東鳩ss異録『再会は血の匂い』 投稿者:智波  投稿日:06月28日(日)08時50分35秒

====based novel by hinata kazaMi
                                     ====a main actOr is himeroku

                       再   会  は 血 の  匂   い                     

            ====a maNager is maSata
  ====wriTtEn by chinami yuki
                                         ====a main actRess IS SUIKA

====Side A

  その建物はみすぼらしく、雨に濡れていた。
  壁は罅割れ、落書きされている。きっと中では水漏れしている事だろう。
  僕はそれでも胸を張って、この建物を扉をくぐらなくてならなかった。
  ここが今日から、僕の家なのだ。

  事の発端はほんの数日前、あの事件にまで溯る。
  実のところ、僕が話したくなければ話さなくても良い。話したいとも思わな
い事件だ。でもやっぱり話そう。そうでないと、どうして僕がここにいるのか
が分からなくなってしまう。

  ありふれた事件だ。
  何処にでもありふれている事件で、結末までありふれている。
  ありふれた化物が出て、犠牲者が出た。化物は世界を滅ぼすでもなく、駆け
つけたハンターによってあっさりと倒され、生存者は一人。
  そう、ありふれてりいる。
  そのたった一人の生存者が僕であり、これからは孤児院で暮していくしかな
い。身内と呼べる人間は僕の家族にはいなかった。

  だからこれからはこのおんぼろの建物が僕の家になる。

「こんにちは、ひめろくさん」
  彼女はにっこりと笑ってそこにいた。
「水禍というのよ。よろしくね」
  年の頃は一六か、十七か?  どちらにしろ僕よりずっと年上の、そしてこれ
からは、そう、姉と呼ぶべき女性だった。

  彼女はひめろくにとっては例え様も無く美しい女性だった。
  姉というには遠すぎ、他人というには近すぎ……、母というには美しすぎた。
彼女は誰にでも優しく、孤児院の言わばアイドルというやつであった。しかし
偶像と言うには彼女はあまりにも近い存在だった。

「僕は大きくなったらハンターになるんだ!」
  僕はいつも水禍にそう語っていた。
「ひめろくさんなら、きっとなれるわね」
  そうすると、水禍はいつも微笑んで、そう言うのだ。そして僕は不思議に思
う。どうして水禍お姉ちゃんはあんな悲しそうな顔で笑うのだろう?と。


====Side B

  速いっ!
  一瞬だけ視界の端で捉えたはずの影はあっという間に路地の向こうに消えて
いた。
  我々はお互いに見知らぬ路地に飛び込んだ……、それが命懸けの追走劇であ
る場合、有利なのは逃亡者である。命懸けで無い場合、追撃者がいずれ逃走者
を追い込んで捕まえるだろう。
  じゃあ、命懸けで無い追走劇があるとでも!?
  ひめろくは影が消えた角に走り込んで、背をつけ、手の中のストーンを握り
締めて角の向こうに飛び出した。
  無人!  遠くでまた角を曲がる影が見える。
  だからって待ち伏せも警戒しなきゃいけない。このままじゃ振り切られる!
  ひめろくは全力で路地を駆け抜け、影が飛び込んだと思しき角に飛び込んだ。
もはや躊躇してられる状態ではなかった。この化物はすでに五人を殺し、ここ
で逃がせばさらに殺すだろう。
  角を曲がり終えた瞬間、ひめろくはやったと思った。

  そこは袋小路であった。

  そして人影がそこに立っていた。

  総てが反転し、ひめろくは思わず叫びそうになりながら――しかし実際に出
せたのは情けないくらい掠れた声だった。
「水禍、さん?  どうしてここ、に?」
「……ひめろくさんに会いたかったから……」
  水禍の声も掠れていた。
  ああ、最後に会って、どれくらい経っているだろう。七年?
  七年という時はこれほどまでにひめろくを変えたというのに、水禍は依然変
わらないように見えた。長かった髪は短くなり、あの頃の生気も何処か失われ
ていたが、それはこの世界に生きる以上仕方の無い事のように思えた。
  それにしても、この再会は祝うべきだ。

  その時、水禍の後ろで、ゆっくりと化物がその鎌首を擡げた。

  ひめろくが気がついた時、化物はその生物学上にも間違った大きさの口を広
げ、二人を丸ごと飲み込もうと突進してきた。
  醜いな。
  ひめろくはそう思った。
  頭は巨大、しかし首はひょろ長く、その下には樽のような体と、六本の足。
それも甲殻生物の足だ。足だけが、そうで、それ以外は哺乳類のような肌をし
ている。異形すぎて、不気味ささえ感じない。ただ醜いだけだ。

  それにしても六本足での移動速度には目を見張るものがあった。

  ひめろくは前に飛び出して、左手で水禍を抱いた。そのまま、体をずらしつ
つ、右手を、ストーンを握る右手を化物に向けて突き出した。そのまさにその
瞬間、ひめろくに食らいつこうとした化物の口がひめろくの直前で弾かれる。
「潰れてくれ」
  ひめろくがそう言った瞬間、力のフィールドに囚われた化物は一メートル四
方の肉塊になった。
  血は飛び散らなかった。


====Side A

  嵐の夜だった。
  耳障りな雨の音の中で、そいつは生まれた。
  望むにしろ、望まなかったにしろ、生まれてきたからには、そいつは活動を
開始した。

  翌朝、雨の音で目覚めた僕は周りの様子がいつもと違う事に気がついた。
  理由はすぐに分かった。
  化物が現れたのだ。

  詳しい話を聞いたわけではなかった、しかし、まだ化物が倒されていないこ
と、何人かの犠牲者が出た事は何とか分かった。それだけで十分だった。
  孤児院の自分を認めてくれない連中を見返すにはこれしか無いと思ったのだ。
  つまり、一人で化物を倒す。
  できそうな気がしていた。

  もちろん、何の確信の理由も無く、単なる妄想だった。

  孤児院を抜け出す方法と言うものは誰でも知っているものだとすぐに知った。
誰でも知っているから、普段は使わないと言う理屈も子供心に理解していた。
そして使う時はいまだと言う事も分かっていた。

  そして僕は木立に隠れて見えないフェンスの穴から、外の世界に飛び出した。

  もちろん僕が知る由も無かった事はたくさんあった。

  僕が出て行くところを見ていた女の子の事や、

  犠牲者のほとんどが僕のいる孤児院の人間だった事や、

  化物はそれほど遠くには行ってないだろうと言うハンターの推測や……。


====Side B

  ひめろくが目覚めたのは、いつもよりずっと遅かった。
  昨晩は大騒ぎだったのだ。
  そもそも、なにかと理由を見つけては、騒ぎたがる連中が、水禍の存在を見
逃すはずも無く。そのまま、「ひめろくの元彼女出現パーティー」とか言う、
理解不能な騒ぎが繰り広げられ――ハンター稼業と言うのは常に死と隣り合わ
せな為、騒げる時に騒ぎ、楽しめる時に楽しんでおく者が多い――それが明け
方まで続いたのだった。
  もう少し寝たい。
  頭ががんがんする。
  よくは覚えていないが、相当酒も飲まされた事だろう。
  だから、もう一眠り。
  そう思って毛布に包まろうとしたひめろくにふと、柔らかいものが触れた。
  ……一瞬の硬直。
  目の前いっぱいに広がっていたのは、毛布に包まった一糸纏わぬ――かどう
かは分からないが、少なくとも上着は脱いでいる水禍の寝姿だった。
「あ、あ、……」
  ひめろくは混乱の最中にいた。
  七年前の事とは言え、水禍が初恋の相手であった事に変わりはない。その人
がほとんど全裸に近い格好――だとひめろくは信じて疑わない――でそこに眠っ
ているのだ。安らかな寝息を立て、体を彼に預け。
  どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく、どく………。
  跳ね回る心臓に、音を立てないでくれと祈りながら、ひめろくはゆっくりと
水禍に手を伸ばした……。

  ――ばんっ!
「大変だ!  ひめろく!  ――――すまん、後で良い」

  もちろん、すでに後の祭りだった。
  扉の開く大きな音に水禍が呻き声をあげて反応したからだ。
  ひめろくは慌てて――しかし水禍を起こさないようにそっとベッドから降り、
服を着た。

「で、何があったの?」
  一番気まずそうにひめろくが尋ねた。
  ところが一同は押し黙っている。
  皆が仲間と言えるハンター達だ。誰もがこんな意気消沈しているところは見
た事が無い。
「どうしたのさ?」
  やがてひめろくより年下のハンター――帳(とばり)――が、ある扉を顎で
しゃくった。
  知っている。佐香奈の部屋だ。それほどストーンの扱いが得意と言うわけで
はなかったが、その明るい性格で皆のムードメーカーだった。同時にアイドル
でもあった。
「……死んでる」
「……へ?」
  思わずその場から動けない。
「死んでるんだよ。佐香奈が。死因は呼吸困難、絞殺じゃなくて顔に枕かなに
かを押し当てられたらしい」
  わざわざ死因を説明する辺り、彼も現実を見つめようと努力している途中な
のだろう。
「な、なんで?」
「理由なんて分からないさ」
  ここではリーダー格のハンター――木通(あけび)――が呟いた。そう言え
ば彼は佐香奈がいたくお気に入りだった。
「殺人、なのか?」
「化物ならこんな凝った殺し方はしないさ」
  そう言ったのは羽角(はずみ)で、閼伽詫(あかた)は椅子に座ったまま、
俯いている。そうか、彼は佐香奈に相当参ってたんだな。
「そういや愛美はいないんだね」
「愛美なら、おまえが潰れるちょっと前に帰ったよ」
  木通が挟んだ口に、帳がさらに割り込んだ。
「佐香奈は寝る時は絶対に部屋の鍵はかけていた」
「しかし昨日は酔っていた」
  帳が苦笑する。
「木通、あんた、佐香奈が寝た後で、彼女の部屋に入ろうとしてたじゃないか」
「……そういや、そんな気もするな」
  木通は帳に合わせるように苦笑する。
「しかし朝には開いていた。佐香奈ちゃんが開けたんだろうな」
「どうして?」
「どうして?  理由は分からないさ。犯人は佐香奈ちゃんを殺そうとして部屋
に入ろうとしたんだろうがね」
  羽角が椅子に座ったまま肩を竦めてみせる。
「佐香奈ちゃんの事だ。あっさりとドアを開ける事はあるまい」
「でも酔っていたからな」
「まあ、警察に任せよう。化物が関わってないんじゃ僕等の管轄じゃないよ」
  羽角が肩を竦めて、ひめろくに同意した。


====Side A

  少女にはどうすれば良いのか分からなかった。
  ひめろくが外に出るのを見てしまったのである。
  いけない事だと思った。
  悪い事をしたのだ。
  それでも少女は迷った。
  言うべきなのだ。誰かに言うべきなのだ。
  それは分かっている。
  それでも彼が後で叱られるのは見たくなかった。
  私のせいで叱られるのは特に……。


====Side B

「黙って俺の話を聞け、いや、適当に相づちを打ってくれ。決して不安そうな
顔はするな。紅が死んだ。昨日の真っ昼間だ。背後から鈍器で一撃。相当油断
してたんだな。
  ひめろく、こうは考えられないか?  佐香奈は何故扉を開けたのか?  相手
が女性だったんだよ。だとしたらいくら佐香奈でも鍵を開けるさ」
「鈍器で後ろから一撃、が女性の手口かな?」
「口を挟むなよ。何故黙って聞けっていったかはもう分かってるはずだ」
「そんな事はありえないよ。水禍さんがまさか、そんな」
「好きに考えろ。とりあえず俺は身を隠すからな。目的も分からない殺戮に巻
き込まれるのはごめんだ。化物に殺されるほうがすっきり来る」


====Side A

「愛美ちゃん。どうしたの?」
「あ、あの、水禍お姉ちゃん、あのね」
  少女はどもりつつも、しかし、それでも告げ口を選んだ。
  簡単な事だった。ひめろくが怒られるのは嫌だけど、そのままだとひめろく
が死んでしまうかもしれないのだから。
「ひめろく君がね。お外に出たの」
「ひめろくさんが!?」
  水禍の両手が、彼女の形の良い唇を覆った。
「大変、化物の所に行く気なんだわ。……梓葉(しよう)さんでしたよね。化
物退治、私も参加させていただきます」
  梓葉と呼ばれたハンターはしばらく迷った末に、ゆっくりと肯いた。


====Side B

「……羽角、さん」
  リビングのソファに落ちるように座り込んで、ひめろくは呟いた。
  その惨状を言葉にするのはためらわれた。リビングのテーブルの上に羽角は
寝かされていた。どす黒く変色した顔は苦悶の表情に歪んでいる。舌は飛び出
し、目玉も半分飛び出している。目と耳から出血し、その血はテーブルには付
いてはいなかった。
「絞殺だよな。これは」
  帳が確認するまでも無かった。羽角の首にははっきりと痣が残っていた。
「少なくともここで殺されたんじゃないな。そう言えば閼伽詫はどうした?」
「最近ふさぎ込んでいたから、閼伽詫さん」
「とにかく、我々が狙われている事は間違い無いようだな。さて、どうするか。
俺としては恨みを買った覚えは星の数ほどあるんでな」
「恨みを買った覚えなんて俺には無いですよ」
  帳の若いが故の言葉に木通は深い溜め息を吐いた。
「なに、ハンター業をやってるとな、それだけで怨まれるもんなんだ。後三十
分早く現場に到着していれば殺されなかった人間はごまんといる。遺族もそれ
を分かってるもんだ。もちろん俺達は最善を尽くす。遺族の方々に説明するん
だな。身支度をしていたら三十分遅れました、と」
「恨みによる犯行、ですか?」
  ひめろくは何か引っ掛かるものを感じている。恨みにしてはなにかが変だ、
そんな気がする。
  それに羽角さんは……。
「そう、羽角さんがこんな風に一般人に絞殺されてしまうものでしょうか?  
相当油断したか、そうでもないと」
「確かに変、だな」
  そしてそれは水禍さんが犯人じゃない最大の証拠だ、とひめろくは思った。
羽角さんは水禍さんの事を警戒していた。少なくともこんな風に水禍さんに対
し油断する事は有り得ない。
「だとすると、他のハンターの仕業、か?」
「俺達のお陰で仕事にあぶれてる連中ってこと?」
「人を殺すなら、化物を倒して欲しいところだがな。有り得ない話じゃない」


====Side A

  ぎぃん!
  金属と金属がぶつかり合う音が夜のしじまに響き渡る。
  梓葉の持つ細身の西洋剣が火花を上げる。
  ぎざぎざに磨かれた化物の爪が受け止めたのとは逆から梓葉に迫る。
「ちぃ!」
  梓葉は化物の爪を刃に滑らせて態勢を低くする。化物の両手が空しく宙を薙
  ぎ、梓葉は体を起き上がらせるのに合わせて剣を一気に振り上げ……。
  ……ずど……。
  それは長い管のような物だった。
  化物の足の間から、梓葉の腹の向こう側までを長く伸びている。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!」
  叫びながら、ストーンの力で腹を貫くそれを焼き切る。管の途中で焼き切れ
たそれは血を吐きながら、びちびちと痙攣している。
  次の瞬間には梓葉の目前に化物の爪が迫っていた。


====Side B

  それにしても、と、ひめろくは思った。
  佐香奈さんにしたって、羽角さんにしたって、外部のハンターを相手にそん
なに油断する事があるだろうか?  それ以前に、佐香奈さんは自室の室内で殺
されている。羽角さんにしたって、その死体は堂々と僕等の家のリビングに置
かれていた。殺害場所は外だろうって事だけど、それにしたって、容易に侵入
されすぎてる。
  考えたくはないけど、こんな事は本当に考えたくないけど、犯人はやっぱり
僕等の中にいるんじゃないのか?  だってそうでもないと、説明がつかないよ。
  自室の小さなソファに腰掛けて、壁を見つめていたひめろくの首にそっと柔
らかな腕が回された。
「どう、したんですか?」
「……水禍、さん」
  そう、呼ぶと、水禍がその腕に軽く力を込めて、ひめろくに後ろから抱きつ
いた。
「す、水禍さん?」
「…………ひめろくさん、愛しています」
「え?」
「……ひめろくさんの事を愛していると言いました」
  首筋に水禍の暖かな息がかかっている。
「す、水禍さん、ぼ、僕も……」
  掠れてしまう声が情けなかった。
「はい」
  水禍の柔らかな体温が、ゆっくりとひめろくに伝わり熱となる。
  ひめろくはとりあえず、その首に回された水禍の腕をそっと掴んだ。
  ――ドンドン!
  と、荒々しく部屋の扉が叩かれ、二人は真っ赤になって、飛び離れた。
  一瞬の誤差で扉が開く。
「ひめろくさん、大変なんですっ!」
「愛美さん?」
「と、とにかく、早く来て下さい!  帳さんが、帳さんが!」
「ちょっと待って、身支度が」
  ふ、と。木通の言葉が脳裏を過ぎる。
『身支度をしていたら三十分遅れました』
  その通りだ、そして身支度を整えないと死ぬのは自分だ。

  武器を取ろうとして振り返ったひめろくは、愛美が水禍を見た瞬間の彼女の
瞳を見損なっていた。


====Side A

  ――ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ。
  細身の西洋剣を構えつつ、彼は覚悟を決めた。
  迫る爪からはストーンの力を使って脱出したものの、腹の傷は浅くない。そ
れにここにはただの女性までいるのだ。
  大半のハンターは自分の力を過信している。
  常々そう思っていたが、梓葉自身も同じだったらしい。
  狭い路地に追い込まれた上、四本足の化物は実に攻撃に長けた形状をしてい
た。例えばその爪だ。普通、爪は指の先を保護するために手の一番先に付いて
いる。ところがこの化物ときたら腕の途中から爪が生えているのだ。この化物
が四本の足で移動しながら、爪で攻撃できるのにはそんな理由があった。
  逃げる、のか?
  プライドが許さない。それに彼女がいなかったところで、実力差はあった。
要はここで死ぬのは運命かもしれないと言う事だ。
  悪いな、と思ったのは、彼女も道連れになるだろうと言う事だった。
  しかし、まあ、それも仕方ないだろう。
  逃げようとしたところで逃げ切れるもんでもない。
  死ぬな。

  彼はそう覚悟を決めた時に、彼の運命が定まっていた事を知る由も無い。


====Side B

「続いて帳、か。残ったのは、僕と、木通さん、閼伽詫さんだけ」
  ばらばらになった帳の死体に再び青いシートをかけて、ひめろくはやるせな
い想いにかられた。
  どうしてこんな事になったんだろう?
「……ひめろくさん、私たちはきっと大丈夫です」
「……うん」
  水禍の心遣いはありがたかったが、それでどうなると言うものでもない。
「木通さんは?」
  愛美が首を横に振る。
「そっか、閼伽詫さんも?」
  縦に。
「そっか、二人とも何処行ったんだろな?」


====Side C

「ど、どうして俺を?」
「なんとなく、な」
  木通は腰の鞘から短剣を引き抜いた。
「ここ数ヶ月、何かおかしい事には気付いていた。情報が駄々漏れだったんだ
な、……しかし、おまえが裏切っているとは思いたくなかった」
「う、裏切るって、なんのこと?」
「残念ながら、もう分かってるんだ」
  木通が腰を落とし、戦闘態勢を取ると同時にストーンの力を解放する。
「今回の殺人も頼まれたのか?  連中に」
「ち、違う。本当に俺じゃないんだ!」


====Side B

  翌々日、木通と閼伽詫の死体が発見された。


====Side A

  当ても無く歩き回る事にひめろくはいい加減疲れを覚え始めていた。
  化物なんてやっぱりいない気がする。
  お腹減ったな。
  ふとそんな事を考えた。


====Side B

  僕だけになっちゃったんだな。
  がらんとした部屋に帰ってきて、ひめろくはそれでも少し安心した。
「水禍さん?」
  返事はない。
  メンバーが総て殺され、当然疑惑はひめろくに向いた。警察に出頭している
間、ここにいるはずなのだが……。
「水禍さん!?」
  だんだん不安になってくる。
  犯人は少なくともここに自由に出入りできた。僕がいないときにそいつがやっ
てきたのだったとしたら……。
「そうだ、カメラ!」
  羽角が殺された時に玄関にカメラを設置したのだ。侵入者がいたら分かるよ
うに。しかし、以降の殺人はすべてカメラを警戒したかのように屋外で起こっ
ている。
  それでも一縷の望みをこめて、ひめろくはビデオを再生した。

  早送りでビデオを回す。変化は無い。同じ玄関の画像。
  ――その時、水禍が玄関に駆け寄ってきた。扉を開ける。
  駄目だっ!
  そう思っても水禍に聞こえる事はない。これは過ぎ去った現実なのだ。
  扉が開き、その向こうから現れた顔を見て、ひめろくは驚愕した。


====Side A

  疲れ果てていて、もう帰ろうと思っていたから、その声が聞こえたのは本当
に偶然だった。
  それは小さな、高い、しかし、やはり良く通る声で――悲鳴と言うものは何
故か良く通るものだ――そしてひめろくには聞き覚えのある声だった。
「水禍さん!?」
  声に導かれるように走り出す。
  彼は行くべきではなかったのだ。
  いや、ある意味では行かなければならなかったのだ。
  彼は選択し、運命は定められた。


====Side B

  ひめろくは孤児院に向け走っていた。
  愛美さん!  どうしてあんな事をしたんだ!?
  そう、愛美さんだとすれば説明は付く。
  佐香奈だって簡単に扉を開けただろう。羽角だって油断しただろう。帳なら
なおさらだ。紅と閼伽詫は二人が争っていた事は分かっている。その内、傷つ
き、勝ったほうを殺し、残ったほうにも止めを刺す。簡単な作業だったはずだ。
動機はわからないが。
  そして彼女は今、水禍に手を下そうとしている。
  理由は分からない。
  どうして?  どうして?
  愛美さん、君だって水禍さんには世話になったはずじゃないかっ!
  孤児院の正面に回るのがもどかしく、ひめろくはフェンスを一気に飛び越え
た。昔は立ちふさがる永遠の壁に思えたフェンスだ。
  潅木の枝に腕を絡め、スピードを押さえてから、着地する。
  砂が舞った。
  顔を上げる。
  そこで彼女は虚ろな瞳で、彼女の死体を眺めていた。


====Side A

「水禍さん!」
  ひめろくの悲鳴が雨の路地裏に響き渡った。
  赤い皮膚の化物がなにかを一心に貪っていた。バラバラになったそれが人間
である事に気付いた時、朝に食べたものがひめろくの胃を逆流してきて、彼は
吐いた。
  吐けるだけ吐いた。
  口の中が胃液で酸っぱくなっていたが、気にならなかった。また鼻に付く匂
いもまた気にならなかった。
  水禍は刺し貫かれていた。化物の尻から伸びた腕ほどの太さのある管のよう
な尻尾が水禍の腹を貫いて、そのまま中に持ち上げられていた。
「水禍さん!!」
  こわばる唇でもう一度叫ぶ。
  水禍の首がわずかに動いた。
  生きてる!  水禍さんは生きてる。
  助けなきゃ、助けなきゃ!!
  そんな思いが少年を無謀へと走らせた。

  その時、梓葉の死体を貪り尽くした化物が水禍の首をその爪で飛ばした。


====Side B

「水禍さん、水禍さん、水禍さん、水禍さん、水禍さん!!!」
  愛美の死体を見下ろしていた水禍に向けて、ひめろくは腰の短剣を抜き払っ
た。今はひめろく独りになってしまった仲間達の共通の武器だった。
  そうだ、そうだ、そうだ、そうだ!!  水禍さんは死んだんだ!
  あの時に死んだんだ!
  だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だから、だか
ら、だから、だから、だから、だから、こいつは水禍さんなんかじゃない!
  ただの化物だ!
  その時水禍がひめろくを見て、小さくなにかを呟いた。


====Side lriagtdfandshag;rjgan.eigjrgbfdzilugv .djzthg.zosircmr.uitlmg

「……殺して」


====Side A

  嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘
だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、
嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ!
  嘘ではなかった。
  目の前に転がる水禍の首は間違いなく本物で、そしてその言葉を紡いだのも
その唇だった。
  首が、飛ばされた首が生きているはずが無い。
  ひめろくは混乱した。幻聴を聞いたのだと思った。
  だって水禍さんはもう死んでるじゃないか。
  そう思える自分が悲しくて、ぽろぽろと涙があふれた。
  ひめろくは物言わぬ水禍の首を抱きしめた。たまらなく悲しく、いとおしかっ
た。
  僕のせいだ。僕のせいに違いない。
  ひめろくは辿り着くべきでないであろう事実に辿り着いていた。
  ああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!
  有らん限りの声を空気に叩き付ける。
  顔を上げた先で化物が水禍の体に貪りつこうとしていた。


====Side B

  水禍さん、水禍さん、水禍さん、水禍さん、水禍さん!!!
  僕が助けてあげるよ。殺してあげる。
  ひめろくがストーンの力を解放する。
  砂塵が舞う。
  水禍は待っている。
  ひめろくは地を蹴った。


====Side A

  その瞬間、水禍の首が風に吹かれた砂のように崩れ去った。また化け物に食
われようとしていた彼女の体も同じ事だった。
  ひめろくと化物は面白いくらいに唖然として、そして同時に顔を見合わせた。
「おぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉおぉおおぉぉぉおぉぉぉおぉぉ!!!!」
  化物が鳴いた。
  獲物を失った事が相当に悔しかったのだろう。
  身を屈め、ひめろくに向けて突進する。
  死ぬ。
  けれどそれでも仕方ないや。
  そう思った時、ひめろくの体になにか温かい力が流れ込んできた。
  力、力、力、力、力、力、力、力、力、力、力、力、力、力、力!!!!!
  それは迸る奔流のようにひめろくに流れ込んできた。
  ――撃ちなさい!
  その声に弾かれたようにひめろくは右手を上げ、力を放った。
  凝縮された光弾が一筋、尾を残しながら化物の体を貫いて、雲の中へと消え
た。次の瞬間、化物の体が支えを失った操り人形のように地に倒れ、その体が
風に吹かれる砂のように消えていった。
  ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ…………荒い息を吐くひめろくの手の中と、
消えていく化物の残骸の中から、それぞれ蒼と、赤の宝石――ストーンが爛々
と妖しく輝いていた。


====Side B

  ひめろくは深い息を吐いた。
  右手から短剣が滑り落ちる。
  水禍はそこに立ったまま、きょとんと言う顔をしていた。まるでひめろくが
彼女を殺そうとした事も、彼女が愛美を殺した事も分かっていなさそうな顔だっ
た。
「水禍さん、どうして皆を殺したんだ?」
「…………だって邪魔だったから」
「邪魔!?」
「いつだってひめろくさんの周りには皆がいて、二人になれなかった……」
「それだけ!?  それだけの理由で?」
「だから殺したの。だから私を殺して」
「どうして!?」
「……私を貴方だけのものにして」
  ひめろくはゆっくりと首を横に振った。
「僕に水禍さんは殺せないよ」
「……だったら私がひめろくさんを殺します」
  水禍が薄く呟くと同時にひめろくの周りの空気が変質した。まるで水のよう
に密度を持つ。
「がっ……」
  信じられない事に、ひめろくは空気中で窒息させられていた。実際には窒息
ではない。肺に入る酸素の量が多すぎるのだ。誰でも知っている事だが酸素は
物を腐らせる。鉄を錆びさせる。もちろんこの気体は人間にとっても有害だ。
過剰な量を摂取すれば。
  腕が空気を求めて――実際に空気をこれ以上摂取してはいけないのだが――
喉を掻き毟った。
「あああああああああ!!」
  ストーンの力を周りに放ち、空気を払う。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
「……ひめろくさん。私を殺してください。貴方が苦しむところは見たくない」
「……やだ」
  かと言ってどうすれば良いのかなんて分からなかった。水禍は化物で、ひめ
ろくが殺さなければまた人を殺し、いずれハンターによって狩られるであろう。
かと言って水禍さんを殺す?  もう一度水禍さんが死ぬところを見ろというの
か?
「ならすぐに楽にしてあげます」
  水禍が右手を腰の後ろに回し、黒い塊を引きぬいた。
  見覚えがある。
  木通の銃だ。
  水禍が引き金を絞る。
  ひめろくは覚悟を決めた。

  木通の銃が引かれる瞬間、ひめろくはストーンのエネルギーを一気に解放した。


====Epilogue

「まったく危なかったな。俺達の到着が後少しでも遅れていたら死んでたぞ」
「……うん、分かってる」
「どうした、元気ないな。助かったってのに」
「うん……。彼女のストーンは?」
「いつも通りだ」
「そう……」
  いつも通り、いつも通り。
  彼女のストーンは処理されて、誰かの手に渡る。
  誰かの力の源になる。
  絶対に見つけ出すよ。そして今度こそ、二人で幸せになろう。
  水禍さん。

  真っ白い病院の壁は、それでもあの汚い孤児院の壁を思い出させた。

  笑い声が聞こえる。

  子供たちの、水禍の、愛美の笑い声が。

  ひめろくはゆっくりと目を閉じた。


                                                              <終劇>

___________________________________

  後書きと解説

  まずはひめろくさん、すみません。m(__)m
  思いっきりダークです。しかも書きあがる寸前に許可を頂き、申し訳ありま
せんでした。

  さてこの作品は中途半端な推理小説仕立てになっています。もっとも推理す
る余地など無いのですが(笑)  しかしながらテンポの良さを取らせていただき
ました。作品としても非常に粗削りだと思います。
  しかしながらこのテンポを優先させました。

  文句等ありましたら、直接私にメールして下さい。

  しかし解説といいましたが、何を書けば良いのやら。(^▽^;
  この作品は実は私が布団に入って目を閉じた瞬間に思いついた作品で、こう
いう系統の作品を私が思い付く時は大抵布団の中です。もちろん朝起きて覚え
ているという保証などありませんから、目を覚まします。こうなると不思議と
眠くなりません。結局は一晩でプロットを上げてしまいました。
  面白いもので、こういう風にプロットを練るという事自体、私には珍しいの
ですが、今回は作品の性格上、こうせざるを得なかったという事があります。
どちらにしても、最後は決めませんでした。
  最後を書いている時に思い付いた事を作品にしたかったからです。

  その結果があの結末となりました。

  ひめろくさんがこの後どうするのか。それは分かりません。恐らく水禍を追
いかけるのでしょう。

  できれば次の作品で、またこの二人の話を書きたいと思います。

  それでは最後まで読んでいただきありがとうございました。

                                                          June 26 / 98
                                                                  智波