僕と彼女はコウサクする (2) 投稿者:ALM 投稿日:8月24日(木)21時19分
  美しくない日々たちへ。
  戻ってくるな。
  戻ってこないでくれ。
  色の無い世界になんて、戻りたくない。

僕と彼女はコウサクする  (2)

  暗く広い店の中に浮揚感をイメージさせるストリングの音色が響き渡る。
  それと同時に、今まで琥珀色のかかっていた店内の照明がフェードアウトを始め、暗めの青に変貌した。
  青というよりは藍色といったほうがいいだろう。
  深海を思わせるディープブルー。
  その中に暗い緑が混じり始める。
  どんな仕掛けを使っているのだろう。
  そんなことを考えながら、志保は音楽に耳を傾けようとした。
  ト長調の間延びした複雑な音の成分の上に、鉄琴らしき音が重なる。
  同時に、店の各部に据え付けてあるテレビが映像を映し出し始める。
  虹が溶け込んだような外見を見せる流動体に氷が落ちていく風景。
  波紋が広がり、それと同時に虹色の中に透明な流れが混じりあい、消えていく。
  そんな映像が、薄暗くなった店の中で客の顔を照らしていた。
  とはいっても映像を見ているものは殆どいない。
  皆相方との駄弁りに夢中なのだ。
  そんな光景が暫く続いた後、永遠に続くかと思われた不思議な風景に変調が現れ始めた。
  声らしき雑音が、流れる音の中に混じり出したのだ。
  それは多分に機械的な声で、志保には馴染みの無い声だった。
”GOOD MORNING....GOOD MORNING”
  外国の番組から取ったのだろう。
  志保は漠然とそんな事を考えながらも、この風景について考えをめぐらしていた。
  こういう所で楽しむ音楽は彼女にとっては高揚を与えてくれるためのひとつの手段である。
  だから、今目の前でオーガナイズされている風景は彼女が求めているものとは毛色が違う。

  どうしたものだろうか。

  女主人とその娘が傍らで何か話している間、志保はそんな不安を感じていた。

  彼女が思索に耽っている間にいつのまにか曲は終わり、店の中の雰囲気はいつもどおりに戻っていた。
「祐介さん、またジャンルを変えたの?」
  びっくりした様子で瑞穂は女主人に問い掛ける。
「・・・違うんじゃない?あれもテクノよ」
  落ち着き払った様子で女主人は返す。
「それよりも、彼氏出てくるわよ?」
  母親の言葉に反応した瑞穂は慌てた様子で厨房に駆け込む。
  その背中を慈愛に満ちた視線でしばらく彼女は、何かを思いついたらしく志保のほうに向き直った。
「ちょっと吃驚したんじゃない?」
「・・・まあ」
  複雑な表情を浮かべ、志保は言葉を濁す。
  彼女はたしなむのはヒップホップやユーロビートなど、最近の流行に沿ったものだった。
  だから今行われたパフォーマンスをどう取っていいのか分からなかったのだ。
「でも、てんちょのお勧めなんでしょ?」
「ええ、 場を繋げるだけの力はあると思ってるわ」
「でも、彼に足りないのも経験なのよ」
「音楽はどんくらいやってるの?」
「瑞穂は小さいときからだけど、彼は分からないわ」
  瑞穂が厨房から出てくる。
  白地のバスタオルを小脇に抱え、慌しく彼女がさっきまでいたブースのほうに早足で駆けていく。
  同時に光沢無しのアルミ製のドアが開き、話の話題となっていた人物が姿を見せた。

  第一印象はぱっとしない人物に見えた。
  髪型も個性を出したものではなく、ただ目が隠れる寸前くらいの長さのものを撫で付けたくらいのものであった。
  学校の帰りらしく、服装はカッターシャツと黒ズボン。
  顔の造形もいたって普通。
  町ですれ違っても、記憶に残らず消えてしまうだろう。

  瑞穂から受け取ったタオルで汗を拭きながら、青年はカウンターに歩いてくる。
  志保と主人の目の前まで来ると、彼は口を開いた。
「・・・どうですか?」
  その言葉を受けて、女主人が返す。
「最初に聞きたいのは”何を狙ってたか”って所ね」
「具体的なジャンルはあるの?」
「僕はアンビエントのつもりで組んでみたんですけど」
「・・・だったら成功だとおもうわ」
「じゃあ、メインは別に組んできたってこと?」
「はい。トランス系でやろうと思って」
  慣れた感じで言葉を二人は交わす。
「まあ、アンビエントをメインにするには腕が必要よね」
「志保ちゃんは、テクノ系のパーティーに行ったことがある?」
  脇で話を聞いていた志保に話を振ったのを受けて、祐介と呼ばれた青年は志保に視線を向けた。
「・・・この人は?」
「ああ、長岡さんのこと?近くの高校に通ってるのよ」
「文化祭でパーティー開きたいんですって」
「・・・へぇ」
  青年は口の端を微かに曲げた。
  顔を注意深く見ていなければ見えないくらいに微かな違いだったが、志保には何故か見て取れだのだ。
「それでDJ探しに来たみたいなんだけど、メインであいてるコがいないのよ」
「それで瑞穂とあなたを貸そうと思ってるんだけど」
「・・・僕はやりませんよ」
「そう?あなたに必要なものだとは思うんだけど」
  返答が予想外のものだったらしく、諌めるような口調で主人は続ける。
「他の子と違って、長瀬君には場数が足りないのよ」
「・・・でも」
  長瀬は暫く考えた様子を見せた後、志保に視線を向けた。
「・・・イメージはあるの?」
  いきなり話を振られた志保だが、彼女は狼狽しなかった。
「あるけど、部外者には教えらんないわよ?」
「今のを見た限りだと、瑞穂ちゃん一人で十分。お呼びじゃないわ」
「・・・非道いなぁ」
  全然堪えた様子もなく、長瀬は笑った。
「さっき、メイン用のテーブルがあるっていってたわよね?」
  彼と彼女の間に流れる険悪な空気を察して、女主人は口を挟んだ。
「それ、見せてくれるかしら?」
「明日、土曜日でしょ?」
  祐介は主人が言わんとするところを察して答えた。
「分かりました。じゃあ、明日の2時にここに来ます」
  そういって踵を返し、出口に歩いていった。
「ごめんね、志保ちゃん。いつもはあんなんじゃないんだけど」
  決まり悪そうな微笑を浮かべ、女主人は志保に話し掛けた。
「いいんです。最初から上手くいくとは思ってませんから」
  祐介と入れ替わりに瑞穂が何処からともなく戻ってきた。
「お母さん、お客さんみたいだから小料理もってきたよ?」
  見ると、四人分のパンの耳の唐揚げを乗せたトレイを持っている。
「・・・バッドタイミングねぇ、瑞穂。彼、帰っちゃったわよ?」
「・・・ごめんなさい」
「いいの、謝ることなんてないのよ?」
「じゃあ、打ち合わせしましょうか?」
「でもお母さん、祐介さんはどうするの?」
「嫌っていってるものを強制しても、良いプレイを見ることは出来ないもの」
「でも、何で彼、嫌がったのかしら?」
「わかんないわ。でも瑞穂ちゃんがいれば大丈夫よ」
「そんなこと言って・・・、瑞穂はVJが出来ないのよ?」
「・・・まあ、なんとかなるでしょ」
  志保はそう言って手元にあった氷水に口をつけた。
「それよりも、瑞穂ちゃんいつからDJやってるの?」
「5月からです。ちょっと興味があって・・・」
  そういって瑞穂は目を伏せた。
  志保は何故彼女が目を伏せたのかを不思議に思ったが、聞かないことにした。
  それよりも目下の問題をどうするか。
「機材はどうするの?」
「視聴覚室を取ってあるんです」
「あとはフェーダーとかなんですけど、貸してもらえませんか?」
「志保ちゃんのお願いだからね、OKよ」
「曲のジャンルは?」
「何でもありで行こうと思ってるんです」
「だとしたら、やっぱり長瀬君の協力は必要だと思うわ」
「彼、私と同じくらいの曲を知ってるもの」
「ハウスだけだったら、瑞穂だけで十分かもしれないけど」
  そういって主人は瑞穂のほうに目線を向けた。
「瑞穂、長瀬君を説得してくれないかしら」
「うん。分かった」
「ついでにテーブルも作ってきてよ、長瀬君といっしょに」
「・・・じゃあ、今からいってくるね」
  そう言って瑞穂は立ち上がり、店の奥に行こうとした。
  不意に立ち止まり、振り返る。
「お客さんと話すのもいいけど、黒服さんにお店まかせきりにしちゃ駄目だよ?」
「大丈夫よ。柏木くんには一通りおつまみ教えてあるし」
「それだから不安なのよ。柏木さんとお母さんじゃ明らかに味が違うもの」
「・・・そうかしら?」
「とにかく、早くカウンターに戻ってよ?」
  そう言うと、瑞穂は行ってしまった。
「あの子も店の前に出る前は引っ込み思案だったんだけど、随分変わったわ」
  彼女は志保にそう言うと、言葉を続けた。
「そういう力が、クラブにはあるんでしょうね」
「だから、私は出来るだけ応援したいとおもうの」
「だから、気合入れて頑張ってよ?」
  志保はその言葉を聞くと、うれしそうに答えた。
「ありがと、ママならそう言ってくれると思ったわ」