家路(六月お題『傘』) 投稿者:DEEPBLUE 投稿日:6月20日(水)01時23分
 家路




 体育館の狭い僕たちの学校では、うちの部は雨にやられればそこまでだ。
 校舎内でトレーニングをやることもあるけれど、大会の前とかそういうときでもない限
りはだいたい部室で軽いミーティングをして終わる。
「よう。お前も今か?」
 だけど、やはりそこで浩之に会ったことは、少し意外だった。
 いつもは、志保たちなんかとまっさきに帰っていたと思っていたから。
「あれ、浩之。どうしたの」
「ああ、部活だ、俺も」
 それで、思い出した。浩之は来栖川先輩のところと格闘技の同好会と、ふたつの同好会
をかけもちしていて、それぞれ週に一回くらい顔を出してるようだった。
 校舎から出てきたということは、今日は来栖川先輩のところの、オカルト研にいたのだ
ろう。
 どっちも、部長と浩之以外には、実働部員のいないような同好会。
 知っている限り、格闘技にもオカルトにも、浩之は興味はないはずだった。
 それでも浩之は、まじめに活動を続けているようだ。
 僕がサッカー部に誘ったときは、「めんどくせぇ」の一言で済まされたものだけど。

 カバンの奥に入れてあった折り畳み傘を、開く。
「入る?」
「いや、持ってる」
 浩之が掲げてみせたのは、コンビニで売られてるような使い捨てのビニール傘だった。

 あまり会話も無く、僕らは帰り道を並んで歩いた。
 いつものことだ。
 浩之から話題を振ることはほとんどないし、今日はとりたてて僕から話すようなことも
なかった。
 横目でみると、浩之はつまらなそうに視線を上に向け、背中を丸めて歩いている。
 でも、それはたぶん本当につまらなく感じているわけじゃなくて、ただ――そう。
 なにも考えていないだけなんだろう、本当に。
 二人して、さわさわと水の落ちる音の中を、言葉も無く歩いていた。
 
 それは、きっと珍しくも無い光景だ。
 傘を忘れたのだろう。
 制服姿の女の子が、長い髪を惨めに濡らしてとぼとぼと歩いてきて、僕達とすれちがっ
た。
 歩いているということは、走っても家にすぐにはつかない距離なんだろう。
 可哀想とも、心配だとも思わず、ただ僕はそう考えた。
 
 浩之が、立ち止まった。
 
 ああ。
 これは、悪い予感だ。……いや、ちがう。確信だ。
「雅史、ちょっと待っててくれな」
「ああ」
 返事するころにはすでに走り始めているその背中を、微笑って僕は見送った。
 べつに、この笑いも嘘じゃない。浩之が浩之であることに、安心している僕もいる。
 浩之がその子を呼びとめているその場所に、僕は急ぐでもなく追っていく。

「ほれ。家、遠いんだろ?」
 ぶっきらぼうに。怒ったように。浩之は自分の傘を差し出している。
「え?」
 中学生くらいだろうか。
 その女の子は、一瞬何を言われたのかわからないように高い声をあげて、それから慌て
て首を振る。
「い、いいですっ」
「いいから。どうせ使い捨てだから」
 女の子の手に強引に傘の柄を握らせて、浩之はきびすを返して走ってくる。
「おい、雅史。入れろ、入れろ」
 僕は、黙って浩之の背に合わせ、傘を持つ手を少し上げる。
 歩き始めるとき一度だけ振り向くと、あの子は呆然とした顔で、浩之の背中をただ見て
いた。
 つまらなそうに僕の隣を歩いている君は、もう自分のやったことなど忘れてしまったよ
うに、また少し斜めの空を睨んでいる。
 実際に、君は明日には忘れてしまうのだろう。とても小さな、君の行為を。
 だけどあの子は、きっとずっと覚えている。
 それはきっと、とても残酷なことだということを、君は知っているんだろうか。
 下心も何もない、君の行動が。

「ねえ、浩之」
「あ?」
「部活、楽しいかい?」
「んー、ああ、まあな」

 きっと、少なくとも何人かの人たちにとって。
 君に期待するのは君が期待してくれることだということを、君は知っているのだろうか。

 君のその、受け入れるには大きすぎる優しさは。


 感動もなく雨を見詰める浩之の目を、僕は見ながら家路を辿った。





<終>

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Denei/9440/