寝室に着くなり、カイザルは律儀に着替え始めた


 寝間着として愛用している白いシャツ
 あまりにも色気の無い姿だが――…仕方が無い

「…別に、今日リノを誘うわけでもないし…」


 どうせ、リノライはすぐに仕事に戻ってしまう
 会話らしい会話も出来ないだろう

 これでは誘う所ではない

 まずは仕事を片付けて、ゆとりを作らなければ
 それからリノライに休暇を与えて、話し合う時間を設けて――…



「…先は長そうだな…」

 それまでに、自分はリノライを誘えるようになっているだろうか

 鏡に姿を映してみる
 シャツのボタンを数個外して、首筋や鎖骨をなぞってみるが…


「…食指の湧かない身体だな…
 ゴツゴツして硬いし…何より色気が無い」

 自分の身体は鍛え上げられた筋肉の塊だ

 盛り上がった大胸筋
 見事に割れた腹筋――…

 抱き心地が良いとは思えない


「……難儀な事だ……」

 こんな身体ではリノライが避けるのも理解出来る
 改めて実感した現実に鬱々としてきた

 追い討ちをかけるかのようにノックの音が響く






「…ああ、入れ」

「失礼致します」

 凛としたリノライの声

 生真面目な完璧主義者の彼は表情さえ崩さずに部屋に入ってくる
 夜だというのに身に纏った重厚なローブは皺ひとつ無い

 それが、少し寂しかった


 今の彼は忠実に職務をこなす『部下』以外の何者でもない
 『恋人』として接してくれていた彼は、どのような表情をしていただろうか

 どうやっても思い出せない―――…もう、忘れてしまった



「どうぞ」

 リノライはグラスに琥珀色の液体を注ぐと、カイザルに差し出す
 場の空気の冷たさに反して、グラスの中からは甘い香りが立ち込めていた

 一口、含む
 甘い―――…けれど、後味が妙に苦い

 舌に残る苦味が痛みとなって胸に広がった


 あぁ、何故だろう
 …涙が出てきそうだ

 リノライが傍にいると苦しい
 近くにいても感じる距離が悲しい

 でも、そんな理由で泣くのはもっと悲しい



「…リノ…」

 ふと伺い見たリノライの表情
 微かに眉を顰めて、不機嫌なのが見て取れた

「またそのようなお姿を…
 カイザー、風邪を御召しになられます」

 肌蹴た胸元を指摘される
 色仕掛けの練習も、彼の視線から見れば寒々しく映るらしい


「ああ…そうだな」

 やっぱり、リノライを誘うのは無理かも知れない
 その気の無い相手に何をしても無駄だ

 触れてもくれない身体を、抱かせようだなんて無謀も良い所



 現実から逃げるように、グラスに口付ける


 アルコール度数がかなり高い…
 ひとくち、またひとくちと飲み込む度に口の中が焼け付くようだ

 …いけない、飲むのが少し早い
 これではまたリノライに咎められてしまう

 グラスをテーブルに置くと一息吐く



「…はぁ…」

「酔いが回られたのでは?
 少し横になられては如何でしょう…」

 いや、まだ酔ってはいないのだけれど…
 どうやらリノライはカイザルを相当酒に弱いと思っているらしい


 ―――…これはもしかすると…使えるかも知れない…


 酔っていないけれど、酔ったふり
 その練習をするなら、まさに今
 いつか彼を誘うその日の為に…

 カイザルはわざと姿勢を崩すと、テーブルに肘を突いた



「…うぅ…ん…そうだな…
 少し、酔いが回ったみたいだ…」

「では、ベッドに横になられた方が――…」

 リノライの腕が肩に回される
 椅子から立ち上がらせようとしてくれているらしい


 ただ、それだけ
 他意が無いのはわかっている

 それでも、伝わる彼の体温が嬉しい…





「…暖かい…
 久しぶりだ、リノの温もり…」

 両腕をリノライの腰に回す
 もっと彼の体温を感じたくて頬を摺り寄せた


「……酔っておられますね……」

 そうだ
 酔っ払いの戯言

 そう思ってくれれば良い

 ここで見た物、聞いた物
 全てを軽く流してくれるなら、何でも言える


 ……挑戦、してみよう…

 リノライから手を離す
 グラスを再び握ると、琥珀色の液体に舌先を浸した

 猫がミルクを舐めるように
 ぴちゃ、ぴちゃと音を立てながら酒を味わう

 飲み零した液体が顎を伝って、胸元まで流れた


 すかさずリノライがハンカチを取り出す
 ハンカチを手渡そうとする腕を掴むと、カイザルはその指先にも舌を這わせた

 わざと少し屈んで、上目遣いの表情を作る



「か、カイザー…?」

 驚いたというよりは、唖然とした表情
 見開かれた瞳と視線を合わせて、カイザルは笑みを浮かべた

 くすくす…
 噛み殺したような声が響く

「…ふふっ…リノ…ライ……」

 熱い吐息を吹きかける
 リノライの指先を音を立てて吸った


「…お戯れが過ぎますよ、カイザー…」

 嗜める声
 カイザルはわざと聞こえないふりをした

 リノライの指先を含むと、舌先でゆっくりと舐め上げる
 キャンディーのように白い指先を味わった






「カイザー…私を、誘っておられるのですか…?」

「…んっ……だと…したら…?」

 軽蔑するか
 それとも突き飛ばすか

 自分に忠誠を誓った男の反応が楽しみだ


「…警告を…させて頂きます…」

「警告?」

「…私の中には…自分でも抑えられない強大な闇が存在します
 貴方に刃を突き立てた、恐ろしく醜い…歪んだ感情でございます…
 どうか、これ以上私の心を乱さないで下さいませ…理性を失えば、再び私は闇に支配されましょう…」


 …闇…

 確かに、あの時のリノライは狂気に支配されていた
 稀に覗かせるもうひとつの表情

 もしかすると、彼は二重人格なのかも知れない
 静かな微笑の下に押さえ込まれた黒い衝動…



「私は気付いてしまいました…自分自身の脅威に
 今一度理性を失えば、私は再び貴方を傷つける事でしょう…
 私の歪んだ愛は貴方を傷つける事しか出来ません…どうか、お許し下さいませ」

 あのリノライ自身ですら抑えられない衝動

 また、刺されるのだろうか
 今度は命を奪われるかも知れない

 切り裂かれた痛みを思い出して、カイザルは思わず身体を震わせた



「私の中の狂気が目覚めれば――…酔っていた、では済まされません
 さあ、理性を保っていられる今の内に、大人しくお休みになられて下さい…」

「リノは…僕を傷つけるから、ずっと避けていたのか?
 あの日からずっと―――…仕事を理由に僕から離れていただろう?」

「ええ…執務に没頭している間だけは、理性を保つ事が出来ました
 お許し下さいませ、貴方の事を考えずにいる為には…そうするしか無かったのでございます」


 仕事が逃げ場…か
 自分自身から、そしてカイザルからも逃げる日々

 それが容易でない事は、やつれた姿から見て取れる




「…リノ、武器を出せ
 隠し持っているのだろう?」

「杖と短剣がここに
 ですが、一体何を?」

「いいから出せ」

 金の装飾が付いた杖と、ローブの中に巧妙に隠された細長い短剣
 差し出されたそれを奪うとカイザルはクローゼットの中に押し込んだ

 上から鍵をかけて、満足そうな笑みを浮かべる


「これで大丈夫だ
 少なくとも、刺される危険性は無い
 殴りかかってきても大丈夫だぞ、お前の拳くらいなら受け止められる」

「…カイザー…挑発なさらないで下さい
 冗談として流すには、刺激が強過ぎます…」

「冗談なものか、本気で誘っているんだ
 僕がここまでしているんだぞ、お前も腹を括れ
 これは僕自身の意思だ、何があってもお前を咎める事はしない…安心して良い」


 リノライが恐れている事は、ただひとつ
 それはカイザルを失う事だ

 自分が何をするかわからない
 その恐怖もあって、後一歩が踏み出せないでいる


 そんなリノライの戸惑いを払拭するかのように、カイザルは彼に微笑んだ





「安心しろ、僕は頑丈だから
 お前の事…ちゃんと受け止めてみせる」

「カイザー、狂気に支配された私は必ず貴方を傷付ける事でしょう…
 それに優しくして差し上げられる自信もありません――…後悔なさいますよ」

「ここで逃げた方が後悔する…
 僕は逃げない、だからお前も逃げるな」


 このままでは何も変わらない
 寂しさも悲しさも消えないままだ

 証が欲しい
 リノライに愛されたという証が



「…カイザー…
 本当に、宜しいのですね…?」

 久しぶりに見るリノライの微笑み
 彼の両手がカイザルの頬を包んだ

 穏やかな笑顔
 恋人としての表情


 リノライの温もりの中で、カイザルは満ち足りた至福の時を感じていた






「…明かり、消すぞ…?」


 部屋の照明を一つ一つ落として行く
 その度に胸の中で不安と期待がせめぎ合う

 小さなランプの火だけを残して、カイザルはベッドに腰掛けた


「失礼致します」

 リノライの手が伸びる
 着たばかりのシャツは簡単に腕から引き抜かれた

「立派に成長なされました
 このように逞しくなられて…」

 身体の成長を確かめるように、リノライの手がゆっくりと触れてくる



 時折揉むような仕草を織り交ぜながら、筋肉の発達具合を確かめているらしい
 腕や肩に触れるその手つきは愛撫というより触診と言った方が近い


「あぁ…このような所に傷が…」

「…ああ…でも、もう治りかけているから…」

「本当に良く鍛えられておりますね
 腕も私のものよりも、ひと回り以上も太くらっしゃって…
 首の辺りも本来は筋肉が付き難い所なのですが…ここまで逞しくなられて…」


「……そ、そう…か……」

「今度は…こちらに触れても宜しいでしょうか?」

「……ああ…」

「これだけ筋肉質でらっしゃると…
 体脂肪率はどの位なのでございましょう?」

「……さあ…?」


 そんな事、どうだっていいだろう
 思わずそう叫びたくなる





 恋人と二人っきり
 待ちに待った、始めての夜

 深夜のベッドの上に裸でいるというシチュエーション
 それなのに…何故、身体測定まがいの事になっているのか


 脱がせておきながら、こんな触り方しかしてこないリノライに不満が積もる

 これではあまりにも色気が無さ過ぎる
 リノライには悪いが、正直言って物足りない



 以前ジュンやレグルスから聞いたものとは大違いだ

 もっと我を失うくらい激しくされると思っていた
 溶けるように甘くて熱い展開を期待していたのに、現実は身体測定

 意気込んでいた分、ギャップに拍子抜けしていた

 リノライの、まさに手探りといった感じの手付きでは物足りなさ過ぎる
 これは技術的なものなのか、それとも自分が不感症なのか―――…


 もしかすると、焦らせようというリノライの作戦なのかも知れないが




「…リノ…ひとつ聞かせてくれ
 これは俗に言う焦らし…というやつなのか?」

「も、申し訳ございません
 どうも加減と申しますか、手際がわからなくて…」

 加減すると愛撫が発育検査になるものなのか
 カイザル自身も経験に乏しい故に、どうとも言えないのだが


 とりあえず現段階で断言出来る事は――…



「僕…やり過ぎくらいで丁度良いかもしれない」

「そのような事を仰られると本当に理性を失ってしまいます
 私は自分でも貴方に対して何をしてしまうかわからなくて…
 ただでさえ技術も知識も乏しくて…加減というものがわからないというのに」


 どうやらリノライは自分自身にセーブをかげ過ぎているらしい
 自制心を手放さないようにしてくれているのは喜ばしい事だ

 しかし―――…暴走されても困るが、
 今の真綿で首を絞められているような状況も何とかしたい



「…僕、欲求不満で暴れ出しそう…」

「そう仰られましても…
 あぁ…私は一体どうすれば…!!」

 どうも煮え切らない

 慎重で保守的な性格と、
 狂気に犯された黒い性格の間で葛藤が起きているらしい


 このままでは埒が明かない
 …それより先に夜が明けてしまう

 ちょっとキレてきた






「…………。
 リノ、ちょっと横になれ」

「えっ…あ、はい」

 即座に横たわるリノライ
 頭で考えたのではなく、反射的に命令に従ったのだろう

 リノライは少し間を置いた後で疑問を抱いた表情を浮かべる


「…ええと…カイザー、何を…?」

「お前がしないというなら僕がするまでだ
 ああ、リノは何もしなくて良い…黙って寝ていろ」



 半ば自棄でリノライのローブに手を掛ける
 重厚な布の中から白い肌が次第に露になってゆく

 滅多に陽の光を浴びない上に運動もしない身体は不健康そのもの
 栄養不足と睡眠不足もそれに拍車をかけ、彼の身体は病的にさえ見えた


 衣類を剥ぎ取られ、剥き出しになった胸に舌を這わせる
 雪のような肌は見た目に反して暖かかった

「…ああ、体温はあるな
 あまりに白いから…冷たいかと思った」

「あっ…あの…カイザー…!!」


 焦りの色を濃く含んだ声
 状況が状況だからだろう、まるで悲鳴のようにさえ聞こえる

 リノライが何を言いたいのか…聞くまでも無い


 立場が逆




 自分が抱きたいのだと、不満も露なリノライの視線が突き刺さる
 抱かれる願望の無いリノライにとって、組み敷かれる事自体に抵抗があるのだろう

「…体勢を…入れ替えさせてはいただけませんか?
 カイザーの手を煩わせなくても…私がお相手をさせて頂きますから…」

 抱かれるくらいなら躊躇いも理性を失うリスクも――…全部放棄


 もぞもぞとカイザルの腕の中から抜け出すと、
 お返しとばかりにその逞しい身体に唇を寄せた

 …ここまで露骨にくると、逆に潔さを感じる
 カイザルは心の中で引きつった笑みを浮かべた



「お前という奴は…
 そんなに僕に抱かれるのが嫌か?」

「いえ…その…お許し下さいませ…
 初めての夜はカイザーを抱きたいと思っておりまして…
 貴方に恋心を抱いた瞬間から夢見ていた事でございますから」

「ふぅん…
 二度目の時は僕が抱いても良いんだな?」

「……意地の悪い…私を困らせて楽しんでおられますね?」


「ふふ…無論、冗談だ
 僕は初めからお前に抱かれる気でいたんだからな」

「…寿命が縮まりました…
 いつもの事ではございますが」

「ふん…どうせ僕はお前の手を焼かせてばかりだ
 中身は全然成長しない…外見だけが育った子供だよ」


 少し拗ね気味に膝を抱える
 実際、一つしか年齢が違わないのにどうして彼と自分ではこうも違うのだろう

 同じ城で育って、同じものを食べて―――…
 生活の殆どを彼と過ごしてきたのに、二人の共通点はあまりに少ない


 ペットも夫婦も、生活を共にしていれば少なからず似てくるものだというのに―――…






「…カイザー…何を考えておいででしょう?
 心、此処にあらずといった様子でございますね
 やはり私の未熟な腕では貴方を満足させる事は不可能なのかも知れません…」

「え――――…?
 ああ、ごめん…何かしてたのか?」


 ふと見ると、リノライが自分の胸に舌を這わせたまま固まっていた

 パッチリと目が合う
 その途端、彼の表情に哀愁が漂い始めた



「…私の愛撫は…されている事に気が付かれないほど味気ないものでございましょうか…」

「あ、いや、そんな事は無いぞ!?
 少し考え事をしていたから気付かなかっただけで…」

「……他の事を考えになるほど、退屈だったのでございますね…?」

「いっ、い、いや…そういうわけではないぞ!?」


 考え事をしている内に、何だか空気が悪い方へ流れ始めた

 …この調子では駄目だ
 もっと集中して、目の前にいるリノライの事だけを考えなければ

 誘ったのは自分からなんだし、
 それに―――…彼と長く過ごせる数少ないチャンスなのだから




「ええと…僕は何をしていれば良いのだろう?
 リノの頭が胸元にあると―――…正直、何をすれば良いのか手持ち無沙汰で…」

 頭でも撫ぜればいいのだろうか
 それとも彼の体を抱き締めた方がいいのだろうか

 どちらもリノライを子ども扱いしているような気がして、妙な気分なのだが―――…


「何もなさらなくて結構でございますよ
 少しでも感じて頂けたら嬉しいとは思いますが…」

「あ、ああ…わかった、そうする…」

 感じれば良い…らしい
 という事は何か声でもあげるべきなのだろうか


 しかし―――…



 べろん

 舌が押し付けられる
 と思ったら次の瞬間には離れて、他の所に再び舌が伸びる

 あっちをパク、こっちをパク…という感じで、
 自分が虫食いの葉っぱになったような気分だ


 ………これ…感じる…のか……?

 微妙
 正直に言って、微妙

 感想は、と聞かれても『舐められてる』としか言い様が無い
 気持ちがいいとか悪いとか、それ以前の問題



「……えーと……」

 どうしよう
 退屈になってきた

 しかしそれを面と向かって言うわけにもいかない


「カイザー?
 如何なさいました?」

「いや、その…
 僕ってどんな味がする?」

「……味は…あまり致しませんが…
 甘い香りがして、大変美味しゅうございますよ」

「そ、そう…か」


 ………。
 ………………。

 どうしよう…場が持たない…
 しかも、睡魔が近付いてくる気配がする




「あ、あ、あの…な、リノ?
 やっぱり僕も何かしたいんだけど…っ」

「カイザーのお手を煩わせるわけには…
 お気持ちだけありがたく受け取らせて頂きます」

「奉仕に徹さなくても良いって!!
 これじゃあ僕、人形みたいじゃないか!!」


 レンたちに言わせるなら、俗に言うマグロ状態というやつだろう
 いくら初めてでも、されるがままというのはプライドが許さない

 中身が幼くても童顔でも、24歳の立派な成人男性なのだ



「…それでは、ズボンを脱いで下さいますか?
 私一人の力では持ち上げる事が出来ないので…」

「ああ、じゃあ…お前も全部脱げ
 二人で裸なら恥ずかしくないだろう?
 昔は良く一緒に風呂にも入った事だし」


 その時とは状況も環境も、まるで違う

 背も伸びたし身体も随分と逞しくなった
 そして、自分の隣に座るリノライは―――…



「…お前は…もっと鍛えた方が良いな…
 昔はもう少し肉付きが良かったように記憶しているが」

「身体を動かす機会がございませんので…」

「そうだな…だが、お前の運動不足も解消されるな
 僕とこうして真夜中の運動に励むのだから――…な」


 実際、かなりの重労働らしい

 下手な運動よりずっと疲れるとレンが言っていた
 が、単調な筋力トレーニングよりも遥かに打ち込めるとも聞いている


「…励めよ?」

「肉体作りには日々の積み重ねが重要でございますから…
 毎晩とまでは行きませんが、少しでも時間を取れるよう努めさせて頂きます」

 少しズレた返答が返ってくる

 それでも一応、頷いてくれたのだから、
 これで退屈で寂しい夜を過ごす回数は少なからず減る事だろう






「それじゃ…来い」


 ベッドの上で手招き

 リノライの腕が遠慮がちに伸びてくる
 が、抱き締められた途端、唇が首筋に押し当てられた

 …遠慮しているようで行動は大胆だ
 背中を抱き締めていた腕も、次第に下へと滑り降りてくる


「…あっ…」

 カイザルが下になる形でベッドに倒れこむ
 リノライの甘い香が鼻腔を掠めた



「…り、リノ…ちょっと待て」

「申し訳ございません
 性急すぎましたでしょうか…無礼をお許し下さい」

「あ、いや、そういう事じゃなくて…
 今更なんだけど…僕、まだ風呂に入ってない」


 リノライの髪からはシャンプーの良い香りがする

 一日中ジャージでも構わないカイザルと違って、
 リノライは身嗜みにも常に気を配る性分なのだ

 当然ながら、身体の清潔を保つ事も忘れない



「知ってるとは思うけれど…
 僕、昨日は貫徹だったんだ
 二日間ずっと椅子に座りっぱなしで」

「ええ…存じております」

「つまり僕、二日も風呂に入ってない
 こんな状態でお前に抱かれるのは…」


 もう既に所々舐められてはいるけれど
 それでも一度気になってしまうと、このまま続けるのも嫌な気がした

 それに、リノライに対しても失礼だし―――…



「…私は一向に構いませんが?
 それにここまで来て御預けを言い渡されるのも辛くて…
 情事を終えてから入浴という事で妥協しては下さいませんか?」

「だっ…駄目!!
 僕は綺麗な状態で抱かれたい
 すぐに済ませてくるから、少しだけ待っててくれないか?」

「…申し訳ございませんが…待てません
 どうしても入浴されるというのでしたら、私も御一緒させて頂きます」


 こんな所で頑固さを発揮されるとは
 腰が低いわりに、自分の意志は最後まで通す――…それが彼の性格だった

 こうなると、どんどん意固地になってくる
 互いの性格を理解し合っている分、タチが悪い





「…わかった、お前も来い」

「はい、ありがとうございます
 私も御手伝いさせて頂きます」


 目的を見つけるとリノライの行動は早い
 肩まで伸びた髪を結い上げると、タオルやコロンなどを用意し始める

 凄い手際の良さだ
 ここもまた有能な補佐官としての才能なのだろう


 既に表情は恋人のものではなく、
 仕事をする時の表情へと変わっている

 リノライらしいと思いながらも少し残念だ



「着替えは要らないからな?」

「ええ、存じております
 さあ浴室が暖まりました」

「あ、ああ…そうだな」

「御足元にご注意下さいませ」


 身体に触れる手つきも、先程までのものとはまるで違う

 完全に介護モードだ

 風呂場で手を出される心配は無いと安心するべきだろうか、
 それとも今夜くらい仕事を忘れろと言ってやるべきだろうか…



「…まあ…良いか…
 風呂くらい、ゆっくり入りたいものだし…」

「カイザー?」

「…何でもない
 背中を流してくれ」

「はい、畏まりました」


 暖かい湯気が立ち込める浴室
 カイザルが肩の力を抜ける数少ない場所だ





「…ふぅ…」

 やっぱり緊張していたらしい
 身体の筋が強張っている

 リノライに湯をかけてもらいながら、
 カイザルはようやく肢体の力を抜く

 緊張を解す為にも風呂に入る選択肢は正しかったのかも知れない


 石鹸の泡を眺めながら、リノライと過ごすこれからの時へ思いを馳せた