト連邦で交響曲を書き続けたショスタコヴィチには第9への特別な思い入れはなかったようだ。もっとも彼の第9は大方の期待に反して軽いものだったため、共産党から「形式主義者」の批判を浴びたのだが。

 世界初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンの言葉といえば、日本では「地球は青かった」が有名であるが、日本以外では「神はいなかった」という言葉のほうが知られているという。「天は神の住わす所」という概念が20世紀後半まで残っていたのである。

 キリスト教世界において、地動説はまさに革命だったのである。信仰との相克の中で獲得されるべき「世界観」なのである。米国の一部の州では今でも、ダーウィンの進化論を学校で教えてはいけないという。聖書の記述を一字一句まで真実とする原理主義ファンダメンタリズムが今も残っているのである。

天動説vs地動説 日本の場合
 日本にはキリスト教徒はわずかしかいない。たぶん誰でも、最初は素朴天動説で、ギリシャ哲学からドグマ化したキリスト教的天動説を経ることなく地動説を教えられるのが一般的だろう。さて日本人はそれをどのように受容して来たか?
 ほとんどの場合、学校で教わるのだろう。地球が太陽を回っているぐらいは小学生でも知っている。中学か高校になると、「コペルニクスの地動説」と、それに対立するものとして「プトレマイオスの天動説」を教えられる。前者が〇で後者は×だと。これって、まさに由美ママの見解である。いや、「学校の優等生一般」に共通するステレオタイプの認識で、由美ママも御多分に漏れないということだろう。そこには、西洋人の場合のような信仰上ないしは哲学上の葛藤は微塵も見られない。
 それはそれで仕合わせなことかもしれない。しかしこういう事態はどのようにして形成されて来たのか?
 おそらく、明治以降の学校教育に成因を見ることができるだろう。それは「富国強兵」「殖産興業」のスローガンのもと、西洋文明を急速に採り入れるべく整備されて行った。促成栽培が至上命題であった。必然、意味を深く考えることよりも既存の知識を詰め込むことに重きを置くようになる。実学重視である。そうすると、 。知識を詰め込むだけの退屈なベンキョウに耐え抜いた優等生たちのステレオタイプの知識が幅を利かせるようになったのである。
 それでも、由美ママのような人は学校の優等生から脱却して、商売柄人を見る目を養い、自己本位の人の無粋を忠告なさるのはさすがである。もっとも根っからの三流人間である筆者などには、せっかくのそのご忠告もほとんど役に立たないのだが。

『おもひでぽろぽろ』
 ここで思い出すのはスタジオジプリのあのアニメである。あそこに出て来る少女に筆者は同情を禁じ得ない。彼女は分数の割り算で躓く。「分子と分母を入れ替えて掛け算をする」ということが、どうにも納得できない。他の子らは、それを機械的に覚えるからテストは「できる」。彼女だけはそれができない。母も姉も、機械的に覚えることだけを強制する。一緒に考えてやる人はいないのである。ほんとうは、一度徹底的に考え抜かなければ真の知識にはならないのに。
 もっとも、筆者自身は分数の割り算で躓いたことはない。一方また機械的に覚えたわけでもない。よーするに頭が良かったのだ(自分で言うか!由美ママには軽蔑されそう)。
 小学生の頃、級友に「1÷0.1」を聞かれたことを記憶している。筆者は即座に10と答えた。「割るのになんで大きなるねん?」それが彼の疑念だったようだ。「1÷1が1やねんから、もっと小さい0.1で割ったら大きならなあかんやん」そう答えた。小数でも分数でも考え方は同じ。要するにこれは「帰納」である。「演繹」ではない。だがともかく、そういう推論を重ねて答えにたどりつくことができた。頭が良かったとしか言いようがなかろう。
 しかし、誰でもそれが可能なわけでもない。『おもひでぽろぽろ』の少女にはどのように説明しようか?
 林檎を4つに分けることを考える。1切れは4分の1個である。1人が1切れずつ食べるとすると何人で食べられるか?勿論、4分の1個の切れは4個あるから4人で食べられる。これが
の意味である。たしかに分子と分母を入れ替えて掛け算するのと一致している。
 一人に5分の2ずつ分けるとするとどうか?1個を5つに分けると、5切れがあるから、二人分
の他にもう1切れ(5分の1)が残る。これは1人分の半分(2分の1)である。だから、
 さて、これであの子は納得するだろうか?

ゆとり世代
 つい先日は、「ゆとり世代」の最後の成人式だった。この世代は何かと評判が悪い。しかしそれは彼らの責任ではない。
 「ゆとり教育」というのは、従来の詰め込み教育の弊害を是正するものとして始まったのだと思う。「分子と分母を入れ替えて掛け算」などと機械的に覚えるんじゃなくて、何事かを深く考える、あるいはじっくり取組む。そのための「ゆとり」だったはずである。実際、円周率を「だいたい3」と考えてもなんとかなるという局面も少なくはない。正確に計算したいときは現在ならコンピュータですぐできる。ならば、円周率の値を細かく覚える労力を他に回したっていいわけだ。
 ところが、世間は相変わらず富国強兵・殖産興業レジュームで動いている。高校、大学の入試は詰め込み教育時代のまま、社会も従来通りの「優等生」を求める。親や先生も「ゆとり」の活かし方なんて知らない。そんなとこへ放り出された彼らは犠牲者なんだろう。

江戸時代の地動説
 明治以降は学校で地動説が教えられたが、それ以前はどうだったか?実は江戸時代にも、一部の人にせよ地動説は知られていた。
 渋川景佑は、江戸時代最後の暦である「天保暦」を作った人である。現在の『旧暦』(て、妙な言葉だが)はこの天保暦をベースにしている。景佑は、オランダ経由で伝わったフランスの『ラランデ天文書』によって西洋天文学を学び、その知識を天保暦に盛り込んだのである。景佑はニュートン力学まで理解していた。

 そのように一部にせよ地動説も知られていた時代にあって、それに敢然と異を唱えた人物がいる。
 佐田介石は浄土真宗の僧侶であった。この宗派は呪術や占術などの一切を否定する。司馬遼太郎は親鸞を「ほとんど自然科学」と評してさえいる。「南無阿弥陀仏の念仏を唱えれば西方浄土へ往生する」と説くが、その念仏だって極楽往生のための呪文なんぞではなくて、既に阿弥陀如来の本願によって往生が約束されている、そのことを知って感謝の念が口から自然に出るのだ、と親鸞は考える。
 私事になるが(由美ママには無粋と言われるだろうが)、筆者の家も真宗である。父が他界した時、「四十九日には位牌を作って魂を入れて貰う」と葬儀屋さんに教えられた。そんなことするんかいなと思っていたが、ただ読経が行われただけで、そんな呪詛めいた儀式は何もなかった。たぶん真宗では位牌だって特に必要ではないのだろう。ただ遺族が作って持っておきたいと言うのを否定まではしないのだろうが。
 そんな浄土真宗の人だった介石にとって、地動説は馬鹿げた迷信じみた説に思われたのかもしれない。そのようなものが蔓延すれば仏法が滅亡するという危機感を抱いた。これはちょっと、ローマ教会の地動説弾圧に似ているか?それはともかく、(学校の優等生みたいに)地動説を機械的に受け入れた日本人の中では稀有の存在であろう。
 勿論、地動説に対して須弥山説を持って来るというのは到底、科学的とは言えない。しかしここでは、何が正しいかはたいした問題ではない。証拠が積み重なれば間違いは正されて行くだろう。そうやって一つずつ、正確な知識を獲得して行くしかないのだ。ただ、自分が正しいと思ったらとことん主張すべきなのである。学校で教わったって納得行かないなら、可能な限り反論してみる。そうやって最後に到達した知識だけが本物なのだ。機械的に覚えた優等生的知識で「天動説は×」と言って満足するというのは、筆者には無粋に見えるが、いかがだろう。


Jan. 2016
ご意見、ご感想

銀座・由美ママ 男の粋は心意気
自己中心的な“天動説人間”は無粋
文 伊藤由美
朝日新聞デジタル 2016年1月7日
 天動説と地動説をご存じかと思います。地球は宇宙の中心にあって、太陽や月、星が、地球の周りを回っているというのが、古代アレクサンドリアの地理学者クラウディオス・プトレマイオスが唱えた天動説。それに対して、ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクスが唱えた考え方が、太陽を中心に、その周りを地球やほかの星が回っているという地動説ですね。

 さて――。口を開けば自分の話ばかり。自分が興味のない話題になると、我関せずと黙り込む。自分以外の皆が盛り上がっていると不機嫌になる。自分が評価されれば喜ぶけれど、他人が評価されると嫉妬して喜べない。自分が中心にいないとおもしろくない。常に自分の考えが正しいと思い込み、押し付けようとする。そんなお山の大将のような自分勝手で自己中心的な人がいます。私は、そういうタイプの人のことを、自分を中心に世の中が回っていると考える“天動説人間”と名付けています。そういう人に限って、自分が他人から何か批判じみたことを言われると、すぐ激昂(げきこう)してケンカ腰になり、ものごとが自分の思い通りにならないと、相手や周囲、社会に問題があると考え出すから始末が悪いのですね。

 例えば、聞いてほしい話があったとき、相手の都合も状況も考えず「聞いて、聞いて」とまくしたてるように一方的に話し続ける人がいます。その結果、相手が「?」となったり、相手に自分の話を否定されたりすると「あの人は私のことをわかってくれない」と思い込み、さらには「あの人は他人の話を聞かない」などと、話が通じない原因が、自分ではなく相手にあると考えてしまう。「自分に問題があるのかも」という発想にならないのもこのタイプにありがちな傾向と言えるでしょう。

 なかには、聞き手のことなどお構いなしで、一方的に話して自分だけ満足するという困った強者もいます。しかし天文学の分野でも、地球中心で周囲が回る天動説が過去のものになっているように、人間社会においても、すべてが自分を中心に動いているという考え方は通用しません。人間同士のコミュニケーションにおいて、何でも「自分、自分」というゴリ押しなど、無粋以外の何ものでもないのです。天動説人間、つまり自分本位の発想が強い人からは、次第に人が離れていきます。ふと気が付けば、集団から孤立していたということにもなりかねません。

 人間同士の付き合いの基本は、第一に相手のことを考える。会話ひとつを取ってみても、一歩引いて自分が聞き役に回ると、相手が気持ちよく話せるようになります。自分が脇役に徹することで、相手が気分よく主役になれるのです。

 誰だって「この人といると気分がいい」と思える人と付き合いたいもの。そして、そう思わせてくれる人のことを知りたくなるものです。そうやって興味や関心を持ってもらえれば、自然に相手はこちらの話を聞きたくなるはず。そのときこそ、自分が堂々と主役になればいいのです。“自分が”を後にして、あえて脇役に徹する。それはつまり、自分本位ではなく“相手本位になる”ということ。周囲を思いやって、自分は脇役、引き立て役になるくらいの気持ちで人と接していれば、いつか周囲があなたを主役の座に押し上げてくれるはずです。