東鳩ss第四話「闇より迫り来る牙」 投稿者:風見 ひなた

 >プロローグ

 隆山市中央通りの一角にとある喫茶店がある。
 ちょっと変わったネーミングのその店は、いつもいろいろな客が訪れる。
 少し変なのは何も客に限った話ではなく、従業員も明らかに変な人間ばかりだ。
 毒物マニアなマスター、何故か猫耳としっぽのアクセサリーを付けて歩き回るウェイト
レス。あとはいつも男には不機嫌そうに応対する娘も雇っている。 
 その彼女曰く彼女の雇用主は、「他人を変人扱いする奇人」らしい。
 この意見に関しては本人を除き誰一人として反論する者はなく、不本意ながらマスター
はむすっとした顔で彼が評するところの「変人」どもから仲間扱いされる状態を甘受して
いる。
「まさたにゃん、ダージリン一つ、アッサム一つ追加にゃ」
 看板猫耳娘こと着物ゆかたがマスターに声を掛けた。
 マスターは一つ頷くと、奥からポットと茶っ葉の入った缶を取り出してくる。
 そんなマスターの様子をゆかたはスリッパでぱたぱた床を鳴らしながら見つめていた。
  妙なしゃべり方と変ちくりんな趣味を別にすればゆかたはかなりの美少女なのだが、誰
一人彼女をデートに誘ったりする者はいない。
 常連であれば彼女が限りなくこの店の共同経営者に近い存在であるということを知って
おり、そもそもケーキが売りの店なのであまり男性が入店しないこともあり、そして何よ
り命が惜しいので誰も声を掛けたりはしない。
 以前たまたま入ってきた一見がいきなり彼女をナンパし、その帰り道で突然の胃潰瘍を
起こした…という逸話はこのマスターであるまさたの武勇伝の一つである。
 まさた本人は否定しているのだが。
  ティーセットに茶を注ぎ、しばし待ってからじっと見ているゆかたにそれを差し出した。
「火傷しないようにね」
「うにゃ!」
 ゆかたはそれを盆に乗せてぱたぱたと駆けてゆく。
 まさたはコップを習性的に手にとって磨きながら、ウェイトレスの後ろ姿をぼーっと眺
めていた。
「恋人ですか?」そんな声が正面から聞こえてきた。
 見れば、真正面のカウンターに若い男が座っている。
 どう見ても新入社員といった年齢に似合わず、背広をぴしっと着こなしていて、真面目
そうな印象を与えてくる。
「ええ、まあそんなもんです」まさたは多少はにかみながら答えた。
「いいですねぇ。可愛い恋人を持つ、というのは人生の目的の三分の一を満たしています
ね」青年はしみじみとした面もちで呟いた。
「じゃあ、残った三分の二はなんですか?」とくすりと笑いながらまさたが訊く。
 青年は少し悩んだように啜っていたコーヒーカップの底を眺めると、にっこりと人好き
のする温厚な笑みを浮かべて答えた。
「決まった収入を得て、可愛い娘を作ることですか」
「なんだ、なら…」まさたはコーヒーカップを手に取ると元と同じくブルーマウンテンを
注ぎながら言った。「僕はもう三分の二を手に入れているわけですね」
 そしてコーヒーを青年の前に置いた。
 カップを持ち上げて、青年は少し頭を下げる。
「ええ。年齢もそう違わないのに全く羨ましいご身分で。だから、ブルマン一杯じゃ幸せ
の差も埋め切れませんね」
 そう言ってから、青年はおごりのコーヒーを旨そうに口に注いだ。
 淡い酸味が口の中に広がってゆく。
 そのとき青年の懐からけたたましい音が上がった。
 失礼、と青年は呟いてトイレに向かう。
 まさたは彼の物腰に何か好意的なものを見いだしながら、コップを磨いていた。
「琴音ちゃん、食べないんならそのレアチーズ貰っていいかにゃ?」
「え…あの…太るのが恐くないなら…どうぞ」
「恐くないからいいにゃん。あーん!」
「あっ…!」
「ふにゃ〜、おいしかったにゃ〜!」
「…………………………………………………………酷い」
 仕方ないな、とまさたは苦笑しながら「常連」と書いて「へんじん」と読むお得意さま
のために新しいケーキをショーケースから取り出した。
「騒がしい店ですね」いつの間にか戻ってきた青年が笑い混じりに言った。
「申し訳ありません、騒がしくて……」とまさたが恐縮する。
 青年は快活に笑うと、手を顔の前で振って見せた。
「いえ、いいんですよ。賑やかなのは嫌いじゃない……」
「まったく、あの子達も困ったもんですよ。あれでハンターを名乗ってるんですから」
 まさたの苦笑と共に吐き出されたぼやきに、一瞬青年の顔が引き締まった。
 だがあくまで一瞬のことであり、まさたの角度からは青年の顔を見ることは出来なかっ
た。
「ハンター…ですか。まだ未成年に見えるのに」
「一応あんなのでも街の平和は守れるんですね」
 青年の呟きに、まさたは笑いながら琴音達の方を見る。
 そしてその笑いがひきつった。
 見ると、ざわざわと琴音の紫色の髪が揺れている。
「………………………………………………………………ケーキ」
「こ、琴音ちゃんが食べていいって言ったんじゃにゃかったにゃか!?」
「わーーーっ、一般人相手に能力を解放しちゃ駄目だってば!」
「ゆかたさん、遠慮と辞譲っていう言葉を教えてあげます!」
「にゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」
 まさたはコップをカウンターに置くと、息を思い切り吸い込んだ。
「こらっ!店の中で暴れるなぁっっっっっ!」
 ぴたりと三人の動きが固まる。
 そして約三秒後に誰が悪いのかをぼそぼそと検討し始めた。
 そんな光景を見ながら、青年は立ち上がってサイフを開いた。
「いや、愉快な女の子達ですね。どこの所属です?」
「確か東鳩ssだったと思いますよ」
「そうですか。では次はもっとよく見ることにしましょう……」
 言葉の中に微妙な棘を隠しつつ、青年は笑いながら呟いた。
 そして札と一緒に名刺を取り出し、まさたに渡した。
 それを覗き込み、まさたは怪訝そうな顔をする。
「佐藤昌斗…さんですか?職業欄が……」
 その名刺には、ただでかでかと名前のみが書かれていた。
 他は何もない。電話番号、企業、住所、その他一切の情報は記されていない。
「いうのも恥ずかしい会社の雇われ人なんですよ」照れくさそうにそう言って、佐藤昌斗
は頭を掻いた。
 まさたはふーん、と呟きつつ右手を差し出した。
「これからもよろしくお願いしますね、佐藤さん」
「これはどうも……」
 手を握りあった瞬間、まさたの眼が少し輝いた。
 ほんのわずかな時間だった。佐藤の顔が少し強ばり、やがて互いに笑い合った。
「では今から仕事ですので」
「そうですか。頑張って下さい、とは申せませんが……せめて命は大切に」
「皮肉……とは取らずにおきますよ」
 そんなやりとりの後、佐藤昌斗は颯爽と「河豚風味」を出ていった。
(一期一会、いろんな人が来る………)
 まさたはふっと笑うと、またコップを掴んで磨き始めようとする。
 ただわずかな呟きと共に。
「あなたは仕事の名の下に……また何人の人を殺めるのでしょうね」

 店の外に血の臭いをした風が吹いた。


  東鳩SS第四話「闇から迫り来る牙」


 >Aパート

 >「塔」

 ストーンを使用して様々な特殊な現象を引き起こせる者を「能力者」と呼び、その中の
一部の人間は世界規模で展開される「ハンターズギルド」に所属して「ハンター」となる。
 「能力者」の中にも様々な者がいる。
 ある者は暗殺者に、ある者は特別公務員に、ある者は全ての能力を封印して一般人に。
 そしてその能力こそ千差万別である。
 だが、汎用的に能力を行使する「魔術」という技術が存在するように、その能力をタイ
プによって分類することは決して不可能ではない。
 むしろハンター達の場合はそれらによって整理することでリストを作成する。
 そして能力の中には当然禁じられたものもある。
 それが、「化物繰り」だ。
 ある特定のの化物と意識をシンクロさせ、手足のように扱う。
 世界でも少数の者のみが、この技が人の技ではないことを知っている。
 「運命大典」に曰く。
『所詮運命の輪にからめ取られる人という存在が運命に囚われぬ化物たちを操るというこ
とはあり得ない。それが出来る者は化物に支配されているのか、或いはその者自身が化物
なのであろう』
 通常、ハンター認定試験でこの能力を発見された者は秘密裏の内に「処理」される。
 だがそれはあくまで外面的な世界の秩序を保とうとするハンターギルド上層部の愚行に
過ぎない、と考える者もいる。
 暗殺組織「塔」総帥、久々野彰もそんな一人だった。
 彼は運命大典の内容を熟知していながら、その上で化物繰りを保護した。
 しかしそれは特定の思惑があってのことでは決してなかった。
 むしろ彼はその組織内にあらゆる種類の能力者を揃えておくことを目標にしていたとい
えるだろう。
 だが彼は化物繰り達を優遇したというわけではない。
 保護はしたが、彼の化物繰り達を見る目は物を見るときの目だったという。
 当然だ。
 彼にとっては、化物など所詮は滅ぼすべき対象に過ぎないのだから。
 そんな化物繰り達も、塔の中においては取り合えず久々野彰と月島拓也を除いては誰に
も卑下されることはなかった。
 彼ら二人以外の何者も、化物繰りが忌避されるべき存在であることを知らなかったから
だ。たとえそれが副総帥である岩下信であっても。
 だから、今回岩下が二人の暗殺者に任務を与えたことは決して不思議なことではなかっ
た。


 >来栖川エレクトロニクス研究所

「なんだか、夜中に怪談を実証するため学校に忍び込んだ高校生って感じよね」
 それが来栖川綾香の今回の仕事に対する感想だった。
 ぎくっとして志保の動きが強ばる。
「ちょ…ちょっと、妙なこと言わないでよ」
「だって、あんまりにも現実離れしてるじゃない」
「くぅぅ…考えないようにしてたのにっ……」
 志保が苦笑を漏らす。それは、恐怖を押し隠そうとする類のものであった。
 綾香は意外なものを見る目で志保を眺めやった。
(この子、怪談話が苦手だったのか……)
 それでまあよくもこの仕事をやっていられるものだ……と思ったが、考え直す。
 なにせこれまでの敵と言えば電気トカゲや火豚などどこかユーモラスな敵ばかりである。
 だが、そのいずれもが伝聞型の話として聴けば怪談に相当するものではないか。
 志保の感じている恐怖というのは「正体の分からないもの」への恐怖であり、その正体
さえ非現実現象具現化エネルギー結晶生命体、「化物」だと分かってしまえば一向に恐怖
など感じないと言うことなのだろう。
 まあ、怪談という受け取り方をされるのも仕方ないことだ。
 なにせ、夜中いきなり研究員が獣の牙のようなもので噛み殺されるというのだから。
 もちろんエレクトロニクス研究所に獣など現れようはずもない。
 そして獣の生活跡……糞や毛なども見つからない。
 さらには被害者の数がもう二桁に及ぼうとしている。
 恐怖した研究者サイドがストを起こして集団出所拒否を主張したこともあり、東鳩SS
は研究員達のいない研究所で調査を行うことになったのだった。
 おまけつきで。
「何であの連中がいるのかしら……全く、姉さんも何考えてるのか」
 綾香はそう呟いて頭を押さえた。
 志保のディスプレイ上には白い光点と赤い光点がある。
 この内の白は東鳩SS、赤は十月処理者派遣局だ。
 今回の任務は十月と共同で当たることになっている。
 先ほどまでさんざっぱらメンバー総動員で調査をしていたのだ。
 もっとも、その調査もすでに戦闘メンバーに出来る範囲のことは全て終わってしまった。
 今は志保とUMAが張り巡らした包囲網に目標がかかるのを待つばかりである。
 戦闘メンバーは二人組に分けれて待機しているのだった。
「社長には分かってるんでしょうね、敵の強さが……」志保がぽつりと呟いた。
 綾香が横目で志保を見る。
「だから十月にも協力を要請した…って言いたいわけ?」
 志保は明確には答えなかった。
 代わりに、肯定ととれる台詞を口にした。
「いいわよね、何でも解ってる人は……下っ端は言うとおりに働くだけだわ」
 綾香は反論しようとして……それに口を差し挟む隙がないことを発見する。
 いや、そのようにできる立場ではないのだ。
 自分とて何も知らされてはいないのだから。
 綾香は頭を掻くと、不意に立ち上がった。
 志保が見咎めて顔を向けてくる。
「どこ行くの?」
「………今回の仕事、あたしは降りるわ」
 志保はぎょっとした表情を浮かべた。
 何故突然任務放棄に走ったのかが掴めないのだ。
 綾香はそんな志保に笑顔を向けると、それから困ったような表情を作った。
「あたしには他にしなくちゃならないことがあるから……今回はマルチを参加させるわ」
 志保はますます戸惑った。
 マルチには確かに戦闘用装備が搭載されているが、マルチ本人の性格によりそれが使用
されたことはない。綾香の代わりを埋められるような戦闘力は持ってないし、何よりも綾
香の戦闘指揮はこういう集団戦では欠かすべきでない。
 だが、綾香の表情は固く志保が何を言っても聞き届けそうになかった。
 志保は綾香の顔を見つめると、一つだけ訊いた。
「帰って…くるわよね?」
 綾香はその言葉に吹き出すと、こんと志保の頭を叩いた。
「当たり前じゃない」


 美加香と琴音はぼーーーっとひたすらに廊下に座り込んでいた。
 ただただ時間が流れてゆく。
 二人は一言も喋らないまま虚ろな目で何もない宙を見つめ続けた。
 ………………………………………………………………………………………………。
「ねえ、美加香ちゃん」ついに沈黙に耐えかねた琴音が瞳の焦点を合わせ、横の美加香を
見た。
「ん………?」と美加香はぼんやりと濁った瞳を琴音に向ける。
 琴音はびくっとしてちょっと引いた。
「み、美加香ちゃん……目が死んでない?」
「………かもね」
 覇気が全く感じられない。
 琴音はおそるおそるといった体で美加香の顔を覗き込んだ。
「な…何があったの?」
「いや…ちょっと、今回と次回辺り出番がないよーな気がして………」
 そう言うと美加香は大きく欠伸した。
 琴音は頭に汗マークを浮かべつつ心配そうに美加香を見る。
「大丈夫?頭、生きてる?」
「うん、大丈夫なんだけど……多分前回の事件で頑張りすぎたから反動が来たんだと思う…」
 まあ、そんなこともあるかも知れない。
 琴音はふうっと息を吐くと、また虚空を見つめた。
 今回はそれでいいだろう。
 戦士の休息という奴だ……。

 そうやって本人が腑抜けてる間にも、気合いを込めている者もいる。
 葵はただじっと座禅を組んで念じ続けていた。
 イメージトレーニングをしているらしい。
 理緒はただひたすらにそうやって目を閉じる葵を見つめていた。
 相当に暇らしい。
 やがてぷはっと息を吐き出して、葵が目を開く。
 理緒は札の枚数をチェックしようとポーチを開きながら、葵に声を掛けた。
「誰と戦ってたの?」
 どきっとして葵は理緒を見つめ返した。
 心の中を見透かされたような気分になり、絶句する。
 理緒はくすっと笑うと、狼狽する目を見た。
「イメージトレーニングは悪い事じゃないわよ。私もよくそうやって練習するから」
 冗談めかした口調。
 だが、その中に何か鬼気迫るものを感じて葵は少し気圧された。
「そういえば……理緒さんは敵を追ってたんですよね?」
「まあね」理緒は苦笑する。「顔さえ知らない奴だけど……」
 その表情とは裏腹に、手に持った札がきつく握られる。
「いつか、必ず追いつめて……復讐する」
 ぞくっ。
 葵はこの状況の恐ろしさを肌で感じ取った。
 今の理緒はいつものおちゃらけた万年貧乏娘ではない。
 自分の命を賭けて戦い続けることを決めた復讐鬼だ。
 葵は自分の未熟さを切に感じた。自分は理緒のように修羅の道を選んでいない。
 琴音のような生きる辛さも体験していない。美加香のように訳も分からず戦うがむしゃ
らな気概も持っていない。
 不意に自分がとてつもなく幼稚な価値観で戦うことを選んでいるような気がした。
「で……誰をイメージして訓練していたわけ?」
 理緒の声で我に返る。
 いつのまにか理緒の表情は落ち着いたものになっていた。
 いつもなら葵は「綾香さん」と答えただろう。
 だが、今日は違っていた。
「……美加香さんです」
 そうだ、と葵は確認した。
 自分は美加香が妬ましいのだ。突然現れて自分以上の才覚を発揮した美加香を嫉まずに
いられないのだ。強くなるために何の努力もしていないくせに。
「そう、あの子……」理緒は頷いて、ため息をついた。「なら、葵ちゃんは今よりもっと
強くならなくちゃね………」
 その言葉に、葵は歯がみする。
 まだ、まだ足りない。
 自分が美加香を越える日は、まだ遠く先にあった。

 ルーンはコートのポケットに手を突っ込んで壁にもたれかかっていた。
 鋭い眼光を扉の外に向けている。
「………気にいらんな」そうぽつりと呟いた。
 聞きとがめてセリスが振り向く。
 訊くまでもなく、もう一度呟いた。
「気にいらん」
 セリスは軽く眉を吊り上げて、ルーンを見やった。
「何が気に入らないんだ?」
 ルーンはふん、と鼻を鳴らすと壁を軽く叩いた。
「あのオルフェとかいう男だ。来栖川警備保障第………」
 がたん、と扉が開いた。
 扉の向こうから眼鏡を掛けた青年が入ってくる。
 来栖川警備保障の制服を着込み、帽子には紋章が輝いていいる。
 胸のバッジは彼が「隊長」であることを示していた。
「来栖川警備保障第二小隊隊長オルフェ……お呼びになられましたか?」
 そう言うと青年は慇懃無礼に会釈をした。
 ちっ、とルーンが忌々しげに舌打ちする。
「立ち聞きか?趣味が悪い隊長殿だ」
 セリスは珍しい物を見る目でルーンを見ていた。
 この男がこうもはっきりと敵意を露にするというのは通常ありうべからざる事だ。
 オルフェは薄く笑うと、こくりと頷いた。
「ここは本来私達の縄張りなのでね。そこで外の方がどのように戦略を立てて下さるのか
非常に興味があるんですよ」
 セリスはほう、と感心した。
 言ってくれる。遠回しに牽制しているわけだ。
 ルーンも負けてはいない。
 一つ頷きを加えると、オルフェの顔を挑戦的に見つめた。
「そうか。まあ自分たちの縄張りを守れない番犬は猟犬の技を一度脳に焼き付けておくべ
きではあるがな」
 オルフェの額がわずかにひきつる。
「もっとも………無能な犬はすぐに見た物を忘れる。困ったものだ」
 ルーンは追い打ちをかけた。
 オルフェは切れるかと思いきや、余裕ある笑みを作る。
「自信ある犬ほど失敗したときに落ち込むものです……この仕事が終わったとき、ハンタ
ーを続けられることを願って止みませんよ」
 ルーンの口元が細かく振るえた。
「……飼い主の手に咬み付く犬は処分される。注意することだ」
 そんな二人のやりとりを観察して、セリスは気付いた。
 この二人、同類だ。
 青い制服を着た同類の片割れはうやうやしく一礼すると、ドアを出ていった。
 ルーンはオルフェが去った後もしばらくドアを見つめていたが、やがて「気にいらん」
と呟いた。
 セリスはそんなことよりあの男が何しに来たのかの方がはるかに気になったのだが。
 しばらく待ってもオルフェは帰ってくる気配がなかった。
 もしかするとわざわざ同類に挑戦状を叩きつけに来たのかも知れない。
 やがてセリスはぽん、と手を打った。
 あることに気が付いたのだ。
「そう言えばへーのきも来栖川警備保障の部隊長をやっていたんじゃなかったか?」
 セリスのそんな呟きは、虚しく虚空に消えていった。
「気にいらん」そう言うと、ルーンは手帳を開きへーのきの名前の下に「減棒」と書き加
えた。

 カレルレンは電灯の下で恋愛小説を読みふけっていた。
 はっきり言って、真面目に仕事をする気があるのか疑わしくなってくるような光景だが、
カレルレン本人は至って真面目に仕事をしているつもりだった。
 何故こんな男が十月で働いているのかは誰も知らない。
 ルーン本人は何も語らないが、「お茶くみで雇ったらたまたまハンター能力があったこ
とが判っていつのまにか正社員になっていた」という噂が同業者間ではまことしやかに囁
かれている。
 それほどカレルレンは「弱い」のだった。
 戦闘能力的にも、能力者としてのパワーレベル的にも。
 そんな彼の横でへーのきは黙って腕を組んでいた。
「うーーむ……」へーのきは呻った。
 カレルレンは全く意に介さずページをめくっている。
 しばらくぱらぱらとページをめくる音だけが夜の中の電灯に満ちた部屋を満たしていき、
やがてへーのきは再び呻りをあげた。
 これがここ数時間ずっと繰り返されている。
 やがてへーのきは意を決したようにがばっと立ち上がると、ぐっと右手を握った。
 その手の中には来栖川の紋章が煌めいている。
「カレルレン!」
「はい?」
 力強いへーのきの言葉に反して間抜けな返答をしたカレルレンは、怪訝そうに先輩を見
た。
「どうしました、そんなに恐い顔して」
 へーのきは悲痛とさえ言えるような表情を作ると、カレルレンの目をじっと見つめた。
「頼む、カレル。俺がしばらく留守にしている間、誤魔化しておいてくれ」
 そう言うとへーのきは発振器を取り外した。
 志保とUMAのコンピュータにつながっている物である。
「へーのきさん、でも盗聴器が……」
 カレルレンは自分たちの服に取り付けられた盗聴器の存在を喚起した。
 だが、へーのきは胸襟から盗聴器を出してくると、その根元に付けられた小さなスイッ
チを指し示した。
「切り替えが作動して、偽情報が流される…念のため、お前のも既に起動済みだ」
 カレルレンははっとして胸襟を調べた。
 小さなボタンに付けられたスイッチは既にへーのきと同じ向きに入っていた。
 いつの間にこんなことを………。
「カレル、俺の一生で一度の頼みだ。見逃してくれ」
 カレルレンは小説をたたむと、目を閉じた。
 へーのきはただその返事を待ち続ける。
「……それは……何より大切なことなんですか?」
「大事な友達が俺を待っている」
 へーのきのきっぱりとした返事に、カレルレンは頷いた。
「……行ってらっしゃい。敵が現れる前に帰ってきて下さいね」
 へーのきは黙礼した。
 そして、顔を上げると猛スピードで部屋を飛び出していった。
 カレルレンはふっと息を吐き、小説のページを再び広げると椅子にもたれかかる。
 ページを繰りながら、思い出したように呟いた。
「ただ、愛のために……………か」


 >Bパート

 >来栖川エレクトロニクス研究所…の真下

 塔の能力者達の中には様々な経歴を持つ者がいる。
 ある者はハンターだった過去を買われた。過去を語ることをしないという条件で。
 ある者は塔で専門の教育を受けた純粋培養者。生粋の暗殺者だ。
 中には元犯罪者もいる。或いは色々な事情で外で生活できなくなった能力者も。
 彼らに共通するのは「過去がない」ということだ。
 総統である久々野の過去を知る者とていないのだから。
 だが、例外は存在する。
 例えば暗殺を生業とする一族の末裔。
 佐藤昌斗もそんな一人だった。
 彼の一族は代々「塔」に忠誠を誓う暗殺者の一族である。
 幻術と忍術を組み合わせた独自の暗殺術で永くその血を続けてきた。
 彼らにとって殺しは仕事。
 完全に割り切った倫理観を持ち、日中は気のよい一般人として生きる生活。
 だが、そんな彼らの血もついに途絶えようとしていた。
 純血を守るための近親婚の結果血は濁り、同業者に忌まれるべき血族は忌避され、淘汰
されてきた。
 もはや彼の一族には純血者はいない。
 そして、余所の血が混ざった一族さえただ一人を残すのみだ。
 彼の従妹、隆雨ひづき。
 昌斗の叔父の忘れ形見…らしい。
 らしい、というのは確証がないからだ。
 一族以外の者と子を成した彼女の父は裏切り者として制裁を受ける身となった。
 だが彼は逃げ延び、身重の妻を連れ姿を消した。
 それから十数年。
 昌斗以外の一族が全て他の暗殺者の一族によって惨殺されたとき、刀一本と一族の名前
だけが残った彼の前に彼女は現れた。
 一枚の家族の写真だけを携えて。
 いつしか昌斗は一族の仕事を受け継ぐ身となった。
 それでもひづきにだけは何も知らせず、彼は夜中に抜け出し仕事を続けた。
 しかしそれも長くは続かない。
 ついにひづきは昌斗が「仕事」を遂行している現場に居合わせてしまう。
 ひづきはそれを、受け入れた。
 やがて彼女も「塔」のリストに名を連ねる暗殺者となった。
 今ではひづきは大事なパートナーだ。
 それでも昌斗はいつも思うのだ。
 本当にこれで良かったのかと。
 ひづきには汚い世界など見せるべきではなかったのではないかと。

「昌兄、何考えてるの?」
 その声で昌斗は我に返った。
 軽く頭を振り、昌斗は弱々しい笑みを浮かべた。
「いや…何でもない」
 しかしひづきはふぅとため息をついた。
「まーた悩んでたのね?言ったでしょ、私は後悔してないって」
 そう言われても、割り切れない事ってのはあるだろう…?
 昌斗は声にせずに心の中で問いかけた。
 しかし、口から出たのは全く違う言葉で。
「いや…有り難いと思ってるよ。お前の協力は」
 ひづきはうんうんと大いに頷いた。
「そうでしょうそうでしょう。やっぱり助け合ってこそ従兄弟ってもんよね」
 ひづきが昌斗の正体を知ったときに言った言葉……。
『護ってくれなくていいから、側にいて』
 それはひづきの独立心から出た言葉なのだろうか。
 それとも他の何かからか?
 昌斗には分からなかった。
「そんなことより、仕事の話しない?」ひづきは昌斗に言った。
 全くその通りだ。今は任務中ではないか。
 昌斗はこんな時にまでぼんやりしてしまう自分の間抜けさにちょっと自己嫌悪を感じた。
 私生活では完璧なまでに毅然とした態度をとる彼も、従妹の前では形無しだ。
 それだけ従妹に、たった一人の血族に信頼を抱いているという事か……。
「とりあえず確認するけど、今回の任務は目標とされるアンドロイドの破壊。…昌兄は一
度遭遇したことがあるのよね?」
 ひづきの問いに、昌斗は頷いた。
「ああ。以前侵入したときに交戦したが……異常に強かった。やむなく撤退させられた…」
「で、今回は私がバックアップに付くわけなんだけど…これまで五回も侵入しては、発見
できなくて、逆に研究者に発見されて…口封じしてきて…」
「来栖川警備保障のオルフェどもに追い払われてきたわけだ」
 昌斗はひづきの言葉を引き継いでから、顎を撫でて考える体勢に入った。
 やがて、ぽつりと呟く。
「お前の腕が悪すぎるから見つかってるんじゃないのか?」
 ぎくっとひづきの動きが止まる。
 やがてばっと立ち上がると、噛み付くように昌斗に迫った。
「そんなことないもんそんなことないもんそんなことないもんそんなことないもんそんな
ことないもんっ!大体昌兄が初めの一回で仕留めれば私の出番もなかったじゃない!」
 その迫力に気圧され、思わず昌斗はたじたじになる。
「わ、わかった…」
「昌兄が悪いって認める?」
「認める。認めるから………」
 ひづきは満足したように悠然と頷くと、黙って敷地内の見取り図を広げた。
「それじゃあ昌兄のミスのせいで取り逃がしたアンドロイドの保管場所を推理してみまし
ょうか」
 その口調に昌斗は憮然としたが、口で言っても絶対に勝てないと分かっているので敢え
て反論せずに黙って見取り図を眺めた。
 ひづきはとんとんと地図の一点を叩きながら、くすっと笑った。
「まあ、もっとも今回は負けはないわね。これまでの調査で場所は大体絞れたし、昌兄は
伝家の宝刀を持ってきてるし……」
「当たり前だ。これが岩下さんが示した最後のチャンスなんだからな」
 そう言いつつ、自信に溢れた笑みで昌斗は腰の刀を撫でた。


  >来栖川エレクトロニクス研究所

 ルーンは半眼でセリスの狂態を見つめていた。
「マルチ、僕が護ってあげるからね。僕の後ろに隠れているんだよ」
「は、はい…」
 喜色満面といった体で締まりのない笑みを浮かべている部下を見やって、ルーンは吐き
捨てるように呟いた。
「気に入らないな」
 マルチはそれでもセリスの前でもじもじと手の指を何回か交差させ、俯きながら喋ろう
とする。
「あの、でも私は今回戦うために派遣されたわけですから……やっぱり前に出て……」
「いいんだって!マルチは戦うキャラクターじゃないんだから!」
 …いい加減にしやがれ。
 ルーンは痛む頭を押さえて心の中で毒づいた。
「それとも…マルチ」セリスはにわかに引き締まった真面目な顔を作る。「僕が君の代わ
りに戦う…それじゃあ不満かい?」
 マルチは返答に窮して、自分の余った袖をいじった。
 そして、蚊の鳴くような声で
「それはもちろん嬉しいんですけど…」と呟く。
「じゃあ、何の問題もないじゃないか。僕はマルチの代わりに。マルチのために戦うさ」
(どうせマルチが戦うような出番はきやしないさ)
 ルーンは全身に虫酸が走るのを感じながら、そう思った。
 彼は全て知っている。
 今回の敵の正体も、その目的も。
 だから、マルチが戦うような場面などありはしないことを知っている。
 少なくとも予定の内には入っていない。
 目標を破壊して敵は撤退。こちらは十月も東鳩も敵を取り逃すも、化物を退治。結局
目標を破壊した敵は事件とは無関係だったことになり、めでたく事件は円満に解決。
 それが今回の事件のシナリオだった。
 化物を退治するのは自分かさもなければ綾香の仕事であり、断じてマルチなどの出番は
ない。
(勝手に吠えているがいい、馬鹿者)
 ルーンはセリスを見て、そう心の中で呟いた。
 やれやれ、計画を仕込むというのは厄介なことだ………。


 >東鳩SS事務所

 芹香はこの時間、来栖川の重役会議に出席しているはずである。
 だが、今綾香の前に座っているのは間違いなく芹香以外の何者でもなかった。
「姉さん」綾香は剣呑な目つきで芹香に迫った。「今日こそ洗いざらい吐いて貰うわ」
 芹香は黙って、膝の上でごろごろと喉を鳴らすエーデルハイドの頭を撫でている。
 そんな芹香を見て綾香は苛立った声を上げる。
「姉さん!教えて……みんなは一体何を企んでいるの!?」
 芹香はやはり反応しない。
 ただ猫の頭を撫でるだけだ。
 綾香はそんな姉の挙動を咎めるわけでもなく、訊き続ける。
「ショウ、ルーン、梓、それに姉さん!みんなあたしに黙って何をしようとしているのよ!」
 返答はない。
 だが、確実に聴いてはいる。
 綾香はそう確信して芹香に詰め寄る。
「よりにもよって今回のあたしの仕事は……ルーンと共同であの子を破壊する手伝いをこ
と…?いい加減にしてよ、姉さん」
 綾香はすっと息を吸い込んだ。
 怒りが体の中を充満する。
 それを押さえ込もうと、必死に呼吸を整えようとする。
「納得できないわ。姉さんが何を思っているのか…それを知るまでは、あなたの言うとお
りには動かない」
「…………………」
 初めて芹香が唇を動かした。
 そしてそれは、綾香には理解できない物だった。
「あなたは…何回繰り返しても…同じ事を言う……?それ、どういう意味なの?」
 芹香は失言だった、とでも言うように俯いた。
 綾香は机を殴りつけた。
「教えて姉さん!みんなはあたしに何を隠してるの!?」
 芹香はエーデルハイドの頭を撫でると、その耳に一言囁いた。
 たちまち黒猫は扉の向こうへと跳ねてゆく。
 芹香はふっと息を吐いた。
「綾香…あの子はセリオじゃないわ。セリオはもういないのよ」
 はっとして綾香は芹香の顔を見た。
 芹香は淡々と語り続けるのみ。
「あの子はセリオを模した単なる機械。そして、今邪魔になったから……捨てる。それだ
けのことなの」
 綾香は混乱する頭で姉を見つめた。
「姉さん……何言ってるの?じゃあマルチは?マルチは認められて、あの子は駄目なの?」
 芹香はゆっくりと頭を横に振る。
「言っても分からないわ。あの子が必要ない特別の理由がある……」
「そしてそれは、あたしには言うわけにはいかないって事……」
 綾香は皮肉を込めてそう呟く。
 そして、それを芹香が肯定したとき綾香は二重のショックを受けた。
 ふと、綾香の頭の中に先日の信じがたい出来事が浮かぶ。
『この前、ハイドラントに遭ったわ。黒い翼を生やして、まるで化物のようだった……教
えて、姉さん。あれは一体何なの?』
 そう言えば…きっと姉はショックを受けるだろう。
 だが、ここで言うわけにはいかなかった。
 この情報は、最後の手段だ。まだ大切に取って置かねばならない。
 芹香は綾香を見て、そしてひどく哀しそうな眼をした。
「分かって、綾香。あなたの手で葬ってあげられる分、精一杯の譲歩なのよ。本来はあの
子は黙ってプレスすることだって出来たのだから……」
「じゃあ、何でそうしないの?」
 一瞬の沈黙の後に、芹香は答えた。
「あの子の力を……信じたいから」
 そのとき綾香は理解した。
 芹香も、ジレンマの中で迷っているのだ。
 理由は不明だが、あの子は破棄しなければならない。だが、芹香は理屈で分かっていて
もそうはしたくない。だから、わざわざルーンと自分に破壊任務を託し、あの子の力を測
っているのだ。そして、生き延びれば生かすつもりなのだろう。
 ならば、これ以上は追求できない。してはならない。
 一つだけ分かったことは、この人は自分の大切な、尊敬する姉であるということだけだ。
 綾香は黙って立ち上がった。
 芹香はそんな妹を見て、呟いた。
「そう…あなたはいつ東鳩SSに所属していても、そうやって闘おうとする…」
 綾香はそれを聴いて、顔を歪めた。
「変な言い方ね。まるで東鳩SSがたくさんあるように聞こえるわ」
 芹香は憐れむような、愛おしむような形容しがたい表情を浮かべると、頷いた。
「その通りだとしたら?」
「え?」
「東鳩SSが………もしも何回も存在して、そしてそれが繰り返しているとしたら?」
「………これが最後の………東鳩SSじゃないって事?」
「………………………………」
 芹香は答えずに立ち上がった。
 綾香はいっそ不安そうな表情を浮かべている。
「今から、『塔』に行って、久々野さんに掛け合ってくるわ。あの子を殺さないように…」
「姉さん……!」
 綾香はいくばくかの驚愕と共にその言葉を聴いた。

 ドアの後ろには人影があった。
 先ほどエーデルハイドが出ていったドアである。
 そこには少年が立ち、なにやら難しげな表情を浮かべていた。
「綾香は何か掴んでるな……お師様に報告せねば………」
 少年はそう呟くと、ふっとその姿を消した。
 後には黒い子猫が残っていた。


 >来栖川エレクトロニクス研究所

 へーのきは震える手でそのコードを打ち込んだ。
 祈るような表情でディスプレイを見つめている。
 やがて表示が切り替わり、文字が走った。
『認証キーを入れて下さい』
 ………受理された。
 へーのきは内心の感動を押さえ込みながら、来栖川の紋章を取り出した。
 警備保障時代に帽子に付けていた物だ。
 昔、ハッキングした際に得たキーを内蔵した紋章のコピー…果たして今でも通じるのだ
ろうか。
 ストーンの輝く紋章を机のくぼみに差し込み、入力キーを押す。
 素早くディスプレイが明滅した。
『あなたを関係者と認定。ドアを開きます』
 途端、部屋の隅に意味もなく置かれていた巨大なパイプオルガンが動く。
 どう見ても一トンはありそうなそれが譲ったそこには、綺麗に輝くドアがあった。
 へーのきは唾を飲むと、そのドアに手を掛けた。
 開く。
 ゆっくり過去の記憶をたよりに階段を下ってゆく。
 そして、そこには忘れ物があるはずだった。
 彼女に言わねばならない。
 あのとき言えなかった言葉を。
「今、遭えるぞ……プリンセス………」
 へーのきはゆっくりと廊下を歩いていった。
 この先に、アレはあったはず。
 姫の閉じこめられている、機械の城。
 そして、それはあった。
 時を経ても変わらず、へーのきのはるか頭上に巨大な箱があった。
 へーのきは手近なディスプレイの電源を入れると期待に胸を膨らませ、応答を待った。
 だが、ディスプレイは何の返答も彼に与えようとはしなかった。
 へーのきの顔に焦りが浮かぶ。
「こんな、馬鹿な…………」
 箱にアクセスできない。
 何故だ?何故ディスプレイが反応しない?箱とコミュニケーションを取るためには必須
の物ではないか。
 どうして、通じないのだ…………。
「あなたはそこで何をしているのですか?」
 へーのきは不意に背後から聞こえてきた声に立ちすくんだ。
 誰だ、この声は…………。
「あなたはそこで何をしているのですか?」
 声は変わらぬ抑揚で繰り返した。
 へーのきはおそるおそる振り返る。
 そこには長い髪の少女が銃器を構えてこちらを見ていた。
 よく見ると銃器を持っているのではない。腕から生えているのだ。
「ここは立入禁止区域です。あなたは来栖川の関係者ではないはず」
 こいつは、洒落になりそうでない。
 明らかに少女は行動によっては撃つつもりだ。
 へーのきはごくりと唾を飲み込むと、上手い弁解方法を考えつこうと努力した。
 だが、思いつかない。
 仕方なく本当のことを言おうとしたとき、かつんとまた違う靴の音がした。
「彼は前第二小隊隊長、へーのき=つかささ。俺の先輩だよ」
 へーのきは目を見張った。
  そこにいたのは確かに自分の知っている者だった。
 だが、どことなく違和感を感じる。
「オルフェ……なのか?」
 へーのきはおそるおそる訊いた。
 オルフェはにこりと笑うと、一礼した。
 へーのきはその態度にも表情にも以前知っていた彼とは違うものを見ていた。
「感じが、変わったか?」
「上に立つ者の貫禄…というやつですよ」
 そう言ってオルフェは悠然と笑った。
 眉をしかめ、へーのきは首を振った。
「傲然とした態度が貫禄になると教えた覚えはないが」
 オルフェは笑って皮肉を受け流した。
「第二小隊も変わったものだな。傲慢をもって徳とする俗物の集まりか」
「なに……以前の潔癖で優秀な隊員方は、あなたが退社された日に全員いなくなってしま
いましたのでね」
 痛烈なカウンター。
 へーのきは怒りを隠そうともせず、元後輩を睨み付けた。
「貴様…俺が無能だったせいでみんなが死んだ、そう言いたいのか…!」
 オルフェは頭を何度か振った。
「いえいえ……先輩に到底及ばぬ若輩の身で何を批判するというのでしょう?」
 絶対に、この男は変わった。
 へーのきは胸の中で断言した。
 何が誠実さが取り柄のこの男をここまで傲慢な皮肉家に変えたのかは分からないが…。
 そのとき、横にいた少女が近寄ってきた。
「お取り込み中のところ済みませんが、ここは立入禁止区域に指定されています。いくら
隊長やハンターの皆さんとはいえ、ここにいてはなりません」
 へーのきはその眼を見て、ハッと気付いた。
 この少女……機械か。
 オルフェは首をすくめると、さっさと背を向けてしまった。
「彼女は俺なんかよりはるかに権限を持ってるんですよ。早く出て行かなきゃ、撃たれま
すよ」
「待て!」へーのきは鋭い声で静止した。
「一つだけ教えろ!箱の中の彼女はどこに行った!?」
 オルフェは振り返ると、皮肉げな笑みを浮かべて肩を少しだけ持ち上げた。
「さあ、ね。企業秘密を俺なんかが知るわけありませんや」
 そして、とっとと立ち去ってゆく。
 へーのきはちらりと振り返った。
 相変わらず少女は無表情にハンドマシンガンを構えている。
「………さよなら」へーのきはそう呼びかけると、その場を立ち去った。
 少女はしばらく銃を持ったまま立ちつくしていたが、やがて呆然とした口調で呟いた。
「何故………懐かしいの?あの人の声………」
 血の通わぬ機械の身体から、涙がこぼれた。


 >インターミッション

 >「塔」

 今晩がタイムリミットだ。
 この時を過ぎても目標を破壊できない場合、佐藤昌斗と隆雨ひづきは無能と判断され処
分される。
 だが、岩下は今そんな些末なことには関わっていられない気分だった。
(なんだ……この焦燥は………)
 岩下は先ほどから脳を駆け回る電流に悩ませられ続けてきた。
 何か、大きな変化が自分の身に起ころうとしている。
 そして、自分はそれを待ち望んでいる。
 三年の長きにわたり自分の心を支配してきた空虚感の正体が分かろうとしている。
「おまえが岩下信、か?」
 はっとして岩下は振り返った。
 そこには岩下が非常に良く知った男が立っていた。
「紅……西山英志っ!?どこから入ってきたんだ!?」
 黒っぽい服に身を包んだ西山は、不敵な笑みを浮かべてその言葉に反応した。
「俺の部下には『塔』の出身者が二人もいるんでな。道案内はお手の物だ」
 岩下はちっ、と舌打ちした。
「長瀬祐介と……結城紫音か…」
「これを教えてやるのは、お前を仲間と見込んでのことだ」
 紅の言葉に、岩下はきょとんとした表情を浮かべる。
 一瞬のちに、それは冷笑へと変わった。
「あなたは馬鹿か?何故私があなた達に協力せねばならん……私は『塔』のナンバー2、
久々野総帥の忠実な僕だぞ!」
 だが、紅はゆっくりと首を振った。
「いや……お目覚めの時間だ、岩下信」
 西山が指を鳴らすと、天井裏から一人の少年が降りてきた。
 まだ幼さを残した顔立ちに、険しい眼がくっついている。
「な…長瀬祐介!?」
 岩下は顔を強ばらせた。
 長瀬源四郎の孫でありながら「塔」を脱走した裏切り者。
 太田香奈子の邪魔をしたのも確かこいつだったはずだ。
「岩下信……あなたが元に戻る日が来た!」
 そして、岩下の絶叫がこだました………。

「副総帥!?」警備兵達が険しい顔をして乱入してきた。
 岩下の悲鳴………あり得ることではないが、外敵の侵入か。
 だが、警備兵達が予想したようなものはここにはなかった。
 代わりに、彼らが身を案じた副総帥が机の上に足を載せていた。
「閣下、どうなさいました!?」
 岩下は彼らにひきつった笑みを向けると、足を指さした。
「いや……机の角に小指をぶつけてしまってね。心配かけてしまった。すまないね」
 警備兵達はほっとした表情を浮かべると、一斉に一礼した。
「なんだ……驚きましたよ。では我々は失礼します」
「ああ、ちょっと待った」
 岩下の声に、一同は振り返る。
「――ご苦労様」
「はっ!」
 岩下のねぎらいの言葉に、嬉しそうに敬礼すると警備兵達は素早く部屋を出ていった。
 しばしの沈黙。
 やがて、もぞもぞと机の下から紅と祐介が現れる。
 紅は岩下に視線を向けると、訊いた。
「何をすればいいのかもうわかっているな?」
 岩下は輝く目で頷くと、ぎゅっと拳を握った。
「瑞穂を…助け出す。そのために、久々野総帥を……倒す!」


 >柏木家

 真っ暗な広い家に、今一人の少女が立ち入ろうとしていた。
 おかっぱ頭、物憂げな瞳。
 日本人形のような静かさを持った少女はゆっくりと歩いてゆく。
 そしてその後ろには二人の少年が同行していた。
 その容姿はそっくりだが、片一方は穏やかで気弱そうな、もう片方は気が強く自信に溢
れた表情である。
「……誰だっ!」
 その誰何(すいか)の声が少女に浴びせられる。
 ばっと表情のきつい方が少女の前に飛び出し、気の弱そうな方が後ろを護る。
 声を投げかけた方はゆっくりと暗い庭の中から現れた。
「ここは柏木家。鶴来屋グループの総帥であられる柏木千鶴様の御座所。用のない者は疾
く立ち去ら……」
 その声が途中で止まった。
 信じられないようなものでも見るような眼を向けている。
「………それが柏木一族縁の者であっても?」
 その少女の声に、青年はびくっと震え上がると、すぐさま地面に這いつくばった。
「ち、沈黙の鬼姫………楓様!?」
「顔を上げなさい…ゆき」
 ゆきはおそるおそる顔を上げた。
 そこには困ったような表情を浮かべた楓がいた。
「か、楓様とはつゆ知らずとんだご無礼を……」
 かしこまるゆきに、楓は首を振った。
「いえ、あなたは初音を護ろうとしてくれたのですから……」
 そう言ってから、楓は庭の方に顔を向けた。
「出ていらっしゃい、初音」
 がさがさっと茂みが揺れた。
 そしてそこから涙に顔を腫らした少女が現れる。
「お姉ちゃん……?楓お姉ちゃんなの!?」
 楓がにっこりと微笑むと、初音は全力でこちらへと走ってきた。
「お姉ちゃんっ!帰ってきてくれたんだね、お姉ちゃん!」
 そう叫びつつ、楓の胸に飛び込んでゆく。
 楓はちょっと目を潤ませながら、末妹の頭を撫でた。
 少しばかり感動している気弱そうな少年の腕を、気の強そうな少年がつついた。
「なんだよ、紫音」
 紫音と呼ばれた少年は、真剣な顔でもう一人の少年を見た。
「光、あのゆきって奴、なかなか勘が鋭いぞ。俺の気を察知して初音様を庭に隠しやがっ
た」
 光はこくっと頷くと、もらい泣きしているゆきを横目で窺った。
「そうだね……彼が仲間に加わってくれれば、怖い者なしだ……」


 >Cパート

 >来栖川エレクトロニクス研究所
 >同会計室

「それで、今回はどういう手順を取る?」
 昌斗の声に、ひづきは端末から顔を上げた。
 ディスプレイに研究所全体の地図が浮かび上がる。
 ひづきはこんこんとある一室を叩いた。
「ここが今私達が居る会計室よ。ここから電算室にアルファを流すから、警備の連中がか
まけてる隙にベータで目標の場所を補足するわ」
「全端末がメインに直結してるから出来る仕事か……」
 昌斗の声に、ひづきはこくっと頷いた。
 こう見えて結構信頼しているらしく、目が頼もしげに昌斗を見つめている。
 もっとも昌斗に気が付いている様子はないが。
「んじゃ昌兄、速攻で勝負付けるわよ」
「任せとけ」
 ひづきは楽しそうに本体に手を置くと叫んだ。
「α&β、起動!」


 がしゃこん、と自動販売機のスイッチを入れると、当たり前のことだがジュースの缶が
転がり出てきた。
 琴音はそれを腕の上に載せると、ふらふらと歩き出す。
  今回は琴音が差し入れ当番なのである。
 だが、やはりたかがジュース缶といえども数が溜まると結構重い。
 なにせマルチを除いても11人分である。
 琴音は必死にバランスを保って歩いていた。
 が、琴音は元来力が強くない。
 そのうえ缶が積もって前が見えない。
 …………がすっ!
「きゃ!?」
 何かにぶつかり、琴音は悲鳴をあげた。
 ジュース缶が腕から盛大に転がり落ちる。
「おっと!」
 ぶつかったものはそう言うと、ひょいひょいと脚や腕でジュースを空中キャッチすると、
琴音の腕の中に放り込んでいった。
 やがて全て元通り収まるのを見届け、男はすくっと起きあがる。
「これでよし、と。大丈夫?怪我はない?」
 琴音はじっと丸い目で彼を見ると、信じられない、といった調子で彼を見つめた。
「き、器用なんですね……」
「まあね。よく言われるよ」
 悪びれずに青年は言った。
 青い制服は地面の埃のせいで幾分か煤けている。
 琴音は内心、馬鹿じゃないだろうかと思った。
 少なくとも普通の人はたとえ出来てもそういう拾い方はしない。絶対に。
「ま、怪我はなさそうで幸いだ。……確か君は、姫川琴音さん……だったね?」
「え、ええ……」
 琴音はちょっと引いていた。
 感心はしているようだが、当然ながらちょっと怖がっているようだ。
「………もしかして、俺のこと忘れてません?」
 男はおそるおそる訊いた。
 琴音は申し訳なさそうにこくりと頷く。
 かなり傷ついたような表情を浮かべ、男は頭を掻いた。
「ひどいなぁ……俺はオルフェ。来栖川警備保障第二小隊隊長」
 琴音はああ、と頷いた。
 そういえば到着したときそんな風なことを言って出迎えた人がいたっけ。
 オルフェはじっと琴音を見つめると、急にそわそわとし始めた。
「あ、あのさ、姫川さん」
「………?」
 怪訝そうに琴音はオルフェを見る。
 オルフェは、鼻の頭など掻きつつ、顔を赤らめながら言った。
「よかったら、今度二人でお茶でも飲まない?」
「いやです」
 即答。この間1秒かからず。
 オルフェはひどく傷ついた眼で琴音を見た。
「そ、そんなあっさりと………」
「だってオルフェさんのこと良く知らないし………」
「良く知るためにお茶飲もうって言ってるんじゃないかぁ…」
 琴音はにっこりと笑った。
「あまりよく知らない人と遊んじゃいけないって教わりましたので」
 嘘である。
 琴音は殆ど親の愛を受けずに育ったので、そんなことは言われたこともない。
 オルフェはちぇっ、と舌打ちするとため息をついた。
「そうか……君の心の中にはもう誰か棲んでるのか………」
 その言葉に、琴音はぎょっとした。
「な、何でそんなこと………!?」
「なんだ、図星か」
 ひきっと琴音の頬がひきつった。
 オルフェは失策を悟ったが、もう遅い。
 まんまとカマを掛けられた琴音は憮然としてオルフェに背を向けて歩いていった。
「ちょ、ちょっと待って!」慌ててオルフェが追いすがる。
 だが琴音は振り向きもせず歩き続けた。
「知りません!私に話しかけないで下さい!」
 とっとと琴音は歩み去ってゆく。
 オルフェがなおも声を掛けようとしたとき、突如琴音のポケットから警報が響いた。
 ジュースの缶が床に転がる。
 琴音は真剣な顔を作ると、インカムを付けて駆け出していった。
「姫川さ……!」
 オルフェはジュースの缶を踏んでしまい地面にもんどり打ってこけた。
 お約束だった。


 >同電算室

 セリスの霊波刀が闇を切り裂く。
 ぎゃん、という声を上げて狼は床に転がった。
 だがそれも一瞬のことで狼は一瞬電気の球になると、牙を剥いてセリスに飛びかかった。
「させるか!」
 後ろから飛んできたカレルレンの銃撃が狼をはたき落とす。
 だがそれで勝ったわけではなく、狼は再び襲いかかってこようとしていた。
「キリがない……」
 しぶといというわけではない。
 単に攻撃が通用していないのだ。
 電気で出来た狼。
 こいつに関してはやはり電撃攻撃しか効果がないようだった。
「怒槌!」
「木行雷符!」
「火辰烈鳳!」
 ルーン、理緒の雷撃と美加香の汎用攻撃がひたすらに襲いかかってくる狼を蹴散らして
いる。
 残ったメンバーはひたすらに通常攻撃で敵を牽制して足止めしているのだが、それでも
一向に数が減る様子はなかった。
 いくら消してもあとからあとからディスプレイから這い出てくるのだ。
「えーいうっとおしい!」
 ついにへーのきが短気を起こして一つのディスプレイに突進すると警棒を思いっきり振
り下ろした。
 爆発音を立ててコンピューターはぶっ壊れる。
 だが、それで狼の数が減るでもない。
 後ろでルーンが叫んでいた。
「馬鹿!端末はメインにつながってるんだ、意味がないことするんじゃない!」
(俺達の目的はあくまでもベータの破壊なんだからな!被害を増やしやがって!)
 このルーンの言葉は後方で待機していた二人にアドバイスを与えてしまった。
 志保は護っていたマルチから手を離すと、素早く自分の端末を叩き始める。
(こいつら攻撃力が高くない割に際限なく出てくる……どこかに本体が居る?)
「会計室だな」
 その声にはっと志保は振り返った。
 UMAがすでにポータブルパソコンをしまおうとしているところだった。
 早い。
 志保は改めて十月きっての電脳能力者に舌を巻く思いだった。
「そういうわけでみんな!ここは放棄して会計室に向かうわよ!」
 一同は勢い良く応答し、狼をより一層はりきって牽制し始めた。
 そんな中でただ一人ルーンだけが苦い表情をして拳を奮っていた。
 彼の思惑よりもはるかに早く展開が進んでいた。

 >同会計室

「きゃーん、ばれちゃったよーん!」
 ひづきの台詞に昌斗はひくっと頬がひきつるのを感じた。
 この馬鹿、またドジ踏んだのか?
「今度はどんなポカしたんだ?」
「ここを感づかれた」
 そう言いつつひづきは右手からのエネルギー放射を全く弱めては居なかった。
「あれ?予定じゃあ20分したらルーンさんが誘導してくるはずだろ?」
「そのはずだったんだけどね……敵に優秀な電脳能力者がいるみたいよ」
 だが、口調とは反対にその顔はうっすらと笑みさえ浮かべていた。
 明らかにこの逆境を楽しんでいる。
 困ったもんだ、と昌斗は眉間を軽く押さえた。
「でも大丈夫。私はもっと天才だもんね」
 そう言うとひづきはディスプレイの電源を切った。
 昌斗の顔がほぉ、と感心したものになる。
 ひづきはじーーーっと昌斗の顔を期待するように眺めていた。
「……………ひづきちゃん天才、偉いぞ!」
「えへへ、そぉ?」
 これを言わないと仕事しないんだよなぁ。
 昌斗は心中でため息をつきながら真面目な顔を作った。
「それで?」
「うん、地下にプラントがあったみたい。そこに居る可能性が高いわね。まぁこんなに素
早く情報キャッチできるのはひとえに……」
「何してる急ぐぞ」
 昌斗は素早く部屋を走り出ていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 ひづきも慌てて後を追いに走る。
 全く、いつだってこの男はこうなのだ。
 なるべく自分だけで物事を解決しようと先走る。
 地下の入り口もパスワードキーの場所も知らないくせに。
(だから私がいないと心配で仕方ないのよっ!)
 ひづきは心の中で叫びつつその後を追った。


 端末が一点に直結してると言うのは嘘ではなかった。
 全ての部屋に最低一つは据え付けられている端末からは狼が飛び出してくる。
 廊下は既に狼達で溢れていた。
「まぁこうなるわよねぇ……」
 志保はげっそりとした調子で言った。
 それとは反対にひたすら盛り上がってるのもいる。
 へーのきは前に躍り出ると、赤い光球を手の内から繰り出していた。
「デスクラッシャー!」
 爆炎が廊下を満たす。
 狼達は直接的ではないにせよエネルギーの大量放射を浴びて地面に崩れ落ちた。
「よし、今だ!」
 そう言って弱った群へと飛び込んで行く。
「……リキ入ってますね……」
 琴音がつつっと汗を垂らしながら呟いた。
「いつもはもっとやる気ないんですけどねぇ」
 とカレルレンが応じる。
 一同が多少驚きながらも後を追っている一方、既にへーのきは会計室前に立っていた。
 異常なまでの迅速さである。
 へーのきにはある予感があったのだ。
(俺の行動があいつの助けになるはず……)
「ここかっ!」
 へーのきは中に入り込む。
 そこには信じがたいモノがあった。
 立ち止まったへーのきを見て察知したらしく、残ったメンバーも駆け足で追ってくる。
「どうした!?」
 へーのきは無言で部屋の中を指さした。
 巨大な電気蛇がうねうねとのたくっていた。
 女性陣はひきっと硬直した。
「グロいなぁ」とカレルレンが呟く。
 セリスは霊波刀を取り出すと、正眼に構えて大蛇を睨み付けた。
 その考えが手に取るように見えて、ルーンは呆れた。
(大方クシナダ姫を護るスサノオの気分になってるんだろうな、こいつ)
 クシナダ姫ことマルチは志保の後ろでびくびくと震えている。
 やはりこの子には戦闘は無理だ。
 そう思いつつ志保は警告を発した。
「来るわよ!」


 >地下

 全く、ルーンはちゃんと仕事しているんだろうな?
 昌斗は内心でぼやきながらドアの前に立っていた。
 公開されていないプラントの奥に眠る部屋。
 そこに彼らの目指す者があった。
「アクセス」
 昌斗は呟いて、コピーした電磁キーをスリットに差し込んだ。
 これも数回ほど前にひづきが入手したものである。
 殆ど音もなくセキュリティが解除され、ドアが横に開いた。
 そのまま無造作に内部に入り込み、奥に進む。
 そこにあったのは調度品が多数置かれた大部屋だった。
 だが、どこかに異常が感じられる。
 配置がおかしいのだ。ディスプレイが部屋の隅に置かれ、反対側の隅をパイプオルガン
が占めている。
 妙にアンティークな家具が置かれているが、どう考えても使用には適していない。
 普通はベッドの横にタンスを置いたりなどしない。
 最悪の隠し方だが……恐らくはさっきのセキュリティで充分だということなのだろう。
「おい、ひづき」
「まっかせて!」
 いつの間にかぴたりと背後にくっついていたひづきが進み出て、ディスプレイに近付く。
 キーボードから数語を入力すると、やはり入手した模造キーを差し入れる。
『あなたを関係者と認定します』
 人工音声と共にパイプオルガンに隠されたドアが開いた。


 闇に閉ざされた周囲の様子が次第にはっきりと見え始め、やがて青い光が通路を照らす。
 奥の部屋から漏れ出たものだった。
 中に入り、目を疑う。
 そこにあったのは広大な一つのホールと、天井からぶら下げられた巨大な箱であった。
「昌兄、やっと見つけたね………」
「ああ…ここが、シャングリラ……戦乙女が導く、戦士達の楽園」
 来栖川が秘匿する、「塔」のそれと等価の価値を持つデータ達の墓場。
 過去幾度も名だたるハッカー達が侵入しようと試み、その度に挫折してきた宝庫。
 データの数欠けらですらが当千の価値で売買されると言われる「箱」が鎮座ましまして
いる。
 ここに侵入した部外者はまだたった三人しかいない。
 一人は前第二小隊隊長、へーのき。そしてここにいる佐藤昌斗と隆雨ひづき。
 ここはネットワークでも物理的方法でも侵入者を拒み続けてきたのだ。
 世界最強のセキュリティプログラムと世界最強の番人…戦乙女によって。
 そこが戦士達の楽園、シャングリラ。
 過去活躍した伝説の能力者達の能力を電気情報に保存したデータベースである。
 ひづきは目をうるうるさせて両手を組んだ。
「ああっ、持ち帰りたい……フロッピーディスク一枚分だけでいいからぁ……」
「お前な………冗談でもやめろよ、そういう危険な台詞………」
 昌斗は内心本気でびくびくしながら従妹を諭した。
 無論、ここのデータにほんの1MBでも手を就ければ確実に死がやってくる。
 彼らは自力で侵入したわけではなく、許されてここにいるに過ぎないのだから。
 それにしても来栖川も大胆なことをしたものだと思う。
 目標破壊のために同士組織とはいえ部外者の「塔」のメンバーを最秘奥に導き入れたの
だから。ある意味これは挑戦だといえるかも知れない。
 いや、挑戦そのものなのだろう。
 一つには自分たちの苦労の結晶が「塔」の暗殺者ごときに破れるかという。そしてもう
一つは、自分たちの目を盗んでデータを奪えるかという。
 昌斗もひづきも自らの分をわきまえていた。
 だから、決して勝算のない賭けに出る気はなかった。
 昌斗達が乗った賭はただ一つ、目標のスタッブのみ。
「あとは捜すだけだ………戦乙女を」
「その必要は………ない」
 無機的な声。
 はっとして二人は声のした方向を見つめた。
 そこに二体の機体が青いライトに照らされていた。
「我は守護者Dガーネット」
「我は守護者Dマルチ」
 二体の女神は左右対称な構えを取ると、朱と碧に光る冷徹な目で侵入者達を見つめた。
『死者の平穏を乱す者に、天罰を』
 昌斗は無言で刀を引き抜き、ひづきは後ろに跳び下がってそれに相対した。
「残念だけど、既に動かない連中の化石を取りに来たわけじゃないのよ」
 ひづきが皮肉げに呟く。
 だが女神達はそれに呼応した風もなかった。
 四人の戦士が各々二体の破壊を目指して対峙する。
 やがて昌斗が呟いた。
「妖刀『運命』………参る」
 火蓋は切られた。


 >地上

 部屋からあふれ出る狼達を電磁ブレードで切り裂いていた少女の動きが止まった。
 横で部下達に命令を下していたオルフェが振り返る。
「どうした?」
 少女は答えなかった。
 ブン……という電子音が聞こえる。
 目から光が失われ、身体が固まる。
「おいっ!?」
 叫んでから、オルフェは狼達の一匹が飛びかかってくるのを悟った。
「ちいっ!」
 所持したストーンが暗い黄に輝き、ばしっとエネルギーを放出する。
「ダーク・ミスト!」
 途端にオルフェの手から黒色の霧が発生し、明らかな方向性を持って狼を包んだ。
 恐怖に叫ぶ声が聞こえ……やがて長い吠え声を残して闇に消える。
 オルフェは雑魚に全く頓着せず、少女に近付いた。
「おい、Dセリオ!」
 ばちっ!という電流。
 慌てて手を引っ込めたオルフェを、少女は冷徹な瞳で睨んだ。
 その冷たすぎる眼差しにオルフェはたじろぎ、一歩下がる。
「で…Dセリ……」
「あなたもグルだったんですね」
 一瞬何を言われたのか分からなかった。
 その言葉が意識に染み通り、奥底に眠る事実と符合する。
「まさか、お前…」
「失礼いたします。私は行きます」
 オルフェは慌てた。
 どうやら……………悟られてしまったらしい。
「待てDセリオ、命令違反だ!」
 少女は進みかけた足を止めると、振り向いて言った。
「私の最優先使命は……ここにはない」
 オルフェは諦めた。
 彼女を説得するのは不可能らしい。
 いや、これは確定だ。
 Dセリオは高速で守るべきものの所へと向かっていく。
 その後ろ姿を見つめながら、オルフェは呟いていた。
「死者の王国を守る戦乙女……皮肉だな、俺達が目指しているのは君たちの王国だ」
 その『俺達』が彼以外の誰を指しているのか……知る者はまだ限られている。


 >電算室

 肩を咬まれた雅史が、がくりと倒れ伏す。
 他のメンバー達が悲鳴を上げるが、もはや雅史には聞こえない。
 意識がじわじわと闇に呑まれ、やがて眠りの縁へと落ちる。
「だーーーっ、この蛇うっとおおしいっっ!!!」
 志保が半ばやけになって叫んだ。
 既に足下には琴音や理緒が倒れている。
 化物の攻撃は今までの威力重視の連中とは全く違っていた。
 複数ある頭で目標を狙い、牙から電気情報を注入して神経に干渉。
 ショックを与えて活動を停止させる………。
 だが非常に有効だった。
 おまけにこの蛇は、いくらセリスが頭をぶったぎろうがすぐに再生するのだ。
「くっ……しぶとい!」
 カレルレンは頭の汗を拭って呻った。
 先ほどから首は諦めて胴体を狙っているのだが、全然応えた様子もないのだ。
「どうやったら勝てるんですか、この化物は!?」
 葵も何発も気功波を撃っているが、やはり効果はないようだった。
 ルーンもなかなか苦戦しているように見える。
 志保は唇を咬んでその様子を見つめていた。
 そのとき、とんとんと肩が叩かれる。
 振り返るとUMAが志保の横に立っていた。
「気付いているか?」
「……ええ。データ・イーターね」
「ああ。威力が低いし……しぶとい。大方は」
「研究所のネットワーク自体と結びついてるって事?」
 UMAはこくりと頷きを返す。
「でなければ研究所全てのディスプレイから雑魚を生産するなんてできんからな」
 志保は腕を組むと、一人でも多くに咬み付こうとする大蛇を見つめた。
 データ・イーターはあくまでネットワークにとりついてそのデータを吸い取るだけの化
物のはず。そしてそれは自然発生はしない。
 どこかにこいつを生み出し、放った奴がいるのだ。
 誰かがこの研究所のデータを奪おうとここに放ち、そして邪魔な自分たちを消そうと狼
達を生産……?
 待て。どこかおかしい。
 何かが引っかかっている。この研究所の全てのディスプレイから狼を出す必要などある
のか?
 自分たちの目の前から集中的に出した方が有効………?
 そうか。
「今、この研究所は狼達で満たされている。この混乱を産むメリットは……まさか?」
 UMAはこくりと頷いた。同意しているのだ。
「陽動!?」
 ルーンはその声に振り返りたくなる衝動を必死にこらえた。
 ……気付かれただと!?
 長岡志保、UMA……こいつらにここまでの推理力があったとは!
 大蛇の存在は気付かれても、マスターの存在は気付かれてはならなかったのに。
「陽動……そうか、そういうことだったかぁっ!!」
 へーのきは闘志を剥き出しにして吠えた。
 ルーンの顔が青くなる。
(一番気付かれてはならない奴に……!)
「プリンセス……今、助けに行く!」
 へーのきは叫ぶと大蛇を捨て置いて部屋から飛び出そうとする。
 見咎めたセリスが声を上げた。
「へーのき、どこへ行く!?」
「悪い……心当たりが在るんでな!」
 そう言われてセリスが動かないはずもない。
「分かった、僕も行こう!……マルチ、君はここに」
 だが、志保の後ろにいたマルチはふるふると首を振った。
 その顔は心持ち強ばっていたが、それでも目には光が感じられた。
「私も行きます!……私も、戦わなくちゃいけないんです」
「マルチ……君が苦労することは」
「いえ」
 マルチはじっと輝く目でセリスを見つめていた。
「耳を塞いでうずくまっていても、事態は良くならないから」
 セリスはふっと笑うと、マルチの頭を抱きしめた。
 不意を付かれてじたばたとマルチが暴れる。
 そんな小さな姿に、セリスは囁いた。
「分かった。一緒に行こう。……だけど、君は僕が護ってみせるからね」
「セリスさん……」
 マルチは頭をセリスの抱擁から外すと、じんわりと濡れ輝く瞳でセリスを見つめた。
「ありがとうございます……」
「はいはい」
 ぱちぱちと志保は手を叩いた。
「ごっそーさん。……いいから早く行ってきなさいっ!ここはあたし達が防ぐから!」
「はいっ!」マルチが元気良く手を挙げる。
 それに被せるようにUMAが声を出した。
「俺も行く」
 苛苛と足踏みしていたへーのきは、多少うんざりしたようにそんな三人を見つめていた。


 >地下

「剣の舞い………!」
「効きません」
 Dガーネットの紡ぎ出す剣舞は昌斗に阻まれ、激しい剣戟の響きを鳴らしただけに過ぎ
なかった。
 確かにDガーネットの動きは軽やかでかつ、予想しづらい。
 しかし昌斗はそれらの攻撃を刀の微妙な移動によって捌ききっていた。
(流石は伝家の宝刀……何て力)
 よく見ればその刀が止めているわけではない。
 刀から迸る濃密なエネルギーの衣が超硬質のブレードを受け止めているのであった。
 そして軽い。どころか、刀を振るう昌斗自身の身体が軽くなっていた。
 だが、どうしてもDガーネットに一撃を加えることは出来そうになかった。
 隙がないのだ、完璧に。
 自分がどう動こうとそれと同時にDガーネットは攻撃を避けられる位置に移動している。
 昌斗の後ろでは彼の従妹が奮闘している。
 Dマルチがやはり踊るようなステップで放つワイヤーを、ひづきはガーディアンを操っ
て巧みに回避していた。
「デス・ダンス」
「ガンマっ!」
 地面から飛びだした電気のゴーレムが代わりに攻撃を食い止める。
 そしてその隙に出したもう一体のゴーレムが口から電撃を浴びせかかるのだ。
 だがひづきがDマルチの攻撃を避けると同様、Dマルチもその攻撃を素早くかわす。
 先の見えない焦燥感が二人を支配していた。
「昌兄、駄目だよ!キリがない!」
「ちいっ、折角分断したというのにっ!」
 結局昌斗とひづきは元のように背中合わせになり、女神達は相似の構えをとった。
「何故だ……何故、連中は俺達の動きをここまで予想できる!?」
「昌兄……あれ」
 昌斗は呼ばれて背後を見る。
 ひづきが指さしたのは頭上に浮かぶ巨大な箱、シャングリラだった。
「あたし達の動きを分析している奴がいる。そんな奴を隠すとしたら?」
「……盲点を突いているって事か?」
 昌斗はその可能性に戸惑いを覚えた。
 成る程、これなら来栖川の自信の程も納得できる。
 合っていれば勝てる。
 だが、もしも間違っていれば粛正が………。
 そんな昌斗の考えを見透かすように、ひづきは言った。
「昌兄……もう、二度とははないんだよ」
 そうだった。
 今度の任務失敗には、死が待っているのだ。
 同じ死ぬなら……やるだけやって死にたい!
「これで終わりにして上げます……」
 Dマルチがしゅっとワイヤーを宙に奮う。
 Dガーネットがブレードを青く輝かせる。
『必殺……ブラッディ・ダンス!』
 戦乙女達の連係攻撃が迫る。
 昌斗は覚悟を決めて妖刀を握りしめた。
「うおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっっっ!!!」
 必殺の気合いと共に宙に閃く裂光からは紫に燃える剣気が斬撃となって放たれた。
 がこぉん………と鈍い音を立て、箱の表面にひびが入る。
 やがてそれは大きくなり、そして黒い溝が箱を走った。
 ばちばちと紫電が走り、巨大な箱が明滅する。
 それと同時に戦乙女達の完全な動きに乱れが生じた。
「なっ……」
「Dボックスが………!!!」
 それを見逃すひづきではなかった。
 床から生えたガーディアンが口を大きく開く。
 そこから放たれた最大級の電撃が二体のアンドロイドに放たれ……。
 やがて声にならない二体の悲鳴があがった。
「……やっぱり、あの箱自体が破壊目標の一つ…………Dボックスだったのね」
 それと扉が開かれたのとは同時だった。

 Dセリオは愕然として部屋の中の様子を見つめた。
 彼女の妹たち二体がスパークを上げながらオーバーロードを起こし倒れている。
 そして不埒な侵入者達二名が彼女の護るべきシャングリラ……そして大事な妹を破壊し
かけている。
 わき起こる、プログラムされていない強烈な感情にDセリオは歯をくいしばった。
「……許さない!」
 体中の火器管制システムがアンロックされる。
 両肩から出たレーザー砲が侵入者達を照準に捉える。
「ファイア!」
 全てを無視したDセリオの怒りの一撃が極太のプラズマレーザーとなり侵入者に襲いか
かった。


 行く先々全てのドアが解除されている。
 へーのきは強い胸騒ぎを感じながらもそれらをくぐり抜けて行く。
 そして青く光るプリンセスの寝所に来たとき、彼は立ち止まった。
 一人の少女が二名の人間相手に化物用の威力を備えた銃撃を加えている。
 しかも周囲に被害が加わるのも恐れずに。
 狂戦士と化した少女を見つめて、へーのきは声もなく立っていた。
 はっ、とマルチが声を上げる。
 記憶の海に沈んだ情報がサルベージされる。
(………セリオ…………さん!?)
「マルチ?」
 セリスは不思議そうにマルチに呼びかけた。
 だが、マルチは返答もせずに戦っている少女を見つめていた。
「そんな……なんで………死んだはず………生きて……」
「おいっ、どうしたんだマルチ!?」
 セリスの声は届かない。
 マルチはぶつぶつと呟き、突然に声を発した。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああっっ、セリオさんを虐めないでえええええええええええええええええええ
ええええーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっ!!!!!」

 ひづきはその絶叫を聞き、新たな敵が増えたのを知った。
「昌兄………あたしがあの四人を倒すから、Dセリオの相手は任せる!」
「……怪我するなよ」
 その言葉に、ぎょっとしてひづきは振り返った。
 昌斗は相変わらず冷静な顔で妖刀運命を構えている。
 その唇が微かに動いた。
「生きて帰るぞ………」
「うんっ!!!」
 ひづきは頷くと、Dセリオの注意が昌斗に向いているのを確認しゴーレムを召喚した。
「γ………Go!」
 電撃が四人に向かって放たれた。

 へーのきは少女と剣士の戦いに気を取られている。
 マルチはがくがくと震えを起こし、セリスに支えられている。
 ただUMAだけが迫り来る電撃を察知していた。
「………止むをえん!」
 UMAはセリスを突き飛ばすと、マルチの首筋にプラグを差し込んだ。
 びびくん、とマルチが震える。
「UMA、貴様何をする気だっ!?」
 転けたままでセリスが叫び………。
 UMAはポータブルパソコンのリターンキーを押していた。
「攻撃を実行せよ」
「了解……」
 目から光を失ったマルチが呟く。
 そしてマルチの全身から雷竜が立ち上った。
 あまりの電荷に床に散らばった塵が浮き、それが一種マルチに神秘性を与えていた。
 髪が逆立ち、生気のない目が向こうから迫る電撃を見る。
「……………………」
 マルチがすっと指を指すと、マルチを取り囲んでいた雷竜が大声で啼いた。
「や……やめろぉぉぉっ!!!UMAぁぁぁぁぁ、マルチを戦わせるなぁぁぁぁぁぁっっ
っ!!!」セリスの絶叫が空間を満たし……。
 雷竜は電撃の方向へと飛び去って行く。


「えっ?」
 ひづきは呆然とその光景を見つめていた。
 信じられないことだ。
 まさか、こんな能力者が居るなどとは………データにはなかった。
 迫り来る雷竜はあっさりと電撃をかき消し、ひづきの方へとやってくる。
「が……ガンマ、私を護って………!」
 床から生えた二体のゴーレムが雷竜を食い止めようとする。
 しかし、それが役者不足であることは傍目にも明らかなことだった。

 閃光、そして大爆発。

 昌斗は吹っ飛ぶひづきを抱きしめると、片手で妖刀運命を強く握った。
「くそっ………撤退だ!」
 十文字に切り裂かれた空間が裂け、強い吸引力となって二人を包む。
 このままいけば「塔」の近くに転移できるはず。
 空間を切り裂くのは妖刀運命の特殊能力だった。
「逃がさないっ………!」
 鋭い声が跳ぶ。
 爆煙の膜越しにDセリオが体中から無数の銃器を生やしているのが見えた。
「ファイナルガーディアン!」
 叫びと共に重火器が火を噴く。
 昌斗は我知らず何かを呟きながら、全力でひづきを抱えて空間の綻びへと身を投じた。


 セリスの拳がUMAの顔を打つ。
 床に転がった彼を荒い息を吐きつつ見下ろし、彼はぶるぶると拳を震わせていた。
「貴様ぁ………貴様、よくもマルチにぃぃぃっっ!!!」
「ああしなければ四人とも死んでいた」
「黙れっっ!」
 冷静に話すUMAの頬を殴りつけ、セリスは歯から血を流さんばかりに口を引き締めて
いた。
 UMAは再びゆっくりと起きあがる。
 そんなUMAを見て、セリスは拳を振り上げる。
 爪が掌を突き破り、血が滴っていた。
「マルチは戦っちゃいけないんだ。……僕だけの人形で居て欲しいから言ってるんじゃな
い!もうあんな辛い思いはたくさんだ……セリオが死んだときのような!」
 UMAは頭を振り、セリスの目を初めて見つめて言った。
「……分かってないのはお前だ。彼女は先ほど、もう耳を閉じてうずくまっていたくない
と言ったんだぞ?」
 ぎりっとセリスは歯ぎしりした。
 憎々しげにUMAを睨む。
「………貴様に何が分かる」
「………………愛に目が曇っているぞ」
 セリスにそう答え、UMAはよろよろとポータブルパソコンを持って歩き出した。
 後にはエネルギーを使いすぎて眠るマルチを抱きしめたセリスと…………。
 ただ箱を見つめるへーのきが残されていた。
「もう、プリンセスは………どこにも居ないのか?」


「何とか終わったようね」
 そう呟く志保の背後で、失敗に打ちふるえるルーンが居た。


 >エピローグ

 >「塔」の前

 昌斗はひづきを抱きしめてしゃがみ込んでいた。
「ひづき………?」
 ひたひたと頬を叩く。
 目は開かない。
 口は毒舌に溢れた言葉を紡がない。
「なぁ、ひづき………起きろよ…………」
 手は動かない。
 血液はもう流れていない。
「早く………起きろよ。起きてくれよ…………なぁ」
 胸は鼓動を刻んでいない。
 ただひんやりと身体から熱が失われて行く。
「ひづきっ………」
 もはや彼女は目覚めることはない。
 そう悟ったとき、昌斗は生まれて初めて大声で泣いた。
「ひづきぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!」
 たった一人の従妹。
 世界中でただ一人だけ本音を話せる人間。
 佐藤昌斗は彼女の前でだけ人間で居られた。
 そしてその彼女が消えるとき……自分という人間もまた消滅してしまうことに、彼は気
付いていなかった。
『護ってくれなくてもいいから、側にいて』
「違ったんだ………お前を守れるほど強くなんかなかったんだ。護られていたのは……僕
の方だったのに…………!」
 泣いても泣いても涙は止まらない。
 昌斗は声にならない泣き声を上げて、従妹の遺体を抱きしめていた。
「ああ………ああ………ああああああああああああああっっっ!!!」
(神様)
(もしこの世に神様なんて者が居るのなら、答えて下さい)
(俺は死んでも構いません。人でなくなっても構いません。だから、こいつを生き返らせ
て下さい。そのためになら俺はどんな代償でも支払いますっっ……)
(神でなくとも………悪魔でも………化物でもいいですからっ………)
『本当ですね?』
 その声に昌斗ははっと顔を上げた。
「誰だっ!?」
 刀を握りしめ、きょろきょろと周囲を見渡す。
 暗殺者とは思えない無様な姿だった。
『私はここにいます』
 手からの振動に昌斗は色を失った。
 まさか……まさか。
「この刀が……?」
『はい』
 彼の握りしめている妖刀運命は紫色の刀気を輝かせて昌斗の心に語りかけていた。
 名刀は魂を持つ……ならばこの妖刀もまた?
 考える昌斗をよそに、妖刀運命は語りかけてきた。
『それより、貴方はひづきちゃんを蘇らせたいのですね?』
「あ、ああ……だけど、そんなことができるのですか?」
『出来ます。私は妖刀運命。名前の通り、運命を切り裂く刀』
 ごくりと昌斗は唾を飲み込んだ。
 この刀は………化物だ。
 咄嗟に地面に叩きつけようとした昌斗を、妖刀運命は制止した。
『お待ちなさい。私を壊せば二度とひづきちゃんを蘇らせることは出来ませんよ』
「……………話を聞きましょう。仮にお前がひづきを蘇らせることができるとして、俺は
何を支払えばいいのですか?」
 しばらくの間。
 やがて妖刀運命は告げる。
 その声に若干の笑いが混じっていたのは気のせいだろうか?
『命。力強い生命達の、魂の滴り』
「………………………………………………」
 魔剣め。
 所詮こいつも化物か。
 無言で叩き折ろうとして、手刀を振り上げる。
『あなたに関係ない人が何人死んだところで、どうって事はないでしょう?』
 ぴたりと振りかざした手刀が止まる。
 その心の動きを見透かすように、妖刀運命は彼に囁いた。
『これまであなたは何人殺してきましたか?みんなあなたには関係ない人だったから、殺
してきたんでしょう?自分と従妹の生きるためのお金のを稼ぐために……』
 その通りだ。
 昌斗の手刀がぶるぶると震える。
『今更何をためらうのですか?』
 昌斗の手刀が力無く降りる。
 柄を握りしめ、彼は訊いた。
「どんな………命がいい?」
 昌斗は堕ちた。
 そんな彼を嘲笑うかのように、妖刀は告げる。
『化物でも良いのですが……なるべく強い能力者のものを』
「わかった。心当たりは……いくらでもある」
『ありがとうございます。ではあなたにそれを可能にする力を差し上げましょう』
 …………………何?
 聞き返す間もなく、昌斗は刀から送り込まれる絶大な力に包まれていた。

「これは…………」
 昌斗は信じられない、というように手を握ったり開いたりした。
 今までとは比べものにならない力が身体に満ちている。
『あなたの身体にひづきちゃんの分の力を送り込んだのですよ』
「何っ!?」
 見れば、膝の上に載せておいたはずのひづきの身体が消えていた。
「貴様っ!?」
『ちょっと待って下さい。これで良いんですよ。もともと彼女はこういう生物なのですか
らね』
「どういう意味です………」
 妖刀はぶんっと紫色の刀気を揺らめかせた。
『彼女は化物です。私と同じように……気付いていたのでしょう?』
「……ああ。従妹というのも怪しい話ですからね」
『化物は世界の外から現れた、運命に縛られない生物。故にこそ、運命に縛られたこの世
界の生物の運命を変える力がある……彼女と同化した今、あなたは全ての生物を切り裂く
権利を手に入れたのです』
(そうか………)
(ならば、それも…………悪くはない)
 昌斗は無言で立ち上がると、妖刀をしまいゆっくりと歩き出した。
 風が吹く。
 血の色をした風が。
 人であることを捨てた彼は、闇の中へと消えて行く。
 いつか、願いが叶う日まで……修羅は休むことはない。

「あなたは仕事の名の下に………また何人の命を殺めるのでしょうね?」
 ただ、愛のために………。


 Mission4「来栖川エレクトロニクス研究所化物捜索指令」COMPLETED

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 次回予告!

 ついに物語は逆転を見せる。人々は運命から解き放たれる。
 岩下は目覚め、久々野に牙を剥く。
 おりしも「塔」を訪れていた芹香に紅の魔の手が迫る。
 そのとき初音とゆきは、そして東鳩SSはどんな道を選ぶのだろうか?
 紅を見つめる楓の真意とは?

 数々の謎が浮び上がり、そして物語は序幕を外す!

 次回、東鳩SS第五話「人を解き放てしもの」!

 芹香「運命を……変えに来たのですか?」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ううっ、難産でした(汗)