愛狩人・ユウヤ 特別編(下) 投稿者:DEEPBLUE 投稿日:12月25日(月)11時37分


「メリークリスマス、由綺……」
「うん……メリークリスマス、冬弥君」
 冬弥の差し出すグラスに、照れくさそうな、それでいて幸せそうな表情で自分のグラス
を打ち合わせる由綺。
 抑えられた照明の中、テーブルに乗ったグラスの中の蝋燭の明かりが、二人の顔を照ら
している。
「素敵な、お店ね」
「たまには……こんな日くらいはさ」
 自由に会うことも、出来ない二人だから。だから、こんな特別な日に会うときくらいは、
精一杯のことをしてやりたかった。
「由綺こそ、良く時間取れたよな」
「うん。スケジュール詰めて、頑張ったから……だから、今日はずっと、冬弥君と一緒だ
よ……」
 まっすぐに見詰めてくる由綺の視線に──今度は、冬弥がどきりとする番だった。
 静かに流れるBGMが、二人の身体と心とを穏やかに包み込む。
 曲は、『月光』。
 まさに静かに降りる月の光のような優しいピアノの音色が──

──そのとき、いきなりアップテンポの三味線の音色にとって代わられた。
「えーーっっ!?」
 店内中の客が、驚きとツッコミの声を上げる中、BGMはついにボーカルも加え、渋み
のある声を響かせていた。

 ♪地獄が見えたあの日からー 俺の身体に吹く風はー

 曲名、『地獄のズバット』。

「友を殺された恨み。そしてその仇を取るべく戦う一人の男の叫び──今宵をこのような
場所で過ごそうなどという、ブルジョアジーなカップルどもにはもったいないほどの名曲
だよ」
「津軽三味線(多分)のイントロが、激しく心揺さぶるわよね……」
 店内の音響機器の置かれた、控室。
 そこに、密かに忍び込んでいた二人の男女。言わずと知れた二人鷹の姿があった。
「じゃあ、次はこの『金太の大冒険』いくわよ」
「おおうっ!マニアックだな、柏木千鶴!」
 ちなみに、このあと『シネシネ団のテーマ』『ボインの歌』等、名曲フルコーラスはま
だまだたっぷりと用意してある。
「こらあっ!貴様等、なにしてるう!?」
「しまった、見つかった!?」
「逃げるわよっ、柳川!(呼び捨て)」
 異常に気付いて(気付かないのも変だが)わらわらと集まってきた追っ手(店員)を振
りきり時には投げ飛ばして、逃げる二人。
「分かれ道かっ!どっちに……」
 迷う二人。その間にも、追っ手の足音は近づいてくる。
「こっちよ!」
 そのとき、突然角から現れた人物が、一方の通路を指し示した。

 サングラスとマスクで完全に顔を隠した人物が。

「君はっ!?」
「名乗るほどのものではないわよ。とりあえず、正義の仮面美少女アイドルR、とでも覚
えておいて」
 マスク越しのくぐもった声で言い放つR(仮名)。
 髪の両側をリボンでお下げにしているあたり、女の子であるのは間違い無いようである
が。
「決して怪しい者ではないわ」
 サングラスとマスク姿のくせに、ぬけぬけと言ってのけるR(仮)。
「ただ、そう……あなたたちの味方。それだけよ」
「わかった。礼を言う!」
 少女(?)の指し示した方向に逃げる柳川&千鶴。
 それからわずかな時間をおいて、今度は店員たちが殺気だって走ってくる。
「そこの君っ!怪しい奴を見なかったか?」
 サングラスとマスクをかけた少女Rに向かって、尋ねる店長。
「うーん?えと、あっちに行ったかしら?」
 千鶴達が逃げた方向と異なる方を指す、R。
「ありがとう!ようし、いくぜ野郎共!フクロにしちめえ!」
「おうっ!」

……

 誰も、その場にいなくなってから。
 理奈は、サングラスとマスクを外した。
「兄さん、私……間違ってるかしら?」
 その整った形の頬を、涙が一筋、すうっと通っていった。
「全部、あなたが悪いんだから……冬弥君」




「もーう!遅いんだから!」
「悪い悪い。ついさっき原稿あがったんだよ」
「約束に遅れてまで?」
「だって、今日は瑞希とゆっくり過ごしたかったからな…どうしても、原稿あげちゃいた
かったのさ」
「…もう」
 呆れたような、でも嬉しそうな表情で、瑞希は微笑した。
 腐れ縁だった、二人。
 それがいつのまにか、恋人──そういえる仲になってしまっている。
 反対だった、和樹の漫画への転進。
 だけど、それが結果として、二人がこういう仲になるきっかけになってくれたのだから
──運命とは、わからないものだ。
「ふう、もういいわ。行きましょ。言っとくけど、今日はマンガ関係のことは抜きよ?」
「わかってるよ。俺だって、そんな年中マンガ漬けでいられるか」


 そんな、なにげなくも幸せげな二人の姿を、曇りきった目で見守る大人達二人の姿があ
った。
「さて、こんどはあれがターゲットだな」
「幸せそうね……うふふ。狩り甲斐ありそう」

「待たれい、そこのお二人」
 千鶴と柳川が、さっそく標的への攻撃を開始しようとしたとき、何者かが背中から二人
を呼びとめた。

 ──何者っ!?

 千鶴も、柳川も驚嘆せざるを得なかった。
 二人に気配すら感じさせず、背中からこの至近距離にまで近づいてくるとは。

「愛を知らぬオタクは腐る。だが、愛を得た同人は堕ちる。──飢えぬ心に、創造無し!」

 そこには、一人の眼鏡人があった。
 ’70年代のボクのハートのようにジグザグなツルの、丸眼鏡。

 ……ていうか、誰?

 千鶴と柳川が疑問符を頭上に浮かべてるのも気にせず、謎の眼鏡青年は言葉を継げた。
「あの者たちの始末については、我輩に任せて欲しいのだが……」
 眼鏡青年──九品仏大志は、眼鏡越しに真剣な眼差しで、前を行くカップルの背を見詰
めていた。
「どういうことだ?」
 柳川が尋ねる。
「どうもこうもない。──愚かな一般大衆どもが、ぬるけた俗習に身を浸すのは……今は
まだ、止むを得まい。やがて世界をあるべき姿に正す、その日までは。だが……彼等は、
我輩の身内。いわば、世界を導くために択ばれし者!……それが、聖戦を前にしてこのよ
うな下々の騒ぎに浮かれているのは……保護者としては、お恥ずかしい限りであるが」

 とりあえず、何が聖戦なのだか千鶴にも柳川にもちっともわからなかった。多分、説明
されても良くわからないだろう。年に二回の海辺の聖戦──知ってる人なら良く知ってる
が。
 だがともかくも、その眼鏡を上げる仕種に、彼の本気の心が窺える。

「……だが、やり直せるのであれば……間違えているのであれば、正さねばならん。見失
っているのであれば、導いてやらねばならん!」

 彼の眼鏡に、雪に映えたネオンの反射光が光る。
 実力有る眼鏡人の証明、逆光眼鏡。柳川と同様彼もまた、そのスキルの持ち主であった
とは。

「わかったわ」
 彼の逆光具合に、その本気と実力を認めたのか──千鶴が、頷いた。
「──いいのか?」
「彼に、任せてみましょう。わたしたちは、結果をもって見極めればいい──彼に丸眼鏡
の資格があるのか、否かを」



「……なあ、瑞希」
 ショッピング。
 食事。
 散歩。
 一通りデートのフルコースを楽しんだ二人。
 突然、立ち止まった和樹が、少し赤くした顔をして視線で示したのは──ちょっとおし
ろっぽい、りっぱなたてものだった。
「……」
 瑞希は、真っ赤な顔をしてしばらく和樹を睨んでいたものの、やがて──
「……ウン」
 こくりと頷いて、和樹の左腕に自分の身体を預けた。


「むうっ、いかん!やつら、こっそりいらしてる18才以下の読者の方々には説明できな
いフェーズに移行せんとしているっ!」
「どうするつもりだ?」
 急展開にピンチを迎えた眼鏡チーム(+鬼女1)は、焦りの表情を浮かべる。
「……何、大丈夫。こんな時の為に、頼もしい助っ人を用意してある」
 大志は携帯を取り出すと、すばやい操作で番号を呼び出し、出てきた相手と話をしだす。

 そして、きっかり三分後。

「我輩の朋友のひとり。ミスチェリーだ」
「はじめましてぇ。わたしチェリーっていうの。よろしくねえん。あ、これ名刺。お店の
だけど」
 チェリー嬢(源氏名)を一目見て──柳川の感想は、以下のようなものだった。


 とりあえず、アゴ髭濃すぎ(その上アゴ割れ過ぎ)。
 あと、上腕筋太すぎ。

 ……なわりに、なぜワキの処理は完璧?


「あら。お兄さん結構好み。メガネ外したりすると、もしかしてすっごく良い感じじゃな
い?」
 うなじをくすぐられ、耳元に牡フェロモンたっぷりの生暖かい息を吹きかけられる柳川。

 貴之。俺は今、煉獄にいるよ。貴之……
 いつかこの罪が焼き尽くされる日がきたら、君に再び出会えるだろうか。あの約束の地
で。

 細く一筋の涙を流す錯乱気味の柳川の姿を、千鶴は微笑ましげに見詰めて言った。
「うふふふ。モテモテね、柳川さん」
「柏木千鶴。俺は今、いつかあんたを殺さなければならない日がやって来るような気がし
てならないよ」
「あらあら、滑稽な事を言うのね。ほんと面白いんだから、柳川さんてば」
 笑う、というより嗤う千鶴のその笑顔に、柳川はしかしいつかのその日の為に闘志を新
たにするのであった。

──甘く見るなよ、柏木千鶴。ガンバとて、あのノロイに勝利したことを忘れるな。

 柳川の、熱い思い。
 しかし、彼はたったひとつ、大切なことを忘れていた。


 ガンバと違って、彼には友達がいないことを。


「我々の最終兵器だよ──」
 ニヤリと笑って、眼鏡を上げる大志。
「今回は、彼女(?)にひと肌脱いでもらうことにする。色んな意味で」

 和樹と瑞希とが、おしろっぽい建物に入っていくそのあとを、チェリーが追っていった。

 五分後。

 泣きながら建物から走り出てくる、瑞希の姿があった。
「おうっ、成功か!?」
「ふふふ。我輩の作戦に、抜かりは無い!ニューハーフと天秤にかけられたと誤解したマ
イシスターは、しばらく男性不信間違い無し。その間に、我輩がマイブラザーの精神を鍛
えなおすというわけだ!我輩の、この愛でもって!」
「それはいいけど……」
 昂揚する眼鏡二人に、ツッコミを入れる千鶴。
「男の子のほう、出てこないみたいなんだけど」
「……」
「…………」
 しばしの熟考ののち、大志は口を開いた。
「……そういえば、奴を恋人と思えと言ったが……どこまでやっていいのかについて、言
っておくのを忘れておったな……」
「……」

「……どこへ行く、柏木千鶴?」
「……悲しいお話は嫌いだから……」
「……あ、じゃあ俺も」
 後のことは大志に任せ、二人はそこを立ち去ることにした。


 45分後。
 スキップなどを踏みながら帰っていったチェリー嬢から三分遅れて、和樹が姿を現した。
 微妙に乱れた衣服が、ヤな感じ。
 たまらず走り寄って行く、大志。
「お、おおマイブラザー!奇遇であるな、こんなところ(ホテル街)で!……えと……大
丈夫か?」
「大志……」
 虚ろな瞳を、友人に向ける和樹。
「お、おお!なんだ?」
「大志……俺、やるよ。まだ描く。描きたいんだ。描いた原稿全部差し替えになったって
──いや、コピー本だっていい。描きたいんだ。この情熱を……原稿に!白い用紙に!思
いきりぶつけてやりたいんだっ!」
 ゆっくりと──体の底から創作魂の炎を呼び起こさんとしている和樹の姿に、大志の顔
にも笑みが宿る。
「……そうか。ようし!それでこそマイエターナルパートナーだ!」
「ああ、もう俺は迷わない。究極の本を創ってやるさ。……やるぜっ!





   ────信勝(織田信長×柴田勝家)本っっ!!」



 創作への情熱に満ち満ちた顔で──和樹は走り去っていった。

「…………」
 しばらく忘我の表情でパートナーの背を見送っていた大志であったが。
「……ここに来てのジャンル変更は痛いが……まあ、止むを得まい。南女史への袖の下に
ついても、考えねばならんか……」
 とりあえず、大志は──家に、帰ることにした。
「……しかし、愛を得て創作への情熱を駆りたてられることもあるのか。何事にも例外は
付き物であるな……」



 時は流れて、もう、夜。
 しかも、そろそろ深夜という時刻。
 時計を見ながら、柳川は呟いた。
「そろそろ帰らんと、明日の仕事に響くな……おい、貴様はどうする……おい?」
「……」
 立ち尽くす千鶴の視線の先に──彼等はいた。

 柏木耕一。
 そしてその周りで笑っている三人。梓、楓、初音。
 雪の大都会を、それでも四人は「心は暖かいよ」とばかりに、楽しそうに歩き去って行
った。
「……おい」
「帰ゆ」
「あ?」
「千鶴ちゃん、もー帰ゆー!」
「あ、おい?柏木千鶴?おいー!」
 幼児退行の兆候を見せつつも、涙の糸を引きながら走り去ってゆく千鶴のあとを、あわ
てて追ってゆく柳川であった。




 どこかの、ガード下。
 赤提灯をぶら下げた屋台の椅子に、千鶴と柳川は二人並んで座っていた。
「うっ、うっ、耕一さあん……」
 ぽろぽろと泣きながら、コップを傾ける千鶴。
「兄さん。お連れさん、どうかしたかい」
 気遣わしげな声の親父さんに、柳川は答えて曰く。
「独りが──寒いだけさ」
「……」
 親父は、黙ってマスに入れたコップに酒をなみなみと注ぐと、それを千鶴と柳川、二人
の前に置いた。
「俺のおごりだよ、兄さん達」




「じゃ、明日帰ったら、ちゃんと千鶴さんに伝えといてくれよ、梓?」
「わかってるよ。だけど、伝えないで驚かしてやっても面白いんじゃない?今年はあんた、
正月来れそうも無いっていってて、千鶴姉残念がってたからさ」
「うーん……でも、千鶴さんだって仕事の都合とかあるからさ。頼むよ」
「わかったわかった」
 一日遊びまわり、予約してあるホテルに帰ろうという姉妹達と、そして耕一は、駅のホ
ームでもうすぐ来るであろう山手線を待っていた。
「……耕一さん、今日は……」
「うん、俺も楽しかったよ、楓ちゃん」
 にっこりと微笑む耕一に、顔を赤らめて俯く楓。
「でも、またすぐあえるんだよね。今度は、隆山で」
 嬉しそうな初音の声。
「ああ、急に予定が消えちゃったからさ」
「千鶴お姉ちゃん、喜ぶと思うよー」
「ああ。俺も楽しみだよ」




「耕一さん……むにゅう」
「終電……出てしまったな……」

 酔って眠りこける千鶴と、駐車場までの距離を思い軽い絶望感に囚われている柳川。

 彼等の夜も、今夜は長いものになりそうだった。





 <完>