「……うーん……」


 手持ち無沙汰
 そして時間を持て余す

 居心地の悪さを感じながら、
 セオフィラスは息苦しい一時を過ごしていた


 元凶は、隣りで爆睡中の大男

 彼――…ノワールは、
 セオフィラスのマントを毛布代わりにして昏々と眠りについていた



「…王子…どうやったら、
 ワイン一杯で潰れられるのですか…」


 共に杯を交わしたのは、つい先程前

 少しアルコールが入ったところで、
 旅に向けての相談でもしようかと思ったのだが

 この王子は杯のワインを飲み干すなり、
 そのままひっくり返って酔い潰れてしまったのだ




 アルコールで真っ赤に染まった頬や耳
 薄く開いた唇から漏れる規則正しい寝息

 暫く待っては見たものの、一向に目を覚ます気配は見られない


 流石にその姿のまま眠らせておくのも不憫に思い、
 装飾や鎧を脱がせてローブ一枚という姿にさせておいた

 風邪を引かせては悪いと思い、
 その上からセオフィラスは自らのマントも掛けてやったのだが――…


 それ以上、特にすることがない

 起こすと悪いので明かりもつけられない
 明かりがないと書類の作成も不可能だ


 こんな時間では他に話し相手もいない
 思いっきり暇になってしまった

 時間を持て余したセオフィラスは呆れ気味に息を吐く



「…ノワール王子…
 貴方本当に、何をしに来たんですか…」


 問いかけても返って来るのは寝息だけ

 これは朝まで起きそうにない
 実に幸せそうな寝顔だ


 落書きの一つでもしてやりたくなる

 それでも一応は釘を刺された身だ
 たとえ寝ているとしても、ノワールに一定の距離をとるよう心がける




「…挑発するな…って言われても…」


 セリに忠告されたときは半ば聞き流していた
 しかし実際にバルバに襲われかけて――…

 そして今度はノワール自身からも警告された
 自分が思っていた以上にワイバーンの事情は深刻らしい

 何せ遺伝子に刻み込まれているというのだから


 流石にバルバの件で懲りた
 ノワールの言葉を蔑ろにするつもりは無い

 これから共に旅に出なければならないのだ
 互いに良好な関係を保つ為にも、それなりの距離は必要なのだろう


 しかし――…





「…あの可愛い生物を触れないのは辛いなぁ…」


 本来の竜の姿

 あの可愛らしさには敵わない
 珍妙で奇怪なのが、また堪らない


 実はこっそりと心の中で、
 竜の姿のノワールに対して『のわるん』という愛称を確立させてしまった

 機会があれば呼んでみたいと思ってるが、
 恐らく本人には気に入られない確信がある


 でもあのキャラはどう見ても『ノワール』より、
 『のわるん』と呼んだ方がしっくりと来る

 …だって…可愛いから



 あまりファンシーな趣味は持ち合わせていないつもりだった
 しかし…あの可愛らしい竜だけは別だ

 思わず抱きしめて頬を摺り寄せたくなる
 あれがこの世で最も嫌いなトカゲの一族だなんて信じられない

 あの愛玩生物を前にして触るな、というのは一種の拷問に近い


「王子…ある意味、私も理性との葛藤です…」


 こうなったらノワールには人の姿を徹底してもらおう
 本来の姿ではセオフィラスの前に現れないと約束して貰わなければ

 じゃないと…理性を抑えられない

 今、ノワールが人の姿で助かった
 これが竜の姿だったら――…恐らく理性など吹っ飛んでいただろう



 互いに共存するためには、
 一体どのくらいの距離で接するべきなのか

 そのボーダーラインを考えながら、
 セオフィラスは洞穴の床に寝転がる

 しかし眠りを中断されていた彼は、
 程なくして睡魔に襲われたのだった







 翌朝

 セオフィラスは、
 ヒステリックな少年の声で目覚めた



「き…貴様ぁ―――…っ!!
 い、一体、王子に何をしたっ!?」


 目を開ければ部屋の入り口で、
 真っ赤な顔で立ち尽くす美少年

 硬く握り締めた両手は微かに震えている



「あ…セリ殿、お早うございます」

「あ、ああ、おはよ――…じゃない!!
 悠長に挨拶なんかしている場合かっ!!
 貴様、昨夜王子に何をしたんだっ!!」


「…何を…って、特に何もしてませんが…」

「じゃあ何で二人揃って、そんな薄着なんだっ!?
 いや、それ以前にどうして王子が貴様の部屋にいる!?」



 思春期の少年は想像力も逞しい
 自分とノワールで、何だか凄い想像をしているようだ

 セオフィラスは思わず苦笑を浮かべる


「どうして…って、王子の方から私の寝床に来たんですよ
 どちらかと言えは寝込みを襲われかかった私の方が被害者です
 ……あ、ご心配なく
 何事も無く健全な夜を過ごしましたから」


 新たな騒動を引き起こしそうなので、
 うっかり剣で斬りかかってしまった事は伏せておく



「…じ、じゃあ…何でそんなに薄着なんだ」

「何でって…野宿じゃないんですから
 安全な室内で寝る時くらい、
 重苦しい鎧から解放されても良いじゃないですか」


「…う…ま、まぁ…筋は通ってるな……」

「そうでしょう?
 もう少し信用して下さいって」


 しぶしぶ、といった面持ちで頷くセリ

 バツが悪いのか視線はセオフィラスではなく、
 未だに横たわって眠りこけているノワールへと向けられる



「…そういえば、セリ殿は何の用事で?」

「あ…ああ、そうだった
 そろそろ旅に出発するのだろう?
 餞別も持たせずに送り出すのは心苦しいと、
 寛大な王のお考えで、鉱山発掘の許しが出た」


「……餞別…鉱山……?」

「裏の山には多大な量の鉱物が埋まっている
 欲に満ちた人族どもに悪用されぬよう、
 王族が代々封印してきたのだが…今回は特例だ」


「は、はぁ…それはどうも…」

「ただ我々と人族では価値観が違う
 鉱物の換金額に関しては全くわからん
 だから貴様が最も高値で取引出来る物を選んで持って行け」



 外に用意してある、と言い残して
 セリはさっさと踵を返してしまう

 後を追って行こうとも思ったが、
 眠ったままのノワールをこの場に放置するわけにも行かない



 とにかく彼を起こさなければ

 しかし―――…どうやって?
 あれだけ騒いでいたセリの声でも起きなかったノワール

 果たして自分が呼びかけた程度で起きてくれるのか






「…お、王子…ノワール王子」

「……ぐー……」


「ノワール王子ぃ―――…」

「くか―――…」


 ………。
 ……………。

 起きやがらねぇ


 爬虫類だから低血圧?
 それとも単に寝起きが悪いだけ?

 どちらにしろ、俺は一体どうすれば…


 触っちゃダメなんだよな
 でもこれは物理的手段を与えなきゃ起きそうにもないし

 でも、たかが目覚めさせるだけの為に、
 貞操の危険を冒すような真似はしたくない――…


 …………。

 よし、仕方が無い
 かくなる上は――…




「…王子、お早うございますっ!!」

 俺は道具袋を両手で抱え上げる
 そして、それを王子に向かって思いっきり放り投げた


 どすっ

「ぐえっ」


 カエルの潰れるような、
 かすれ気味の鈍い声が響く


 ちなみに、袋の中には食料や薬の他に、
 野宿用のサバイバル道具一式が入っている

 金属等の硬い物や尖ったものは抜いておいたが、
 それでも実は、かなり重かったりする


 ちょっと危険な行為だが、
 一応あれでも竜だし大丈夫だろう



「……ぐへ……」


 やや間を置いて

 荷物の下から、
 もぞもぞと這い出てくる一人の男

 …良かった
 潰れてなかった



「…せ、セオフィラス…
 もう少し…平和な起こし方は…」

「だって、触ってはいけないのでしょう?
 だったら何か手頃な物を投げつけて起こすか、
 棒のような物で突く位しか出来ないじゃないですか」


「オレ、王子だって事…忘れられてないか…?」

「忘れてなんかいませんよ
 全てを理解した上での行動です」

「………………。」


 何かを言いたげな視線を向けられる

 ――…が、何となく言いたい事はわかるので気にしない
 それよりも外で用事を済ませなければ






「王子、先程セリ殿が参られまして
 路銀代わりに鉱物を下さるそうです
 というわけですので、早く行きましょう」

「………お、オレも行くのか?」


 外に出たことがないノワール
 期待と不安で心が揺れる

 しかしセオフィラスと一緒なら、
 初めての外も楽しいものになるかも知れない



 それに、他ならぬ彼が自分を誘ったのだ
 これを断っては男が廃る

 そう、自分は今―――…
 セオフィラスに誘われた、求められているのだ


 不安が無いといえば嘘になるが、
 ふつふつと湧き上がる使命感

 そして生まれて初めて感じる誇らしさ



「よ…よし、お、オレも一緒に行くぞ
 そっ…そ、それで本当に良いんだな!?」

「ええ、良いに決まってるじゃないですか
 だって運搬係は多い方が良いじゃないですか
 鉱物って石ですから、一人で持つのは重いですよ」


 …………。

 …………………。


「……運搬係…か……」


 どうせなら『もう少し一緒にいたいから』と言って欲しかった

 そうでなければ、せめて、
 『鉱山は王族の管理に置かれているから』とでも言って欲しかった


 見え透いたお世辞を言われるよりはマシだが、
 複雑な感情を抱えた男心は、ちょっぴり傷ついた

 それでも

 よく考えてみればそれは、
 自分は力面で期待されているという事で





「よ、よしセオフィラス!!
 荷物持ちはオレに任せろ!!」

「……王子…?」


「オレだって一応は竜の端くれだ
 力なら人族に負けない
 というより太古の時代から、
 力仕事はオレたち竜の仕事だったんだ」

「…は、はぁ…そうだったらしいですね…」


「だから、荷物は全部オレが持つ
 力面で人族を支えるのが竜族としての本来の役目だ」

「ぜ、全部って…
 流石にそれはちょっと…」



 セオフィラスだって一応は騎士だ
 力だって人並み以上あると自負している

 いくら相手が竜だからと言って、
 力仕事を全て彼に委ねるのは如何なものか


「オレたちにはそれぞれ得て不得手がある
 オレは力仕事面でお前をサポートする
 お前はその他の面でオレをサポートしてくれ」

「そうは仰られましても…
 私も人の中では肉体派の部類で、
 その…恥ずかしながら学力の方は…」


 日頃から剣の修行ばかりで頭の方は衰える一方だ

 頭脳面を求められても、
 それに応えられる自信が無い



「いや、学力というか…
 お前に頼みたいのは器用さだ」

「き、器用さ…?」


「オレたち竜族は細かい作業を最も苦手としている
 一応人型に模してはあるものの、
 やはり指先を細かく動かす事は苦手だ」

「は、はぁ…」


「それに、お前たち人族の道具を扱う事にも慣れていない
 だからお前はオレの代わりに細かい作業をこなしてくれたり、
 使い方のわからない道具の使用方法を教えてくれ
 ついでに人族の生活習慣や文化も
 調べて来いと言われているから、その辺も宜しく頼む」



 ええと…細かい作業、は良しとして
 つまり他に自分が彼にする事というのは…

 自分がバルバにワイバーンの文化や習性を聞いたように、
 今度は自分がノワールに対して人の事を教えろと…




 だ、大丈夫だろうか

 自慢じゃないけれど、
 自分は自他共に認める貧乏性だ

 いや、実際に貧乏なわけなのだが


 下手をすれば自分のせいで
 人族が物凄く卑しくてケチな種族だと思われてしまうハメに…!!

 そして自分が彼に伝えた事が、
 ノワールの口を通して、彼らの資料に残ってしまう事になる


 ―――――…責任、重大



「ひぃえええ〜…」


 迂闊な真似は出来ない

 うっかり間違った事を教えてしまえば、
 ワイバーン族全員に謝った知識が伝わってしまう事になる


 その責任の重さを初めて感じるセオフィラス
 まさか、自分がそこまでの役目を担うとまでは思っていなかった

 ずっしりと圧し掛かるプレッシャーと責任感に、
 セオフィラスは先行きの不安を感じざるを得なかった