(11月のイベントSSサンプル作品:お題「うた」)「人形劇」 投稿者:AIAUS 投稿日:11月30日(金)23時14分
 愛し合っているのに、運命によって引き離されてしまう二人。
 結ばれることは許されないのに、男はあえて苦難を選んで、女の下へと走る。
 女は叫び、泣き、時には怒り、男が傷付いていくのを止めようとする。
 だが、男は決して走るのを止めない。
 男はついに力尽き倒れるが、女は自分から走り出して、自分が傷付いてくことに
気付きもしないで駆け寄り、倒れた男を抱擁する。
 感動のラストシーン……のはずだった。

「……ふぁ」
 綾香が横で小さくアクビをしたのを見て、浩之は小声で言った。
「なぁ。やっぱり、アクションものの方がよかったんじゃないか?」
「そうね。つまんないかも」
 自分から甘ったるい映画に誘っておきながら。
 小言の一つも言いたくなったが、周りの連中が皆、涙を堪えている観客ばかりなので、
浩之はそれをぐっと堪えた。
「最初から走り出せば、大事な人にあんな苦労をさせないで済んだのに。変よ、あの女」
「……そういうのは、映画が終わってから、外で話そうぜ」
 映画館の観客全員を敵に回すことを恐れた浩之は、綾香にそっと耳打ちした。
「ん〜。でも失敗したわね。私達にはあまり面白くなかったかも」
 綾香は映画館の折り畳み椅子の上で伸びをしながら、スタッフロールを眺めている。
(俺は結構、感動したんだがなあ)
 浩之はそう思いながら、席を立った。
「もう出ようぜ。あんまり遅れると長瀬の爺さんに怒られるんだろ?」
「あはは。忘れていたわ」
 浩之が手を差し出すと、綾香は微笑みながら、その手を取った。
 映画館の観客はまだ、誰も席を立たない。
 中には泣いている者もいる。
 泣いているのは、ほとんどが綾香とあまり歳が変わらない女性ばかりだ。
(やっぱり、こいつって変わっているのかな?)
 浩之はそう思いながら、綾香と一緒に映画館を後にした。

「今度見るのはアクションものにしようね、浩之。もっとエキサイトできる方がいいわ」
「まあ、イメージ通りと言えば、イメージ通りなんだが」
「ちょっと。それってどういう意味?」
 綾香はふざけ半分で怒りながら、浩之の肩を軽く押す。
「綾香って、ああいう映画は駄目なのな。女の子って、ああいうのが好きなんだと思ってたんだけど」
「まあ、好きな人もいるんじゃない? 私は御涙ちょうだいものは駄目よ。やっぱり、自分から行動
する主人公に共感を覚えるわね」
「さっきの映画の主人公も、自分から走り出したけどな」
 少しだけ、さっきの映画が気に入った浩之は、綾香に批難がましいことを言った。
「アメリカじゃ受けないわよ。待つ女っていうのは、アジア系の女性像よね。人形じゃあるまいし、
黙って待っているだけっていうのはおかしいわ」
「ふ〜ん。そういうもんかなぁ」
 浩之の視線の先には、ハンカチで目頭を押さえながら映画館から出てくる女の子がいる。
 レミィだ。
 同じ映画を見ていたらしい。見事に、泣いている。
「特別よ。特別。レミィだって、待つ女ってタイプじゃ全然ないでしょ?」
「いや、綾香と比べるとなぁ」
 ゴス。
「いてぇ!」
 かなり本気のツッコミが、浩之の肩に入った。


 来栖川の屋敷にある、綾香の部屋。
 豪華な調度品で固められた部屋の中で、綾香は一人、CDを聞いている。
 浩之と見た映画の中で、一つだけ気に入ったものがある。
 それは、エンディングで流れる歌で、映画のヒロインが歌っていたものである。

「駆け出そう。自分の足で。飛び立とう。自分の意志で」

 歌詞は英語だったが、そういう意味あいをこめられて歌は流れていた。
「人形、ね」
 浩之と話していたことを、綾香はゆっくりと思い出した。
「だれかに操られている、っていう意味なら、私もそんなに変わらないわね」
 社交界のパーティの会場で、誰かが綾香の姉の芹香を見て、「まるで人形のようだ」と言っていた
のを聞いたことがある。
 無口な姉は、ほとんど喋ることはない。
 いや、喋るのだが、ほとんど聞こえないような小声で、その意味がわかるのはごく限られた人間だけだ。
 綾香は「人形のようだ」とは言われたことはないが、結果としては、あまり変わらない。
 自分に課せられているレールから大きく外れることは許されないのだ。
 来栖川財閥の娘に生まれた。
 それは人に羨ましがられてもおかしくはない、幸運なことであったが、綾香には窮屈だった。
(もしも、私が普通の家の娘として生まれていたら、浩之は自分に振り向いてくれただろうか?)
 時々、そんな馬鹿なことを考える。
 あいつなら、そんなことは気にしない。
 そう思ってはいるが、時々、不安になる。
 それが恋だというものだと認められるほどには、綾香は自信家ではなかった。


「綾香。今度の日曜日、どっかに行かねえか?」
「ごめ〜ん。また、今度ね」
 浩之とつきあい始めて半年ほど経った頃。
 綾香の周辺がにわかに騒がしくなり始めた。
 自分が「民草の者」とつきあっていることを思わしく考えない連中が動き始めたのだ。
 綾香の両親は、もちろん綾香と浩之の交際に賛成してくれたが、不穏な動きをする連中を止められる程の
力は持っていない。
 今度は利権が絡むので、子育ての時とはまた問題が違うのだろう。
 綾香はテレビの画面を眺めるような、他人事のような様子で、自分の周囲に起こっている動きを傍観していた。


「お嬢様。面会を希望する方がいらっしゃっています」
 執事の長瀬に呼ばれて、綾香は軽く一礼した。
 三日おきに、「やんごとなき家柄の男性」に会わされる。
 気に入るはずがない。
 自分が気に入っているのは、ただの高校生の藤田浩之なのだから。
 口に出して言えばいい。
 そう思うのだが、どこかからやって来る男の前では、綾香は清楚なお嬢様として振る舞った。
 はやく、あきらめてくれないものか。
 そう思うだけで、「いやだ」と言うことはできない。
 今の綾香の表情は、気に入らないと言っていた映画のヒロインとあまり変わらなかった。


「なあ、綾香。最近のおまえって、なんだか暗くねえ?」
「え〜? そんなことないけど?」
 浩之と会う機会が徐々に減ってきた。
 時間が短くなり、出会いの間隔は長くなっていく。
「疲れているんじゃねえか? 最近、忙しいみてえだからさ」
「そうそう、やんなっちゃうのよ。長瀬がスケジュールばっちり組み込んじゃって」
 嘘も巧くなった。
 本当のことを言えば、浩之は心配するに決まっている。
 そして、心配してもらっても、浩之にできることはなにもありはしない。
 どこかに連れて逃げて欲しい、と言ってみたかったが、そのことで浩之がどんな目に会わされるか、綾香は
知っていた。不穏な動きをする連中は、関係者の家族を巻き添えにすることだって厭わない。
 自分のために、浩之がそんな目に会うのには耐えられそうになかった。
「そんなことより、もっと楽しい話題を話しましょう。せっかく会えたんだから」
「せっかくって……本当に大丈夫なのか?」
(馬鹿。なんで、気付いてくれないのよ)
 肝心の言葉は出ない。


 家に帰ると、姉の芹香が自室の人形を整理していた。
 古いアンティークドールばかりだが、どれも姉が大事にしていたものだ。
「わぁ〜、懐かしいわね。この人形、姉さんと一緒に遊んだやつよね」
 子供の頃遊んだ人形を見かけて、綾香の顔が久しぶりにほころぶ。
「……」
 芹香はコクリとうなずき、人形の背中から伸びている糸を手繰ってみせた。
 とん、とん、とん。
 不器用だが、確かに人形はステップを踏んだ。
 さらに、芹香は糸を手繰る。
 とととん、とん、とととん。
 人形は布で出来た足で地面を蹴りながら、踊り始めた。
「操り人形よね。懐かしいなぁ……本当に、懐かしい」
 綾香の声が小さくなった。
 人形。
 その言葉が自分の肩にのしかかるようになって、もうずいぶんと時間が経った。
 「計画」は徐々に進行している。
 その言葉は、今の綾香には重い。
「……」
 芹香は糸を手繰るのを止め、無言で綾香の目を見つめ始めた。
 姉が何を言いたいのか、綾香には理解できた。
 だが、そうするわけにはいかない。
 大事な人だからこそ、自分のわがままを押し付けるわけにはいかない。
 自分の想いを口に出すわけにはいかない。
 とん、とととん、とととん。
 操り人形は再び、ステップを踏み始める。
 綾香は最後まで無言だった。


 ついに、その日が来た。
「綾香さん。結婚を前提に、お付き合いしてください」
 その若者が最初に言った言葉はそれだった。
 彼は選ばれたのだ。
 綾香の後ろにある「来栖川財閥の利権」を主張する連中に。
 顔も、身につけているものも、物腰も、浩之とは比べるべくもない、素晴らしい若者だった。
 だが、それだけだ。
 綾香の胸に熱いものを走らせることはない。
 だが、綾香はやはり、何も言うことはできなかった。
 もしも自分の想いを口に出せば、彼女の周りにいる人間に迷惑がかかる。
 自分だけが我慢すればいいだけのこと。
 それだけのことなのだ。
 綾香は無言で、若者の言葉にうなずいていた。


 バシ、バシィ。
「あっ、綾香先輩から、一本取れちゃった……」
 後輩の葵が呆然とした顔で、自分のグローブをはめた拳をながめている。
 負け惜しみに聞こえるが、若者との交際が始まってから、綾香はトレーニングを止めていた。
(人形劇のお姫様が剣を振り回して、どうなるのか?)
「あはは。負けちゃった〜。強くなったわね、葵」
 声は明るい。
 表情も明るい。
 だが、捨てたものがあまりにも大きかったことに、綾香は改めて気付いた。
「綾香先輩。ありがとうございましたっ!」
 葵の礼の言葉が痛い。
 そうするつもりではなくても、自分は葵を裏切ってしまったのだ、と思った。
(もう、グローブをはめるのは止めよう)
 浩之にはまだ会っている。
 だが、それもいつかはあきらめることができるだろう。
 綾香は徐々に、物言わぬ人形へとなっていく。


「もう、浩之ちゃんったら〜」
「おまえが下らないことばっかり言うからだ」
 学校の昼休み。
 浩之と五分でもいいから話したいと思って、学校を抜け出した綾香は、幼馴染の少女と楽しそうに話している
浩之の姿を見た。
 浩之の笑顔は、あの頃とはなにも変わっていない。
 自分は、どんな顔で笑うようになったのだろうか?
 結局、浩之に声をかけることはできなかった。
 会いたい。
 でも、会えない。
 時間だけが過ぎていく。


 夕闇の中で。
 綾香は薬瓶をじっと見つめている。
 姉の芹香の部屋から黙って持ち出したもので、中に何が入っているかはわからない。
 だが、酸の類であることはわかっていた。
 どんな顔になるのだろうか?
 もしも、自分が自分でなくなったら、この人形劇は終わるのだろうか?
 そっと、薬瓶の中の液体に指を浸してみる。
「っ!」
 シュっと音が鳴って、綾香の指に火傷に似た痛みが走った。相当に強い酸のようだ。
「お嬢様。面会のお客様がいらっしゃっています」
 執事の長瀬が自分を呼んでいる。
 綾香は薬瓶を机に置き、静かに部屋を出た。


「綾香。おまえな。そういうことは早めに話せよ。俺も長瀬の爺さんも、もちろん先輩だって、ものすごく心配
したんだからな」
 部屋の外に立っていたのは、浩之だった。
 正規の訪問ではないことは、彼の肩に乗った雑木林の木の葉が語っている。
「なっ、長瀬?」
「綾香お嬢様。嫌なものは嫌だと、はっきりと言えばよろしいのです。この長瀬源四郎は、いかなることがあろう
ともお嬢様の味方ですぞ」
 呆然とした顔で問い掛ける綾香に、長瀬は胸を張って答える。
「俺だってそうだ。さあ、今から、おまえの爺さんに抗議しにいくぞ」
「ちょ、ちょっと待って。そんなことしたら……」

「知るか。俺はもう決めたんだ。なにがあったって、絶対にあきらめないからな」
「あ……」

 映画の中と、同じセリフだった。
 女のために傷付き、血反吐を吐くような目にあっても、それでも走るのを止めなかった男。
 綾香の大きな黒い瞳から、涙が落ち始める。
「あっ……ありがとう、浩之」
「……礼なんか言うな。俺が勝手に決めたんだ。だから、泣くんじゃねえよ」
 あとは言葉にはならなかった。
 綾香は浩之の胸にしがみつき、ただ泣き始めた。
 その泣き声は館中へと響く。
 そして、綾香を縛りつけようと画策していた連中の運命は「決定」した。


 浩之と綾香は、暗い部屋の中でCDを聞いていた。
「この歌、好きなんだ」
「知ってるよ。この映画を見た時、おまえ、泣いていたもんな」
「映画じゃ泣かなかったわよ」
 綾香はそっと、浩之の頬に触れる。
「でも、今見たら、泣けるかもね」
「……かもな」
 歌声が部屋の中で響く。

「駆け出そう。自分の足で。飛び立とう。自分の意志で」

 口ずさんでいたのは綾香だった。
 浩之が抱き締めたが、綾香は口ずさむのを止めない。
 歌は、最後まで流れつづけていた。

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