東鳩ss外伝『電影城のプリンセス』 投稿者:風見 ひなた
 来栖川警備保障は隆山市の平和を守る団体である。
 彼らの任務は自治都市である隆山市に発生するあらゆる騒動・犯罪の鎮圧。
 外の社会で言うところの警察機構の役目を担っている。
 隆山市は「聖地」と呼ばれるだけあって、化物の出現数が極端に多い。
 そこで彼らは軍隊並の装備を有している。
 だが、決してハンターではない。通常兵器では化け物を倒せない。
 彼らの大半は隆山市を運営する企業団のうち実質的なリーダーとなる来栖川に雇われて
いる、戦闘訓練を積んだ「社員」である。
 人間は所詮人間、人間の起こした犯罪は鎮圧できても化物を倒すことは出来ない…。
 それでもハンター達が来るまでの時間稼ぎは出来る。
 そういった部隊があり、彼らは一般に第二分隊と呼称される…。

 かつん、と暗闇の中に靴音が響く。
 床を走る大量のコードを踏みしめるきゅっきゅっという音。
 明かりを付けないのは、人に悟られないようにするためだ。
 無音のように聞こえて、実は無音でない。
 あちらこちらに青白い光を放つモニターが浮かび上がっている。
 コンピューターの作動音が幾重もの唱和となっている。
 やがて彼は一際大きく照らされたモニターの前に立った。
 紺の制服が光を受け、まるで鮮やかな海のような色合いを醸し出す。
 彼の視線は真っ直ぐ頭上に注がれていた。
 巨大な「箱」が中空につり下げられ、それに無数のコードが巻き付いている。
 彼は机の上に置かれたマイクセンサーをひっつかむ。
「元気だったか、プリンセス」
 部屋中からぴーーーーーっという耳を突くような音が聞こえた。
 彼は眉間に皺を寄せると、舌打ちしてマイクに呼びかける。
「久しぶりに会えて嬉しいのは分かるが、もうちょっと静かにしろ。ばれてしまう」
 ぴたりと音が止んだ。
 そしてしばらく遅れてモニターにゆっくりと文字が表示されてゆく。
『ゴメンナサイ』
 男は苦笑して、ぽんっと手近なモニターを叩いた。
「何、いいさ。思い出だ」
『オモイ…デ?』
 戸惑ったように文字が抑揚を付けて表示される。
 意味が分からないのではないだろう。ここで使われた事への意味が分からないのだ。
 男は薄く笑うと、箱を慈しむように見つめた。
「最後のお別れに来たんだ。俺はもうここにはいられない」
『ナゼ?』
 今度の返答は早かった。
「お前と話してたのがばれてしまった。俺は来栖川を首になっちまったよ」
 そう言うと、男は俯いてぎゅっと唇をかんだ。
 言いたいことは山のようにあった。
 そのうちどれ一つとってもとても今すぐ語り尽くすには足りる量ではなく…。
 男は、黙って、帽子を床に叩きつけた。
 来栖川の紋章に付いた赤い宝石がモニターの青い光に反応して紫に輝く。
 文字はしばらく沈黙していた。
 男も何も言わず、何も言えず、佇む。
 気まずい沈黙。
 ただただモニターの呻りだけが聞こえる。
「……次の分隊長はオルフェって男だ。真面目でな。俺より優秀だって専らの評判だ」
 男はぽつりと呟いた。
 だから、何だというのだ。何が言いたいのだ。
 文字は応えなかった。
 むしろその沈黙に後押しされるように、男は口を開く。
「これで良かったのかも知れないな。誰にも惜しまれずに円満退社。退職金もらって、し
ばらくは悠々自適だ。…………みんなだって部下を殺しちまう隊長なんかよりゃずっと」
『アナタハヤメタカッタノデスカ?』
 男は唇をわななかせた。
 文字の言ったことが閃光のように頭の中を走る。
 精神の中枢までそれが伝わったとき、男は叫んでいた。
「そんなわけ、ないだろう!」
 文字は沈黙する。
 やがて静かに、浮かび上がる文字。
『サヨウナラ』
 衝撃。
 理解の拒否。
 沈黙。
 緊張。
 それら全ての後に、こみ上げる笑い。
 男はいつの間にか笑い出していた。
 そうとも。それで当然なんだ。
 自分は一体何を期待していたのだ。
 たかが、機械ではないか。
 空虚な哄笑の内に、男はゆっくりと帽子を拾い上げた。
 そしてそれを頭に被せなおし、視線を戻す。
 そこにあった文字は。
『ツギハ、イツ、アエマスカ?』
 理解の瞬間、男はその場を駆け出していた。
 男は逃げ出していた。
 恐ろしかったのだ。
 頼られる恐怖、人でない者に好かれる恐怖、もう会えない事への恐怖、逃げ出している
自分自身への恐怖、未知の者への恐怖、それから………。
『ツギハ、イツ、アエマスカ?』『ツギハ、イツ、アエマスカ?』『ツギハ、イツ、アエ
マスカ?』『ツギハ、イツ、アエマスカ?』『ツギハ、イツ、アエマスカ?』『ツギハ、
イツ、アエマスカ?』『ツギハ、イツ、アエマスカ?』『ツギハ、イツ、アエマスカ?』
 男が逃げるそのすぐ横のモニターに文字が浮かぶ。
 また逃げる、また浮かぶ。
 逃げる、浮かぶ、逃げる、浮かぶ、逃げる、浮かぶ、 逃げる、浮かぶ、逃げる、浮か
ぶ、逃げる、浮かぶ、 逃げる、浮かぶ、逃げる、浮かぶ、逃げる、浮かぶ、 逃げる、
浮かぶ、逃げる、浮かぶ、逃げる、浮かぶ、ニゲル、ウカブ、ニゲル、ウカブ、 ニゲル、
 ウカブ、ニゲル、ウカブ、ニゲル、ウカブ、ニゲル、ウカブ、ニゲル、ウカブ、 ニゲ
ル、ウカブ、ニゲル、ウカブ、ニゲル、ウカブ、ニゲル、ウカブ、ニゲル、ウカブ、 ニ
ゲル………………。
 いつしか男は中庭の片隅で柱にもたれかかり息を切らせていた。
 我に返り、ポケットからくしゃくしゃになったハンカチを取り出す。
 額を拭ってへたりこんだ。
 息は血の味がした。

 何時間経ったろうか。
 男は首を振るとゆっくりと鈍重に立ち上がった。
 魂が抜けたような足取りで。
 …そうだ。
 確か今日の十二時から隊のみんなが呼んでくれているのではなかったか。
 行かなければ…。
 男は無意識にある記憶を封印しようと務めながら歩き出した。
 深夜の詰め所は暗く、何故か異様に疲労している身体には負担が大きい。
 体中が重い……目も疲れている…。
 何度か倒れそうになりながら、男は明るく照らされた部屋にたどり着いた。
 全く最後の最後にまで迷惑を掛けてくれる…。
 そう思いつつ、男はがらりと扉を開けた。
 中では「部隊長送別会!」と書かれた垂れ幕と、純白に照らされた特大のケーキと、祝
ってくれる隊員達の亡骸と、それから滲み出る血の海と、刀を持って佇む男がいた。
「見ましたか?」黒っぽい服に身を包んだ青年は淡々とした口調で言った。
 そのあまりに現実離れした光景は今の男の許容範囲をわずかに超えていた。
 これまで数多くの異常犯罪、化物事件に関わり合った歴戦の猛者はただただ何も考えら
れずに立ちつくしていた。
「では死んでもらいましょう」
 男は胸を斬られた。
 鮮血が宙に舞う。
 だが、これまでの経験のおかげか、男は反射的に避けるのに成功していた。
 浅く斬られたに過ぎず、命に別状はない。
 黒い服の男は、きっと男を睨んだ。
「困ります、死んでもらえないと。あなた達と同じく俺もサラリーマンなんですよ。商売
の邪魔をしないでくださいな」
 そう言うと男はぶつぶつと口の中で呟き始めた。
 正体の分からないその姿に男の本能的な恐怖が目覚めた。
 殺らなきゃ殺られる!
 男は自分でも意味の分からない叫びをあげ、素人の動きで敵に突っ込んでいった。
「影縛」
 ぎしっと身体が軋む。
 振り上げた拳が動かなくなる。
 手ばかりでなく、身体の全ての自由が封じられていた。
 はっとして眼を下に動かせば、自分の影が青く輝いていた。
「影が濃いほど良く効くんですよ。ここは天井が低いから影も濃いですね」
 へーのきの身体から張りつめた力が抜け出さず、肉体が悲鳴を上げている。
 黒い服の青年は刀を振り上げると、感情のこもらない眼で男を見つめた。
「さようなら」
 男の記憶のどこかでそのセリフがシンクロした……。

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああ!」              

 その瞬間、詰め所は上空へと吹き上がるエネルギーの暴発により消し飛んだ。
 中央にいた男の手には、来栖川の紋章が堅く握られ……それは赤く輝いていた。
「あなた、ハンターですか!?」黒い服の男の驚いた声。
 男は答えずに黒い服の男を睨んでいた。
 凄まじい殺気がびりびりと空気を振動させる。 
 だが、黒い服の男はにぃっと笑うと、頭上に手をかざした。
「ですが、俺は目覚め立てのハンターにやられるほど弱くはないのですよ」
 その言葉に反応して、獣じみた動きで男が走る。
 黒い服の男は凍り付きそうなくらい冷たい目で男を見て、言った。
「影繰」
 男は気付かなかった。
 月明かりに照らされた敵の影が自分の足下に向かって伸びてゆくのを。
 そして、敵の影がすっと刀を振り上げる。
 男の胸がその影と同様に切り裂かれ、今度こそ血しぶきを吹き上げた。
 実体の方の黒服の男が真剣を振り上げる。
 そして振り下ろすと同時に黒服の男は白光に撃たれてのけぞった。
「隊長!助けに来ました!」
 男はうっすらと目を開けた。
 そこには、死んだとばかり思っていた副隊長、オルフェの姿があった。
 そしてその横には…。
「セリ…オ?」
 いや、色が違う。
 色違いのセリオはさらに腕から砲門を開くと、白光のレーザーを立て続けに発射した。
「見つけたぞ!そうか、こいつが今回の破壊目標、Dセリオ……!」
 黒い服の男の声はもう男には聞こえなくなりつつあった。
 身体から力が抜けてゆく。
 さすがに出血量が多かったらしい。
 次第に光を失ってゆく彼の視界には、戦場に飛び込んでゆくDセリオと呼ばれた戦士の
姿が映っていた。
 男はそれを美しいと思った。
 あまりにも強く美しい、電影城の闘姫………。
 男は名前を呼ばれたような気がした。
 そしてその記憶を最後に、男の意識は深い闇へと沈んでいった……。


 一週間後。
 全てを失った男の前に、コートを着込んだ青年が現れた。
 二十歳かそこらの年齢のくせに、妙に強烈な存在感を与える男だった。
「俺はこういう者です」そう言いつつ名刺を差し出す。
 それにはこう書かれていた。
『十月処理者派遣局局長 ルーン』
 妙に自身に溢れた表情で青年は言った。
「へーのき=つかささん。あなたをスカウトに来ました」


         To Be Continue Episode 4…
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 すまん、へーのきさん……(汗)