「‥‥‥行くのか‥‥」 月が静かに輝く、夜。 風見ひなた。 西山英志。 二人の男が、月の光にその身を晒していた。 「ええ‥‥‥沙織を、救い出さないと」 「‥‥‥美加香は、どうする?」 西山の言葉に、ぴくり、と風見が反応する。 暫しの、沈黙。 「あの子は‥‥‥、もう十分に大人です」 「‥‥‥そうか」 風見がゆっくりと、歩き出す。 「‥‥‥必ず」 「?」 西山の言葉に、風見が振り向く。 「‥‥‥必ず、帰ってこい。‥‥‥美加香もそれを望んでいる。」 「‥‥解りました。‥‥‥帰ったら、一杯奢りますよ」 そう言って、微笑う。 そして月の光の下二人の道が、別れた。 生と死。 決して二度と交わることのない道、へ。 一年後。 その日も同じ様に、月が静かに輝く夜、だった。 目の前に樹があった。 大きな樹、だ。 しかし、葉も花も実も、その樹はつけていない。 その前に一人男が立っている。 西山英志。 穏やかに、ただ、大樹を見つめいる。 その時。 ‥‥‥おかえりなさい。 大樹が、囁いた。 「ああ、ただいま‥‥」 大樹の声に、西山が応える。 ‥‥‥『答え』は、見つかったの? 「‥‥‥いや、一年もかかったが『答え』は見つからなかったよ」 ‥‥‥始まるのね。 「そうだ、全てはこの闘いの果てに、見つけなければならない‥‥‥」 ‥‥‥『結末』は、決まっているのよ。 「『結果』は変えることができる、さ」 ‥‥‥そうね、『全ての善き樹が、善き実を結ぶ為に』 「君は、ソレを見てくれれば良いんだ‥‥‥」 ‥‥‥私は、ソレしかできないから。 「‥‥‥十分だよ」 西山が、優しく微笑んだ。 その顔が、不意に後ろの闇に向けられる。 「いつまで隠れているつもりだ?」 そう、言った。 「‥‥お互いに、恥ずかしがる歳、でもあるまい」 「俺は、恥ずかしがり屋、なのさ‥‥‥」 不意に。 闇の中から、男が姿を現した。 ゆっくり、と男が西山に歩み寄る。 その男の顔には、巨大な傷が、あった。 「こんな月の綺麗な夜は、傷が疼いて仕方がねぇよ‥‥‥」 そう言いながら、男は苦笑気味に顔の傷を指で、なぞる。 「‥‥‥特に、その傷をつけてくれたヤツに会うと、な‥‥‥」 にっ、 と、男が笑う。 やーみぃ。 それが男の名前、だった。 「何の用、だ?」 西山が静かに、言葉を吐く。 「‥‥‥ちょっと、忠告を、な」 やーみぃが、応える。 「『鶴来屋』がお前さんを、探しているらしいぜ‥‥‥」 「‥‥‥」 「かっての同志であり、今は裏切り者の『沈黙の鬼姫』の守護者‥‥『紅(クリムゾン)』 を、な‥‥‥」 「その名は既に捨てたよ‥‥お前、『Hi−wait』と同じ様に、な」 「アチラさんは、そうは思っていないさ」 そう言って、やーみぃの右腕が、動く。 ひゅんっ、 西山に向かって、何かが投げられる。 左手で、受け止める。 それは銀色に輝く、スキット・ボトルだった。 中には、琥珀色の液体が満たされている。 「やるよ、高い酒だぜ‥‥‥」 「‥‥‥頂こう」 西山はスキットの蓋を開け、中の液体を喉に流し込んだ。 良い酒、だった。 「‥‥‥動いているのは、『鬼天の巫女』、か?」 『鶴来屋』の会長、柏木千鶴の別名を西山が口にする。 「いや‥‥‥、『天魔の鬼女』らしい‥‥‥」 やーみぃは千鶴の妹、柏木梓、の別名を言った。 「‥‥‥気をつける事だな」 「ああ‥‥‥、でも、少し遅かったらしい‥‥‥」 そう言って、西山はやーみぃの向こうに立つ、影に視線を向けていた。 やーみぃもその視線に、気付く。 そこには、一人の少女が立っていた。 「‥‥まさか‥‥‥お前が来るとは、な‥‥‥梓‥‥」 西山がそう言って、少女に向かって微笑う。 「‥‥‥お久しぶりね、英志‥‥」 ゆるりと柏木梓が、大樹に歩み寄ってくる。 ざわ、 ざわ、 木々がざわめいた。 梓の躰から発する『鬼気』の為だ。 「闘る気‥‥か?」 メキッ、 西山の手の中のスキットが、歪む。 「‥‥そうだ、と言ったら?」 そう言って、梓の躰が軽く、沈み。 地を、蹴った。 ガツッッ!! 梓の拳が、西山の掌で受け止められる。 「ふっっ!」 西山の足が、孤を描く。 しかし、それは空を斬る。 梓の躰が後方に、跳んでいた。 それを追って、西山の右拳が突き出す。 衝撃が奔り、光の槍が打ち出される。 九鬼(くかみ)流『鬼勁』。 それが、技の名前だった。 「くうっ!」 梓は素早く、手の中で印を結び両手を突き出す。 ぱきぃんっ、 硝子を打ち合うような音が響き、『鬼勁』が相殺される。 「‥‥‥『鬼鎧(きかく)』か」 ぼそり、と西山が呟く。 九鬼流の防御術の一つ、である。 ある程度の光術、衝撃波の類は軽く防御が可能であった。 ならば。 西山の姿が揺らめいて、消えた。 風が、疾る。 西山の姿は、見えない。 恐るべき速度で、動いているのだ。 故に、並の視覚では捕らえることすら不可能、であった。 「‥‥この技は?」 梓は、西山の技に気付き、素早く構えを、とる。 突如。 梓の周囲に、西山が出現した。 北。 東。 南東。 南西。 西。 北西。 六方向、全てから西山が『六人』出現したのだ。 「‥‥『八葉』っっ!!」 梓が、叫ぶ。 高速の移動による分身の「全方向攻撃」。 九鬼流奥義の一つ、がその技の名前だった。 六人の西山が、同時に襲いかかる。 その時。 「‥‥‥我が右手より、疾れっ、魔獣っっ!!」 闇の中から、叫び声が上がった。 「なにっっ!」 「ちいっっ!」 梓と西山が、後方に跳びすさる。 同時に。 巨大な怪物が、梓と西山の間の空間を、疾り抜けた。 それは、蛇とも狼とも虎とも、似ているようで違う生き物だった。 「‥‥‥こいつは‥‥」 「‥‥『魔獣召還術』‥‥!?」 「‥‥‥いかにも」 その声と同時に闇の中から、また一人男が姿を、現した。 眼鏡をかけた、男だ。 しかし、何より目を引いたのは、男の右手であった。 その形は正に、異形の姿だった。 ふっ、 ふっ、 と、右手から息づかいが、聞こえる。 男の右手は『魔獣』と繋がっていたのである。 『魔獣召還術』。 この技を使える者は、極めて少ない。 自分の躰に『ストーン』を飲み込んで、その中に眠る『魔獣』を躰の一部から出現させ る極めて高等な『魔術』の一つで、ある。 触媒となるのは、自分の躰のみ。 しかも、長い呪文の詠唱も、必要ない。 その上、その気になれば十数匹の魔獣を同時に操る事が、できる。 正に実践向きの『魔術』といえた。 「‥‥お久しぶりですね、『天魔の鬼女』殿‥‥」 眼鏡の男が、にこり、と微笑んだ。 「‥‥‥『楔(ウェッジ)』‥‥生きていたのか」 西山が何とも言えない表情に、なる。 「‥‥‥お互い様にね‥‥『紅(クリムゾン)』」 『楔(ウェッジ)』。 それが、目の前の男の名前だった。 かつての西山の仲間であり。 その時はdyeと名乗っていた男が、目の前に立っていた。 「‥‥‥お互い、しぶといな」 dyeを見て、やーみぃも微笑む。 かつての仲間として。 「まあ‥‥‥ね、さて、梓さん‥‥‥」 dyeはゆっくりと梓を、見る。 「今日の所は、拳をひきなさい‥‥『紅』と『楔』‥‥二人を相手にするわけにはいかな いでしょう?」 「‥‥‥‥」 「また、いずれ闘う事も有るでしょう、その時は邪魔はしませんよ‥‥‥」 「‥‥‥解った」 「そうそう、女の子は素直が一番ですよ‥‥‥ほら‥‥‥」 そう言って、dyeは顔を大樹に向ける。 ふと、その場にいた四人に白い物が、舞い降りてくる。 いつの間にか大樹は花を咲かせて、花弁を風に散らしていた。 「‥‥‥綺麗」 梓が、呟く。 「‥‥‥ああ」 静かに西山も。 「‥‥‥‥」 笑みを浮かべたまま、dyeは見つめていた。 「‥‥‥へっ、粋なこと‥‥」 やーみぃもいつの間にやら、笑っていた。 四人は何時までも、その花弁のダンスに見とれているようだった。 「余計な事を、しましたかね‥‥‥?」 「‥‥‥いや、助かったよ」 dyeの言葉に西山は苦笑気味に応える。 大樹の根元に、二人は腰掛けていた。 梓とやーみぃは既に姿を、消している。 「‥‥‥しかし、貴方も甘いですね。『八葉』‥‥手加減して、打ったでしょう?」 「‥‥‥解っていたのか?」 「当然ですよ、元々『八葉』は高速による「八人」の分身による『全方位攻撃』です。 しかし、あなたは「六人」にしか分身しなかった‥‥」 「‥‥‥‥」 「‥‥まだ『姫護』の使命を引きずっているのですか‥‥」 「そんなのじゃ、無い‥‥‥ただ‥‥」 「‥‥?」 言葉を句切って、西山は顔を夜空に向ける。 「‥‥楓が‥‥悲しむからな‥‥」 その顔は少し照れているように、見えた。 その表情を見て、dyeが微笑う。 「‥‥‥まったく‥‥貴方らしいですね‥‥‥」 dyeの笑い声に、西山もばつが悪そうにしている。 「‥‥‥ところで、此処に来た理由は‥‥何だ?」 「‥‥‥‥」 dyeの笑い声が、止まる。 「‥‥‥『秩序法典(コルデア・オデックス)』の意志か‥‥」 「‥‥‥はい」 静かに木々が、ざわめく。 「‥‥ねえ、今なら止められますよ。貴方が起こそうとする嵐は間違いなく我々の世界を 混乱させるモノです」 「‥‥‥‥」 「もし、このままヤルとなれば‥‥‥貴方は間違いなく『大罪人』です‥‥‥」 「‥‥‥止めることは、できないよ」 静かに西山が、言葉を吐く。 「‥‥‥‥それにこの世界の新たな『実』と友の約束の為なら『大罪人』の称号、喜んで 受けよう‥‥‥」 「‥‥‥仕方有りませんね‥‥」 きりぃっ、 dyeの中の殺気が、撓む。 「‥‥‥これからは『友』ではなく、『敵』同士ってことですか‥‥」 「そういうことに、なるな‥‥‥」 突如。 dyeの左手が、動く。 「我が左手より、喰らえっっ、魔獣っっ!!」 dyeの左腕が、魔獣に変化する。 グガアアアアッッ!! 魔獣が吼えて、西山へ襲いかかる。 西山の足が弾かれたように、打ち出される。 ゴギュリッッ!! 西山の足が魔獣の首をからめ取り、一瞬の内に砕く。 九鬼流『護斧(ごふ)』。 足の驚異的な瞬発力と力で、相手の骨を砕く技、だ。 dyeと西山が、静かに対峙する。 「‥‥‥宣戦布告‥‥か‥‥」 「‥‥そんなものですね」 静かにdyeが背を向ける。 「‥‥‥また、逢いましょう」 その言葉を残して、dyeの姿は闇の中に溶けていった。 月の光の下で、西山はただ一人光にその身を晒していた。 その顔はどのような表情をしているのか。 それは、月のみが知っていた。 この二ヶ月後、赤十字美加香が東鳩SSに入社することになる。 そして、運命の歯車が回り始める‥‥‥‥‥。 <了>