個人的時間は就職し社会人になると激減し、社会的時間が漸増する。近年仕事よりも趣味という傾向もあるがそれは衣食住(生計)が保証されての話。定年が近づくと社会的時間がへり個人的時間がふえる。組織としても「これからの人」にシフトしてゆくから当然の成り行き。老年期になれば時間は生理的時間と個人的時間だけとなる。近年生涯現役とか称して老年期になっても職をはなれず結果として若者の仕事を奪っている風潮があるが老年期の社会的時間は社会的に見れば少ないほうが良い。
私の社会的時間はエンジニアとして使われました。金属が産業の基本であるとの思いから大学で金属材料工学を学びました。当時就職は教授の紹介でというのが主流でしたが私の研究成果を教授が勝手に企業に売った事を根に持っていた私は教授の手のとどかない外資系のコンピューター会社の工場エンジニアとして就職しました。
1988年アメリカバーリントンに駐在代表として赴任していましたが下手な英語を世界中のIBMが一目置いてくれたのは当時日本が競争力NO1(スイスの国際経営開発研究所の発表)であったからで時に感慨をおぼえました。入社した1970年ころは技術を欧米から導入する時代で多国籍企業の日本IBMが導入する技術はそのまま日本の最新鋭技術だったのです。私は寝食を忘れるくらいそれに没頭しました。1983年ころからは日本の技術を欧米に逆輸出する時代に入ります。私はそこでもIBMの先頭を走っていたように思います。思えば巡り合わせというか私の社会的時間は充実していました。幸運そのものだったようです。2004年の国際経営開発研究所の発表によると日本の競争力は44カ国中30位とか。頂点にたてば下るしかないのですがいろいろ考えさせられます。
1993年ころ日本経済にかげりを見た私は組織をはなれ自給自足の生活を考え始めました。
農業はこれまで属していた電子産業と違い技術の進歩がさほど激しくない。農業には共通の知識技術があるようでなく実はその土地その土地に適した技術であり一度覚えたらずっと使えそうである。技術の変化についてゆくのが難しくなるだろう年齢には適した仕事ではないか。農業の結果はほとんどを天候自然が左右する。農業以外の産業ではその結果は「ひと」が左右する。あの時あの人がああしていれば結果は違ったのになど後悔し他人をうらむ事が多い。農業の場合自然が相手だと思うと諦めがつく。ストレスはないに等しい。食糧は安くなければならないので農業ではこれまでの生活レベルを維持するのはむずかしい。従って子供にお金がかからなくなったら始めようと考えました。
(現在も農業は定年退職しある程度生活資金のある中高年の産業だと考えています。)
2001年から故郷の北海道で農業をはじめていますが農業は私にとって個人的時間でもあり社会的時間でもある今日このごろです