『rain woman』 投稿者:takataka 投稿日:6月29日(木)00時55分
 こみっくパーティー、開始直前。
「どうしてよ……」
 大場詠美は天を仰いで嘆息した。
 別に彼女に対する風当たりが冷たかったわけではない。
 客の列が出来なかったわけでもない。
 すでにサークル入場したほかのサークルの売り子や、やふーオークションとかでチケッ
トを手に入れた一般参加者の列が場外に出始めている。
 まずは順風満帆、といったところだ。
「どうしてなのよぅ……」
 夏こみパ。
 毎月行われるこみパのなかでも最大級に盛り上がるイベント。
 もちろん、あの女も参加するはず。
 だというのに、
「何で雨降んないのよう! ああんっもうちょおちょおむかつくぅぅぅっ!」
 それこそマンガ的に地団太踏む詠美。
 見事なまでのマンガ地団太っぷりであった。写真に撮ってポーズ集に載せたいくらいの。




 『rain woman』




「にゃははははははっ」
「……ご機嫌だな、由宇」
「あったり前やがな! こみパ生活十余年、いっつもいっつも夏こみパに限って毎年雨!
 雨! そして雨! それが今年はどうや。見てみい! この日本晴れ!」

 ぺかーーーーーーーーっ。
 ギャグマンガならそんなオノマトペが似合いそうな雲ひとつない晴天。輝く太陽にはグ
ラサンかけさせて『うほほーい』とでもセリフつけたくなるほどの、晴れ。

「これはあれやで。もう神々がウチの同人活動を照覧して『よっしゃ、晴らしたろ』と恩
寵を垂れたに違いないっちゅうこっちゃ。いや! むしろ……ウチが神!? マンガの
神?」
「これこれ、あんまり暴走するんじゃない」
「じゃらっしゃああ! 和樹、はっは〜ん、さては自分妬いとるな? この猪名川由宇ち
ゃん様の気象現象をも左右せんばかりのめくるめくマンガへの情熱に! そして魂に! 
ま、妬くだけ妬いたらええがな。あ〜いやだいやだ、下々のモンの羨望の視線がつきささ
ってちくちくするぞなもし」
「キャラ変わってるぞお前」
 おまけにちゃん様化してるし。
 最悪だ。
「やかまし。それだけ感動にうち震えとるっちゅうこっちゃ。まあ、和樹には判らんやろ
な……いや! 他の誰にも判らん! 武道家の気持ちは同じ武道家にしか判らんのと同じ
く、雨女の苦しみは同じ雨女もしくは雨男にしか判らんのや!」

 由宇の脳裏に幼いころの思い出がよぎる。
 軒下に、テルテル坊主。
 ズラリ並んだテルテル坊主。
 遠足の前の晩、今年こそはと意地になって百と八体のテルテル坊主をつるした夜もあっ
た。
 母屋だけじゃ軒が足りなくて、お客さんの泊まってる旅館の棟にもつるした。
 客から苦情が出た。
 おとんとおかんにバレて百叩きの目にあった。
 それだというのに! ああそれだというのに、翌日の天気と来たらこれまた天の底が抜
けたかと思われんばかりの涙雨! 神は我を見放したもうたか!
 天を仰いで叫ぶ由宇!
「なんやあコルァああああ! 雨降りの神さんかかって来いやあああ! そこにおんのは
わかっとんねや! 降りてきて勝負したらんかいおんどらーーーーー!」
「なぁ、由宇がまたやっとおで」
「ほっときやー、遠足のたびにこれやねんから」
 遠足中止の学校に行ってみれば、
『やーいやーい、雨女が来よったー』
『はよ逃げんと雨が移るでー』
『お前なんぞアメフラシじゃー。磯の仲間たちじゃー。海ぞうめん生んでみぃー』
「黙らんかいハナタレ! 泣かすぞそして殺すぞ!」
 強気に言い返してはみるものの、それで雨が止む訳でもない。
 十五・十六・十七と、由宇の人生暗かった。

「せやけど、ようやくウチの人生にも転機が訪れたっちゅうことやな! さあ、そしたら
今日はやるでえ! 目標、全誌完売や!」
 ハリセンを手にぐいっと腕まくり。
 今日の由宇はノリノリだった。


「本当、今日はいいお天気ですね……」
 見本誌チェックにきた南さんは、開口一番天気の話から入ってきた。
「せやろ牧やん? いっやー、これはウチの人徳が認められたっちゅうことで」
「午後から場外の整理担当の人数を増やさなきゃ……」
「これからの夏コミはアレやで、未来永劫快晴を約束してもええな!」
「傘とビニールシートを調達しないと……入り口付近で販売する手はずを整えて……」
「さーきりきりチェックしたり! 晴れ女由宇姉さんの新刊やで! 買えば晴天間違いな
し!」
「運送屋さんにも対策を指示しておかないと……紙は水濡れに弱いから」
「ちょっと待てや」
 ぐい、と身を乗り出す由宇。下からねめ上げる視線が本場関西極道の基本に忠実だ。
「さっきからおとなしゅう聞いてればなんや、この晴れ女の由宇さんに向かって、雨降り
対策の数々……」
「はい、OKです」
 ぱたん、と見本誌を閉じる。
「そうそう、売れ残りの本はダンボールごとビニールで2〜3重にくるんでぬらさないよ
うに注意して持って帰るといいですよ」
「なに雨降り前提のアドバイスしてくれてんねや−!」
 怒鳴ったかと思うと、ふっと表情をくもらせ、すたたたたっとゲートに突っ走る。
「よっしゃ晴れとる晴れとる! バッチリ!」
 自分でもいまいち自信ないらしい。



 ばさっ
「にゃあああ!」
 あの声は。
「にゃあああ……お兄さんのご本が〜」
 あーあー、俺の新刊床にぶちまけてるよ。
「大丈夫か千紗ちゃん」
「あ、お兄さん! あ、あのごめんなさいです、これは……」
「いいって」
 あわてて散らばった同人誌を拾い集める千紗ちゃんを手伝って、俺も床にかがみこむ。
「あ、そんな! お兄さんはいいです。お客様なんですから、悪いのは千紗なんですから〜」
 顔を上げる。
 その表情に影が差して。
 視線の先にいるのは、由宇。
「にゃああ☆ ご、ごめんなさいです! 防水用のビニールバッグお付けするの忘れちゃ
いました〜。雨の日には欠かせないのに」
「晴れや晴れ」
 ドスを聞かせた声で、由宇がのっしのっしとスペースから出てきた。
「にゃああ? も、もしやお姉さんに聞かれてしまいましたか? 千紗的にぴんちです、
はい☆」
「ほうかほうか、もって来ぃへんかったってことは、つまり今日は晴れやと思っとったわ
けやな、ええ子やな〜千紗タロは」
「にゃあああ! タロは危険ですタロつけるのは!」
「ええ子や〜ええ子や〜」
 ぐりぐりと力をこめて千紗の頭を撫でまわす由宇。こころなしか、千紗の首からぐっき
ぐっきと鈍い音がするような。
「ほな、今日のところはこのくらいにしといたるわ」
「は、はいです〜」
 首が微妙に斜め20°位にかしいだまま、千紗ちゃんはふらふらと去っていった。



「お、彩だ」
 不安げにきょろきょろとあたりを見回しながら、彩が歩いてきた。
「おーい、こっちこっち」
 ひらひらっと手を振ってやると、母犬を見つけた迷子の子犬みたいにたたっと走りよっ
て――
「なんや、お客さんか?」
 由宇の姿を見たとたん、ぴたり、と足を止めた。
「どうしたんだよ彩」
「………………」
 ふるふると身を震わせ、いやいやをするように首を振る。
「ごめんなさい」
 傘さして、
「ごめんなさい」
 レインコート着込み、
「ごめんなさい」
 水中メガネ装着して、
「ごめんなさい」
 ついでにシュノーケルまでつけて、
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」
 何かから逃れるように猛ダッシュ。
「おうちょお待てそこの女ー! どういう意味やコルァ!」
 ……気持ちは分からんでもないが。



 開場後、最初のうちできた列もはけて少し落ち着いてきたころ。
「いい天気だなまいぶらざあ」
「あいかわらずしょうもないマンガ売ってるの?」
 大志と瑞希が来た。
「ほう……今回は辛味亭と合体か……」
 あごをさすりつつ、じろじろと俺と由宇を眺め回す。
「ふふん、なかなか目の付け所がいいなまいぶらざあ。気象兵器を仲間に取りこんだか」
「それどういう意味や?」
「ふふん、知れたこと! 辛味亭の猪名川由宇と言えば知る人ぞ知るおぶわっ」
 最後まで言い終わらないうちに由宇の必殺ハリセンが炸裂。
 あー……大志って策士の癖にヘンなところで粗忽だよなあ……。
「悪い瑞希、頼むわ」
「何で私が……」
 ぶつくさいいながら、瑞希は大志を救護所へと引きずっていった。



「ありがとうございましたー!」
 俺と由宇。
 視線を見交わして、にやりと笑う。
「よっしゃ、完売や!」
「やったなあ」
 ぱちん、と手と手を打ち合わせて。
「おめでとさん。和樹、初完売やろ」
 そうなのだ。
 今日は俺にとって記念すべき日になるだろう。
「これも由宇と一緒にがんばってきたからかな……」
「なにいうてんねん。なんやゆうたかて、最終的にはマンガ描きは孤独な作業。頼りにな
るのはおのれの腕一本や。間違いなくあんた自身の実力が上がってきてるってコトやな」
「でも、由宇がいろいろ教えてくれなきゃ、もっと時間かかってたろうな」
「はは……ま、ちょっとは力になれたかも知れんわな」
「由宇……俺……」
「か、和樹……」
「ほーーーーほっほっほ! 今ごろ完売だなんてちょおちょお哀れ&みじめ!」
 この声は。
「なんや詠美。あんた自分のとこはええんかい」
「なーに言っちゃってるのかしらこの子パンダは? とおっぜんこみパの女帝ちょお詠美
ちゃんさまの本なんて、昼前に全部完売に決まってるじゃない! こぉんな島ハジがせい
ぜいの弱小サークルと壁配列のちょお大手キャッタフィッシュをいっしょにしないで欲し
いって感じぃ?」
「由宇……俺、お前にはいくら感謝してもし足りないな」
「そんなことないで和樹。もしかしたら、今日晴れなのも和樹のおかげかも知らんし、お
互いさまやな」
「もぉぉ今日の部数なんかもちろん2千部! そして昼前にはちょお完売! それにこれ
から増刷かけてと○のあなとメッ○サンオーに……」
「良かったら、帰りにどこか寄ってくか? 俺、おごるぜ」
「そんな……あ、そしたらウチ、夜景の綺麗なレストランがええな……」
「それにまだまだ、札幌と日本橋と大須のショップにも卸す予定! これでちょお詠美ち
ゃんさまの名は全国レベルでちょお高校級の……」
「お台場のホテルとってあるんだ……」
「ウチ、帰り一日延ばしてもええで……」
「むっきいいいいいぃぃぃ! 聞きなさいよあんたたち!」
 二人のために世界はある状態の俺たちにそんなこといっても無駄だ。
「ふふん、そーんなこと言ってられるのもいまのうちよ! 壁サークルの利点、今思い知
らせてあげるわ!」

 びしぃ、とゲートを指差す。

「外を見てみなさいよ、ちょおびっくりして腰抜かすこと間違いなしなんだから!」
「なんやもう、うるっさいなー。外見ればええんか?」

 ゲートを一歩出ると――。
 雨。
 どんよりとまでは行かないが、空は真白く染まっている。雲の薄らいだ切れ目から、わ
ずかに日の光が差して雲の輪郭のエッジを際立って光らせていた。
 そして、しとしとと絹糸のような雨が降り注ぐ。
 遠くの空にのぞく青。
 天気雨のような、そうでもないような、中途半端な空模様。
「由宇……」
 魂が抜けたかのように、ぼんやりと雨空を見上げる由宇。
 俺は、そっと由宇の肩に手を置く。
「へへーん、いいざまったらないわねポチ&子パンダ! この詠美ちゃんさまってば壁だ
から、外の様子なんかとっくに気づいてたのよ! でもまあ雨女の子パンダにぬか喜びさ
せてやるのも悪くないと思って今まで黙ってたってわけ! ふふん、ちょおがっかりした
でしょう?」
 残念といえば、残念だった。
 晴れ渡った青空を、由宇はあんなに喜んでいたのに……。
「綺麗やな」
「え?」
「雨降ってるときの雲って、白くて綺麗や。あんまりこんな気持ちで見たことなかったか
ら、判らんかった」
 俺の手に、由宇の手がかぶさる。
 それは思った以上に小さく、細く、繊細に感じられた。
「そうか……白くて、綺麗か」
「そうや。ゲンコーみたいに」
「ぐあ、それを言うなよ」
「ふふっ」
 後ろで手を組んで、ぴょんっと飛び跳ねる由宇。
「外、歩こっか」
「……濡れるぞ」
「ええやん。濡れてまいろう、ゆーやつや」

 かまわずに、由宇は俺の手を引いてゲートの外に出る。

「あはははっ。しょーばいはんじょー、傘もってこーい」
「それ笹だろ」
「雨傘のあるけん博多たい!」
「それ山笠! あとお前関西人じゃなかったのか」
「よしよし、いまのツッコミええで!」
 茫然と俺たちを眺めている詠美。
 次に振り返ったとき、握りこぶしを震わせているのが目に入った。
「な、何よ何よあんたたち! くっ……」
「あはははーっ。こっちや和樹ー!」
「はっはっは、待てよ由宇、捕まえちゃうぞう」
「みゅみゅみゅみゅ……く、悔しくなんかないもん! うらやましくなんかないもん! 
 ふみゅううううう〜〜〜〜〜〜ん!!」



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