第0話プロローグ その日、大嵐が訪れていた。 津波は起こり、家家は倒壊し、屋根瓦が舞う。 人はみな家の戸を立て付け、ひたすらに天災が過ぎるのを待ち続けた。 そんな中、一人の男が傘も差さずに歩いていく。 しかし男の体は全く濡れてはいなかった。 雨の方が男を避けているのである。 町外れの、今はもう誰も参ることのない無人の神社の境内に入る。 荒れ果てた社の文字を確認する。 …『九鬼』…。 男は社に一礼すると、再び来た道をとって返そうとした。 と、男の足が止まる。 一人の少女が、ずぶぬれになって佇んでいた。 傘も差さず、髪からは水滴が滴っている。 やせ細って、ひどく衰弱して見えた。 「…あなた、風邪をひきますよ」男は言った。 少女は焦点の合わない目で、男を見た。 二人の目が合った。 男は、その瞳の中に虚無を感じた。 寂しさなどではない、全くの空。 男はこんな所で何をしているのか、と聞こうとして言葉を飲み込んだ。 代りに出たのは、 「行くところがないのですか?」という言葉。 少女はわずかに頷いた。 男は少女を抱き寄せると、コートの中に少女を入れた。 「これなら寒くはないでしょう?」 頷き。 男は少女を伴い、ゆっくりと歩き出した。 階段を降りるところで、立ち止まる。少女を見て、聞いた。 「あなた、お名前は?」 「美加香…赤十字、美加香…」その言葉を呟いた瞬間、その瞳に輝きが宿った ような気がした。…が、それも一瞬のことだが。 男はにっこりと微笑み、言った。 「僕は…風見 ひなたと名乗っています」 それが全ての始まりだった。 東鳩ss第0話「シャッフル―全ての始まる前に」 新人が到着していれば… そう苛立たしく思いながら、綾香は爪を噛んだ。 もう少し人手があれば、楽に奴を倒せたはずだ。 琴音と理緒にも危険な橋を渡ってもらわずに済んだ。 生憎とマルチも葵も、そして彼女の姉芹香も留守にしている。 一時間前に到着しているはずの新人はまだ来ていない。 今出来るなるべく良い布陣で敵を殲滅する、それが最良なのだが… 「目標到達するわ、綾香」 志保の声で綾香は我に返る。 そう…この私ともあろうものが、人数云々で愚痴をこぼすべきではない。 綾香はディスプレイを見ながら志保に作戦を伝えさせた。 「琴音!目標は第一フラグを通過したわ!迎撃準備!」志保のアナウンスで琴 音は胸のペンダントを握り締めた。 (本当に私で撃退できるんでしょうか…)そんな不安が沸き起こる。 この仕事にいくら慣れても、やはり自分への不安は拭いきれない。 もともとこの力は呪われた力だと思っていたので、恐怖感は拭えない。 自分が変わる為に選んだ仕事だが、時々…特に今のようなときには何もかもか ら逃げ出したくなるような脅迫感を覚える。 ぽん、と肩に手が置かれる。 振り返れば、理緒が笑ってこっちを見ていた。 「大丈夫だよ…浩之さんが帰ってくるまで生き残るんでしょ?」 その顔に琴音は強く頷き返し、目標の侵攻ルートを睨んだ。 (到達予定時刻まであと10、9、8、7、…) 通路の向こうに小さな影が見えた。 それは驚くべき勢いでこちらに突進して、どんどん巨大になる。 醜悪な、「死」という概念を抽象化したような巨大な頭骸骨がすっ飛んで来て いた。 逃げ出したい衝動と必死に戦い、カウントダウンを続ける。 (6、5、4、3、2…) 琴音達を空洞の双眸で睨みながら、頭蓋骨は口を大きく開く。 その中には深淵の、闇。琴音達を取り込むつもりだ。 (1、…) 頭蓋骨が目前に迫る… 「ゼロ!」 琴音は叫びと共に「力」を発動させた。 強力な見えない物理力が頭蓋骨を食い止める。 「理緒さん、今です…っ!」 琴音の影から飛び出した理緒が紙切れを取り出す。 真っ白な短冊に過ぎなかったそれに印が記され、輝く。 理緒は全身の気合を込めて札を化物に叩き付けた。 「浄化!!」 真っ白な閃光が二人を包み込む。 志保はバンの中のカメラを見つめながら、息を呑んだ。 幸い、カメラはまだ生きている。 しかしあれで化物が倒せたのだろうか…? 焼き付きそうになった視界が次第に戻って行く。 「どう!?倒したの!?」と綾香が聞く。 志保はしっ、と綾香を制してから…叫んだ。 「まだ生きてる!?」 カメラは通路に浮かぶ巨大な頭蓋骨を捕らえていた。 理緒は琴音を支えながら頭蓋骨を睨み付けた。 当たり前だが、敵の表情は分からない。 しかし、敵が慢心していることは伝わって来る。 追いつめられたねずみ…いつでも猫に食われてしまう。 理緒はまだ札をぶつけることが出来るのだが、琴音が気絶している。 あまりにも発動までのラグが大きい為、琴音が敵を押さえていてくれないと撃 つことが出来ないのだ。 絶体絶命…。 頭蓋骨はゆっくりと近づいてくる。 理緒達に抵抗手段がないと判断したのだろう。 冷えた空気を感じさせる空間が近寄ってきた。 理緒は恐怖に身を竦ませながら、ぎゅっと琴音を抱きしめた。 「おい」 その時、落ち着いた声が聞こえてきた。 頭蓋骨の動きがぴたっと止まる。 ゆっくりと、いぶかしむように振り向く。 間髪容れずに、猛スピードで光弾が飛来し、頭蓋骨の額を叩き割った。 一瞬の沈黙の後、通路に身の毛もよだつ絶叫がほとばしった。 「いまだ、逃げろっ!」 その声に理緒は琴音を抱えて頭蓋骨の横をすりぬけ走った。 横に雅史が並ぶ。 「た、助かりました雅史さん!」 「なーに、一矢報いるいいチャンスだったよ!」 しかし、まだ危機は始まったばかりだった。 頭蓋骨は額からどろどろとした液体を吹き出しつつ、雅史達を睨む。 そして、絶叫を上げて飛んでくる! 「いやあああああ!?追ってきますよぉぉ!!」 「仕方ない、いっぺん外に追い出そう!」 T字路の端で二人は立ち止まると、頭蓋骨が迫ってくるのを睨み付けた。 『1、2の…』 頭蓋骨が突進してくる。 『さぁぁぁん!』 二人は直前でぱっと右と左に分かれた。 頭蓋骨は止まれずに、そのまま壁をぶち破って外に飛び出す。 琴音をそこに置き、理緒と雅史はカタを付けるべく壁に空いた穴から飛び出し た。 だが、外の光景を見て二人は立ちすくむ。 頭蓋骨を見て、一人の少女が呆然としている。 (民間人の立ち入りは禁じたはずじゃなかったのか!?) 雅史はとっさに「力」を発動させ、足元に光弾を形作った。 だが、それが間に合わないであろう事は十分に分かっていた。 頭蓋骨が少女に飛ぶ。 「に、逃げてぇぇぇぇーーーーー!」理緒が叫んだ。 しかし、その後の光景こそ二人を驚愕させた。 少女は静かに頭蓋骨をねめつけると、小さく息を吸い込んだ。 「…鬼勁!」 刹那、少女の拳から放たれた光条が化物の額を貫通した。 今度こそ絶叫を上げ、頭蓋骨は崩れ落ちると地面にぶつかり…砕け散った。 少女は雅史と理緒を見ると、にっこりと人懐っこそうな笑みを浮かべた。 「あの、東鳩セキュリティサービスの方々ですよね?」 雅史ははっとして、少女に近づいて行った。 「…君は?」 「私、今日からここに勤めさせていただきます新人の赤十字美加香と申します !先輩、どうかよろしくお願いします!」そう言いながら手を差し出す。 雅史は唐突な展開に多少面食らいながら、その手を握った。 「あ、ああ…僕は佐藤雅史。こちらこそよろしく」 「私は雛山理緒です!」ひょこっと横から出てきた理緒も手を重ねる。 がちゃ…その時、雅史の背後でそんな音がした。 三人はぎょっとして振り返る。 頭蓋骨だったものの口の部分だけがカタカタと音を鳴らしながら迫ってくる。 「しまった!?口が本体だったのか!?」と雅史が叫んだ。 時すでに遅く、口は三人を飲み込もうとしていた… 「危ない!」と志保がモニターに叫ぶ。 綾香は舌打ちした。 (なんてこと…不確定要素が多すぎるじゃない!) 「斬!」 その時、気迫のこもった声がした。 ほんの数秒遅れて、口は切り裂かれ、塵となって風に消えた。 煌く宝石がその風の中から生まれる。 三人は口の向こうに立っていた男を見た。 すずしげな印象の優男が白く輝く刀を持って佇んでいる。 「…セリス!」 雅史がにくにくしげに吐き捨てる。 そんな雅史を全く意にも介さず、セリスは地面に落ちている宝石を拾い上げた。 「どうやら今回の手柄は我々のものらしいな…」そう言いながら刀をひょいと 振った。たちまち刀はかき消える。 雅史はセリスに詰め寄った。 「どういうつもりだい?勝手にしゃしゃり出て人の獲物を倒して!」 「そうです!それは私たちの仕事だったのに!」と理緒もセリスに迫る。 セリスは冷笑を浮かべると、二人を押しのけた。 「助けてやったというのに酷い言われ様だな… 大体、これは我々の仕事でもある」 前半は理緒に、後半は雅史に向かって言った。 雅史は意味を計りかねて、セリスに再び食って掛かろうとする。 しかし、通信機からの志保の声が聞こえてきた。 『残念だけど、本当よ。クライアントは私たちを噛ませてるわ』 仕方なく、雅史は退く。 「汚い…それが『十月処理者派遣局』のやり口か?」という捨てぜりふを吐く ことは忘れなかったが。 セリスは反論もせず、頷く。 「どこぞの警備会社と違い人数が少ないのでな…やむを得ないやり口なのだ。 が、遥かに効率はマシだと思うがね」 そして、雅史と理緒の横を通って去ろうとする。 と、事情がつかめずじっと様子を窺っていた美加香の方を見る。 途端にセリスは破顔してその肩を掴んで揺さぶった。 「おい!美加香ちゃんじゃないか!?懐かしいな、もう三年になるか!? 元気にしてたかい!?」 美加香は「え?え?」と面食らった調子で呟いた。 しかしセリスには全く応えていないらしく、 「風見が死んでから君をずっと探してたんだぜ!そうか、君も風見の遺志を継 いでハンターになったのか!」と一方的にまくしたてていた。 雅史がちょいちょいと美加香の服を引っ張る。 「…美加香さん、セリスと知り合いなの?」 美加香は困ったようにかぶりを振った。 「…いえ。私、あなたに会ったことはありません…」 そのやり取りを聞いて、ようやくセリスは異常に気付いたらしい。 「美加香ちゃん?もしかして、俺を覚えていないのか?」 美加香は済まなさそうにこくりと頷いた。 セリスは困惑した顔で、美加香を見た。 「じゃあヤミも西山もdyeもジンも?」 「はい、済みません…」 「じゃあ、風見は!?」 美加香は首を振る。 セリスは舌打ちすると、頭を抱えた。 「そんなこと、あるわけない!風見は君の…」 そのとき、セリスの胸のポケットから発信音が流れた。 セリスは忌々しそうにポケットに入って居た携帯電話をとると、通話キーを押 した。 「誰です?今、それどころじゃ…局長?…ターゲットは撃破しました。あと少 ししてから帰還…なんですって?」 セリスはちらっと雅史達を見た。 「はい、分かりました。…今すぐですね。はい!」 手早く電話を切ると、セリスは美加香のほうを向いた。 「ごめん、用事が入った。この話はまた今度だ…何時でも会いに来るように」 名詞を渡すと、セリスは風のように去って行った。 美加香はぽかんとして名詞を握る。 理緒は、聞きにくそうだったが、それでも聞いた。 「…本当に面識ないの?」 「…はい、私、神戸の家で育って一昨日こっちに来たばかりですから…」 雅史はため息を吐いて美加香の持っている名刺を見つめていた。 『十月処理者派遣局 局員No.003セリス』 ふと、寒気を感じて雅史は身震いした。 限りなく不吉な悪意が自分達を眺めているような気がした。 綾香はモニターを眺め、息をついた。 志保が差し出す缶コーヒーを受け取り、開く。 「…新人さんの黒星に乾杯」 そう言って綾香は一息にコーヒーを飲み干した。 「残念ね、綾香。手柄取られちゃったわよ?」志保はそう言って綾香をからか うように言った。 綾香は肩を竦めると、空缶をくずかごに放り込んだ。 「いいのよ、別に。連中と私たち、どちらかが狩れば問題はないんだから」 志保はおや、という顔で綾香を見た。 「ずいぶんと優等生な答えね?私たち、ただ働きよ?」 「…社会の福祉の為に…というわけじゃないわよ。そりゃもちろん私たちが狩 ればそれに超したことはないけどね」 綾香はそれ以上答える気はないらしく、背伸びしてシートにもたれかかった。 やがて安らかな寝息を立て始める。 志保はそんな綾香をちらっと見ると、生還した戦士達の為にランチボックスを 開いた。 綾香は志保に聞き取れないよう、小さく小さく呟いていた。 「楽しみじゃない?あの新人の登場で私たちはどう変わるのか…」 …こうして美加香の初仕事は、見事黒星に終わったのだった。 Mission0:「廃ビル化物掃討指令」―COMPLETED― ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 次回予告! 東鳩チームに与えられた次なる依頼は来栖川HM研究所にて起こる盗難事件の 解明であった。しかし、そんな彼らが見たものは「鬼」。 そして新たに与えられる指令とは?「鬼」の正体は如何に? 次回、「炎―始まりと再生と」 琴音:「いつまでこの苦しみが続くんだろうって、そう思ってた」