所持金ゼロ(イベントSS十ニ月のお題「おとしもの」サンプルSS 投稿者:AIAUS 投稿日:12月15日(土)22時39分
 藤田浩之は一人暮らしである。
 浩之の両親は高校生になった息子に自宅を任せて、遠く離れた場所で仕事をしている。
 浩之ぐらいの年頃の若者にとって悠悠自適の一人暮らしは憧れであるが、人間が独りで生活する
ということは苦労を伴うものである。
 浩之もまた、その苦労の一つに直面していた。


 :一日目

「まじいな……」
 冷蔵庫の扉を開けて中身を覗きながら、浩之は独りつぶやいた。
 何度見ても、冷蔵庫の中にはマヨネーズ、ワサビ、キムチの素などの調味料しか入っていない。
 普段は非常食のカップラーメンを買い溜めているのだが、その在庫もゼロだった。
「買い溜めしようと思っていた日に財布を落とすなんてなあ。ついてねえや」
 生活費が振り込まれるのは一週間後。
 浩之はすぐに両親に電話をして生活費を振り込んでくれるように頼んだが、やってきたのは銀行
口座の数字ではなく、速達で届いた電報だけだった。

「モウ ダマサレマセン
 タッシャ デ クラセ     チチ」

 浩之は舌打ちしながら電報を破り捨て、深い溜め息をついた。
「狼少年って本当の話だったんだな」
 すでに二回、両親を騙して前借りをした前科がある。
 三度も騙されるほど、浩之の両親も愚かではない。
 だが、残念ながら、今回は本当だった。
 財布の中に生活費を入れていたため、それを落とした浩之の所持金は0円だ。
 ググー。
 腹の虫が景気よく鳴って、浩之に食事を取るように促したが、食べるものはどこにもない。
「一週間か……なんとかなるかな」
 持ち前の楽観主義から気を取り直した浩之は、冷蔵庫の探索を打ち切って、自分の部屋へもどった。
 ベッドに潜り込み、布団を被る。
 後は睡魔が食欲を抑えてくれる。
 眠りはすぐにやって来た。


:二日目

 意識はまだしっかりしている。腹の虫はなぜか鳴らない。
「浩之ちゃん。今日は静かだね。どうしたの?」
 あかりは習性のように浩之を家まで迎えに来ていた。
「んっ。渋い男を目指そうと思ってな」
「ふ〜ん、そうなんだ。それじゃ、私も渋い女を目指そうかな」
「おまえにできるわけないだろ」
 ビシっ。
 デコピンをかますと、あかりは大げさに痛がった。
 いつもの登校風景。
 腹は減っていたが、浩之はなんだか安心して学校へと向かうことが出来た。

「浩之。パンを買いに行こうよ。カツサンドは諦めた方がいいと思うけどさ」
 雅史が昼食を誘いに来たが、浩之は気だるげに手を横に振って断った。
「悪ぃ。今日は何だか食欲ねえんだ」
「へー。浩之にもそういう日があるんだ。初めて見た」
「人を食欲魔人みたいに言うんじゃねえ」
「それじゃ、一人で行ってくるよ。浩之も気が変わったらおいでよ」
「へいへい」
 食欲はあった。
 あるどころか、頭の中には食べ物のことしか浮かんで来ない。
 だが、自尊心が強い浩之は、『財布を落としたので、友人から金を借りる』ということに強い抵抗を
感じていた。パン一個を口に入れることが出来れば、この切ないような、情けないような苦しみから
逃れることが出来るのだろうが。
 だが、浩之はあえて、そうしなかった。
 やる気がないように見えて、妙に頑固なところがある。
 それが藤田浩之という男だった。

:三日目

 さすがに水だけで三日を過ごすと、人間の体は不具合を起こす。
 浩之は朝からフラフラしていた。

 昼休みの放課後。浩之は屋上に避難していたが、好奇心旺盛な志保が彼を追ってきていた。
「どうしたのよ、ヒロ。いつもに増して変よ、あんた」
 志保のキンキン声が耳に障る。
 浩之は無言で顔を背けて、志保の声を聞かないようにした。
「昨日は昼御飯食べなかったっていうし。あかりも雅史も心配してたわよ? もしかして恋の悩み?
この志保ちゃんに言ったんさい。相談に乗ってあげるわよん」
(誰が人間スピーカーに、そんな相談を打ち明けるんだよ)
 いつもの浩之なら、それぐらいは言い返しただろうが、今日は始終無言である。
 なんだか居心地が悪くなった志保は、鞄からパンを取り出して口に運ぼうとした。
 ザッ。
 カチン、と志保の歯が音を鳴らした。
 いつの間にか、手の中にあったハムサンドが消えている。
「なっ、なになに? 物体消滅現象?」
 浩之は別の方向を見ながら、モグモグと口を動かしている。
 志保はそのことに気付いていない。
「おっかしいわねー。どこかに落としたのかしら?」
 志保は這いつくばって床を探したが、しばらくしてあきらめたらしく、別のパンを取り出した。
「パンの一個ぐらい別にいいわ。さーて、いっただきまーす」
 カチン。
 再び、志保の歯の音が鳴った。
 今度は、卵サンドが消えていた。
「……ちょっとヒロ。あんた、さっきから何かしていない?」
 疑いの目で志保は浩之を見つめたが、浩之は無言で顔を横に振った。
 卵サンドはすでに飲み込み終わっている。口の周りもすぐに手でぬぐったので、アリバイ工作は
完璧だった。
 その日の午後は、志保の「おなか空いた〜」の言葉を何度も聞かされることになったが、なんとか、
浩之は命をつなぐことができた。


:四日目

「浩之さん。最近、昼御飯を召し上がらないって本当ですか?」
 心配そうな顔をしたマルチが、浩之に話し掛けてきた。
「ダイエット中なんだ。心配しなくてもいいぜ」
 現実に、体重はすでに三キロ減っている。赤ん坊一人分が自分の中から消えたことに浩之は恐怖を
感じていたが、残りは後三日。耐え抜く覚悟はすでに出来ていた。
「何も食べないと体に悪いですよ。はい。浩之さんのために買ってきました」
 マルチは心からの笑顔で、浩之に何かが入った紙袋を渡した。
「ありがたいぜ、マルチ。それじゃ、いただいておく」
 浩之に頭を撫でられて、マルチは嬉しそうに微笑んだ。
「アルカリだから、最後までパワーが持ちますよー。それじゃ、私、急ぎますのでー」
 マルチはブンブンと手を振りながら浩之から去っていく。
「アルカリ? ……まさか」
 ガサゴソ。
 嫌な予感がした浩之は、あわてて紙袋をまさぐる。
 その中にあったのは、単一電池の束だった。

 ……そうか、マルチってメイドロボットだからな。
 って、メイドロボって乾電池で動くんかい。
 それじゃ、どこに乾電池はめるんじゃい。
 背中がパカっと開いて、そこに五十個ぐらいはめるんかい。

 喜びが大きかった分、落胆も深かったのか、浩之の心のツッコミは、しばらく続いたのであった。

  
:五日目

 マヨネーズを空にすることで、その日はなんとか凌いだ。
 情けないことに、とてもうまかった。
 空腹が最高のソースである、と誰かが言ったが、それは真実だった。
 涙が出そうになったが、浩之は耐えた。
 まだ一日残っている。


:六日目

 日曜日。
 もう、空腹感もない。
 体が動かない。
 このままでは、生活費が振り込まれても銀行からおろすことも出来そうにない。
「情けねえ。腹が減ったくらいで動けなくなるなんてよ」
 実に当たり前のことだったが、浩之の脳は栄養不足で正常に働いていない。

 ピンポーン。
 玄関のインターホンが鳴る。
「浩之ちゃ〜ん。新しい料理を作ったから、食べてみて欲しいんだけど〜」
 玄関の外で、あかりがそう言った刹那。
 ダっ。
 浩之は獣のような速さで、玄関へと飛び出していた。
 空腹が続くと、生物は神経が鋭敏になるという。
 すでに手足もまともに動かすことが出来なかったはずの浩之は、玄関の外にいたエプロン姿の
あかりが持っていたアルミ鍋を奪い取り、そのまま縁に口をつけた。
「えっ、浩之ちゃん。そのまま食べたら熱いよ〜」
 ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ。
 噛む暇も惜しいのか、浩之は中の具ごとスープを飲み干した。
「あっ、熱くないの、浩之ちゃん」
 凄まじい浩之の様子に、あかりは恐る恐る声をかける。
「あかり」
「なに、浩之ちゃん」
「結婚してくれ」
「ふえ?」
 いきなり訳のわからないことを言われたので、あかりの顔が赤くなった。
「また、浩之ちゃんったら冗談ばっかり言って。おかわりが欲しいなら、すぐに作ってあげるから」
「ああ、頼む」
 浩之はそれ以上、変なことは口走らなかったが、あかりの顔は赤いままだった。


:七年後

 喫茶店にて。
 あかりと志保はコーヒーを飲みながら、旧交を温めていた。
 あかりの薬指に婚約指輪がはまっている。
「予想通りとはいえ、思い切ったわねー。あんな気が多い男、どうやって捕まえたの?」
 ロングヘアーになった志保に、あかりは笑顔で答えた。
「やっぱり餌付けかな」
「料理って重要よねー。あたしも練習しようかなー」
 コーヒーに入っていたクリープが泡を立てて溶けていく。
 志保は昔からの夢をかなえた親友を羨ましそうにながめながら、コーヒーを口に運んだ。


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 おまけ(四日目半)

「藤田さん。困っているなら、私が力になります」
「琴音ちゃん?」
 青い顔の浩之は、力なく首を横に振った。
「どっ、どうしてですか。こんな時にこそ、私でも藤田さんを助けられるのに」
「いい。琴音ちゃんの左手にある首輪がすごく気になるから」
「そんなぁ。もう犬小屋まで作ってあるのに」
「小屋かい。しかも犬かい」
 浩之は容赦なく、琴音の頭にチョップでツッコミを入れたが、琴音はまだめげない。
「もう、チャッピーって名前まで決めてあるんですよ」
 キラン、と琴音の目が妖しく光る。
 浩之は後ろも見ずに逃げ出していた。

 あと一日遅ければ、浩之の運命の相手はまた、変わっていたかもしれない。
 かように、人生は移ろいやすいものなのである。

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