「農暦」って何だ?

 たまたま神保町東方書店で見つけた「大義福禄寿暦書」の二十四節気
名称節気/中気農暦旧暦


 農暦とは、中国で使われている、日本の旧暦に相当するものである。ただ、中国では春節(旧正月)をはじめとして、旧暦の行事が多数残っているので、民衆の生活に占める重要度は日本の旧暦よりかなり高いと思われる。

 しかし、農暦の実態については日本ではあまり知られていないようである。「旧暦である」というだけでは不充分なのである。何故なら、ひとくちに旧暦といっても、歴史的な経緯でいくつもの種類があり、その細部はみな違っているからである。
 そんなことは大方の人にはどーでもいーことかも知れない。しかし、少しでも旧暦に興味のある人は、もう少し付き合って頂きたい。旧暦にとっては「どーでもいー」と言い切れない問題を孕んでいるからである。
 それは、2033年問題と呼ばれている。旧暦に少し詳しい人には有名なことである。この年には現在の日本の旧暦(妙な言葉だが)では月が決められなくなる、という問題である。何故そんなことが起きるかというと、実は24節気の決め方に問題があるのである。

 本稿ではこの問題の詳しい説明は省略する。ただ、理解しておくべきことは、中国(および日本)の過去の暦(一般にいう「旧暦」)では、月の決め方は24節気に拠っている、ということである。特に、閏月をどこに置くかということは、節気によって決まるのである。
 ところが現在の日本の旧暦では、24節気の決め方のために、この閏月の置き方(置閏法)に乱れが生ずるのである。

 節気の決め方には、大きく分けて定気法恒気法の2種類がある。これも説明は省略するが、定気法というのは比較的新しいもので、清朝の時憲暦および日本の江戸時代末期の天保暦に用いられている。中国も日本も、それ以前の暦はすべて恒気法である。
 定気法は、西洋天文学のケプラーの法則まで取り入れた精緻なものなのだが、問題はそこにある。この定気法こそが、置閏法に乱れを起こすのである。
 現在の日本の旧暦は、基本的に天保暦に準拠している。つまり定気法であり、このために2033年には問題を起こすのである。

 前置きが長くなったが、そこで中国の農暦に興味が湧くのである。はたして農暦は定気法なのか恒気法なのか?定気法なら、日本と同じ問題が起こらないのか?

 ひとつ、大きな手懸りがある。
結局、「時憲暦」は「農暦」という名称で官暦にも掲載され、新旧両暦併用ということになった。
岡田芳朗「アジアの暦」(大修館書店)pp102
 これは辛亥革命後、中華民国で新暦が採用された時のことである。しかしその後、人民共和国になってからでも、「農暦」が改正されたという話はないようなので、「農暦」とは時憲暦であると考えても良さそうに思える。しかしそれだけでもちょっと心許無い。何か他に判断材料はないものか?

 そんな折、たまたま神田神保町の東方書店という中国書専門店で、「大義福禄寿暦書」というのを見つけた。出版元は台南市の大義出版社。大陸のものは見当たらなかった。もっとも、こんな迷信ばっかりみたいな書物、人民共和国では出版できないか?
 たまたま見つけた書物だから、これがどれ程の権威のあるものかはわからない。また大陸でも同じ暦が使われているかどうかもはっきりとはしない。しかしともかくも、これから農暦の実態が少しでもわかるのではないかと思う。

 それで、この暦書の24節気を日本のものと比較してみたのが前表である。
 日本の節気との差は、穀雨の-17時間26分、処暑の-11時間1分など、かなり大きなものも散見されるが、1時間前後のものが圧倒的に多い。1時間というのは日本と台湾の時差であるから、これらの節気は同じものと考えて良いだろう。差が1時間1分などというのは、計算方法の些細な違いによるものだろう。因みに日本では節気は現代天文学によって計算されている。一方台湾では旧来の時憲暦の方法で計算しているとすれば、当然多少の誤差はあるだろう。また、仮に計算方法が同じであっても、用いる係数や定数がほんの僅かでも違えば、1分やそこらの誤差は生じ得る。

 日本との差が1時間を大きく越えるものについては、理由がよくわからない。
 たとえば処暑の場合は、本当は8月23日2時3分なのに、12時間間違えて14時3分としたとも考えられる。これなら日本との差は1時間1分である。
 しかしこれらがすべて単なる間違いとも言い切れまい。昔の暦には、あまり合理的とも思えない独自のルールがあったりするので、時憲暦についてよほど詳しく知らない限り、簡単に間違いという結論は下せないのである。

 しかし、これらの差が大きいからといって、農暦の節気の決め方が日本とは違う恒気法という結論にはならない。
 これまた岡田芳朗「旧暦読本」では2007年の節気を両法で求めて比較しているが、それによると、たとえば春分は
 定気法:3月21日9時7分
 恒気法:3月23日16時50分
つまり丸2日以上も違うのである。先ほどの表では、そんな大きな違いはどこにも見られない。だからこれは恒気法の結果ではない。

 さらにこの「福禄寿暦書」の「二十四節気的来歴」という項目には次の文言がある。
 太陽従黄経零度起、沿黄経毎運行15度所経歴的時日称為「一個節気」。
 つまり、太陽黄経15度ごとに節気を決めている。これはまさに定気法である。

 結論として、「福禄寿暦書」の節気は日本と同じ定気法に拠っている可能性が高い。そして中国で定気法を用いたのは時憲暦だけであるから、やはりこれは時憲暦と考えられる。

 そうなると中国では2033年問題は起こらないのかという問題が再びぶり返して来る。しかし、どうやら日本と中国では置閏法が違うようだ。
 すなわち、日本の天保暦では、
暦月中冬至を含むものを十一月、春分を含むものを 二月、夏至を含むものを五月、秋分を含むものを八 月とす。
とあるが、中国の時憲暦では、
・冬至を含む月を11月とする。
・次の冬至まで13ヶ月ある場合、中気を含まない最初の月を閏月とする。
これだけであるらしい。
 そうすると、次の旧暦Aが時憲暦の規則に合致することになる。恒気法の規則には違反しているが、このように決められているのなら、それで良いわけである。

旧暦A旧暦B
2033年6月21日癸卯5月 25日夏至
2033年6月27日己酉6月 1日
2033年7月22日甲戌6月 26日大暑
2033年7月26日戊寅7月 1日
2033年8月23日丙午7月 29日処暑
2033年8月25日戊申8月閏7月1日
2033年9月23日丁丑9月8月1日秋分(1:52)
2033年10月23日丁未10月9月1日霜降
2033年11月22日丁丑11月10月1日小雪
2033年12月21日丙午11月10月30日冬至(22:40)
2033年12月22日丁未閏11月11月1日
2034年1月20日丙子12月 1日大寒
2034年2月18日乙巳12月 30日雨水(23:23)
2034年2月19日丙午1月 1日
2034年3月20日乙亥2月 1日春分
2034年4月19日乙巳3月 1日
2034年4月20日丙午3月 2日穀雨

旧暦A:「21世紀暦」(日外アソシエーツ)
旧暦B:「平成・萬年暦」(福田有典著、武部重信編、天象学会)

恒気法の規則に違反しているもの
旧暦A:秋分、霜降、小雪、雨水=4件
旧暦B:冬至、雨水=2件
*中気の時刻は不正確(誤差は最大10分程度?)
恒気法では、雨水(正月中気)はどちらでも違反になるが、あと数十分遅ければ違反とならない。
秋分(八月中気)は2時間ほど早ければ、冬至(十一月中気)は1.5時間ほど遅ければ月が変わり、微妙である。

Jun. 15, 2008

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