朝、騎士団長は姿を見せなかった



 昨日の今日だ
 やっぱり心配になる

 セオフィラスは訓練をこっそり抜け出して、
 騎士団長の部屋へと向かった

 執務室ではなく、寝室の方へ



「…騎士団長殿、起きてらっしゃいますか?」


 ドアを叩く
 しかし幾ら待っても返事は返って来ない

 まだ眠っているのだろうか
 それとも起き上がれないでいるのだろうか


 どちらにしろ、ひと目顔を見ないことには安心できない



「…騎士団長殿、失礼致します…」

 そっとドアを開く

 寝室に入るのは初めての事だ
 緊張に指先が震える


 まさに無骨で堅物、そして生真面目といった内装
 いっそ気持ちが良いほど想像を裏切らない部屋だった

 壁に掛けられた、いくつもの剣と鎧
 机の上には兵法や武術の本が積み上げられている

 見渡す限り、仕事関連のものしか見当たらない
 あまりにも殺風景過ぎる部屋


 せめて花の一輪でも飾ればまだ違うだろうに…




 部屋の主はすぐに見つかった

 彼の体格に合わせた大きなベッド
 その上に見慣れたの姿があった


「…騎士団長殿…」

 疲れているのだろう
 セオフィラスの気配に気付く事もなく眠りについている


 静かな寝息
 数少ない安息の一時

 決して邪魔をしないように


 今日一日、出張準備でお忙しいと皆に伝えておきました
 職務の事は御気に留めず、ゆっくりとお休み下さい
 物入りでしたら遠慮なくお申し付け下さい―――…


 セオフィラスはそう走り書きのメモを残すと、
 物音を立てないようにその場を後にした





「…さて…俺も準備しないとな」


 僅かながら路銀と支度金を支給された

 地図と保存食、あとは薬も必要だ
 でも少しでも節約して―――…


 そうだ、妹に髪飾りのひとつでも買ってやろう
 もしかするとこれが最後になるかも知れないし…

 生きて帰れる保証はないのだ
 何か思い出になるようなものを買ってやりたい


 セオフィラスは町へと足を運んだ
 勿論、騎士の鎧を脱ぎ私服へと着替えてから






 市場は相変わらず賑やかだ


 人々の声は皆、明るい
 戦で傷付き貧しい生活

 それでも笑い続ける逞しさを持っている


 靴を磨く孤児の少女
 手足を失った老人を支えて歩く青年
 崩れた家屋を修復する若者たち――…


 誰もが傷付いている
 それでも懸命に生きている

 ――…微笑んでいる

 彼らを守りたい
 心からそう思う


 自分たちはその為に戦っている
 たとえ一握りの平和でも、一匙の幸福でも

 一瞬の微笑を守るために命を懸ける

 …それでいい
 それこそが自分たちの誇りだ





「―――…セオ!!」


 背後から声が掛かる
 振り返ると同僚の騎士の姿があった


「…ロスチス…どうしたんだ、こんな所で…」

「僕は夜勤担当だから、この時間はオフなんだ
 夜の中庭の警備って何かが出そうで怖いもんだよ
 だから気分転換で久しぶりに海岸を散歩しようと思ったら、
 ちょっと先客がいてね…仕方が無いから市場をぶらぶらしてる」


「…ああ、海岸というとカップルか?
 確かにそれはちょっとな…邪魔しても悪いし」

「カップルなら気にしないよ」

「…じゃあ、何だ?」


「ジュン殿とレン殿がいたんだ
 また変な事故に巻き込まれたくないからね
 そそくさと逃げ出したってわけさ」

「あぁ…確かにそれは逃げた方が利口だ
 俺がお前の立場だったら、やっぱり逃げ出してるだろうな」



 この二人は特に悪い人物ではない

 むしろレンは性格的にも面白い男だし、
 ジュンも礼儀正しい青年で話し相手として好ましい

 しかし―――…彼らには漏れなく余計なオプションがついてくるのだ


 レンと話をすると珍事件に巻き込まれる
 ジュンと話をすると、その恋人であるゴールドに睨まれる

 だから彼らを見かけてもあまり深く話し込まないようにする
 それが騎士団の中での暗黙の了解だった


 わざわざ厄介ごとに頭を突っ込みたくない






「…ジュン殿も大変だろうな…嫉妬深い恋人を持って」

「そーいえばさー…
 以前、ジュン殿をお茶に誘った連中がいてさ、
 そいつらみんなゴールド殿の薬の実験台にされたらしいよ」


 ゴールドならやりかねない
 しかも意図的に毒草を盛りそうだ


「…ゴールド殿だけは敵に回さない方が良いだろうな」

「でもセオはゴールド殿に気に入られてるだろ」

「えっ…そうか?」


 ここ数日、彼と話す機会はよくあったけれど…
 特に気に入られているという印象は受けなかった気がする



「ああ、お前気づいてないの?
 お前ってジュン殿に似てるからさ」

「…それ、たまに言われるけど…
 俺は体格も髪の色も目の色も違うぞ
 どうしても似てるとは思わないんだよな…」


「いや、何と言うか…喋り方とか仕草とかがさ
 それにセオって少し東方の血が入ってるだろ?
 だからそれもあると思うけど―――…でも、やっぱり似てるよ」

「まぁ、確かに祖父が東方の出身だが…
 ふぅ…何だか微妙というか…複雑な心境だな」



「あははは…ほら、その口調がまたジュン殿そっくり!!」

「…そう言われてもな…
 俺は昔からこの喋り方だったし…」


 似てるとか言われても嬉しくない
 寧ろ好奇の目を向けられて迷惑だった

 それでも当分の間、この国を離れる事を思えば多少寂しい気もする




「…じゃあ、俺がいない間は代わりにジュン殿と話してろよ」

「あれ?
 セオどっか行くのか?」


 忘れていた
 一応、この任務は機密情報に分類されていた筈だ

 慌てて場を誤魔化す


「ん…まぁ、ちょっとな
 ちょっと野暮用で国を離れるだけだ」

「へぇ…何の任務?」


「……い、いや、祖父の墓参りだ
 そろそろ命日だから、騎士団長殿に休暇願いを出した所なんだ
 うちは母と妹が家から出られないから…俺しか行ける奴がいなくて」

「へぇ…じゃあ東方へ行くのか
 向こうは景色が綺麗な所が多いって聞くよ
 羨ましい〜…土産買ってくるの忘れんなよ?」

「ああ、何か民芸品でも買ってきてやるよ」



 …後で騎士団長と口裏を合わせておこう


 内心、冷や汗をかくセオフィラス
 騎士団長同様、あまり嘘をつくのは得意ではない

 それでも同期の騎士は信用してくれたらしい




「…じゃあ気をつけてな
 風土病と水には特に注意するんだよ」

「わかってる
 俺がいない間、警備を頼んだぞ」

「オッケー
 見回りは任しとけ」


 互いに手を振り、仲間と別れる
 後ろ髪惹かれる思いを抑え込んだ

 …大丈夫、きっとまた逢える筈だ
 自分は死にに行くわけではないのだから

 ただ、もしもの時を考えて
 出来るだけ身辺は整理しておこう



 …そうだ

 遺書も書いておくべきかも知れない
 もし自分が帰らなかった時の為に

 伝えたい事
 遺したい事


 自分は些細なものしか持っていないけれど
 それでもこの国に生きる一人として

 家族に、友人に、仲間に
 何かがしたいと、そう思った


 自分が確かにここに存在したという、その証として


 俺は歩き回った

 市場、港、小路、そしてディサ城
 この国の全てを目に、記憶に焼き付ける

 ひとつの景色を胸に刻み込む度に胸の奥がずっしりと重くなる
 この胸の中が満ち足りたとき、俺はこの国を後にしよう


 俺はこの日が終わるまで、ディサ国を歩き続けた―――…