私は幸福だった。 それがたとえ、本当の血の絆でなくても、 あの人は私に、父親としての精一杯の愛情を注いでくれた。 私は本当の両親の顔も知らないけれど、私はそれに優るものを彼から与えら れたと思っている。 私は、この幸福がいつまでも続くと信じていた。 暖かな日溜まりの中、あの人の膝の上で、私は日々の他愛もない出来事を、 大げさに報告して、あの人はその報告を優しい笑顔で聞いている。 そんな、幸福。 ささやかな、幸福。 精一杯の幸福。 幼い日々、私は確かに幸福だったのだ。 そう。 あの日が来るまでは。 あの人は『化物狩り』――ハンターだった。 そんな闇に生きる仕事である以上、ある程度の恨みは買っていたのだろう。 あの日、暴漢たちに人質に取られた私。 私のせいで、無抵抗で殴られ続けるあの人。 暴漢たちの笑い声。 瀕死の、あの人。 泣き叫ぶ私。 でも、それでも暴漢たちは満足しなかった。 彼らは、あの人の魂までも冒涜するために、私に手をかけようとした。 彼は私を助けようと、手を伸ばす。 だけどその躰は既にボロボロで、まったく動かない。 私はただ、泣き叫ぶだけ。 暴漢たちの笑い声が、頭で響く。 そして、彼らの手が私の服に触れたとき。 ――紅い風が吹いた。 それが暴漢たちの流す血風だと気付くのに私には、しばらくの時間が必要だ った。 巻き上がる血の煙。 吹き飛ぶ暴漢だったものの肉片。 その中心に立つ、凍った瞳のあの人。 あの人は、己の中に眠る獣を解き放ったのだ。 ただ血だけを求める、渇ききった貪欲な獣を。 凍った瞳が、血の匂いに歓喜する瞳が私を捉えている。 私は動けない。 声も発せない。 彼の手に握られた、血塗れの刀。 その刀が、私の首に触れた。 私は死を覚悟した。 でも、その瞬間、あの人は咆哮した。 絶望と慟哭の、聞く者の心を打ち砕くような、悲痛な咆哮。 それはあの人の『人間』の断末魔だったのかもしれない。 あの人は文字通り血涙を流しながら、私の前から逃げ出した。 その場には幼い日の私が、唯一人残された。 それが私の、幸福の終わりだった。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 〜東鳩SS外伝〜 ただ その刹那を 取り戻すために 著 ジン・ジャザム 原作(『東鳩SS』) 風見ひなた ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「ひぃ……ひぃぃぃ! た、助けてくれ!!」 私は今、こんなところにいる。 「おいおい、そう怯えるなよ。ただ、遊ぼうってだけだろ?」 光すら届かぬ、まとわりつくような、湿った闇の中に。 「や、嫌だ! 俺はまだ死にたく……ヒィッ!?」 何故、こんなところにいるんだろう? 「なあ……遊ぼうぜぇぇぇぇぇぇぇ!!」 こんな 「いぎゃああああああああああああああああああああああああああ!!!!」 血の匂いしかしない、闇の中に。 「ちっ……。仮にもハンターを名乗るんだろ? もうちと、楽しませろよ…… ったくよ……」 でも私は 「こんなんで俺の渇きが癒せるかよぉぉ!! 屑がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 望んで、この闇の中に身を投じたのだ。 「もどる……。」 私はあの人の名前を呼んだ。 いや、今は違ったか? 今は健(たける)と名乗っていただろうか? ……まあ、どっちでもいいことだ。 あの人は、未だ死体を刻み続けるその腕を止めて、私の方に振り返った。 「……誰だ?」 あの人の瞳に、私はどう映るだろう? ……私のことなど覚えているはずもないか。 今のあの人は、私の愛したあの人ではなく、血に飢えた一匹の人斬りなのだ から。 たとえ覚えていたところで……あの日から、何年も経った。 あの人の中には、幼き日の私しか存在しない。 だから、分かるはずもない。 そう、思っていたのに…… 「……静。」 あの人は確かに、その名で私を呼んだ。 甦る、あの暖かな日の記憶。 私とあの人は、ただ黙って、しばらく見つめ合った。 あの人が、言葉を続ける。 「久しぶりだな……」 「ええ……」 本当に。 私の格好に気付いたのだろう、あの人は私に尋ねてきた。 「ハンターに……なったのか。」 そう。 私は黒い、闇に潜むための装束を身に纏い、一振りの脇差しを手にしている。 脇差しの柄には、金色に輝くストーンが光っている。 これは、あの人が唯一、私に残していったものだった。 「そうです……もどる。貴方を止めるために。」 私がそう答えると、あの人はその瞳に、刹那、深い悲しみを灯したように見 えた。 そう、私の元から逃げ出した、あの刻と同じ瞳。 その瞳を見た瞬間、私は自分の中に閉じ込めていた何かが、飛び出していく ような感覚を受けた。 焦燥。 私はこのまま、あの人の胸に飛び込みたい。そう思った。 だが、それも刹那だった。 あの人の瞳から悲しみは駆逐され――いや、違う。それはきっと私の心が見 せた縋る心、私の弱さが見せた幻覚だ。――歓喜が、途方もないほどの歓喜が、 溢れ出す。 あの人は嬉しそうに、本当に嬉しそうに、私に言った。 「そうか……静は俺を殺しにきたんだな? 俺の渇きを癒すために、やってき たんだな?」 にたりと笑い、刀に付いた血を舐める。 その姿を見たとき、私は確信した。 ああ、あの人はもう死んだんだな。 今、目の前にいるのは、あの人の姿をした、あの人を冒涜する、汚らわしい 化物に過ぎないんだな。 「きたみちもどる……いや、健。貴方を狩ります。」 私は脇差しを構えた。 柄に埋め込まれたストーンが輝く。 私はあの人が残したこの刀で、 あの人を冒涜する、あの化物を殺す。 私は駆け出した。 あの一は刀を構え、私を待ち受ける。 そして、刃が交差した。 連撃に次ぐ、連撃。 私は一瞬の隙も見せないように、刀を打ち込み続ける。 あの人はその総てを、見極め、弾く。 元より、こんな攻撃が通用するなんて思っていない。 私は攻めながら、待つ。 あの人に決定的な隙が生じる、その刹那を。 「どうした、静!? 動きが鈍っているぞ!!!!」 あの人が打ち返してくる。 私は辛うじて、その一撃を受け止める。 重い、衝撃。 たったの一撃で私の腕は痺れ、戦いの体勢も崩してしまう。 「甘いぞ、静ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」 間髪入れず、あの人の刀が、私の脳天めがけて振り下ろされる。 でも甘いのは……貴方の方です! 「!!!?」 あの人は左手を咄嗟に、躰の前に出した。 その掌を一本の短刀が貫く。 私が投げた、仕込み短刀だ。 ――待ちに待った隙が生じた。 この刹那、私は渾身の力を込めて、奥義を繰り出す。 「金翅王!!!!」 ストーンから力が溢れ、刀身を金色の光で包み込む。 死を招く金色の軌跡は、三日月を描きながら、あの人の首を目指して飛ぶ。 迸る金色。 闇を閃光が照らした。 「くっ……」 光が収まったとき、倒れていたのは私の方だった。 首の皮一枚を裂いて、僅かに血が流れ出している。 ……刀は確かに、あの人の首を捉えたはずだった。 しかし、その衝撃はそのまま私に跳ね返ってきて…… 『気』によって、辛うじて衝撃に耐えたものの、躰が動かない。 倒れている私を、あの人は見下ろしていた。 「『制極界』――敵の攻撃をそのまま跳ね返す、攻防一体の最強の障壁。これ 無くは、さすがの俺も殺られていたぜ……静。」 凄惨に笑う、あの人。 「楽しかったぜ、静。今、このときほど、お前を育てて良かったと思ったこと はない……俺が殺した男の娘である、お前をな。」 その言葉を聞いたとき、私の思考が一瞬、止まった。 あの人はそれを感じ取ったのか、酷くおかしそうに笑った。 「そうだよ。お前の本当の親を殺したのは俺だよ、静。つまり俺の本性は…… 最初から俺だったわけだ。」 ゆっくりと私の元に近付いてくるあの人。 でも私の躰は動かない。 「静……本当に楽しかった。今までの殺し合いの中で、一番楽しかった。しか し……残念だが、それも終わりだ。」 そこまで言って、あの人は私の手に握られた脇差しを一瞥した。 刀身が砕け散っている。 それと同様にストーンも、どこかに吹き飛んでしまったようだ。 ストーンは、ハンターたちの力の源である。 ストーン無しに、ハンターはその力を振るうことが出来ない。 つまりストーンを失うことは、そのまま即、敗北を意味する。 でも…… 「このゲームは俺の勝ちだ、静。お前は俺に殺される……お前の親と同じよう に。だが、その前に静……」 あの人が、私の上に覆い被さってきた。 そして、私の耳元で囁く。 下卑た笑いを浮かべながら。 「お前に、女の喜びを知らないまま、死なせるのは忍びないからな。抱いてや るよ、静。『父さん』がな。」 ……その口で、語るか。 血に飢えた、ただのケダモノでしかない貴様が、優しかったあの人の口で、 その言葉を語るか。 許さない。 決して、許さない。 私は憎悪の瞳で、あの人を睨み付ける。 あの人は、そんな私の瞳を楽しげに見つめ返し、私の服の胸元を引き裂いた。 そこで……彼の手が止まり、私の胸に視線を向けたまま、凍りつく。 「こ、これは……静、お前!?」 戸惑う彼の胸に、私は手を重ねた。 そして、告げる。 「死になさい。」 次の瞬間、私は力を解放した。 あの人が、私の胸を見て凍りついた理由。 それは私の胸に埋め込まれた、もう一つのストーン。 私は、力を失ってなかったのだ。 私はありったけの力を、あの人に注ぎ込む。 決して、生かしては帰さないために、全力を、いや己の限界をも超えて、力 を注ぐ。 胸に埋め込まれたストーンにひびが入る。 それの意味することは……いや、かまわない。 私はもう何も要らない。 私が望むことはただ一つ、あの人を、あの人の狂気を止めること。 だから、総ての力を叩き込む。 私の想い、総てを込めて。 そして力は、あの人の心臓を貫いた。 終わった。 ようやく、終わったのだ。 あの人も、私も…… 私が最後の思考で、そう考えたとき……あの人の手が私に触れた。 それは刹那のことだ。 本当に刹那の出来事だ。 だが、私は確かに聞いた。 あの人の、言葉を。 「ありがとう……静。」 そのとき、私は初めて悟った。 そして、泣いた。 そうだ、私は……私はこの刻を取り戻すために、今まで生き抜いてきたんだ。 この暖かな刻を取り戻す、ただ、そのためだけに。 そして私は、それをようやく取り戻したのだ。 でも、それは刹那。 まさに刹那と呼ぶに相応しい、本当の刹那。 あの人が死に逝くまでの、 私が変わり逝くまでの、 ほんの、刹那。 ――それでも、私はかまわなかった。 たとえその総てが、あまりにも近すぎる未来、失われるとしても この刻が、私とあの人以外、何者も存在できない刹那だとしても 私は確かに、あの暖かな刻を あの人と共に生きた幸福を、取り戻したのだから。 だから、言える。 この刹那の中なら、言える。 あの日の、幸福の終焉から今に至るまで、ずっとずっと言いたかった言葉。 この言葉が言える日を信じて、ずっとずっと暖めていた言葉。 今、ようやく、その願いが叶うのだ。 それに優る幸福があるだろうか? だから、私はあの言葉を口にした。 この、本当なら言葉すら紡げない、刹那の中で。 はっきりと あの人の心に、届くように 笑顔で 私の出来る、最高の笑顔で あの言葉を―― 「お帰りなさい……お父さん。」 完 …………………………………………………………………………………………… あとがき(BGM:あとらく=なくあ(爆)) 遊輝「ヤバイじゃろ!!!!!!!?」 ジン「いきなりだな、おい。というワケでジン・ジャザムです。はろはろ。」 遊輝「あっ、遊輝なのじゃ☆……って、話逸らすなァ!!」 ジン「なんだよ、いったい……」 遊輝「これダークじゃぞ! しかも、主役はきちみち親娘だし!!」 ジン「……きたみちさま、御免なさい。こんなのに、なっちゃいました。」 遊輝「なら最初からするなぁぁぁぁ!」 ジン「いや……だって閃いちゃったし……『殺愛』という俺の好きなテーマだ し……ねえ?」 遊輝「主の趣味で、善良な一般市民を巻き込むなぁぁぁぁ!! し、しかも、 あんな良い娘を、主はぁぁぁぁ!!!!」 ジン「本当に御免なさい(土下座)」 遊輝「……なあ、主、最近ダーク以外のネタあるか?」 ジン「………………。」 遊輝「黙るな。」 ジン「だって、堂々とダークが書ける舞台だなあって……東鳩SS。」 遊輝「ここに、まさたの館長と西山の師匠の作品がある。読むのじゃ。」 ジン「……(熟読中)……(読み終わった)……御免なさい。」 遊輝「主は……(溜め息)」 ジン「他人の気持ちを沈ませて悦ぶ類のダークは、書いてないつもりですが… …不愉快だったら御免なさいです(汗汗)」 遊輝「あと、最後にもう一回、きたみち親娘……本当に御免なさいなのじゃ。」 ジン「では、また〜」 遊輝「さらばなのじゃっ」