投稿者:OLH 投稿日:6月1日(金)00時05分
=== 歌 ===

 鮮やかな緑に彩られた森の奥、きらきらと木漏日の降り注ぐ、まるで絵画のよう
なその一角。
 誰が運んだのか、真っ白なテーブルにイス2脚。そのテーブルに置かれたティー
カップからは紅茶のほのかな香りが漂い、焼き立てのクッキーの香ばしさが、さら
にハーモニーを奏でる。
 麗らかな午後のひととき。恋人達の午後三時(ティータイム)。しかしテーブル
についているのは一人の男……藤田浩之だけだった。

 浩之は木漏日の踊る景色にも、明らかに最高級の物とおもわれる紅茶の香りにも
一切の関心を示していない。彼が心奪われていたのはただ一つ、そこに流れる歌声
だった。

 浩之から少し離れた場所にその少女は立っていた。その歌声は彼女の奏でるもの
であった。
 一目で良家の子女である事がしのばれる、整った顔だち。純白のワンピースと流
れる黒髪の対比は、その少女の美しさをいっそう引き立てている。天然のスポット
ライトを浴び一心に歌を奏でるその姿は、ある種の神々しささえうかがえる。
 その少女の名は来栖川芹香。浩之の恋人である。

 浩之はただただその歌に聞き惚れていた。
 お茶会(ティーパーティ)をしませんか、と誘われた時は正直退屈な時間になる
かとも思っていた浩之だが、芹香の歌を聞いている今はそんな思いは吹き飛んでし
まっている。

 やがて……静寂が訪れる。

 ぱちぱちぱちぱち

「驚いた……先輩、すごく歌がうまいんだな」
「……」
 浩之のごく素直な感想ではあったが、芹香は頬をほんのりと染め、礼を言う。
「ありがとうございます、って。いや、マジでそこらの歌手なんかより、ぜってー
うまいぜ」
 その言葉に芹香は恥ずかしそうにうつむく。
 そんな芹香をやさしく見つめる浩之の脳裏に一つ疑問が浮かんだ。
「先輩こんなに歌がうまいのに、なんでみんな騒がないのかな?」
「……」
「え? それにはわけがあります、って?」
「……」
「理由を聞いてくれますか、って? もちろん。聞かせてくれよ。俺は先輩の事な
らなんでも知りたいんだからさ」
「……」
「長くなりますが? 平気平気。今日一日は全部先輩の為にキープしてあるからさ」

 そして芹香はとつとつと話しはじめた。


  ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


 徹底した外界との隔絶により、幼い頃の芹香には同年代の友達がいなかった。そ
のため遊ぶ時も一人かお付きの大人達を相手にするしかなかった。当然その内容も
限られてくる。その狭い選択肢の中で芹香が好んだのは「歌を歌う」事だった。

 一人の時は人形を観客に。
 時にはメイドの引くピアノにあわせて。
 芹香は歌った。
 一人であればそれはさみしさを紛らわす事ができた。
 大人達に聞かせれば、皆、芹香の事を誉めてくれた。
 狭い世界の中で、歌は彼女の存在を位置付ける貴重な手段だった。

 やがて父母の帰国により芹香にも同年代の友達ができるようになったが、それま
でに培われた内向的な性格ゆえ、周りに溶けこむ事はできなかった。
 芹香は依然歌が好きではあったが新しい友達の前では恥ずかしがって歌う事はな
く、そのため彼女が歌う機会は減っていった。

 父母の帰国より芹香にはもう一つの趣味が増えていた。魔法関係の書物を読む事
である。
 母の持ち帰った本をきっかけに、芹香は魔法に魅入られるようになっていた。普
通なら手に入らないような貴重な書物も来栖川の力で手に入れる事ができたのも幸
運だった。
 そして、この事も芹香があまり歌わなくなった原因であり、それはこの後に起こ
るできごとの自然な推移となったのである。


 芹香がその魔導書を見つけたのは偶然であった。
 その本に書かれていたのは「悪魔召喚」の方法。
 芹香がなぜその呪法を試してみようという気になったのか。
 ただの気まぐれか。
 それとも芹香に内在する魔力のせいであったのか。
 なんにせよ芹香はそれを行い、そしてその召喚は成功してしまったのだ。


 床に書かれた紋様から羊の角のようなものを頭に付けた男が上半身だけ生えてい
た。その男は興味深そうな眼で芹香を眺めていたが、やがてそれにも飽きたのか、
芹香に問いかけてきた。
「お前は何を望むのだ?」
 一瞬茫然となった芹香だが、すぐにその問いかけに答えた。
「わたし、まほうがつかえるようになりたいのっ!!」
「……くっ、くっく、くくくくく」
「なんでわらうの?」
 馬鹿にされたと感じたか、少しばかり不機嫌になった芹香が悪魔にたずねる。
「お前は気付いてないのだな。既にお前は魔導を使っている事を」
「……?」
 不思議そうな表情で芹香は悪魔を見つめかえした。
「くっくっく。わからずとも無理はないか。それに魔導を使っているといっても、
ごく中途半端なものでしかないしな」
 だがこの言葉にも芹香は不思議そうな表情をするだけだった。
「まあ、よい。お前の望み、叶えてやるとしよう」
「ほんと?」
「ああ。お前も後10年も修行をすれば立派な魔導者となれるのだろうがな。今す
ぐ魔導を使いたいのだろう?」
 その問いかけに間髪を入れず芹香は答える。
「うん!」
「ならば我がお前に、魔導の使い方を授けよう……だが、我も悪魔だ。まったく手
ぶらで魔界に帰るわけにもいかん。我と一つ契約をしてもらおう」
「けいやく?」
 契約、の意味がわからないといった表情で芹香が聞き返す。
「まあ、約束、だな。本来ならお前の魂を貰う、というのが筋なのだがな。今回は
このような中途半端な陣で出てきてしまった我の責任もある。まずはお前が18に
なるまで、我はお前を待つことにしよう」
「わたしを、まつ?」
「そうだ。お前が18になるまで。それまでにお前は『愛する者』を見つけるのだ」
「『あいするもの』?」
「そう『愛する者』だ。お前がそれを見つけていたならば、我はお前を諦めよう。
だが見つからなかった場合は」
「ばあいは?」
「我が妻となれ」
「つま……およめさん?」
「そうだ。お前に内在するその魔力、我が妻となるにふさわしい。正直に言おう。
我はお前が欲しいのだ」
 悪魔の花嫁。普通ならそれは嫌悪されるべき対価であろう。
 しかし芹香はそんな想いを微塵も見せずに答える。
「うん、いいよ」
「くっ、くっくっくっく。やけにあっさり返事をするな」
「だって、わたしのおねがいをかなえてくれるんだもん。だからわたしもあなたの
おねがいきいてあげなきゃ」
「我が恐くはないのかな?」
「こわい? どうして?」
「くっくっく。まあよい。お前に異存が無ければ別にかまわん。くっくっくっく」
 悪魔は楽しそうな笑い声をあげていたが、すぐに別の言葉を紡ぐ。
「それともう一つ。契約……約束の証しとして、お前の声を預かる」
「こえを?」
「そう。お前は喋れなくなるのだ」
「……それじゃわたし、こまっちゃう」
「案ずるな。お前が魔導を使えるようになれば、声など出さなくとも話をすること
はできる」
「ふーん。なら、あやかや、ながせや、おじいさまや、おかあさまや、おとうさま
とも、ちゃんとおはなしできるの?」
「そうだ。それとお前が18になった時、『愛する者』を見つけていようがいまい
が返してやる」
「だったら、いいわ」
「ならば契約は成立だ。今よりお前は魔法を使えるようになる」
「うん、ありがとっ」
「くくく、礼を言われるようなことでもないのだがな。では、また会おう」

 そして悪魔はその身を煙と変えると、ビデオの逆再生のように魔法陣に吸い込ま
れるようにして消えていった。

 芹香はそれを見守っていたが、やがて悪魔が完全に姿を消すと早速魔法を使って
みる事にした。
「……」
 『ええと、何にしようかな』そうつぶやいたつもりだったのに、声は流れなかっ
た。芹香はそれに気付いたが、それは自らが魔法を使えるようになった証しとして
むしろ喜んでいた。
「……」(えーと……そうだ、お花!)
 花瓶にいけてある少ししおれかけた花に両手をかざし、それの咲き誇った姿をイ
メージする。すると芹香には身体の奥から力があふれ、それが花に注がれるのがわ
かった。やがて、花はかつての姿を取り戻した。
 芹香は喜びにその身体を震わせていた。とうとう魔法が使えるようになったこと。
その喜びが芹香の身体を駆け巡っていた。歌でも歌いだしたい気分だった。

 だがここで唐突に芹香は気がついてしまったのだ。
 歌が歌えない事に……


 あれほど大好きだった歌を芹香が歌わなくなった事に、しかし大人達はすぐには
気がつかなかった。1週間ほど芹香が落ち込んでいた時期があり、そのころからや
けにぼそぼそと話すようになっていた事には気がついていたが、歌わなくなった事
には気がついていなかった。
 芹香は前にもまして魔法関係の本を読む事に夢中になっていた。大人達は歌わな
くなったのはそれが原因だろうと大した心配もしなかった。それよりも前より内向
的になってしまった事を心配していた。

 そして時は流れ……


  ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


「じゃあ、もしかして、その、あ、あ、あ、愛する人って」
「……」(こくん)
 頬を朱に染め恥ずかしげにうなずく芹香を、やはり真っ赤になって浩之は見つめ
る。そして話を逸らすように思い付いた疑問を口にした。
「あ、あれ? もしかして今もその魔法で喋ってるの?」
「……」
「はい、って……ふーん、なるほど、どおりでねぇ」
 静かな図書館の中でさえ聞き取れないような話し方のくせに、うるさい街の雑踏
の中であっても芹香の言葉はやけにきちんと言葉が伝わっていた事を思い出し、浩
之は妙に感心した表情になる。
「それにしても、なんで普段も魔法で話してるんだよ? ちゃんと喋れるようになっ
たんだろ?」
「……」
「魔法で喋る事に慣れて、その方が楽だから、って……」
 苦笑する浩之に赤くなりながら芹香はさらに続ける。
「……」
「それに、私の声は『愛する人』のものだけにしておきたいって?」
 その言葉に浩之もまた赤くなりながら、照れ隠しのように芹香に言った。
「じゃあさ、俺のためだけに、また歌ってくれねーかな?」


 やがて森の奥から、澄んだ歌声がまた流れはじめた。

=== 了 ===

6月のお題、「パーティ」の話です。
内容は「芹香の話し方の秘密」です。(笑)
幼少時の芹香の性格が少し違うという気もしないではないですが。(汗)

実はこの作品、書いたのは二年半ぐらい前だったりします。
当時、色々事情がありましてずっとお蔵入りしてたんですが、今回のお題に
ぴったり、ということで、ようやく日の目を見ることになりました。

確かこの当時は「如何にして綺麗な情景描写を描くか」っつー事に燃えてた
よーな記憶がありますが、はたしてうまくいってるでしょうかね?
ほら、自分の作品て、やっぱり客観的評価しにくいじゃないですか。
そこらへんどうだったか、お聞かせ頂けると幸いです。