不純な天使と純情な子悪魔と 投稿者:AIAUS 投稿日:5月4日(金)23時57分
 学校の帰り道。
 私は藤田先輩と一緒に下り坂が続く道をゆっくりと歩いていました。
「へえ〜。琴音ちゃんって、やっぱり落ち着いた音楽が好みなんだ?」
「はい。最近はドイツの音楽に凝っているんですよ」
 テクテクテク……。
 藤田先輩は、私の遅い歩調に合わせて時々立ち止まってくれます。
 そして、私が追いついて横に並ぶまで、いつもの落ち着いた瞳で私の顔を見つめてくれます。
 やっぱり、藤田先輩って優しい人ですよね。
 私は少し頬が赤くなるのを感じながら、藤田先輩との帰り道を楽しんでいました。
 そのゆったりとした時間を引き裂いたのは、素っ頓狂な女の子の悲鳴。

「きゃああああ〜、どっ、どいて、どいて。ぶつかる〜!!」
 ゴイーン!
 お寺の鐘のような鈍い音が響き渡りました。 
 そして、私の後頭部を襲う鈍い衝撃。
 誰かが私にぶつかって来た。
 そのことに気付いたのは、私が気絶から目を覚ましてからでした。


 ズキズキズキ……。
 後頭部が痛ひ。
「おっ、おい! 琴音ちゃん! 大丈夫か?」 
 目を開けると、私は藤田先輩に抱きかかえられていました。
 藤田先輩に抱きかかえられたまま、首を横に傾けると、そこには長い黒髪を後ろで結わえた
小柄な女の人が一人、私にむかってペコペコと頭を下げていました。
 うちの学校の制服を来て、学年証は二年のもの。どうやら、私の先輩みたいです。
「ごっ、ごめんなさ〜い。私、石頭だから……」
 そういう問題じゃないと思うんですが。
「それより、理緒ちゃん。急いでいたんじゃないのか?」
「そっ、そうだ。いっけな〜い……ごめんなさい、私、急ぎますので。後日、ちゃんと謝らせて
もらいますね〜!」
 黒髪の小柄な女の人はそう言いながら、下り坂を走り去っていきました。

 ズキズキ……。
「あんまりだと思うんです。いくら急いでいるからって。きちんと謝って欲しかったです」
 私はまだ続く後頭部の痛みを気にしながら、藤田先輩に文句を言いました。
「あ〜、許してやってくんねえかな。理緒ちゃん、バイトしているからさ。遅れるわけには
いかねえんだよ」
 藤田先輩は頭を掻きながら、女の子をフォローしました。
「先輩、あの人を御存知なんですか?」
「ああ、雛山理緒ちゃんっていってさ。アルバイトが忙しいんだ」
 ……へえ。あの女の人、雛山理緒って言う名前なんだ。
「アルバイトって……こんなに早い時間にですか?」
 私と藤田先輩は帰宅部、つまり部活に入っていないので、授業が終わったら、そのまま家に
帰ることになります。つまり、今は学校が終わってからほとんど時間は経っていません。
「理緒ちゃんの家ってさ。今、お母さんが病気で働けねえんだよ。それで、代わりに理緒ちゃんが
アルバイトして家を支えているんだ。だからさ、あんまり怒らねえでやってくれよ」
 私と同じ母子家庭なんでしょうか?
「藤田先輩がそこまで言うのなら……」
 私は気を取り直して藤田先輩と音楽の話を続けながら、帰り道を歩いていきました。

 私の寝室。
 ベッドの上に座っているのは、イルカさん柄のパジャマを来た私。
「ううっ〜。やっぱりコブになっているよ〜」
 合わせ鏡で後頭部を確認した私は、見事なコブを見つけてしまいました。
 きっと雛山先輩は、すごい勢いで私にぶつかったのでしょう。
 それだけ急いでいたということですね。

 父親がいない生活。
 これは私も同じですから、雛山先輩の気持ちを想像することはできます。
 自分で働いて家族を支えなければならない生活。
 ……これは想像することはできません。
「大変なんだろうなぁ……」
 そんなことを考えていると頭をぶつけられたぐらいで怒っていた自分が、とても嫌な人間に
思えてきました。
 雛山先輩、また謝ってくれるって言っていたけど、その時はすぐに許してあげよう。
 私はそう結論すると、抱き枕を抱えて、そのまま眠りについたのです。


 翌朝の学校。
「あっ、あの、昨日はすいませんでしたっ!」
 朝一番で、雛山先輩は私に謝りに来てくれました。
「いえいえ。気になさらないで下さい。わざとしたわけではないのですから」
 私は昨日の約束どおり、すぐに雛山先輩を許してあげました。
 そう。急がなければならない事情があったのですから、仕方がないです。
「でっ、でも。姫川さん、すごく痛そうだったし……」
 あれ? 雛山先輩、私の名前を知っている。
 もしかして、藤田先輩から聞いたのでしょうか? 
「もう腫れも引きましたから。大丈夫ですよ」
「はっ、はい……」
 しきりに頭を下げようとする雛山先輩を押しとどめながら、私は別の話題を振りました。
「そう言えば、もうすっかり暖かくなりましたよね」
「はっ、はい。うちも暖房代の心配をせずに済んで……」
 じっと私に顔を見つめられて、雛山先輩は言葉に詰まってしまったようです。
「敬語はやめてください、雛山先輩。私は後輩なんですから」
「うっ、うん。そうだね、姫川さん。私、ちょっと緊張しちゃっていた」
 そう言って、嬉しそうに微笑む雛山先輩。
 かくして、私と雛山先輩は知り合ったのです。

 いつも忙しそうに学校の中を走り回っている人。
 雛山先輩と知りあって、私が彼女に抱いた印象はそれでした。
「あっ、姫川さん、こんにちは〜……きゃあ!」
 そして、いつも学校の中で転んでいる人。
 雛山先輩は本当によく転ぶ人です。
「だっ、大丈夫ですか?」
「へっ、平気、平気。私、こういうの慣れているから」
 ……どうして、何もないところで転べるのでしょう?
「えへへ。私ってそそっかしいから」
「ふふっ」
 一緒に笑う雛山先輩と私。
 このようにして、私と雛山先輩はゆっくりと親しくなっていきました。


 期末試験も終わり、夏休みを迎える前になった頃。
 夕方の学校の屋上で、私私と雛山先輩はフェンスに背中をあずけて、暑い空気を緩やかに
冷ましていく夏のそよ風を楽しんでいました。
「ねえ……琴音ちゃん、好きな人っている?」
「えっ?」
「あの、私ね、好きな人がいるんだ」
 もしかして、藤田先輩のことでしょうか?
 もしもそうであれば、最悪、非常手段に訴えることも考えなくてはいけません。
 三階建ての屋上からなら大丈夫かな……でも、雛山先輩って頑丈そうだし(おひ)。
「あの……どんな人でしょうか?」
 私は気付かれないように腰を溜めながら、雛山先輩に確認してみました。
「優しい人。笑うと、とっても素敵な人なの」
 ……藤田先輩は優しいけど、笑顔は怖いから違うかな?
「いつも私に気をかけてくれて、はげましてくれるの」
 むむっ! 藤田先輩もおっせかいだし、もしかして……。
 ジリジリ。
 私はゆっくりと雛山先輩に近づいていきます。
「真面目で、純情で、素直で……私なんかには、とても不釣合いな人」
 ……な〜んだ。
 藤田先輩は不真面目で、エッチで、ひねくれています(おひ)。
 全然違いますね。
 雛山先輩と好きな人がバッティングしなくてよかったです。
「……でも、思い切って告白した方がいいのかなぁ。姫川さんはどう思う?」

 ドンッ!
「おまかせくださいっ! 私に秘策がありますっ!」

 突如、胸を叩いて大声を出した私に、雛山先輩は驚いたようです。
「まずはですね。ターゲットを海に誘い出して下さい」
「たっ、たあげっと?」
 目をぱちくりとさせる雛山先輩。私は言葉を意気込んで続けました。
「そうです。ターゲット、的、目標、獲物ちゃんです。そして、そこで雛山先輩の水着姿を
相手の網膜に焼きつけるのですっ!」
「えっ……えっと、それから?」
「なるべく露出度の高い格好で迫り続け、しかし、決して一線は超えさせないっ! ここが重要
なんですよ」
「ほええ〜」
「そして、相手がリミットブレイク間近になった頃を見計らい、一気に人影のないところに
誘い込むのです」
 雛山先輩はしばらく考え込み、ためらいがちに私に言ってきました。
「あっ……あの、もしかして、それって色仕掛け?」
「そうですね。英語ではハニートラップとも言いますが」
「そっ、そういうのって、よくないんじゃないかなぁ」
「引っ込み思案では誰かに奪われてしまいますよ。恋は勝負なのです」
「そっ、そうなんだ……」
 納得してくれたようなので、私は最後の仕上げを教えることにしました。
 スカートを直してから屋上の床に座り、私は雛山先輩の目の前で両足を向かい合わせに
「く」の字に曲げてみせます。
「これが最後の仕上げです。絶対に逃がさないように」
「えっ、えっ?」
「これぞ、姫川家に代々伝わる秘儀「カニバサミ」です。これで既成事実さえ作ってしまえば、
どんな相手でもイチコロですよ」
「あっ……あの、逃がさないって?」
「ですからね……」
 私は雛山先輩に耳打ちで、どういう状況でカニバサミを使うのか、詳細に説明しました。
 耳を真っ赤にして、でも一生懸命に聞いている雛山先輩。
 これで、雛山先輩も憧れの人と添い遂げることができるでしょう。
 いいことをすると気持ちのいいものですね。


 二学期も終わろうとする頃、ショッキングなニュースが私の耳に飛び込んできました。
「琴音ちゃん。俺、どうやら学校を辞めることになっちまいそうなんだ」
「ええっ!? いきなり、どうしたんですか!?」
 藤田先輩の言葉に、私は耳を疑いました。
 藤田先輩は照れ臭そうに鼻の頭を掻きながら、ある人物を私に紹介しました。
「えっ、えへへ……姫川さんに教わった秘儀が成功しちゃったみたいで」
 そこにいたのは……。
 同じように照れ臭そうに笑う、お腹が大きくなった雛山先輩。
「来年の春には理緒との子供が産まれるから、俺、学校を辞めて働くことにしたんだ」
「ごめんね、浩之君。私のせいで……」
「バカなこと言うなって。俺、嬉しいんだからさ」
 何気に二人とも名前で呼び合っているし。

「にょ」

「「にょ?」」
 不思議そうに私の顔を見る藤田先輩と雛山先輩。

「にょえええええええええ!!!」

 幸せそうな二人。
 それと裏腹に、悲しげな私の絶叫が初冬の空に響いたのでありました。

 (終わり)

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