モーツァルト 投稿者:ALM 投稿日:2月19日(月)05時54分
  ただ其処にある夢
  いつも手を伸ばし
  そして迷う
  温度もないそれは
  何処にいくのかと
  
  
			モーツァルト
			
			
			
  倉庫の片隅でピアノが鳴り響く。
  ゆったりとした旋律で哀愁を誘うその曲に、歌声が重なる。
  異国のメロディーに、異国の言葉。
  丑三つ時の倉庫の空気は、言葉さえ拒むほどの雰囲気を作り上げていた。
  張り詰めているのでもない。空虚でもない。
  長調のワルツ。聞き取りにくい綺麗な言葉。
  彼は歌う。世界への望みを言葉に託して。
  
  引き戸が開かれ、人が入ってきた。
  陰を見て、彼はそれが愛しの人のそれだと分かる。
  音楽が途切れた中、陰の主が歩み寄る。
  低い背丈、スレンダーな躯。髪はくせのある茶色をワンレングスにしたものだ。
  彼女を見て、彼は思う。
  彼女と出会ったあの異常な一日。彼女はうすボンヤリと光っていた。
  年を重ねていくにつれて光輝いていく彼女。
  自分は水銀鏡になって、綺麗な彼女を映したい。
  それは可能なのだろうか。
  無用な思索に入ろうとした彼に、彼女が微笑みながら声をかける。
「今日もお疲れ様でした・・・」
  いつも通りの言葉のやりとり。
  そんなものにも安らぎを感じられる自分が彼は好きだった。
「そっちこそ、お疲れ様」
  だから、感謝の気持ちを伝えたい。
  せいいっぱいの笑顔で。
「また、ジムノペディを弾いてたんですか?」
  唐突に彼女から質問が投げ掛けられる。
「うん、弾きたくなったからね」
  あいまいに微笑み返す。
  さっきとは違って少し不自然だったかもしれない。
  そんなことを頭の隅で考えてみる。
「好きですよね、祐介さん。ここに来てからずっとこの曲を聞いている気がします」
「・・・これしか弾けないって訳じゃないんだけどね」
「分かってますよ」
  そう言って彼女は微笑んだ。
「空気が好きだっていうんでしょう?」
  何度も繰り返された言葉。
  彼女は飽きることなく彼のこだわりに付き合い続けた。
  それだから、自然にこんな言葉も出てくるのだろう。
「うん、こんなに落ち着ける曲は滅多にないからね」
  彼は言葉を続ける。
「それに、彼はアルコールの助けを借りてこれを作ったんだ」
  彼女が彼から何度も聞いた言葉だ。
  手を変え、品を変え、孤独なバーの弾き語りの一生を、彼はある時期彼女に繰り返し
語って聞かせたことがあった。
  彼女はそれを笑って、時には真剣な顔で聞いていた。
  それが繊細な彼を癒す方法の一つであることを知っていたから。
  彼女は、彼が持つ独特の世界に理解を示そうと努力していた。
  そして、彼にも自分の世界に立ち入ってほしいと思っていたのである。
「祐介さんは、アルコールは好きですか?」
  だから、彼女はあることを彼にしようと思い立ったのである。

「自分から飲みたいとは思わないね。アルコールって次の日まで残るでしょう?」
「じゃあ、次の日がお休みなら問題ありませんよね?」
「そうだけど・・・何か?」
  彼は彼女の言動に何か思い当たることがあったらしい。
  それとなく彼女の顔を見つめてみる。
「ちょっと新しいメニューを思いついたんですけど・・・それ、お酒なんです」
  ああ、そうか。
  彼は納得した。
「分かった、用意は出来てるの?」
  ピアノの扉を閉め、席を立つ。
「少し待って貰えれば・・・」
  曖昧に、彼女は返した。
  物憂げな表情も、長い髪も、彼女の母親によく似ている。
  彼は、ふとそう思った。


  薄暗い倉庫から這い出るようにして、二人はカウンターに出た。
  多目的ホールとしても稼働しているこの"INDIGO"はクラブ遊びの若者たちから羽を休め
る場所を求める社会人まで、客層は幅広い。
  一介のラウンジがこの規模にまで成長したのは、ひとえに彼女の母である女主人の役割
が大きい。
  しかし、活動に幅を広げるきっかけとなったのは、彼の存在だった。
  彼女、藍原瑞穂は幼少の頃からピアノと数々の音源に慣れ親しんでおり、その知識と技
能で彼女の母親をサポートしていた。
  しかし、環境が環境だけに同じ境遇、知識を持つ人間に出会えることが無かったのも事
実であった。
  彼との出会いは、数年前のことである。
  唯一の親友が発狂した事件。
  彼女と一緒に、狂乱の世界に立ち入ることになったのが祐介である。
  結局、核心までたどり着くことは出来なかった。
  親友は目覚めることなく、今も眠り続けたままだ。
  しかし、この事件は彼女のオーガナイズに大きな影響を与えることになった。
  厳格な両親から押し込まれた音楽の英才教育。
  閉塞した自分の欠落を埋める為に詰め込んだ音源の数々。
  彼女の縁でブースに立つようになってから、詰め込んでいた何かを吐き出すように彼は
音を叩きだし、客を魅了した。
  触発されるように彼女のプレイスタイルも洗練され、いつしか色々な所でお互いを補う
ようになったのである。
  それでも、正式に付き合い出したのはまだ1年くらいのことだ。

  瑞穂は手慣れた手つきで冷蔵庫から牛乳とチーズケーキを取り出す。
  そして瓶棚からチョコレートリキュールを取りだし、マドラーでかき混ぜるとケーキと
ともに祐介の前に供した。
「新作のチーズケーキなんですけど・・・」
  自信なさそうに瑞穂は祐介の目を見る。
  祐介は少し考え込んだあと、フォークで先端部を切って口に入れた。
「・・・つなぎにゼラチンを使ったんだね」
  瑞穂の目を見返す。
「軽食に出すのなら、これでいいと思うよ?こっちのほうが僕は好きだね」
  もう一口、食べる。
  そして、もう一口分切ると瑞穂の口の前に差し出した。
「瑞穂ちゃんも、食べてみなよ・・・」
  瑞穂は少しだけそれを見つめると、口に入れた。
  咀嚼する音。
  本当に音があったのかも疑わしい。
  けれども、祐介には可愛い雑音が聞こえたように思えたのだ。
  少し、ドキドキしている。
  ふとそんなことを考えていると、瑞穂が口を開いた。
「あの・・・これなんですけど・・・飲んで貰えますか?」
  小振りな手でマグカップを持ち、祐介に差し出す。
「私の・・・気持ちです・・・」
  顔を赤らめながら、飲み物を差し出す彼女を目の前にして祐介は当惑していた。
  これは、特別なことなんだろうか。
  彼女が飲み物を供してくれるのは今に始まったことではない。
  でも、普通のコーヒー、紅茶とは何処か毛色が違う。
  何かが違うのだ。
  しばらく牛乳カクテルと瑞穂を見比べて、気まずそうに口を開いた。
「ごめん、瑞穂ちゃんは何がいいたいの・・・?」
  しばらく間が開く。
  少し戸惑い、あせり、納得した後、彼女は言った。
「今日はバレンタインデーですよ?」
  そこで彼は納得がいった。
  ずっと一人の世界で生きてきたから、そんなのとは縁が遠かった。
  回りからは奇異の目で見られることが殆んどだった。
  いつの日からか、記憶の中から忘れ去っていた。
「祐介さんらしいですよね・・・」
  彼女はそう言って少し笑った。
「・・・そういうことなら頂くよ」
  彼はそう言って一気にそれを扇った。
  顔が少し赤くなる。
「このカクテル、モーツァルト・ミルクっていうんです」
  彼と同じくらい顔を赤くして、彼女は続ける。
「祐介さんは、ピアノが大好きみたいですから。ピッタリだと思ったんです」
「・・・好きって訳じゃないんだよ」
  酒に酔ったのか、座った目で瑞穂を見つめる祐介。
「物心つく前からやらされてた。僕の自由意志じゃなかったんだよ」
  そして、祐介はいきなり瑞穂に抱きついた。
「・・・・・!!」
  驚いた様子を見せる瑞穂。
「弾くことも出来る、歌うことも出来る・・・でも喋れないんだ」
「満足のいく言葉を、愛の言葉を語ることが出来ない」
「僕は自分が嫌いだよ・・・でも君は大好きなんだ」
「嬉しいけど、こんなときどうすればいいのか、僕には分からないんだ」
  そのまま、石膏に固められたように彼は動かなかった。
  抱きしめられたまま、瑞穂は微笑む。
「大丈夫ですよ・・・。祐介さんがどうなっても、私はここにいますから。安心してくだ
さい」
  そのまま、時計が四時を告げるまで、二人は抱き合っていた。
  
「瑞穂ちゃん・・・」
「祐介さん、どうかしましたか?」
「昨日がオールナイトだったでしょう?帰ったら一日中眠ってると思うんだ・・・」
「私も似たような感じだと思います。水商売の宿命ですよね」
「だからさ・・・一緒に眠ろうよ・・・」
「・・・一緒に・・・ですか?」
「そう・・・一緒に眠りたいんだ。目が醒めたら、きっと気持いいよ?」
「・・・祐介さんがそう言ってくれるのなら、私は構いませんけど」
「ありがとう・・・」


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  読んでる人が気持良くなる文章なんて、あるんですかねぇ?
  私は、その境地までまだ遠いと思うんですよ。
  
  率直な意見、募集中です。
  よろしくー

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