あなたへ 投稿者:akia 投稿日:8月4日(金)19時54分

『このロケが終わったら、少し時間をとってほしいの・・・大事な話があるから・・・


薄闇の中、ヒールが固い音を響かせた。その足音の主・・・篠塚弥生は扉を開け、その部
屋、教室の中へと入る。中に入り、ぐるりと弥生が見渡せば、教壇の前の机にもたれ掛か
って眠る姿を見つけた。
「由綺さん?」
側により声を掛けてみるが、反応はなく、可愛らしい寝息が聞こえた。それをかき消す一
つの足音。
「篠塚さん?森川さんは・・・ああ、そうですか・・・撤収まで寝かせて上げて下さい。
緒方さんもそう言っていましたから」
いつの間にか着いてきていたADが教室を覗くと、弥生に小声で告げてきた。
「判りました」
弥生はそう返事をし、出ていくADの姿も見ずに、ただジッと由綺の姿を見つめた。今日
も夏に出すCDのプロモの撮影で、夜の学校を使ってのイメージシーンの撮影をしていた
のである。もっとも強行なスケジュールであったが、由綺はいつになくがんばり、無事ス
ケジュール通りに撮影も終わったのである。
「・・・」
腕を枕に眠る由綺を見つめる弥生。その空間に二人きり。弥生はついと手を伸ばすと、由
綺の髪に手を触れる。
「ん・・・む・・・」
由綺が声を漏らすと、弥生は手を戻し、その指を口元に運ぶ。
「時間をとってほしいとは・・・なんなのでしょうか?」
弥生が呟く。けれど返事は・・・
『くす』
「!」
突然の笑い声に弥生は振り返る。その鋭い視線で射抜く相手は、一人の制服を着た女子高
生であった。おぼろげな雰囲気を漂わせる娘は、視線をぶつける弥生など気にせず、由綺
の側・・・弥生の反対側までやってきた。
「あなたは?」
冷たい声で弥生が問うが、
『あなたがこの人を思う気持ち、凄く感じるよ。いっぱい・・・いっぱい』
娘は焦点の定まらない不思議な瞳で、弥生を見つめる。
「・・・」
弥生はその娘を視界から外し、背を向け歩き出す。
『でもね・・・本当に強い気持ちがあるよ・・・小さくて強い、大事な大事な電波が』
娘は立ち去ろうとする弥生に、優しく告げる。その言葉に弥生は反応し、やがて教室の扉
に手を掛けたまま、娘の方へと振り返った。
「無駄話なら止めて下さい。部外者であるあなたに、何も言う権利はありませんから」
はっきりとした拒絶を込めて、弥生は言い切るが、
『だって・・・感じるよ。一番小さくて、一番強い電波を』
娘は微かに笑い、そして・・・教室の窓側の方に移動する。いつのまにか出ていた月が娘
を照らし、淡い燐光にも似た輝きに包まれた娘は、まるで透き通った瑠璃のようであった。
『でも・・・気づいてない?気づいている?』
「話になりませんね。人を呼んできます」
一瞥をくれ、弥生が出ていこうとするが、
『でも、まちがってないよ。その気持ち』
娘の言葉に、弥生は再び立ち止まった。
「・・・なら、私に由綺さんのことを忘れろと?」
弥生が問いかけると、娘は教室の窓を開ける。流れ込む夜の風。夏の夜というのに、風は
肌寒くあった。
「由綺さんを哀しませない・・・その約束を破れと?」
淡々と弥生は、いつもの口調で問う。
『泣いているよ・・・その人』
風に髪を舞わせ、娘は言葉を続ける。
『二人を苦しめているのは・・・自分だって・・・泣いているよ。だから言って欲しい・・
・あなたの声でねって』
娘の声が響く・・・ゆっくりと優しく。
月明かりの照明に照らされた教室の中の三人。
「『時間をとってほしい・・・』つまり、気づいている・・・そうですよね。由綺さんが
彼を思っていれば・・・」
弥生は低くつぶやき、こつんと扉に頭をつけた。
「ただ、私は彼女を哀しませるためだけの、嫌な存在。穢れのない彼女を羨ましく思って
いた・・・真冬の風。そんな私には、由綺さんに語る資格はない」
『大丈夫だよ。きっと大切な思いが届くから』
娘は微笑む。それは全てを慈しむように、そして・・・進むべき道を照らす、夜の神月の
ように輝いていた。
「・・・」
一瞬の事。弥生の瞳が揺らぎ、銀の軌跡が一筋。そして弥生は娘の方に振り返ると、
「お名前は?」
いつものように、凛とした声で問う。
『月島・・・瑠璃子・・・私、行かなくちゃいけないから』
焦点の定まらない不思議な瞳に弥生を映し、娘・・・瑠璃子はやんわりと微笑んだ。
「・・・」
弥生が目を閉じ、瑠璃子に頭を下げる。そして、その面を上げたとき、瑠璃子の姿は消え
ていたのである。まるで月に吸い込まれたように・・・。

「あの〜、あと十五分程でロケバスが来ますので」
先ほどのADが再び教室にやってきた。
「はい、判りました」
弥生がそう返すと、ADは頭を下げ、教室を去っていく。暗い・・・廊下の先へ。そして、
弥生は未だ寝ている由綺の側に立つ。
「先ほどの彼女が幻かは知りませんが、あなたは気づいているのでしょうね・・・けれど、
今はあなたのマネージャーです。それが、あなたに捧げるせめても愛だと信じて」
弥生は呟きつつ、由綺の肩に手を伸ばす。
「明日からは・・・他人だとしても」
弥生は微笑む。

『届くよ・・・大事な気持ち』

そんな声が弥生に聞こえた時、由綺が目を覚ます。
「・・・」
弥生を見つめながら、由綺は穢れなき微笑みを浮かべたのであった。


「弥生さん。少し時間をとってほしいの・・・大事な話があるから・・・」
「はい」


思いは伝わり、一つのページが終わる。けれど、全てのページが埋まるまで終わらない・・
・ホワイトアルバム。

そして、誰のためかに流される。永遠の雫・・・

                                     Fin