中谷宇吉郎『立春の卵』

立春の後に卵を立てる

 中谷宇吉郎が終戦から2年後の1947年に書いた随筆「立春の卵」の話だ。
 この年の2月、中国・上海で「立春の日に卵が立つ」という故事の再現実験があった。朝日新聞は2月5日付朝刊で「立春 不思議や卵が立つ 上海実験で大にぎわい」と報じ、翌日の紙面では東京の気象台で技官らが卵を立て、写真付きで掲載。他紙も報じた。
 立春の時だけ? 宇吉郎はさっそく自宅の机で実験した。立春は過ぎていたが、3〜4分で卵は立った。・・・
朝日新聞2018年4月17日東京夕刊「『天からの手紙』をたどって7」

 実は、中谷宇吉郎が卵を立てた日は古来の立春だったのである。どういうことか?
 1947(昭和22)年の立春は2月5日だった。ただしこれは《定気法》によるものである。定気法とは、節気を太陽の位置(地動説で言えば地球の公転軌道上での位置)で決めるものである。春分のその位置を《太陽黄経0°》とし、15°ごとに二十四節気を定める。立春は太陽黄経が315°になる日である。
 しかし、節気をこのように決めるようになったのは清朝の『時憲暦』から、日本では江戸時代末期の『天保暦』からなので、それ以前の長い歴史上では節気は《恒気法(平気法とも)》によっていた。こちらは1年(冬至から冬至まで)を単純に24等分するものである。そして現在の定気法と古来の恒気法では節気が微妙に違う。これは地球(惑星)の公転が『ケプラーの法則』に従うためである。
 そして1947年に恒気法を適用してみると、立春は2月6日となる。記事には「『立春の日に卵が立つ』という故事の再現実験」とあるから、これは清朝以降の定気法ではなく古来の恒気法の立春とすべきであろう。それは2月6日であり、おそらく中谷が卵を立てたのもこの日と推察される。

 推察の根拠は以下のとおり。
 記事では中国・上海での再現実験を2月5日付朝刊で報じたとある。前述のとおりこの年の立春はこの日であるから、中国の実験をその日の朝刊で報じられる道理はない。実は、この年の立春は中国では2月4日だったのである。これは立春の時刻が日本時間5日0時台で、中国では時差のため4日23時台だったことによる。このような時差による節気の違いはそれほど珍しくないが、この年には立春でそれが起きたのである。
 さて、「翌日の紙面では東京の気象台で技官らが卵を立て」とある。つまり4日の中国の実験を5日の朝刊で読んだ東京の気象台(現在の気象庁本庁または東京管区気象台であろう)の技官らがその5日つまり日本の立春の当日に卵を立てた。ここまではすべて定気の立春である。
 これは翌日つまり6日の紙面で報じられた。そして「宇吉郎はさっそく自宅の机の上で実験した」。だからこれは6日のこと、皮肉にも古来の恒気立春の当日となるのである。

 卵が立つのは「故事」とされるから、「古来の恒気の立春」でなければならない。しかし、4日の中国、5日の東京の実験は古来の立春ではないから、既に「立春以外でも卵が立つ」ことは実証されていたことになる。ところが中谷はわざわざ「古来の立春」に卵を立てて見せたわけである。
 一方で、これらの実験は「定気だろうが恒気だろうが、立春には卵が立つ」と総括できるかもしれない。それ以外の日については何も言っていない。むしろ中谷は7日以降に実験すべきだったろう。

 以上、屁理屈と言えばそれまでである。ただ、立春(二十四節気)の正しい理解のためにはこのようなことも知っておいて良いかと考えるものである。

1947年定気立春:(日本)2/5:0:50,(中国)2/4:23:50
冬至(日本)
(時刻には数分の誤差が有り得るが、結論に影響はない。)

Apr. 2018
石原 幸男