雑誌と梓 (痕SSこんぺ委員会 短編部門参加作品) 投稿者:AIAUS 投稿日:1月17日(金)01時15分
 あたしの家には、エロエロ貧乏大学生が寄生している。
 大学っていうところはよほど暇なのか、休みが出来たと言っては、あたしの家に泊まりに来て、
好きなだけ食っちゃ寝をした後、来た時よりもちょっと太って帰っていく。
 あいつの料理を作るのは、いつもあたしの役目だ。
 妹の初音は嬉しそうな顔をして手伝ってくれるけれど、あの子はいつも嬉しそうなので、
本当は嫌がっているかもしれない。
 そうだ。
 この間も、変な雑誌のグラビア写真を見せて、初音を困らせていた。
 まったく、ろくなことをしやがらない。
 そのくせ、あたしの前と他の家族の前とでは、まるで態度が違う。
 あたしを女扱いしていないんじゃないか。
 この頃、特にそう思う。
 千鶴姉に間違って肩が当たったとき、あんなに赤い顔をして謝っていたのに。
 私の胸を触っておきながら、
「おまえが悪いんだぞ。そんなデカい胸、置いておくから」
と言いやがった。
 もちろん、その後は木っ端にしてやったけれども。
 
 ……もしかしたら、こういうことをするから女扱いしてもらえないのかしら。
 
 少し嫌な考えが頭の中をよぎったが、あたしは頭を強く横に振ると、問題のエロエロ貧乏大学生の
部屋の前に立った。
「耕一〜っ! もう昼になるってっ! いい加減、起きなよっ!」
 大きな声で呼んでみたが、返事はない。
 障子を開けてみると、布団はすでに空で、脱いだ寝間着がその上にたたんであっただけだった。
「まったく。人に洗えって言うの?」
 ブツクサと文句を言いながら、あたしはあいつ、つまり従兄弟の柏木耕一の脱いだ寝間着を
手に取った。
 もう大分、冷たくなっている。
 どうやら耕一はずっと前に起きて、どこかに出かけてしまったらしい。
「声ぐらいかけろっての」
 少しいらつきながら、あたしは小脇に抱えた洗濯籠の中に、耕一の寝間着を放り込んでいく。
 こうやって、毎日のように面倒を見てやるから、あいつの怠け癖に輪がかかっていくのかもしれない。
 とすると、あいつにとって、あたしは小間使いやメイドみたいな存在なのだろうか。
 かなり、嫌な感じがした。
 千鶴姉や初音は耕一に優しくしろと言うけど、別に、あいつにそんなことをしなくてもいいと思う。
 だって、あいつは全然感謝してないし。
 まだ敷かれたままの布団も片づけようと、あたしは敷き布団を持ち上げた。
 バサバサっ。
 紙の束がバラける音がして、何かが布団からこぼれ落ちる。
「なんだ、こりゃ?」
 不思議に思って、あたしは紙の束を指でつまみ上げた。
 それは、耕一の大好きなグラビア雑誌だった。
「女所帯だっていうのに……何を考えてんだ、あいつ」
 試しに、パラパラとグラビア雑誌をめくって見る。
 最初に見えたのは、胸を腕で寄せ上げてポーズを取っているグラビアアイドルの写真。
 次の写真も、やたらに胸を強調しているように見えた。
「まったく。こんなもんの何が楽しいのやら」
 と言いつつも、私は少し気になって、シャツの胸元を引っ張って、自分のものと写真の中の
女たちの胸の大きさを比べてみた。
 
 うん、負けてない。
 
 何だか誇らしくなって胸をそらしてみたが、自分がとても馬鹿なことをしているような気になって、
あたしはシャツの胸元を離した。
「……あいつ、こういうのが好きなのかなあ」
 グラビア雑誌は何冊かあった。
 その全てが、いわゆる巨乳系雑誌というやつである。
 なるほど。
 これで少なくとも、初音や楓、そして千鶴姉の貞操の安全は保証されたということである。
 
 ……それじゃ、あたしは?
 
 何だか嫌な予感がして、あたしはグラビア雑誌を投げ捨てた。
 確かに、あいつはスケベでいい加減で怠け者だけど、そこまでひどい奴じゃない。
 そんなことは、ずっと前にわかっている。
「ちぇ。どうせ、あたしは女扱いされていないよ」
 少しむかついたので、あたしは耕一が帰ってきたらよく見える位置に、グラビア雑誌を並べておいた。
 もちろん、一番えげつないポーズが写っている写真があるページを開いておいて。
 ふふん。初音に軽蔑されて、悶え苦しむがいい。
 満足したので、あたしは耕一の部屋を出た。
 さて、次は洗い物だ。
 
 
 ひととおりの家事が終わって、あたしがテレビを見ながら、ゴロゴロと退屈を楽しんでいた頃。
 耕一の部屋の方から、初音の悲鳴と「違う! 違うんだ! 初音ちゃんっ!」という情けない声が
聞こえてきた。
 かかってる、かかってる。
 初音と一緒に家に帰ってきた耕一が、自分の部屋に初音を案内したのだろう。
 障子を開けたらバッチリ目に入る角度に、グラビア雑誌は開いておいた。
 我ながら完璧なトラップ。
「ううん。いいの。耕一お兄ちゃんだって、お年頃だものね……」
「いや、だから、いっつもこういう本ばっかり読んでいるわけじゃ……初音ちゃあああんっ!」
 あたしは耕一の断末魔の声に満足すると、テレビのチャンネルを変えようとリモコンを探した。
 
 
 お風呂の時間。
 洗濯カゴに脱いだ服を放り込むと、あたしはガラス戸を開けた。
「あ〜、今日も疲れたっと」
 腕を上に伸ばして、疲れがたまった肩をほぐす。
 あたしは、この時間が一番好きだ。
 湯船にはすでに湯が入っており、もうもうと白い湯煙を上げている。
 チャポン。
 水音がした。
「……んっ? 誰か、先に入っているの?」
 そう言えば、洗濯カゴの中に誰かの服が入っていたような。
 あたしが湯船の中をのぞきこむと、湯船の中で耕一が、何でもない顔をして、あたしの裸を見ていた。
「よぉ。梓」
「……耕一?」
 見られた。
 見られちゃった。
 あまりのショックで、あたしの思考回路は停止している。
 きゃあ、と叫ぶとか、あわてて前を隠して逃げ出すとか、何か方法はあったのだろうけど。
 耕一が、あまりにも平然と湯船の中に入っているので、あたしの思考回路はなかなか動き出そうとは
しなかったようだ。
「おい、梓。せめて、前ぐらい隠せって。はしたないぞ」
 年上ぶって、あたしをたしなめるくせに、あいかわらず耕一の顔は、あたしの方を向いている。
「だったら、あっち向いてろっ!」
 カパンっ!
 あたしの投げた木桶が、いい音を立てて耕一の顔にめり込んでいた。
 
 
「うぅ、見られた。見られたよぅ。耕一に見られちゃった……」
 自分の部屋の中で、あたしは毛布にくるまって、小さくなっていた。
 耕一に見られた。
 あいつのことだ。
 今頃は記憶で何度も再生、巻き戻し、再生、巻き戻しをして、目に焼き付けているに違いない。
 ああ、やだ。
 きっと、あいつはメモリーの一番大事なところに、あたしの裸をしまって、自宅に帰った後も使用するに
違いない。
 やだ、そんなのに使われるなんて。
 うう。
 あいつの記憶の中の、あたしの姿が、雑誌やビデオに出てくる姿と同じように扱われるなんていやだ。
 そりゃ、別のことだったら、嫌じゃないけど……。
 こうなったら。
 ……消えないところにしまってあるのなら、しまってあるところを怖そう。
 乙女なら誰でも決意する想いを胸に、あたしは拳を固く握りしめて、耕一の部屋へと向かった。
 
 
「入るよ、耕一」
「んっ、梓か?」
 あたしは返事の代わりに障子を開けて、耕一の部屋へと入った。
 耕一は、あたしが入っても別に何も気をつかった様子もなく、ゴロゴロと部屋に寝転がって、
お気に入りのグラビア雑誌を見ている。
 あたしの方なんか、見向きもしない。
「さっきのことなんだけど……」
 大きかったとか言ったら、頭をぶん殴って記憶を消去してやる。
 あたしがギリリと拳を握りしめているのも知らずに、耕一は呑気にグラビア雑誌を見続けていた。
「んっ? ああ、気にするなよ。ちょっと鼻血が出ただけだって」
「えっ? あ、ごめん。大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫」
 上げた足をブラブラと横に振りながら、耕一はそれでもグラビア雑誌から目を離さない。
 
 そうか。耕一、そんなにひどい怪我じゃなかったんだ……。
 
 すっかり忘れていた自分の暴力の結果に安堵すると共に、あたしは一つの疑問を頭に浮かべた。
 
 こいつ。さっきから雑誌ばっかり見ているけど、あたしの裸のことなんか、一つも覚えていないんじゃ……。
「時代は今、巨乳」
 そんなグラビア雑誌のあおり文字が、やけに鮮明に見えた。
「どうしたんだよ、梓」
 あたしがこんなに悩んだのに。
「……おーい、梓?」
 あたしの姿を思い出しているって、思いこんでいたのに。
「大丈夫か、おい」
 心配顔で近寄った耕一のみぞおちに。
「馬鹿ぁっ!」
 あたしは思いっきり、正拳突きを打ち込んでいた。
 
 
 いいんだ。
 どうせ、あたしみたいな男女なんか、あいつの眼中にはないんだ。
 いいんだ。
 あたしだって、あんなエロエロ貧乏大学生は眼中にないんだから。
 あんな食うことと寝ることとエロ雑誌を見ることにしか興味がない男なんて、絶対に……。
 
 そこまで思い至って、あたしは足を止めた。
 ホゥ、ホゥ。
 フクロウが鳴いている。
 耕一を殴り飛ばしてから、家の外に飛び出してしまったらしい。
 靴も履かないで。
 
 馬鹿みたいだ。
 
 そう思って、あたしは家の方に足を向けたが、すぐには耕一に会いたくなくて、その場に座り込んだ。
 夜の土の冷たさが、お尻に染みる。
 本当に、馬鹿みたいだ。
「あたしって、魅力ないのかな……」
 馬鹿ついでに、そんなことをつぶやいてみた。
 確かに、耕一のあたしに対する態度は、千鶴姉や他の二人の妹たちとは違う。
 千鶴姉は料理は下手で偽善者で鬼だけど、女っぽいと言えば、女っぽい。
 それは、楓や初音だってそうだ。
 確かに、あたしは女に見られなくても仕方がないのだろう。
 普通の女の子なら、男の腹を拳で殴りつけたりはしない。
 でも、あたしは……。
 
 いい加減、お尻の冷たさが我慢できなくて、あたしが立ち上がってしまった頃。
「おーい、梓〜。出て来いって。ここらへんにいるんだろ〜」
 夜の山道の中なのに、耕一の声が聞こえた。
 あたしはポカンとして、耕一の声が自分の方に近寄ってくるのを待っている。
 
「馬鹿。いきなり飛び出しやがって。夜なのに危ないだろ」
「……うるさい」
 本当は、すごく嬉しかったんだけど。
 あたしは不機嫌な、きっと凄く不細工な顔をして、そんなことを言ってしまった。
「あぁ、もう。靴も履かないで。ほら」
 あたしの足についた泥を払うと、耕一は背中を向けて、しゃがみ込んだ。
「……なによ」
 おぶされ、と言っているのはわかっていたけれど。
 恥ずかしさがこみ上げて来て、あたしはまた憎まれ口を叩いた。
「いいよ。裸足で帰ったって。怪我なんかしないんだから」
 そう言って、しゃがんでいる耕一の横を通り過ぎようとしたところで、あたしの足が止まった。
 半ズボン姿でしゃがんでいる耕一の足に見える痕。
 それは、あいつが子供の頃、あたしのためにつけてしまった傷。
 それはまだ、癒えることなく、消えることなく、あいつの足に刻み込まれている。
「よっと」
「なんだよ。結局、乗って帰るのかよ」
「うるさい。早く走れ、馬」
 耕一の、やけにだだっ広い背中に乗っかると、あたしは耕一の首にしがみついた。
「わかったよ。このまま走るからな。落ちるなよ」
「あいよ」
 あたしの返事を聞くと、耕一は自分で言ったとおり、夜の山道を走り出した。
 思ったよりも、耕一の足は速い。
 夜の森が緑の線となって消えているが、あたしはそんなものを見ていなかった。
 耕一の頭に自分の顔を寄せて、少しだけ幸福になっている。
 やっぱり大丈夫だった。
 耕一も、あたしでドキドキしてくれている。
 耕一の背中の体温が、あたしに何を感じてくれているか、ちゃんと正直に語っていた。
 
 ……よかった。
 
 あたしは安心して、一時の夜間飛行を満喫することにした。
 
 
 今日もやっぱり忙しい。
 あたしは朝食の後かたづけを済ますと、次は洗い物を済まそうと忙しく動いていた。
「あ、梓っ! 俺の部屋に置いてあったグラビア雑誌はっ!」
 忙しいっていうのに。
「捨てたよ、そんなもん」
 あたしが無造作に答えると、耕一は間が抜けた顔で立ちすくんでいた。
「……おっ、俺の愛と希望と青春が……」
「そんなもんに燃やすな。ほら、邪魔、邪魔」
 まっとうなことを言って、あたしは耕一のでかいだけの体を蹴り飛ばした。
「いって! ……ったく。少しは、女らしい気遣いとか、優しさとかだなぁ」
「女だから、あんたの本を捨てたんだよ。それぐらい、わかってよ」
「えっ?」
 耕一が何か言い出す前に、あたしは走って、その場所から離れる。
 
 許すもんか。
 あいつが、あたし以外を見て、ドキドキするなんて。
 いつか絶対、あたしだけしか見たくないようにしてやるんだ。
 
 とりあえず、今夜。
 あいつの部屋に遊びに行ってみよう。
 
 少しだけ過激な期待をしながら、あたしは洗濯を始めた。
 
 
(雑誌と梓 了)