北川進氏ノーベル賞

 2025年、京都大学の北川進特別教授(74)がノーベル化学賞を受賞された。
 筆者とは1歳違いのようである。だから似たような経験も少なくない。
 面白いことに、北川氏は高校時代、化学が嫌いだったという。「1モルは22.4リットル」なんてことを頭ごなしに覚えさせられて嫌になったらしい。そらそうや、そんなことを闇雲に覚えたって面白くもなんともない。
 それで思い出したのだが、筆者は家庭教師のアルバイトをしていたとき、こんなたとえを思いついた。「りんご100個の箱」、「みかん100個の箱」というのが“モル”である。数を揃えて目方を較べるんだと。
 分子や原子なんて、1個の目方は計りようがない。たくさんをまとめてみるしかない。それで 。 それが 1mol である。そしてその数は(100個じゃなくて)アボガドロ数NA=6.02×1023個で、さらにそれだけの数の原子分子の気体は0℃1気圧の下では22.4⒧になる、とここまで言えば北川少年も納得が行くだろうか。
 その時に教えた子は、当初早稲田を目指し、それは叶わなかったが、なんとか日大に合格した。筆者の教え方も正解だったろうか。
 その後北川さんは予備校の化学の先生に分かり易く教わったそうだ。ところで筆者は京都大学を目指す人の多い予備校に通った。といっても京大に行ける学力があったわけではない。それがなんでそんな所に行ったのかについては長くなるので省略するが、ともかく北川さんの行った予備校と同じだったかもしれない。
 筆者は理系だったが予備校で化学の授業は受けなかった。ただ、物理の先生は面白くて人気があった。パチンコの玉を弾いてから穴に入るまでの運動を解いて見せて、其の後「ホンマはここに釘があって・・」といって笑わせる、そんな授業だった。
 北川さんはアポロ11号の月面着陸を見て、最初は天文学を目指したという。そのアポロはまさに筆者が予備校に通っていた時代である。ただ筆者はそれ以前、中学の頃から天文学を志向していた。だから京大宇宙物理学科は憧憬の的だった。ただ先述したように、京大に行ける学力は到底なかったので受験もしなかったのだが。
 
 この待ち時間の間にノーベル賞に繋がる発見があった。それは1990年頃という。
 この“待ち時間”は筆者も経験している。その時代、PCは既ににあったが、まだ 16bitのチャチなものだった。本格的な計算には大型計算機(と言っても現在から見たらたいした性能ではない)を使用していた。筆者はつくばにある国の機関の研究所でそれを使っていた。実際多くの人が同時に使うので時間がかかった。一度計算を始めると結果が出るまでに数時間もかかる。その間待つほかない。筆者の場合は会社は東京だったが、一旦会社に戻るほどの時間ではないので、つくばで無為な時間を費やすしかなかった。あの時代、そんな経験をした人も少なくないだろう。しかしそんな時間にノーベル賞に繋がるようなことを考えたというのは、北川さんしかいないわけである。
9, Oct. 2025
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