国民皆農
「構造改革」
「公」から「民」へ、「国」から「地方」へ構造改革がいわれて久しい。明治からの近代化で国が先頭に立ってやらねばならなかった件案が多かったことは認めるが「民」の力がついてきた昨今「国」の役目を小さくしようというのだ。私はこの動きは20年前だったら賛成だったが現在は一寸違うのでは思っている。「構造改革」によって無駄が減るのは良い事だが「公」の求心力を増しバラバラになった個人を統合する新しい価値観が必要だと考えているから。農業については国が安い食糧は国の礎になると考えるなら「私」から「公」への構造改革が必要だ。
「食」の崩壊
時代と共に色々なものが変化する。食についていえば変化イコール崩壊であると思う。崩壊という根拠のひとつは国民医療費の増加である。近年国民の医療費の増加は著しい。原因は1)長生きになって老人が増えたこと2)医療の普及―昔なら病院へいかなかったものも病院へ行くようになったこと3)医療技術の進歩でコストが高くなったこと4)環境の変化、食の変化で新しい病気がでてきたこと5)環境、食の変化で体力がおち逆にウイールスの力がついてきていること。で環境特に「食」が医療費の増加に寄与しているのは間違いない。
「人間は食うために生きるにあらず生きる為に食うのだ」とばかり国をあげてエンゲル係数をさげること、安い食糧の供給にやっきになってきた。我々も生きるという事は衣食住のほかの事をすることだとばかり食費をけずって、食にかける時間を削って(外食産業の隆盛)何かをやっている。生きるということの基本が健康にあるということも忘れ勝ちである。基本を思い出してやれスローフードとかさわいでいるのが現状である。
「農業の役割」
農業には食糧生産と環境保全の役割がある。食糧については輸入という代替があるが環境保全には代替はない。世界がうまく機能するためには貿易(分業)は必須である。現在貿易自由化、農産物貿易自由化が騒がしい。貿易が地球には必須だしこの自由化は避けれない。安い食糧である限りその生産者である農家の収入は他産業におとる。ならば安く食糧を輸入し国内の農業は農産物輸出国でなにか問題が出た場合のバックアップや環境保全に徹したらと考える。国はこれまでそして現在も安い食糧を生産する為に作物にたいして補助金を出してきた。食糧を輸入品でまかなっている人達の税金もそれにあてられる。その人たちは今の政策に文句はないのだろうか。国が環境保全のために農業に金をつかうことに異議をとなえる人はいない。国は作物ではなく環境保全の名目で農地にたいして補助金をだすべきだ。食糧生産としての農業はそれなりの理由がなけれならないー地産地消でなければならないもの、価格が高くても消費者に受け入れられる作物、または国際分業の作物。農林水産省が貿易自由化交渉でいうように農業は環境保全のために存在すべきだ。
「国民皆農」
昔、共産主義国で食糧生産を目標とした「国営農場」の効率が悪く崩壊した事実の上に立って集団化、国営化を考えなければならない。原則環境保全が目的だから何を植えても、生産量が低くても良い。そういわれてもそんな産業に従事したがる人はいない。ならばどうするか。強制である。むかしは徴兵制度があり国を「外敵」から守る為にある年齢になると腕力があるとされた男子はみんなが対象だった。環境を守る為に国民全員、男も女も、不具者も(農業には不具者にもできる作業がある)を対象とする徴農制度(国民皆農)を提案したい。現在の農業従事者を公務員にしたり農地を国有地にするとなど現在の私的農業から国営にするのは戦後の農地解放に匹敵する変化であるが国家百年の計のためにやらねばならない。原則があれば必ず例外がある。それなりの理由がある食料生産(先にあげたような)は続いてしかるべきである。農業を続けて行くために他産業からの新規就農が求められているが根本的考え方を変え国民皆農で環境保全型の農業を残すべきだと考える。