東鳩SS外伝「さようなら・・・」前編 投稿者:佐藤 昌斗

 東  原作 風見 
 鳩       ひなた
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                           東鳩       
                            Security                                     
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                             外伝「さよう
                                   なら…」

                                 著 佐藤 昌斗                                            

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 ここ―爪の塔、通称『塔』と呼ばれるある施設の一角で、黒を基調とした服を纏った三人
の男が、ある男の噂話―いや、陰口と言った方がより正確だろう―をしていた。
「おい、聞いたか? また奴が、任務を”処理”したらしいぜ」
「ああっ。何でも今回は偶然居合わせた親子も、任務を見られてからって”ついで”に処
理したらしいって、聞いたが…」
「ああっ、それは俺も聞いた。何でも、子供だけは助けてくれ、って母親が泣いて頼んだの
を、いつもと”同じように”処理したらしい。いくら任務とはいえ…」
「おっ、おい。…噂をすれば何とやら、だ。見ろよ、奴だ…」
 と、他の二人に目配せし視線を送る先に、三人の陰口の対象である男が目の前の通路を丁
度通りかかるところだった。
 その男は、ここにいる三人と同じく黒を基調とした衣服で身を纏い、手には一振りの質素
な鞘に収められた刀を持っており、顔には三人が密かに通称として呼ぶサーカスの『道化師
(ピエロ)』と同じような、何処か作り物めいた笑みを浮かべていた。
 三人は、男が通り過ぎるのを無言で見送った―否、見送るしかなかった。何故なら、この
三人が例え束になってかかろうとも、男にはかすり傷一つ負わせることなど、到底不可能だ
からだ。それほどまでに実力の差があることを、三人は一度だけ男の任務に同行したとき、
嫌になるほど思い知らされていたのだった。任務を終えて無事に戻れたとき、三人は生きて
ることを、信じてもいない神に祈るほどであった。
「…ふぅ。…やっと行ったか…」
「ああっ、そうみたいだな…」
「そ、そろそろ休憩を止めて、任務に戻るか?」
 三人は、いつの間にか顔に浮かんだ冷や汗を拭うとお互い頷き、任務に戻るためにこの場
を後にした。
 
 一方、話題の主であった男―佐藤昌斗は、自分の上司に報告を終え、着替えて自宅に帰る
ためにロッカールームに向かう途中であった。
 ロッカールームに着き、入ろうとしたその時、昌斗は同じ様な黒服を纏った男に呼び止め
られた。
「佐藤…お前に、一つ聞きたいことがある」
「はい? 何でしょうか…ウェイさん?」
 ウェイ(Hi-wait)とは、最近『塔』に入ってきた男でかなりの実力者と評判であ
った。
 が、しかし、二人は単に同僚と言うだけで特に会話するような間柄ではない。しかも、必
要がなければ誰とも話そうとしないと聞く、ウェイの方から話し掛けるなどどういう風の吹
き回しであろうか?
「今回の任務で、親子を…処理したというのは本当か?」
 そう言うウェイの表情(かお)は、いつも―と言うほど二人は付き合いはないが―と違い
ほんの僅かであるが、怒りが見て取れると昌斗は感じた。だが、それに躊躇することなく至
極当然であるかのように、
「えぇ、本当です。任務遂行中の姿を目撃されましたからね。…それが何か?」
 いつものごとく笑みを浮かべ、何故そんなことを聞くのか?と言う風な顔で昌斗はウェイ
に言う。
「…解った。貴様には…”正義”が無いようだ」
 それだけ言うとウェイは、普通の人間がそれだけで気絶できそうな視線を一瞬だけ送り、
背を向けてこの場を去ろうとする。
 遠ざかるウェイの背中に昌斗は、相変わらずの笑みを浮かべ、
「俺の”正義”は…『塔』ですよ」
 と、投げかけるように言った。その声が聞こえたのかウェイは一瞬だけ立ち止まるが、し
かし、振り返ることなく通路の奥へと姿を消した。


                            

                    *


 
 着替えを済ますと昌斗は、 一路自宅に向かい隆山の街を歩き出した。ふと見上げると、
夜空には満点の美しい星が広がっている。しかし、人々の心を和ますようなこの夜空も昌斗
にとっては、自分の能力を生かせるかどうかでしかない。
(今夜は、俺向きのようですね…)
 そう確認するとまた、歩き出す。昌斗の家は普通なら、バイクか車にでも乗らなければな
らないほど、ここからだと距離がある。但し、”普通”ならだ。
 昌斗は代々、『塔』に仕えてきた家柄の子孫で、子供の頃から父親である先代の”影使い”
に、「何時如何なる時でも訓練と周囲の警戒、それに自分の状態確認を怠るな」と言われて
育ってきた。
 そのため、己の持つ”力”である「影を使う」ための条件の確認を常に心がけている、と
いうわけだ。そして、いつでも鍛錬のために家までの距離を歩いて帰ることにしていた。
 ふと今が何時だろうと思い、昌斗は腕にしたデジタル時計を見た。昌斗はデジタル意外の
時計をしない。その理由は、微かに音が出てしまうからだ。隠密を信条とする”仕事”には、
僅かな音でも命取りに成りかねない。
「ふむ…。もう少し遅くても良いみたいですね」
 と呟き、時間を確認すると昌斗は丁度近くにあった喫茶店へ寄ることにした。

「あっ…いらっしゃいませ〜…」
 カランカラ〜ンと、ドアに突いた鐘が音を立てドアが開くのを見て、エプロンをした年の
若いウェイトレスが、店に入ってきた昌斗にもう疲れているのか、今一つ元気のない声で言
った。昌斗が手近な窓側の席に座ると、
「ご注文をどうぞ…」
 いかにも事務的に―否、不機嫌ですらある声でウェイトレスは注文を尋ねる。
「じゃあ…コーヒーをアメリカンで」
「は〜い。マスター、アメリカン一つです」
 注文をカウンターにいる男−マスターに言うと、ウェイトレスは足早にカウンターの方に
戻って行く。昌斗は去り際にウェイトレスが、何で閉店間際に来るのよ、と呟くのを聞き思
わず肩を竦(すく)めた。
 いつもの癖で、どんな客が店の中にいるのかをざっと見回してみると、時間的に空いてい
るのか、どうやらあまり人数はいないらしく、見たところ普通の客しかいないようだ。 
 昌斗は、コーヒーを待つ間することが無いので、何とはなしに店の窓ガラスから夜なお明
るい隆山の街の風景を眺めた。『聖地』と呼ばれ、化け物が他のどの地域よりも多く出没す
る場所とはいえ、それでも人通りはけして少なくはない。
 恋人と仲睦まじく連れ歩くカップル、会社帰りのサラリーマン、刺激を求めて街を彷徨う
若者…等々、ちょっと見ただけでも様々な人間が歩いている。もちろん、一見しただけでは
分からないが昌斗と”同じ”か、”それに近い者”も中にはいるだろう。
 ふと、昌斗の視線が止まった。その先にいたのは、食事でもして帰る途中なのだろう仲睦
まじく寄り添うようにして歩いている、三人の親子連れだった。
(…あの場にさえいなければ、あの人達もあんな風に過ごせていたでしょうに…)
 昌斗は外に見える親子連れを見て、任務で”処理”したあの親子のことを思い返していた。


 ―それは、ほんの偶然だった。
 ―自分達が追う、”ターゲット”が逃げた先に、買い物帰りと明らかに解る親子が”居た”
のは。

 ターゲットは昌斗と同じ任務に就いていた二人に向かい、恐怖のため口も利けず、なすが
ままの親子を盾にして、こう叫んだ。
「動くな! 動けばこいつらがどうなっても知らんぞ!!」
 と。他の二人は明らかに動揺していたが、何とかターゲットと、親子を引き離そうと隙を
伺ってもいた。
 一方昌斗は、全然躊躇せずにターゲットにゆっくりと近づいて行く。
「動くな!! 俺は本気だ!!」
 一人近づいてくるのを見て、ターゲットは再度叫んだ。だが、確かに声は聞こえているは
ずだが昌斗は止まる気配も、そして動揺すら見せない。
「おっ、おい!」
「あまり刺激するな!」
 と、この行動に黙りかねたのか二人は昌斗に向かって注意を促す。すると、やっと聞く気
になったのか、昌斗はやがて、ターゲットと数メートルの距離で立ち止まった。
「はっ、ははははっ!! そうだ、それでいい!! …俺が逃げるまでおかしなまねはする
なよ」
 昌斗が立ち止まったのを見ると、ターゲットは歓喜の笑いを上げそう言うと、この場から
の逃走を図った。…が、
「何だ? かっ、身体が動かん?!」
 逃げようと身体を動かしているつもりだが、何故か身体はぴくりとも動かない。それを察
してか、捕まっていた親子は、何とかターゲットの腕を逃れ逃ることに成功した。しかし、
少し離れることができただけで、腰が抜けたのか抱き合ったままその場に座り込んでしまっ
た。
「すみませんね。俺も仕事ですから、逃がすワケには行かないんですよ」
 はっ、としてターゲットが振り向くとそこには、いつの間にか間近まで来ている昌斗がい
た。
 そして昌斗の手には、何時の間に抜いたのか抜き身の日本刀を振り上げていた。”それ”
は、こぼれ落ちたかのように隙間を塗って射す夕焼けを受け、血のように紅く光って見えた。
「さようなら…」
 昌斗は相変わらずの笑みを浮かべたままそう、一言だけ言うと、躊躇無く刀を振り降ろし
た。
「ぎゃあああああああああああっ!!!! しっ、死にたく…な…ぃ…」
 それが、ターゲットの発したこの世で最後の言葉だった。
 昌斗は、崩れ落ちるように倒れるかつてターゲット”だったモノ”を横目で捕らえながら、
刃に付着した血を拭うために刀を一振りした。
 ビュッ、という空を切る音とほぼ同時に、ビチャッ、と音を立て付着していた血が地面に
飛び散った。
「…ひっひぃぃいいいいぃ!!!!」
 と、突然の悲鳴に、あまりの手際に呆然としていた二人と昌斗が目を向けると、そこには、
先程払った血が付いて我に返ったのか、顔に血の付着した母親が、すでに気絶している子供
を庇うように抱きかかえ、ガタガタと震えながらも、怯えきった瞳で気丈に三人を見つめて
いた。
「そう言えば…貴女達がいたんでしたね」
 昌斗はそう、思いだしたように言うと、さして離れていない親子の方に向かってゆっくり
と近付いて行った。
 それに気が付くと、母親は抱き抱えた子供を庇うようにし、昌斗に向かって悲鳴に近い−
否、悲鳴そのものな声で哀願した。
「おっ、お願いです!! わっ、私はどうなっても構いません!! …ですが、この子だけ
は…この子だけは助けて下さい!!!!」
 と。しかし、普通の人間なら確実に心動かされるような母親の叫びも、”普通でない”表
面だけの、造り物の笑顔を浮かべるこの男には、”届かなかった”。
「…すみませんね。見逃したいところなんですが、俺も仕事なんですよ。恨むなら…ここに
”居た”ことを恨んで下さい」
 と、少しもそう思っていないだろう謝りの言葉を言うと、無慈悲に、いつもの笑みを浮か
べたまま昌斗は刀を一振りした。
 悲鳴を上げる間も、そして、避ける暇もなく刃は母親を切り裂く。母親は何とか胸に抱い
た子供だけは無事に守れたのを確認すると、それっきり二度と”動かなくなった”。
「さて…一人取り残されてはこの子も可哀想ですね…」
 そう言うと、昌斗は母親の腕から転げ落ちるように近くに倒れている、子供に向き直った。
「おいっ!? まさか子供まで殺す気か?!」
 子供に向き直ったのに気付き、仲間の一人が止めさせようと昌斗の腕を慌てて掴む。それ
を見て、もう一人が子供を保護しようと動いた…が、
「…我が命を聞け影よ…『影縛』」
 と、昌斗が呟くと二人の動きはぴたり、と止まった。それを見ると昌斗は、掴まれた腕を
静かに外し子供に近づいた。そして、丁度心臓の真上に来るように刀を持って行くと…。
「貴様!? 何を考えている?!」
「止めろ!!」
 必死になってどうにか動こうとし、止めさせようと叫ぶ二人をよそに、昌斗は子供に一言、
「さようなら…」
 とだけ呟くと、刀を子供の身体に突き立てた。子供の身体は一瞬、ビクッ、と痙攣したか
と思うと、それっきり動かなくなった…。
                                                       
「…さん、お客さん!」
「…何ですか?」
 珍しく考え込んでいたらしく、突然−と言っても単に昌斗が気付かなかっただけだが−聞
こえてきたウェイトレスの声に、しばし考えた後顔を向けて尋ねる。
「もう、閉店なんですけど…」
 そのウェイトレスの言葉に、店内を見回してみるとすでに客は昌斗だけとなっていた。し
かも、テーブルの上は何時来たのか冷め切ったコーヒーが置かれていた。
(…やれやれ、今日はどうかしてますね)
 と苦笑いしつつ思うと、冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干し会計を済ませて喫茶店
を出た。
 腕時計を見ると、先程確認したときより一時間以上過ぎており、街も人通りが疎らとなっ
ていた。
「さて…少し急ぐとしますか…」
  

                      
                     *


 昌斗の家は、一見して普通の二階建てと何ら変わった所はない。何故ならそれは、表向き
は普通の生活をしていることになっているからだ。
 代々『塔』に仕える家柄とはいえ、一昔ならいざ知らず、現代では人と係わりを絶ち暮ら
すことは不可能に近い。
 変に詮索されては、任務にも支障が出る…となれば、方法は限られてくる。昌斗達一族が
採った方法は、表向きは普通の生活を送るという二重生活であった。だからこそ、帰る時間
一つにも気を使わなくてはならないのだった。
「あら、今お帰りですか?」
「えぇ。今日はちょっと残業してまして…。それより、そちらこそどうしたんですか、こん
な時間まで?」
 家の前に着いたとき丁度、隣の住人も帰ってきたところらしく、普段は気さくな会社員を
演じている昌斗は、暫しの間会話に話を咲かせる”振り”をした。
  一見して弾んでるように見える会話だが、そこにあるのは偽りでしかない。昌斗にある
のは義務感にも似たものだけで、それ以外には何も存在しない…。
「では、これで」
「ええっ」
 話が終わると、二人は互いに会釈して別れた。

 鍵を開け玄関のドアを開けると、そこに広がるのは家族が待つ暖かみに溢れた空間…等で
はなく、沈黙と暗闇が待つ、冷たい空間であった。
 昌斗に家族はいない。それは、彼が”影使い”を継いだ”その日から”のことだった。
「ふぅ…」
 部屋の電気を点け、ジャケットを脱いで傍らに放り、ソファーに腰掛けると自然に溜息が
漏れる。自宅にいるときが昌斗の、唯一気を抜けるときであった。
「さて…晩御飯でも作りますか」
 そう呟くとキッチンへと料理をするために向かう。意外なことだが、昌斗は家事をきちん
とこなす方である。そうする理由は、単に自分の他にする者がいないこと、そして、他人の
介入を拒むためである。
 しかし、その他にも家事をすることで僅かであるが”普通の暮らし”を感じたいというの
もあるのかもしれない。無論、本人は否定するだろうが…。
 
 独りの、いつもと変わらぬ食事を終え食器を片付けると、この家で唯一”普通”と違う場
所である地下へと、昌斗は日課にしている訓練のために降りて行った。
 そこはコンクリートで壁や床が覆われた、いかにも無機質な感じのする場所であった。
 しかし同時に、奥の方を見ると、まるでそこだけ別の空間であるかのように木造の板間と
神棚らしきものがあり、そこに”一振りの刀”が置かれているという、不思議な場所でもあ
った。
 しかし、それよりも目を引くものがあった。それは、コンクリートの床に広がる”赤黒い
染み”である。”それ”は、もうかなり時が立っているらしく、すでに洗い落とせなくなっ
ているようだった。もっとも、もし落とせたとしても昌斗には、洗い落とすつもりはなかっ
たが…。
 暫くの間床のシミを凝視した後、昌斗は幼い頃からしてきた代々伝わる独自の訓練を始め
た。

 訓練を終え、大量の汗をかいた昌斗は風呂に入り汗を流すと、寝ることにした。それは、
いつもならばもう少し起きているところだが、今日は何故か、いつもより疲れを感じていた
からだった。
 自室のベットに横になり暫くの間、見慣れた天井を眺めていたが、昌斗はいつの間にか深
い眠りへと落ちて行った…。