隆山からの手紙 投稿者:OLH 投稿日:1月31日(木)23時42分
 かちゃん、かちゃかちゃ。

 無機質な音を立てて鍵を開ける。

「たぁだいまぁっと」

 そして、そう声に出しながら、がちゃりと玄関の扉をあける。


=== 隆山からの手紙 ===


 しかし、家の中からは何の返事もかえってこなかった。
 もっともそれは大学生の一人暮らしという事を考えれば、極々当然の事で
はある。むしろ何か返事があったならば、その事の方が異常だとも言えよう。

 それでもその部屋の主、柏木耕一は、返事の無い事に一抹の寂しさを感じ
ていた。

 気の早い冬の太陽は既にその役目を終えつつあり、カーテンを閉めきった
ままの部屋の中は、玄関口からちらと覗いただけでもすっかり闇に覆われて
いた。
 無造作に靴を脱ぎ捨て中に入るが、昼の間、誰もいなかったその場所は、
北風の吹きすさぶ外よりマシではあっても、寒い事に変わりはない。
 いいかげん一人暮らしにも慣れていたつもりだが、そんな瞬間には、心の
どこかに隙間があるようにも感じてしまう。

 だが、今は。

 その隙間も、遠い郷里の従姉妹達の笑顔がすぐに埋めてくれる。

 自分は決して一人ではない事。
 自分には帰る場所がある事。
 そして……自分には愛する女性(ひと)がいる事。

 そういった想いが、今の自分を支えてくれている。
 時に感じてしまう寂しさなど、霧散してしまう。

 そんな事を思いながら、自分は幸せだなと、耕一はしばし感慨にひたった。

 ・
 ・
 ・

「……ぶえっくしょっ」

 だが、その感慨も、自らのくしゃみで一瞬にして消え去ってしまった。
 あまりの寒さに身体をぶるっと震わせると、耕一は慌ててファンヒーター
のスイッチを入れ、こたつの前にどっかりと座り込んだ。そして、手の中の
4通の手紙に目を落とし、こんな事をつらつらと考えてしまうのはこれのせ
いかな、と思った。

 どれも宛て先は同じ。
 どれも送り元の住所も同じ。
 違うのは、その手紙の送り主の名前だけだ。

「……みんな、元気にしてるかな?」

 耕一は、そう思わずつぶやいた。


 とりあえず部屋が暖まってきたところで、耕一はそれまで着たままだった
コートを脱ぎ捨て、改めてこたつに座りなおした。
 そして目の前にある4通の手紙のうち、どれから読もうかと少し逡巡する。

 しばしの間それらを見比べた後で、耕一はかわいらしいキャラクター柄の
封筒を手に取った。初音からの手紙だ。
 丁寧にペーパーナイフで封を切って中身を取り出してみると、その便箋に
も同じキャラクターの絵が薄く入っていた。そのキャラクターが子供向けテ
レビ番組の緑色をした怪獣だというのがわずかに苦笑を誘うが、かえってそ
れが初音らしくもあり、微笑ましくもある。
 ある意味その便箋に似合っている少女らしい文字も、とても初音を感じさ
せる。
 そんな事を思いながら、耕一はその手紙を読み始めた。

『お兄ちゃん、お元気ですか? わたしは元気です。
 もうそちらは雪が降りましたか?
 こっちでは最近はとっても寒くなって雪もいっぱい積もってます。けど、
わたしはそんなのなんかへっちゃらです。でも、お姉ちゃんたちは、そんな
わたしをみて「やっぱり、子供は風の子だよね」なんてことを言います。失
礼しちゃいますよね?
 わたしだってもう高校生なんだから、いつまでも子供じゃないです。それ
より、これぐらいで寒がってるお姉ちゃんたちの方が、本当は年なんです。
 なんてね、へへ。今のはうそです。お姉ちゃんたちには内緒にしておいて
くださいね?

 えっと、話を戻します。
 こっちでは、もう雪が一杯積もっています。雪合戦はもちろん、かまくら
だってできるぐらいです。
 でも、お姉ちゃんたちは寒がって一緒に遊んでくれません。せっかくの雪
なのに、ちょっとざんねんです。

 耕一お兄ちゃん。早く隆山に来てくださいね。それで一緒に雪遊びをしま
せんか?
 わたしはそれをとっても楽しみにしています。
 とってもとっても、待ってます。
 だから1日も早くわたしたちのところに来てください。お願いします。

     初音より』

「……まったく、初音ちゃんは、まだまだ子供だよな」
 読み終えて、耕一はくすりと笑みをもらし、そうつぶやいた。
 だがその一方で、初音にはいつまでも今のように純真なままでいて欲しい、
いつまでも甘えてばかりの妹であって欲しいとも思った。
 そんなかわいい妹から早く来てくれとせがまれているのだ。
 その願いは、ぜひかなえてあげたいと、そう耕一は思った。
「……そうだな。最後の講義が終わったらすぐ行けるように支度しておくか」
 講義が終わってすぐの電車は何時だったかなと考えながら、耕一はそうつ
ぶやいた。


 次に、純白の横長の封筒をあけた。
 きれいに折り畳まれた、やはり純白の便箋を開くと、その性格を表すかの
ように少し小さめな、だがしっかりと丁寧に書かれた文字が目に入る。
 楓からの手紙だ。

『拝啓。
 耕一さん、お元気にしていらっしゃいますか?
 こちらは姉妹4人とも元気に暮らしています。

 ……あの夏の事件から、かなりの時間が経ちました。
 騒ぎの中心であったこの地でも、もうあの事件が話題になることもすっか
りなくなりました。
 でも私達の間では、まだ時折あの夏の日の出来事がちくりと胸を刺すこと
があります。
 失ったもの、取り返しのつかないこと。
 それらに想いが及ぶ時、私達は言いようのない悲しみに捕われてしまいま
す。
 もちろん時が経つにつれ、それは少しずつ和らいでいます。
 でも、きっと、完全に忘れることなんてできないでしょう。

 それでも、私達には耕一さんがいます。
 それが、私達の支えになっています。

 だから耕一さんが暇を見ては電話やお手紙をくれたりしてくれているのは、
とっても感謝しています。
 ……だけど、やはりそれだけでは不安に襲われることもあります。
 時にはちゃんと顔を見てお話しをしたい、ちゃんと手の触れるところに耕
一さんがいることを確認したい……そう思うのは私のわがままでしょうか?

 ……会いたいです。
 今は無性に耕一さんにお会いしたくてたまりません。
 一日も早く、耕一さんが隆山に来てくださることを心より願っています。

     楓』

「……楓ちゃん」
 あの夏の日。ただ自分を避けていたあの楓がここまで自分に会いたがって
いる。
 無論、楓が自分を避けていたのには理由があった。自分の中の鬼が目覚め
ないように。そのために楓は辛い想いをしながら自分を避けていたのだ。本
当は他の姉妹と同様に、いや、だからこそそれ以上に、自分の側に来たかっ
ただろうに。
 それが今は。こうして素直に自分に会いたいと言ってくれている。頼られ
ているのだという実感。それが無性に誇らしく、また、悲しくもある。
 今の自分では、まだ彼女たちを完全に安心させてやる事ができていない。
「……待っててくれな……絶対、君達の所に戻るから……」
 あの夏の日の終わりに誓った事。自分が彼女達の支えになる。
 その想いを、耕一は新たにした。


 まるで色気も風情も無い、事務用の茶封筒をよこしたのは梓だった。
 しかしこれはこれで、ある意味「梓らしさ」もあってほっとする……ので
はあるが、さすがに取り出した手紙に、耕一はあきれ返った。
「……おいおい、レポート用紙はないだろ?」
 そして、苦笑しつつもぺりぺりとそれを開いた。

『拝啓、柏木耕一様

 単刀直入に用件だけ書く事にする。

 早く隆山にくるように。
 みんな首を長くして待ってるから。

 以上』

 外見以上にぶっきらぼうな梓の手紙。
 それでも、だからこそ梓が本当に会いたがっている事だけは伝わった。
「ほんとは『みんなが』じゃなくて『自分が』のくせしやがって」
 表面では強い素振りを見せている梓だが、人一倍、繊細な面がある事を耕
一は知っている。そして、そんな梓が実は自分を頼りにしてくれている事も
知っている。
 会えばお互いに口喧嘩の絶えない仲ではあるが、だからこそ心の奥底で繋
がっている部分は、とても強いものだと思っている。お互いがお互いを信頼
しあっているからこそ、普段から喧嘩も出来るのだと、耕一はそう思ってい
る。
「……ま、あいつの料理はうまいしな。なるべく早く行ってやるさ」
 意識してか、しないでか。耕一はそう屈折した思いをつぶやいた。


 最後に残ったのは、縦長の白の封筒だった。取り出した薄くすかしの入っ
た上品な便箋には、流れるような文字が整然と並んでいる。
 千鶴からの手紙だ。
 そのあふれ出る気品に、耕一は思わず居住まいを正した。

『拝啓
 日々寒さが厳しくなる折り、いかがお過ごしでしょうか?
 耕一さんのお住まいの辺りではこちらに比べれば暖かいとは思いますが、
この冬は特に寒さが厳しいというお話しも聞いており、お風邪など引かれて
いないか心配になってしまいます。
 ここ隆山では既に雪も降り、辺りを白化粧に染めています。
 ですが、私達姉妹はそんな寒さにも負けず元気にしております。

 さて、耕一さんは変わらず勉学に励んでおられる事と思います。私もそん
な耕一さんに負けないよう、近頃は色々な事に挑戦しています。仕事の方も
もちろん頑張っていますが、家の中の事をしっかりできるよう、最近は特に
家事に勤しんでいます。
 先生役の梓には色々と怒られる事も多いのですが、それでも以前に比べれ
ばかなり家事にも自信がついてまいりました。最初の頃こそ、うっかり食器
を落として割ってしまったり、洗剤を入れすぎて洗濯機の周りを泡だらけに
してしまったりといった失敗もたくさんしていましたが、今ではそういった
事もほとんどしなくなりました。
 でないと安心して耕一さんから家の事を任されていただけませんものね。

 そうそう、家事といえば、お料理のレパートリーも随分と増えました。
 最近では、私に時間のある時は、私が夕飯の支度を任される事も多くなり
ました。妹達も私の料理の上達ぶりにはすっかり驚いているようで、ぜひ耕
一さんも私の料理を食べるべきだと口をそろえて言ってくれています。
 もちろん私も、私の作った料理を、ぜひとも耕一さんに食べていただきた
いと思っています。
 ですから、本当に耕一さんが来てくださるのが今から楽しみでなりません。
 そして、絶対にご期待にそむかないよう、日々精進を怠らないようにした
いと思っています。


 それでは最後になりましたが、くれぐれも、お身体には十分にご注意なさ
るよう、また、一同、耕一さんの一日も早いご来訪をお待ちしております。
 敬具

   12月15日
  柏木千鶴拝
  柏木耕一様
』


   §§§   §§§   §§§   §§§   §§§


「……あう……うぐ……ひっく……お兄ちゃん……早く来ないかな?」
 初音は体育座りをして、その膝の間に顔を埋めるようにして低い嗚咽をあ
げていた。
 その肩は時折、ぴくんぴくんとはねている。

「早く……早く、来てください……耕一さん」
 楓はぎゅっと目を閉じ、祈っていた。
 エルクゥの精神感応を最大限に発揮できるようにかと。

「ああ……耕一さえ来れば……千鶴姉の事は押しつけて逃げられるのに」
 梓は壁に寄りかかり、まるで死体のようにだらんと四肢を伸ばしていた。
 うつろに開いた瞳には、まるで生気というものが感じられない。

 そして。

 居間の方から楽しげな声が響いてきた。

「みんな〜、ご飯できたわよ〜〜」

「「「……ひうっ!?」」」

=== 了 ===

えー、またもぎりぎり提出ですが、2002年1月のお題『手紙』です。
実のとこ、いまいち校正不足で自分では完成度9割と思ってるのですが(汗)
でもまぁ、出さないよりはマシって事で(汗)

ネタ的にはこれまたありがちだと思いますが、楽しんでいただけたなら幸い
です。

とりあえず、いじょ。